名古屋壬生三郎8️⃣⚔️ (@nagoyatomiburo)

投稿一覧(最新100件)

3 0 0 0 OA 童子

RT @T_urade1987: 『童子』という本には貴重なエピソードが載っています。親の七光りの無能というイメージからは程遠い人に見えますね。ただ父の名には縛られていたようです。 https://t.co/dNYyd6i4jN

3 0 0 0 OA 童子

RT @T_urade1987: 『童子』という本には貴重なエピソードが載っています。親の七光りの無能というイメージからは程遠い人に見えますね。ただ父の名には縛られていたようです。 https://t.co/dNYyd6i4jN

2 0 0 0 OA 朝陽館漫筆

RT @T_urade1987: 佐久間恪次郎の建白書です。活動記録は多く残っているようなので、まだまだ探しようはあると思われます。史料を見る限り志士としての活動をかなりしていました。「どら息子」という先入観が強かったので、余り調べられなかったのでしょう。 https://t.…

13 0 0 0 OA 新撰組十勇士伝

そんな新撰組十勇士伝、デジタル図書館で読めます!https://t.co/drH2wPcL1r 山南が「芹沢局長の女になるのは嫌だ? 首をぶったぎるぞ!」(意訳)と言ったり 伊東甲子太郎が新見錦と組んで近藤を襲撃するといったレアが光景も見れますYO!

25 0 0 0 OA 人間見物

RT @ksk18681912: 昭和2年の松崎天民「人間見物」に「近頃」関西風すき焼き「菊水」が銀座に登場したとあります。 https://t.co/n9Icled95K 一方で、松喜、幸楽、ちんや、米久、今半、ときわ、三河屋、河合といった震災前からの牛鍋の老舗も健在。この…

35 0 0 0 OA 浅草経済学

RT @ksk18681912: 昭和5年の「浅草経済学」からは、今半、平川、あづまに加え、米久、ちんや、多津巳、金子、松喜といった震災前からある老舗が復活していることがわかります。 https://t.co/HKWcXlcHqs
RT @ksk18681912: 昭和3年から時事新報に連載された記事を昭和5年にまとめて出版した「東京名物食べある記」では、復活した浅草の今半、平川、あづまが登場。 https://t.co/V4CCDfPtRy https://t.co/ISJsbVfUWk

53 0 0 0 OA 食行脚

RT @ksk18681912: まず、関東大震災の2年後に出版された食べ歩きの本、「食行脚東京の巻」をみてみましょう。 https://t.co/PeHrSryrce 震災から2年経った大正14年には、三大老舗の米久、三河屋、河合が復活を果たしています。他には、牛鳥料理の幸…
RT @hono_mt: ⑦天保元年・慶応・戊辰・明治十年二本松藩士人名辞典(国立国会図書館デジタルコレクション) 戊辰関係かと言われると微妙だが、とりあえず「二本松藩士略伝」には戊辰戦争期の人物が複数掲載されており、あいうえお順掲載なので探しやすい。 https://t.co…

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

RT @hono_mt: ⑥維新戦役実歴談(国立国会図書館デジタルコレクション) 元長州藩兵による、戊辰戦争体験談集。戊辰50周年記念で作成された。話者に二本松城下戦体験者が複数おり、「激戦になるかと思いきや意外と大したことなかったわ」など率直かつ容赦ない回想をしてくれている…

24 0 0 0 OA 二本松藩史

RT @hono_mt: ①二本松藩史(国立国会図書館デジタルコレクション) 言わずと知れた基本資料。旧藩士を中心とした編纂委員メンバーがお送りする、最初から最後までどこ開いても二本松藩な本。元々戊辰史として企画されたものなので全編とおして戊辰関係の話題が多め。収録史料も充実。…
RT @T_urade1987: この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
RT @T_urade1987: 鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
RT @machi82175302: この間の事情にご関心がある方は、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨)」をご参照ください。#青天を衝け https://t.co/4aFWiVFAYN

3 0 0 0 OA 年録

RT @mokunojou: @T_urade1987 こそっと https://t.co/ZsAP1pPTlE 別家から養子にきていそうですね

2 0 0 0 OA 東京市史稿

RT @T_urade1987: 芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことです…

10 0 0 0 OA 近世野史

RT @T_urade1987: @kiraboshi33 その記述は『文久雑集』ではなくて、城(西村)兼文の『近世野史』からではありませんか。冒頭の文言だけないのですが……。『文久雑集』は見たことないですが,著者が同じなのでしょうか。 https://t.co/YsKveOl…

お気に入り一覧(最新100件)

新選組がいいオチになってるけど、ベタなことをあえて言うと新選組も「当然」尊皇攘夷のために結成されてその意志を持ち、解散まで主観的には全く変わらないんですよね。京都に残るの決めた時点で、その決意はかなり固い。 #今日の論文 『孝明新政府における新選組の位置』 https://t.co/fgxDfwOUY4 https://t.co/xTsftvvn17 https://t.co/Ry74bUt1Ja
しんかい6500の耐圧穀はすごいぞ https://t.co/tag4l86Ho6 https://t.co/iDzvU40Igm

15 0 0 0 OA 死生の境

新選組の隊服が黒ずくめと言ったのは渡辺昇という人らしい 元ネタはこの辺かな? 黒装束云々の前に、話が理解できないよぉ https://t.co/mn7xuTwFMm
新選組隊士というか衝鋒隊隊士の元井和一郎、wikipediaの情報どこが出典かわからなかったんですが、『柏崎市史資料集』の一巻に記述ありました。新選組には全くふれておらず。他に赤報隊もちょっと出てます。 https://t.co/Kwy16U94OU
これ『維新志士新谷翁の話』の「坂本龍馬と高杉晋作を訪ふ」って項でした! 龍馬と新谷が高杉さん宅訪ねた時に最初「朝敵!」って罵って取り合わなかったけどこれは龍馬を試したからで次の日訪ねたら快く会ってくれたって話だった。(個人送信サービスで読める)https://t.co/lcvE9ViHKz

1 0 0 0 教育愛知

かみやますこさんのインタビュー記事、国会図書館の個人送信で読めるようになってた。本名の上家益一で掲載。コマ番号22から 教育愛知. 30(3)(349) https://t.co/sVNKsyDtya https://t.co/I7hEFv71YZ
芳野金陵の門人録。伊庭八郎、金陵と繋がりは有名かもしれませんがはっきり文久二年に門下生になっていたんですね。しかし三郎とは誰か。 https://t.co/7PobufAbyx

2 0 0 0 公園緑地

@bakaruto 「工学部のある大学図書館なら最新号ぐらいあるだろ」と思ったら意外と所蔵していないんですね。 コロナ禍で部外者の閲覧については問い合わせたほうがいいのかもしれません https://t.co/Uw6YSQdYh7
毛内滝子については柴桂子(1994)「毛内滝子と『愛桜亭家集』」江戸期おんな考.(4)が詳しい。 https://t.co/bPzCNvt6Ny

14 0 0 0 OA 戊辰物語

この毛内有之助の武器の話が出ている『戊辰物語』は、現在は岩波文庫で出版されているが国会図書館デジタルコレクションでも読める。 https://t.co/7YUtJJVJEf
国会図書館の個人送信、こんな珍本が家で読めるのは嬉しい。熊沢天皇 熊沢寛道『南朝と足利天皇血統秘史 : 万世一系はいづこ』 https://t.co/uLXPYlxXTq

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
現状入手困難で古書価格高騰中の『富ノ澤麟太郎集』が読めるようになったというのはなかなか凄いです。 https://t.co/M0Yl2VvS2U

8 0 0 0 OA 佐川町誌

『佐川町史』に那須盛馬の書翰がほぼ全文含まれています。平尾道雄は一部使っていますが、あまり知られていないものなのでは。西郷の一存で田中光顕が薩摩藩に召し抱えられたことなどが書かれており、興味深い。 https://t.co/qovq1zFYCs
田中新兵衛が鵜木孫兵衛、志々目献吉らと島田龍章を暗殺した出典って小河一敏の入薩日記だったんですね。余り知られていないのでは。 https://t.co/9SDZBgECGb

2 0 0 0 OA 今昔之三谷

乃木将軍像については『今昔之三谷』p.205~に詳しい。岡崎の石材が使われており、制作者も岡崎の三浦善吉。大正9年4月21日に除幕式が行われている。 国会図書館デジタルコレクション『今昔之三谷』 https://t.co/J9AZad6QAv https://t.co/zB902wxv4N https://t.co/ZGnKg2JDLX

11 0 0 0 OA 世外井上公伝

「青天を衝け」で井上馨の顔に傷があるのですが、今まででこのことに気づいてツイートしたのは、FFでは中村武生さんだけだった。 https://t.co/PcBvP74KbM 写真だとわかりにくいこともあって、やや薄目の目立ちにくい傷になった。
本間精一郎が気になり調べたら『越佐維新志士事略』という本を国デジで見つけた。大正十一年刊。 https://t.co/GCo7G2dOEn
『梅本記』の中の遊女関係史料翻刻。当時の喋り言葉を使って書かれたものです。教養の高い女性は所謂「女言葉」を使うように定められていただけで、大多数の女性は普通に喋っていたし書いていたことが明らかになりますね。 https://t.co/pIPMcsp3mc
後年編集のもののようですが、大沼枕山の門人帳がネットで見れまして、小島守政はあるものの、近藤の名前は見えない。 https://t.co/KJDeVs38dz

80 0 0 0 OA 国民過去帳

国民過去帳(『明治過去帳』)より前野五郎(左上)没日も流布しているものより半年も違います。新選組云々の過去は記載されず。新選組隊士の中では分かっている人という印象でしたが、調べた方がいいでしょうね。 https://t.co/vIBqBmQ0So
⑦天保元年・慶応・戊辰・明治十年二本松藩士人名辞典(国立国会図書館デジタルコレクション) 戊辰関係かと言われると微妙だが、とりあえず「二本松藩士略伝」には戊辰戦争期の人物が複数掲載されており、あいうえお順掲載なので探しやすい。 https://t.co/N2hxzQvweA

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

⑥維新戦役実歴談(国立国会図書館デジタルコレクション) 元長州藩兵による、戊辰戦争体験談集。戊辰50周年記念で作成された。話者に二本松城下戦体験者が複数おり、「激戦になるかと思いきや意外と大したことなかったわ」など率直かつ容赦ない回想をしてくれている https://t.co/NSScjmtLER

24 0 0 0 OA 二本松藩史

①二本松藩史(国立国会図書館デジタルコレクション) 言わずと知れた基本資料。旧藩士を中心とした編纂委員メンバーがお送りする、最初から最後までどこ開いても二本松藩な本。元々戊辰史として企画されたものなので全編とおして戊辰関係の話題が多め。収録史料も充実。 https://t.co/wt5xugKkdA
小栗上野介の600万ドル借款で思い出しすのが「岸川家文書」。 由来がとてもドラマチックなのですが、最新研究だとどういう位置づけになるのかしら。 #青天を衝け https://t.co/WbHSd5HaEi

1 0 0 0 埼玉叢書

@n_Fushimi_243 分かったかも知れません。落合直亮が『飯能騒擾日記』を著し、埼玉叢書に収録されている由。落合の作だとすると木村家に所蔵があってもおかしくないのでは。 https://t.co/7PwSKmFJVf
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝け https://t.co/lQdVowdduY

1 0 0 0 OA 口上覚

皆さん呟かれていた国図の川村正平関係文書、落合直亮の上書もありました。小仏関所の武器類が古く破損しているから修繕して!というもの。弓矢・鉄砲・六尺棒・捕縄などがその対象ですが、なかなか古典的

2 0 0 0 OA 柏原学介届書

先程リツイートした、鳴海さんが仰っていた、柏原学而が見立てをした川村さんの傷についての報告書。 柏原学介届書 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/uljbPme6QH

11 0 0 0 OA 御届

平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
正確には松村十助のようです。松田重助の書き間違いとも思えますが。 https://t.co/CBV4OlhY7P
中山忠能宛の正親町公董書状に面白い記述が。古高俊太郎の口書が触書として張り出されたと。他の風説書にも古高口書が写されているんですが、これで伝存経緯が判明するのでは。 https://t.co/jEkbl2QhNN
慶応2年2月5日(1866年3月21日)、木戸孝允の手紙(薩長同盟の6か条)に、坂本龍馬が内容を保証する裏書きをした。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9)曰く、龍馬が長州藩要路の一部から薩摩藩士と見られていた点が意味を持った。 https://t.co/Vz75SjD6eh
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
この間の事情にご関心がある方は、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨)」をご参照ください。#青天を衝け https://t.co/4aFWiVFAYN

1 0 0 0 OA 巣内信善遺稿

古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことになりますね。 https://t.co/d5b4l94xid

1 0 0 0 OA 蘇峰随筆

徳富蘇峰も贋作家の関西の西村某について『蘇峰随筆』の中で書いています。 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/b8x2lNUhXI https://t.co/NWLJQWHo0N
松本良順の弟子入沢恭平の日記では、良順、小曽根乾堂、司馬凌海が長崎の大浦で船中酒宴を催したなる記述があります。意外に龍馬と新選組は接点が多いんですよね。 https://t.co/GSrXUtKxb3
文化7年12月4日(1810年12月29日)、森島中良(桂川甫粲)が死去。『紅毛雑話』・『万国新話』・『琉球談』などの著作がある。岡田袈裟男「森島中良の見た海彼の文化」(『国文学研究』151、2007年)曰く、「海禁の時代の日本人としては希に見る異文化の了解者であった」。 https://t.co/RBebIU7D0h
今からちょうど156年前、元治1年12月28日、「鹿児島藩討幕の意ありて、内大臣近衛忠煕之に同意すとの説、廷臣間に行はる」。本件については、拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要8号』2016.3)参照。https://t.co/bR9OnAxGwv
『河北新報』紙上でのこの連載をまとめた本が富田広重『滅び行く伝説口碑を索ねて』第壱輯として1926年(大正15)に出版されており、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている。大人魚の話は「人魚の森」という題名で収録。 https://t.co/fkeG56bEPV
私が今朝読んだのはこれ(国立歴史民俗博物館研究報告 第 200 集 2016 年 1 月 横山百合子著 梅本記資料紹介) ↓ https://t.co/PmacjrYmIX

1 0 0 0 OA 川俣茂七郎

『川俣茂七郎』によれば天狗党高橋上総介(赤報隊の高橋新太郎)、色々やったと書かれていますね。神職だからと言って必ずしも大人しかったと言う訳ではないようです。 https://t.co/E9faIRrSLj

1 0 0 0 OA 町方書上

町方書上だと家数が七十五軒もあって想像以上に中川町は広かったですね。地借一とあるのが道場でしょうか。時期的には伊東誠一郎が若かった頃ではあるんですけどね。 https://t.co/6fc2MskypE

2 0 0 0 OA 法規分類大全

川村伝衛は伝左衛門の息子、婿養子が伝蔵です。深川中川町一番地とあるので、ここに土地を持っていたことは確定でしょうね。 https://t.co/6sedOpWJCq
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba
こちらの論文は、歴博のリポジトリでお読みいただくことができます。↓ 横山百合子「梅本記 : 嘉永二年新吉原梅本屋佐吉抱遊女付け火一件史料の紹介」『国立歴史民俗博物館研究報告』200号、2016年 https://t.co/9MuWBuTtj8

3 0 0 0 OA 年録

@T_urade1987 こそっと https://t.co/ZsAP1pPTlE 別家から養子にきていそうですね

2 0 0 0 OA 東京市史稿

芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc
出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
@hiragumo99 ネットで見れるものだと「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、それと愛媛県先哲偉人叢書の矢野玄道の巻でしょうか。 https://t.co/F9g5l0jLop

6 0 0 0 OA 往事録

西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 https://t.co/bjqM4uFMeW
これも読みました。やる夫楚漢戦争を読んだ方にもおすすめできる劉邦軍団の初期の軍事行動に関する研究です。 前漢王朝建立時における劉邦集団の戦闘経過について(上)─劉邦集団内部の政治的派閥の形成を中心に─ https://t.co/NxC1LKOBYF

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi

13 0 0 0 OA 明治英雄情史

浅葱色のダンダラ羽織が廃された後、新選組では黒装束が隊服となっていた説の典拠のひとつとしてよく挙がる『明治英雄情史』(大正3年)には、現在「加納惣三郎」として知られる微妙に実在のアヤしい隊士が「黒羅紗筒袖の陣羽織」で京の街を巡邏していたと書かれています。 https://t.co/VCRPgM2Q7w
勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはいたんです。 https://t.co/Wb9SPAbrJ1

8 0 0 0 OA 史籍雑纂

@hana76781232 その辺り色々謎があるんですよね。慶応三年十月、近藤勇は会津藩に村山謙吉と伊東甲子太郎から聞いた陸援隊側の情報を伝えています。しかも近藤は報告したことが相手側に伝わったら二人は殺されるかも知れない、だから内密にと主張していると解釈できる表現を使っています。 https://t.co/kvRTDmcQSw

13 0 0 0 OA 新撰組十勇士伝

@funnyara5 松林伯知の新撰組十勇士伝と思われます。https://t.co/Yown09eRjN

25 0 0 0 OA 人間見物

昭和2年の松崎天民「人間見物」に「近頃」関西風すき焼き「菊水」が銀座に登場したとあります。 https://t.co/n9Icled95K 一方で、松喜、幸楽、ちんや、米久、今半、ときわ、三河屋、河合といった震災前からの牛鍋の老舗も健在。このころの主流はやはり東京の牛鍋でした。 https://t.co/BB22PVZtgr

35 0 0 0 OA 浅草経済学

昭和5年の「浅草経済学」からは、今半、平川、あづまに加え、米久、ちんや、多津巳、金子、松喜といった震災前からある老舗が復活していることがわかります。 https://t.co/HKWcXlcHqs
昭和3年から時事新報に連載された記事を昭和5年にまとめて出版した「東京名物食べある記」では、復活した浅草の今半、平川、あづまが登場。 https://t.co/V4CCDfPtRy https://t.co/ISJsbVfUWk

53 0 0 0 OA 食行脚

まず、関東大震災の2年後に出版された食べ歩きの本、「食行脚東京の巻」をみてみましょう。 https://t.co/PeHrSryrce 震災から2年経った大正14年には、三大老舗の米久、三河屋、河合が復活を果たしています。他には、牛鳥料理の幸樂亭も登場します。 https://t.co/rOJTVnMzP9
こんな論文どうですか? 人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-(奈良 勝司),2017 https://t.co/AkIb92vttk
奈良勝司さんの「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、公開されていました。面白い論文です。是非一読願えれば。 https://t.co/sueJyFALkc

2 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

訂正、宿所についてはやはり広沢の記録の方が正しかったようです。最初は相国寺のつもりだったが、四日に東本願寺に変更という一橋家家老の書簡が残っていました。 https://t.co/leFgg3rPbn
伊達宗城の日記が一番信用出来るでしょう。五日に本陣前に着いています。「本陣」とは寺のことではないでしょうから、「東本願寺」をすぐに宿所としたかのような「鞅掌録」の記述は疑わしいものがあるでしょう。 https://t.co/D2hWE2BAfv
野村と三条は文久二年十月十二日朝(勅使下向直前)に面会しています。そして三条は野村経由で容保に協力申請の手紙を送っていますね。しかしこの時容保は京都にいないですよね。かなり野村の独断行動という側面もあったのではないかと推測しますが……。 https://t.co/3C26dj8eV0
@busyo3 ちなみにこの時に下村と共にいた兜惣助は後に上京して木屋町の吉成勇太郎の元におり、後の天誅組乾十郎と共に広井磐之助の仇討ちの見届け人の一人になっていたりします。 https://t.co/t7C2d83wJS https://t.co/nNTrCe0BkD
@busyo3 ちなみにこの時に下村と共にいた兜惣助は後に上京して木屋町の吉成勇太郎の元におり、後の天誅組乾十郎と共に広井磐之助の仇討ちの見届け人の一人になっていたりします。 https://t.co/t7C2d83wJS https://t.co/nNTrCe0BkD
西村兼文『京都府違式詿違条例図解』西村兼文 明治9年/西暦1876年 https://t.co/lOw1JPsNQi 京都府版。“第六十一条 市中往来筋に於て便所に非ざる場所へ大小便する者”。 https://t.co/ZXLWGfjcyM

2 0 0 0 OA 朝陽館漫筆

佐久間恪次郎の建白書です。活動記録は多く残っているようなので、まだまだ探しようはあると思われます。史料を見る限り志士としての活動をかなりしていました。「どら息子」という先入観が強かったので、余り調べられなかったのでしょう。 https://t.co/UZxoMtXI0Q

4 0 0 0 OA 小木の城山

こちらで富山四郎の最後と、富山神社の由緒が読めます。結構詳しいですが、誤りも多いとのことです。色々言及される史料が多いのですが、彼も謎が多いですね。鹿児島県士族に「冨山五郎」と言う人がおり、弟かもしれませんが、確証はないです。 https://t.co/E0LXL8UGqg
富山弥兵衛(四郎)の歌です。戦死した地域では、戦前の時点で結構知られていたようですね。 https://t.co/uGyDfgCJLo

3 0 0 0 OA 童子

『童子』という本には貴重なエピソードが載っています。親の七光りの無能というイメージからは程遠い人に見えますね。ただ父の名には縛られていたようです。 https://t.co/dNYyd6i4jN
小泉雅弘「史料紹介 駿州赤心隊富士亦八郎の「口書」」(『駒澤史学』69)は、戊辰戦争期に東征大総督・有栖川宮熾仁親王に随従した赤心隊(慶応4年結成)の、隊長を務めた富士亦八郎が、明治2年に旧幕臣殺害事件を起こした際の供述書を紹介。 https://t.co/KIef3NNoT8

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

#醒めた炎二 捕虜になっちゃった椋梨さんの甥っこ村岡伊助さんの申立て https://t.co/jQUoRzA3aa 次のページのこれ、10秒くらい悩んだ>高橋真作

フォロー(2578ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

フォロワー(787ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)