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近代食文化研究会@新刊『なぜアジはフライでとんか
近代食文化研究会@新刊『なぜアジはフライでとんか (
@ksk18681912
)
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投稿一覧(最新100件)
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江戸時代における豚の飼育と薩摩藩
↓ https://t.co/6emklh7A5j 江戸の薩摩藩邸や仙台藩邸からは鹿の骨が出土しており、鹿が食べられていたことがわかります 当然ながら、鹿の供給元は麹町のももんじ屋でしょう (続く) https://t.co/Uk0KVFCmw8
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軽便西洋料理法指南 : 実地応用 一名・西洋料理早学び
フランス語が全く出てこず、シチューやキャベツなどの英語のカタカナ表記ばかりですから、フランス人の口述筆記でないことは誰にでも分かるのです。 https://t.co/v9d1AVZh6l 『軽便西洋料理法指南』だけでなく (続く)
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相撲展望
(続く) 例えば雑誌『食道楽』に度々相撲と食に関する記事を書いていた歌人の伊藤忍々洞ですが、ここに各部屋の名物料理が書かれています(国会図書館へのログインが必要)。 https://t.co/OWReEb90gF この文章には「鯛ちり」「鳥鍋」はでてきても ↓
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業界回顧史 : 創設廿五周年記念
従って「シャンペンサイダー」は日本発祥であろうと思っていたのですが、 『なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか』に引用されていた『業界回顧史』を読んでびっくり(続く) https://t.co/cUxM1QZDyu
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支那我観
しょうが、戦前のジンギスカンの本場といえば、北海道ではなく東京でした(ただし内地のみ、満州はわからず) ジンギスカンとは、北京の正陽楼という店の北京料理、烤羊肉(カオヤンロウ)に北京在住の日本人がつけたあだ名 https://t.co/nXyw3L9Dge ↑このように松永安左衛門が記録に残して(続く)
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家政案内
RT @niguruta: @ksk18681912 明治28年(1895年) 発行の大橋又太郎 編「家政案内」(45コマ)で土用鰻と平賀源内を結びつけている所を見つける事が出来ました。https://t.co/sI0Y813Upq
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深川のうなぎ : 随筆
ちなみに土用丑の日について文献記録から検証した最初の人は、私の知るかぎり宮川曼魚(『深川のうなぎ』)です。国会図書館にログオンすると読めます。 https://t.co/mvtDnvtC2i 土用丑の日についておすすめする関連書は『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』(飯野亮一)です。
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東洋大都会
https://t.co/Xc4gnvC7Yi こちらです。
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新日本経済
鶏絲麺と日清食品について https://t.co/Msc0Xs8TC3 (閲覧するにはログオンが必要です) 文中のN社というのが日清食品。 チキンラーメンはもともと、大和通商の鶏絲麺の名前を変えて売り出したもの。
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不二家 : 五十年の歩み
ここで不二家の社史『不二家 五十年の歩み』を見てみましょう。国会図書館館内で閲覧できます。 https://t.co/zFWragv3gm
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実用料理法
RT @SaltyDog_wow: 焼売といえば、明治28年に刊行された『實用料理法』に、「偕楽園の献立」の一品として記載されている。支那料理店・偕楽園が創業したのは明治16年で、当初から提供されていたかは不明だが、その可能性は高いように思う。ソースを掛けて食べていたのか気にな…
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江戸叢書 : 12巻
@wormanago 『慶長見聞集』にでてくる「魚黄」みたいですね…… 信濃、上野、下野の山国では、この魚の塩漬けを、わいた虫ごと食べるという。 https://t.co/fxv7RROpzT https://t.co/RSqrWPGrXu
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江戸時代の料理名にみる“なんばん”,“おらんだ”について
『江戸時代の料理名にみる“なんばん”,“おらんだ”について』(橋爪伸子 江後迪子)を読んでいただくと、 https://t.co/pt8HckeSTO 南蛮、オランダといった明確に西洋を指し示す名をもつ料理ですら、その中身はでたらめでいい加減なことがわかります。
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最新割烹指導書
@inadashunsuke 最新割烹指導書 後編 家政研究会 1926 肉+葱+生姜 https://t.co/sKvCFkItfZ 大正時代までは葱と生姜がスタンダードのようですね。 1926年以降も含めて、私が収集した焼売レシピの約半分にはソースをかけると書かれています。 戦前、焼売にソースは普通だったようです。
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素人に出来る支那料理
@inadashunsuke (4/5) 基本と応用割烹教科書 寺島以登代 1926 肉+葱 オプションで椎茸、ピース、筍等 素人に出来る支那料理 山田政平 婦人之友社 1926 肉+椎茸+葱+生姜 https://t.co/aER1DftAtl 手軽に出来るお惣菜の拵へ方 東京割烹講習所編 1926 肉+葱+生姜 https://t.co/62DJHIvnpz https://t.co/I94RnuetU1
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手軽に出来るお惣菜の拵へ方
@inadashunsuke (4/5) 基本と応用割烹教科書 寺島以登代 1926 肉+葱 オプションで椎茸、ピース、筍等 素人に出来る支那料理 山田政平 婦人之友社 1926 肉+椎茸+葱+生姜 https://t.co/aER1DftAtl 手軽に出来るお惣菜の拵へ方 東京割烹講習所編 1926 肉+葱+生姜 https://t.co/62DJHIvnpz https://t.co/I94RnuetU1
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美味しく廉く手軽に出来る日本支那西洋家庭料理 : 附・お菓子の拵へ方
@inadashunsuke (3/5)←間違えました5分割します 日本支那西洋趣味の家庭料理 北原美佐子 1925 肉+葱+生姜 家庭向の支那料理 中野虎之助(述)、的場英(編) 1925 肉+玉葱+粉末落花生+生姜 美味しく廉く手軽に出来る日本支那西洋家庭料理 秋穂敬子, 秋穂英男 1925 肉+葱+玉葱+生姜 https://t.co/AOGq08C7L5 https://t.co/neKHCMQs44
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家庭向の支那料理
@inadashunsuke (2/3) 家庭向の支那料理 北原美佐子 1924 肉+葱 https://t.co/pHac5EEwpB 婦人倶楽部1月号 1925 肉+葱+生姜 婦人之友7月号1925 肉+葱+生姜 https://t.co/1KIDUdefRZ
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実用家庭支那料理法
@inadashunsuke 1926年まで調べてみました。(1/3) 実用家庭支那料理法 奥村繁次郎 1912 肉+玉子 https://t.co/gbaT0h0SFA 手軽で美味い家庭パンの造り方 指原乙子 1919 肉のみ 美味で経済な和洋料理四百種 指原乙子, 磯野忠雄 1924 P78 肉+葱+生姜 https://t.co/2kLEf41iSU https://t.co/z8B39I43Qi
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美味で経済な和洋料理四百種 : 附・食用化学の常識
@inadashunsuke 1926年まで調べてみました。(1/3) 実用家庭支那料理法 奥村繁次郎 1912 肉+玉子 https://t.co/gbaT0h0SFA 手軽で美味い家庭パンの造り方 指原乙子 1919 肉のみ 美味で経済な和洋料理四百種 指原乙子, 磯野忠雄 1924 P78 肉+葱+生姜 https://t.co/2kLEf41iSU https://t.co/z8B39I43Qi
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家庭鮓のつけかた
寿司の歴史研究家日比野光敏によると、この絵(『家庭 鮓のつけかた』の口絵)は川端玉章が描いた明治時代の輿兵衛のすし(『すしの事典』)。 https://t.co/LHI2QhQWtt https://t.co/Z6vWCJocRc
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銀座
RT @ksk18681912: @SaltyDog_wow 台湾喫茶店の経営者は中沢安五郎といって、後藤新平と関係ある人物なのですが、どういう経緯あるいはバックアップ(台湾総督府?)で台湾喫茶店を開いたのかは調査しきれていないです。 https://t.co/OP2ZneKZ…
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臺灣館
RT @SaltyDog_wow: 同年8月に発行された『臺灣舘』によると、3月5日から6月末までの売上は9,837円、客単価は平均25銭前後。同時代の洋食屋台の一品料理が6~7銭なので、かなりの売り上げですよね。その盛況ぶりを《場内飲食店中の繁昌せるもの歟(や)》と伝えていま…
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第五回内国勧業博覧会総説博覧会案内
RT @SaltyDog_wow: 御存知の通り、明治40年に東京上野で開催された東京勧業博覧会に先立ち、明治36年に大阪で第五回内国博覧会が開催されました。清から割譲された新領土・台湾の物産を紹介するとともに、喫茶店と料理店が併設され、給仕は台湾から連れてきた男女が行いました…
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銀座
@SaltyDog_wow 台湾喫茶店の経営者は中沢安五郎といって、後藤新平と関係ある人物なのですが、どういう経緯あるいはバックアップ(台湾総督府?)で台湾喫茶店を開いたのかは調査しきれていないです。 https://t.co/OP2ZneKZY2
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横浜繁昌記 : 附・神奈川県紳士録
@SaltyDog_wow https://t.co/QQLx7Hz8Ye こちらになります
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農務統計表
明治14年の『第二次農務統計表』(農務局)によると、明治12年に東京府で屠畜された牛は6963頭で全国の29%。 https://t.co/OeLmhdC4Lo 明治初期は、東京が屠牛=牛肉消費をリードしていたのです(冷蔵冷凍技術が未発達なので、この頃の屠牛は主に消費地で行われます)。 https://t.co/QyS1K4QVkZ
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農商工概況
明治20年の『農商工概況』 (農商務省)における明治19年の県別屠牛数およびそれを一人あたりで割った牛肉量。 東京府が屠牛数第一位。 この頃の東京府の人口は少ないので(新潟が最も多かった)、人口当りで割ると、一人あたり牛肉量/年は約6斤でダントツ。 https://t.co/eZ24GbJaAr https://t.co/fCmVYndi5i
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手軽西洋料理法
RT @ksk18681912: @aruma_kanjiro 日本の洋食はまずイギリス料理の模倣から始まったので、明治期の西洋料理書にはヴァーミセリスープを模した索麺のスープが現れます。 https://t.co/i8iXjHVmvc
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手軽西洋料理法
@aruma_kanjiro 日本の洋食はまずイギリス料理の模倣から始まったので、明治期の西洋料理書にはヴァーミセリスープを模した索麺のスープが現れます。 https://t.co/i8iXjHVmvc
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アズキゾウムシの交尾フェロモン
jstageを検索すると、ゾウムシ系のフェロモンをエレクチンというようですが https://t.co/O3ktj9adAU うなぎとは関係なさそう。 どうもトンデモの匂いがします。
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独逸そらの巨人 : ツエッペリン,コンカース,ゲーリング
@uchujin17 https://t.co/9Om4XQ7upF ユンカースとか、日本だと中島飛行機の中島知久平、アメリカだとハワード・ヒューズに飛行機王、航空王の名を付ける人がいたようです
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財界
昭和32年の信用組合取り付け騒ぎを、同年の雑誌「財界」が報じています。 国会図書館デジタルコレクションに収録されていますので、日付を確認してください。 https://t.co/drfrmEHKW2 1957年11月=昭和32年11月の雑誌です https://t.co/pC1IVLNl1a
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財界
昭和32年の雑誌「財界」11月号にも「取りつけ騒ぎの大阪華銀」という記事が載っています。 https://t.co/uazWwFVgsB 次に国会図書館に行く機会がありましたらこの記事をコピーしたいと思います。
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浅草経済学
@mikimoto_yae https://t.co/M7i2RmqeVO 揚弓場から新聞縦覧所、銘酒屋への変遷はこちらに 写真やイラストは、私も見たおぼえがないです
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惣菜真髄 : 荻舟家庭料理百講
作家であり食物史研究家でもある本山荻舟は、昭和4年の「惣菜真髄」において、家庭の牛鍋は上方のすき焼きを参考にすべきと説き、上方のすき焼きを以下のように説明します。 https://t.co/yRPI9joFLI
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三都喰べある記
同じ松崎天民の昭和7年の著作「三都喰べある記」では、その菊水が閉店しています。数少ない関西風すき焼き店の寿命は5年以下でした https://t.co/HlM5jqLFb1 菊水が閉店する一方で浪花という関西風すき焼きの店がオープンしたそうですが、それ以外の店はすべて、東京から古くある牛鍋を出す店です https://t.co/dsRrdpJq8t
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人間見物
昭和2年の松崎天民「人間見物」に「近頃」関西風すき焼き「菊水」が銀座に登場したとあります。 https://t.co/n9Icled95K 一方で、松喜、幸楽、ちんや、米久、今半、ときわ、三河屋、河合といった震災前からの牛鍋の老舗も健在。このころの主流はやはり東京の牛鍋でした。 https://t.co/BB22PVZtgr
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浅草経済学
昭和5年の「浅草経済学」からは、今半、平川、あづまに加え、米久、ちんや、多津巳、金子、松喜といった震災前からある老舗が復活していることがわかります。 https://t.co/HKWcXlcHqs
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東京名物食べある記
昭和3年から時事新報に連載された記事を昭和5年にまとめて出版した「東京名物食べある記」では、復活した浅草の今半、平川、あづまが登場。 https://t.co/V4CCDfPtRy https://t.co/ISJsbVfUWk
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食行脚
まず、関東大震災の2年後に出版された食べ歩きの本、「食行脚東京の巻」をみてみましょう。 https://t.co/PeHrSryrce 震災から2年経った大正14年には、三大老舗の米久、三河屋、河合が復活を果たしています。他には、牛鳥料理の幸樂亭も登場します。 https://t.co/rOJTVnMzP9
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支那我観 : 対支新策・支那小遊
@uchujin17 カオヤンロウとジンギスカンの命名由来については、松永安左衞門が北京訪問記において解説していますのでそちらをどうぞ https://t.co/GZsJbedGKO 正陽楼のカオヤンロウは屋外で直火の上に網を置いて焼く方式でしたが、これが戦前の東京で流行すると、家庭用のジンギスカン鍋が作られます(続く)
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明治大正大阪市史
明治大正大阪市史第1巻によると、嘉永5、6年(1852,53年)頃には2軒の肉屋があり、煮売りもやっていたそうなので、大坂では横浜より10年ほど前に牛肉食がおおっぴらに行われていたようです。 https://t.co/3mXjd1XCjW https://t.co/NXFkA8wwku
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福翁自伝
福沢諭吉の福翁自伝にはこうあります。 https://t.co/weiFvs0QRc ”モツト便利なのは牛肉屋だ” ”其時大阪中で牛鍋(うしなべ)を喰はせるところは唯二軒ある一軒は難波橋の南詰一軒は新町の廓の側にあつて最下等の店だから凡そ人間らしい人で出入する者は決してない” https://t.co/V7G4XIiCHL
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大震後に於ける金儲の東京
大正12年11月、大震災から3ヶ月後に出版された被災者向けの起業マニュアル、「大震後に於ける金儲の東京」には屋台のラーメンは登場しません。 https://t.co/iy9jr07GwV おそらく、製麺業が被害から立ち直っていなかったこと、燃えてしまった屋台が再建されていなかったことが理由でしょう。 https://t.co/yPicZb80Hp
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食行脚
2年後の大正14年7月には「食行脚東京の巻」という食べ歩きガイドが発行されるまでに、東京の外食業は復興しました。 https://t.co/PeHrSryrce この本の中には、名だたる名店たちが復興しているさまが描かれています。 https://t.co/TVwJxjkSPN
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大震災の哀話と美譚
震災時の逸話を集めた「大震災の哀話と美譚」には、気前が良すぎて利益をあげられなかった素人の牛めし屋の話が出てきます。 https://t.co/896DISYIlA ”日比谷公園の牛飯屋でひどく甘く安いのがあつた。聞くと實はけふが店開きです、新橋附近で燒出され、友人から五圓の資本を借て始めたのです” https://t.co/6XGdrgPTCG
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大正むさしあぶみ : 大震災印象記
大震災を記録した大正13年の「大震災印象記 大正むさしあぶみ」には、震災後の食べもの商売についての描写があります。 https://t.co/m7QYNdUpZJ 挿絵には「牛丼」「スイトン」「ゆであずき」「ライスカレー」といった、震災後を代表する食べものの名が描かれています。 https://t.co/TwsxKGYAcd
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震災ロマンス
大正12年の「震災ロマンス 哀話と佳話の巻」は震災時の逸話を集めた本。 https://t.co/bOqn4yiwj9 「震災ロマンス」による震災後の食べもの商売の推移によると、まずはすいとんとゆであずきが売られ、次に梨と西瓜が売られるようになります。 https://t.co/gph8XOTBDu
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大震後に於ける金儲の東京
関東大震災後に発行された本物の”被災者に向けたガイドブック”が存在します。 大正12年11月、大震災から3ヶ月も経たずにスピード発行された「大震後に於ける金儲の東京」です。国会図書館デジタルコレクションで読めます。 https://t.co/iy9jr07GwV https://t.co/TdleAGhsRh
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裸一貫生活法 : 生活戦話
なので、ラーメン(支那そば)ワンタン屋台経営の手引きの部分には、早稲田の政治科を卒業して翌日からワンタン屋台をはじめた男の成功例が書かれているのです。 https://t.co/gqH8plwPl4 https://t.co/CI5jGR41SO
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現代職業案内
「現代職業案内」には、震災の復興需要で肉体労働者の職が増える見込みである一方で、知的階級の職つまりホワイトカラー志望者は、不況で職がないとあります。 https://t.co/LpsOISzjhA https://t.co/4rTYGd6uFj
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裸一貫生活法 : 生活戦話
「裸一貫生活法」は、被災者ではなく、月給取りつまりホワイトカラーのサラリーマンを目指す失業者を対象とした本です。 https://t.co/KZxOliyIDG ”震災ですべてを失った人”向けの本ではありません。 歴史秘話ヒストリアのスタッフは、このことを知りながら、視聴者を騙したのです。 https://t.co/FaFJviZeHt
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裸一貫生活法 : 生活戦話
「裸一貫生活法」は関東大震災前に書かれ、震災後に中国の新聞(上海日々新聞)に連載した記事を書籍化したものです。本の成り立ちからして震災被災者は関係ありません。 https://t.co/rkn1YVl67k https://t.co/w9x3bNhh0Z
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裸一貫生活法 : 生活戦話
「裸一貫生活法」は、国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。 https://t.co/WMZH63dOZq 実際に読んでみてください。「裸一貫生活法」は”被災者に向けたガイドブック”ではありません。 なぜこんなに簡単にバレる嘘をつくのか、理解に苦しみます。 https://t.co/C9CD9h4SHP
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勧進大相撲八景酒盛ノ図 猪名皮・鏡岩・小柳・音羽山・常山
@nacandacalli @terzoterzo 数人で鍋をつつく習慣は江戸時代から存在します。 相撲取り4人が同じ鍋をつついている勧進大相撲八景酒盛ノ図とか https://t.co/Ps9oUNc3hr 古い絵ですと安永4年の繪本世都之時 https://t.co/ysFVLmwGF9
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日本風俗図絵
@nacandacalli @terzoterzo 数人で鍋をつつく習慣は江戸時代から存在します。 相撲取り4人が同じ鍋をつついている勧進大相撲八景酒盛ノ図とか https://t.co/Ps9oUNc3hr 古い絵ですと安永4年の繪本世都之時 https://t.co/ysFVLmwGF9
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大杯觴酒戦強者・四千両小判梅葉・音聞浅間幻燈画
@hietaro 河竹黙阿弥の明治18年初演「四千両小判梅葉」に味噌おでんが登場しますが、ト書きではこれを「田楽」と表現しています。 https://t.co/A6POB8vA4S
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東京名物食べある記
@yukokimura1002 例えば、昭和5年の「東京名物食べある記」における京王電車地下室食堂の記述では、P101で「ライスカレー」とあるところを、次のページP102では「カレーライス」と記述しています。 https://t.co/lZXQo92oHu
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類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿
@kintokishigure2 https://t.co/SCfqUHMsCX https://t.co/YjI5e8VngH
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類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿
@kintokishigure2 https://t.co/SCfqUHMsCX https://t.co/YjI5e8VngH
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新燕石十種
兎園小説別集(滝沢馬琴編)に収録されている「けんどん争ひ」は文政8年(1825)の作。 https://t.co/SL8nvvHik4 ここで馬琴は「そば切の器物は、予が小児の頃は皿也、今は多くは平をも用ひ、小蒸籠、又丼鉢をも用れど」と記述しています。 https://t.co/drnTuhJNOi
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美味求真
@swagger2012chen @tikutaku チャンそばといって侮蔑する人もいましたが、尊敬の念をもって「支那料理」の歴史を記述する木下謙次郎(政治家)のような人もいました。 昔の日本語なので難しいですが、よろしければ御覧ください。 https://t.co/5uGMdRVhwf
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生活習慣
@shutozennin https://t.co/wV7q2FqETv P244に銀絲柳麺(手打ソバ)なる料理が出てきます。これがよくわからないのです。 ヒロヲカさんにもさんざんご迷惑おかけしたのですが。
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生活習慣
@shutozennin https://t.co/1QA9nTrZA5 こちらに、昭和16年の資料があります。広東市政府書記長の中国人による広東料理の名称一覧だそうです。
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四季の台所
@hietaro https://t.co/6y77IHZ1k0 こちらに明治末の縄のれんにおける実際の注文の様子がいくつか記録されています。客によって注文の仕方は千差万別です。漬物を注文するしないも客次第です。
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落書の東京
RT @SaltyDog_wow: 大正元年『落書の東京』という本が面白い。「鵜の眼鷹の眼生」というペンネームの著者が東京中の便所を巡り歩いて、落書きを書き溜めた、という内容。100年以上前にもやっぱりこういう人がいたんだなあ。国立国会図書館デジタルコレクションで読めます。 h…
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支那風俗
@shirlywang 支那風俗上巻(井上紅梅著)における上海料理屋評判記 https://t.co/AwqvZnGM8o には揚州窩麺は伊府麺を使った料理の一種と説明されています(P139-140) 麺をまとめた格好が鳥の巣に似ているので「窩」というとあります。
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一年中朝昼晩のお惣菜と支那、西洋料理の拵へ方 : 美味しく出来る家庭向き
@siontak おそらく明治末から昭和初期の東京においても、広東料理の炒麺(あんかけかた焼きそば)や焼売にソースをかけて食べる習慣がありました。その影響で、昭和初期の料理本には炒麺や焼売にソースを用いる例が多くでてきます。 https://t.co/JayHOabgTL
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北京料理・西洋料理献立表
昭和13年、満州国首都にあった新京中央飯店のメニューがデジタルライブラリあります(北京料理・西洋料理献立表中央飯店編 https://t.co/iwj23LZ6cg) https://t.co/xXq6wFB0AV
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@SaltyDog_wow https://t.co/FrJCfWyXib またまた別の資料です。中国北部の食習慣にかんしてP277に麺の種類がありますが、炒麺の他にひへんに文(火文)麺がありますね。
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生活習慣
@SaltyDog_wow https://t.co/umoPvSlvaO また別の資料を見つけました P242-244に当時の広東料理名一覧があります。広東市の役人の中国人が書いているので、本場の名前でしょう。揚州はあくまで窩麺で炒麺はないようです。
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支那風俗
@SaltyDog_wow https://t.co/2Nxw19GuDC こちらのP140-141に当時(大正時代)の上海における炒麺の解説がありました(今見つけました)。
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明治大正史
柳田国男のいう一品料理とは、西洋料理の一品料理のことです。「明治大正史第4巻 世相篇」はデジタルライブラリで読むことができますが、71ページを読むとこのことが理解できます。 https://t.co/gYWBHYh6Qw
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飲食養生新書
@SaltyDog_wow 例えばEllis A. DavidsonのOur foodを翻訳した飲食養生新書第三巻(明治8年)のコマ17で、fryingを鋤焼、鉄板焼と翻訳しています。https://t.co/g6JoTBBMsa
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家政案内
@ksk18681912 明治28年(1895年) 発行の大橋又太郎 編「家政案内」(45コマ)で土用鰻と平賀源内を結びつけている所を見つける事が出来ました。https://t.co/sI0Y813Upq
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東洋大都会
平賀源内と土用丑の日の鰻を結びつけたものとして、明治31年(1898年)の「東洋大都会」という本が確認できます(コマ番号88、89)。ただメインは太田蜀山人で平賀源内は異説としての扱いです。 https://t.co/cv9xuLMBp2 https://t.co/30ZHoOa55K
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東京流行細見記
@ksk18681912 一次史料でパンの語源を探ることが出来れば楽しいでしょうね。 昨日教えてもらった明治18年刊『東京流行細見記.1』(登亭逸心)から麭包「食屋ぱん」。 明治18年には「パン」という言葉は普及していた模様です。銀座・木村やは今も続く老舗のことかな。 https://t.co/w6arWHhTfZ https://t.co/cpG5u9c9WU
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東京流行細見記
この資料おもしろい。登亭逸心『東京流行細見記』。国会図書館デジタルコレクションで1と2が見られる。これはどっちだろう。明治初年の価値観が分る珍資料。https://t.co/X1rm5NcMYO https://t.co/PSdHkttrYZ
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横浜市商工名鑑
創業年月は https://t.co/APNRx3b4UJ これが横浜でなく神戸での開業を指す可能性もゼロではないですね。すみません。 なお横浜の江戸幸は明治31年から史料に見つかりますが既に2代目のお名前です。
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実用料理法
焼売といえば、明治28年に刊行された『實用料理法』に、「偕楽園の献立」の一品として記載されている。支那料理店・偕楽園が創業したのは明治16年で、当初から提供されていたかは不明だが、その可能性は高いように思う。ソースを掛けて食べていたのか気になる。 https://t.co/MCOvJ8n4gU https://t.co/GbuG3E9fRy
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臺灣館
同年8月に発行された『臺灣舘』によると、3月5日から6月末までの売上は9,837円、客単価は平均25銭前後。同時代の洋食屋台の一品料理が6~7銭なので、かなりの売り上げですよね。その盛況ぶりを《場内飲食店中の繁昌せるもの歟(や)》と伝えています。 https://t.co/gWD23ieKNe https://t.co/zLv7cv9M6m
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第五回内国勧業博覧会総説博覧会案内
御存知の通り、明治40年に東京上野で開催された東京勧業博覧会に先立ち、明治36年に大阪で第五回内国博覧会が開催されました。清から割譲された新領土・台湾の物産を紹介するとともに、喫茶店と料理店が併設され、給仕は台湾から連れてきた男女が行いました。 https://t.co/eC4PpXzKZi https://t.co/0OUqRG5q8L
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裸一貫生活法 : 生活戦話
さらに明治から時代は下りますが、大正15年に出版された『裸一貫生活法 : 生活戦話』という起業マニュアルでは「台湾名物ビーフン」の屋台を勧めています。昭和に入る前から、ビーフンが日本にある程度浸透していたことが内容からうかがえます。 https://t.co/M4K0xX3uSv https://t.co/CwsOm4G1v1
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糧食経理科参考書
また、明治39年に陸軍経理学校が出版した『糧食経理科参考書』には、台南陸軍の病院食レシピが付録についていて、そこには「炒米粉(ツアビーフン)」の調理法が載っています。 https://t.co/8lek5YIvc0 https://t.co/NG4QSOR1mB
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東京勧業博覧会台湾館
明治40年に上野で開催された東京勧業博覧会でも、台湾館が開設されました。国会デジタルコレクションで公開されている当時の書籍『東京勧業博覧会台湾館』によると、「米粉(ビイフヌ)」が陳列されていたそうです。 https://t.co/DBHdaFdEe1 https://t.co/ytrFL9yBmr
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東京名物食べある記
『東京名物食べある記』っていう昭和四年に出た本、国会図書館のデジタルライブラリーで読めるのぐっじょぶ〜 「寿司屋の親父は慶應びいき(早慶戦)」とかいらん情報もあるけど、店内の描写細かく書いてるのもあって、漫画連載中に読んどきゃよかった 挿し絵よきよき! https://t.co/h9hfWnn3mK https://t.co/7TVRe9W4FD
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裏面の東京
十二階下の銘酒屋(私娼窟)の建物についてググってみたら国会図書館のデジタルライブラリーの本に少し描写された文章があった。 二階建ての建物は少なかったって書いてありました。ほぉ… 震災後の玉の井の建物よりは粗末なつくりだったのかな
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礫川要覧
以前、文京区の東大に程近い所て、今ではあまり名前を聞かなくなった興真牛乳の本社を見かけた事があります。元々は旧小石川区の大塚で創業したようで、NDLで見つけた『礫川要覧』(明治43年刊)には興真舎牧場として紹介されていました。 https://t.co/w1qepfXtwS https://t.co/Ors9X01ehQ https://t.co/DuenevWeL2
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浅草経済学
ちなみにこちらがその文献。どんな品だったのか食べてみたいですなあ。 https://t.co/gHHG8WFk9D https://t.co/AuJa94lDgA
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支那風俗
@ksk18681912 また例の「蝦仁炒麺、鶏絲炒麺、肉絲炒麺」など麺の紹介のあとに「(麺の店について)その上が広陳楼、竹生居、広吉祥等の宵夜店で作る広東麺」とも書かれています。料理名やあんかけ焼きそばらしき記述から、これらは上海料理ではなく広東料理の炒麺だったと思われます。 https://t.co/s9M8JMAUI4
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支那風俗
@ksk18681912 『支那風俗. 上巻』を少し読み込みました。中華料理と価格を列挙する直前に「南北共通の尤も普汎的なもの丈け左に拾い出した。」とあります。 https://t.co/A5TxU2PdSD
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