著者
加藤 博文 石田 肇 吉田 邦夫 佐藤 孝雄 米延 仁志 ハドソン マーク 米田 穰 安達 登 増田 隆一 長沼 正樹 深瀬 均 木山 克彦 江田 真毅 岡田 真弓 木山 克彦 江田 真毅 岡田 真弓 長沼 正樹
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-10-31

本研究では、アイヌの集団的・文化的形成過程において海洋狩猟民文化の強い影響が社会文化伝統にも、集団的にも、存在したことを示唆する豊富な資料を提供することができた。浜中2遺跡の調査では、海獣儀礼の伝統が先行する先史文化から連続して継承、発展されアイヌ文化の中へ取り込まれていくことが考古学的に提示された。集団的な系統性については、先行研究で示唆されていたオホーツク文化の関与を補強する資料を得ることができた。提示されたアイヌ民族の集団形成性の複雑さは、集団のアイデンティティの形成過程や変遷についても、社会・経済・政治的文脈での検討の必要性を示唆している。今後も得られた資料の調査研究を進めていく。
著者
佐藤 孝雄 澤田 純明 澤浦 亮平 米田 穣 河村 愛 鈴木 敏彦 増田 隆一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2021-04-01

縄文時代晩期まで日本列島に棲息していたとみられるオオヤマネコについて多角的かつ領域横断的な調査・研究を行う。動物考古学、古生物学、生物系統地理学、考古科学の手法を駆使し、申請者の管理下にある青森県尻労安部洞窟、岩手県獺沢貝塚、愛媛県上黒岩岩陰遺跡の出土遺体などを精査。放射性炭素年代も測定しつつ、古代DNA(aDNA)解析や炭素・窒素安定同位体分析も試みることで、同種の系統や生態を明らかにするとともに、その絶滅要因についても知見を深める。
著者
佐藤 孝雄
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.107-134, 1993-03-25

アイヌ文化の「クマ送り」について系統を論じる時,考古学ではこれまで,オホーツク文化期のヒグマ儀礼との関係のみが重視される傾向にあった。なぜならば,「アイヌ文化期」と直接的な連続性をもつ擦文文化期には,従来,ヒグマ儀礼の存在を明確に示し,かつその内容を検討するに足る資料が得られていなかったからである。ところが,最近,知床半島南岸の羅臼町オタフク岩洞窟において,擦文文化終末期におけるヒグマ儀礼の存在を明確に裏付ける資料が出土した。本稿では,まずこの資料を観察・分析することにより,当洞窟を利用した擦文文化の人々がヒグマ儀礼を行うに際し慣習としていたと考えられる6つの行為を指摘し,次いで,各行為について,オホーツク文化の考古学的事例とアイヌの民俗事例に照らして順次検討を行った。その結果,指摘し得た諸行為は,オホーツク文化のヒグマ儀礼よりも,むしろ北海道アイヌの「クマ送り」,特に狩猟先で行う「狩猟グマ送り」に共通するものであることが明らかとなった。このことは,擦文文化のヒグマ儀礼が,系統上,オホーツク文化のヒグマ儀礼に比べ,アイヌの「クマ送り」により近い関係にあったことを示唆する。発生に際し,オホーツク文化のヒグマ儀礼からいくらかの影響を受けたにせよ,今日民族誌に知られる北海道アイヌの「クマ送り」は,あくまでも北海道在地文化の担い手である擦文文化の人々によってその基本形態が形成されたと考えるべきである。
著者
杉本 智俊 月本 昭男 越後 屋朗 牧野 久実 佐藤 育子 佐藤 孝雄
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

エン・ゲヴ遺跡(イスラエル)の発掘調査によって印章などの宗教遺物を検出し、古代イスラエルおよびそれに隣接する諸国家の成立に新ヒッタイト文化の影響が見られることを指摘した。また、この印章や「生命の木」の図像、ユダ式柱状土偶などの宗教遺物の分析を行い、それらの示す宗教的画期から、古代イスラエル王国にカナンの多神教が単純に継続されていたわけでないことを明らかにした。さらに、2011年8月には、国際カンファレンスを主催し、古代西アジアにおける多神教の代表的女神アスタルテがイスラエルとその周辺世界でどのように異なって理解されていたのかを議論した。
著者
佐藤 孝雄 巌谷 勝正 長瀬 忍 森 茂樹 能城 修一 吉永 淳 米田 穣
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.127, no.1, pp.15-23, 2019

<p>東京都目黒区祐天寺に所在する阿弥陀堂は,五代将軍徳川綱吉・八代将軍徳川吉宗の養女であった竹姫が,1724(享保九)年,厄除けの為に造営・寄進した堂宇と伝えられる。寺録にはその由来と合わせ,寄進時,施主竹姫の御髪を収めた石箱が須弥壇の下に埋設されたことも記されている。2014年,改修工事のため阿弥陀堂が一時移設されたところ,寺録に記されている通り,須弥壇の真下に当たる位置に基壇に埋設された石箱が現れ,その内部から頭髪と板材片,白色の粉塊,懐中鏡ほか若干の遺物を発見するに至った。小稿では,それらの観察所見・分析結果を報告し,将軍家養女の中でもひときわ著名な竹姫の食性と厄除け行為について推測し得た事柄を記す。</p>
著者
佐藤 孝雄
巻号頁・発行日
2008-06-29

アイヌ研究の現在と未来:第1部.平成20年6月29日.札幌市
著者
吉田 邦夫 國木田 大 佐藤 孝雄 加藤 博文 増田 隆一 Ekaterina Lipnina
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

バイカル・シベリアのマリタ遺跡は、マンモスの牙から作られたヴィーナスや鳥などの彫像が出土した著名な遺跡である。1928年以来、たびたび発掘されてきたが、出土物の層位が明確になっていない場合が多い。2013年、2014年に日ロ共同発掘調査を行い、層準が明確な資料を得た。また。ロシア国立歴史博物館・エルミタージュ国立美術館・イルクーツク国立大学に収蔵されている資料から年代測定用試料を採取した。これら、小児骨、ヴィーナス像を含む70試料を超える、主として骨試料について、年代値・炭素窒素安定同位体比を得た。同遺跡における複数の地質学的層序と文化層、自然環境とその年代についての重要な知見を得た。
著者
佐藤 孝雄
出版者
三田史学会
雑誌
史學 = The historical science (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.89, no.1, pp.147-155, 2020-10

緒言環境史の特質と射程「環境への心性史」とその広がり過去二〇年の考古学結言 : 脱・人間中心主義の環境史
著者
佐藤 孝雄
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.48, pp.p107-134, 1993-03

アイヌ文化の「クマ送り」について系統を論じる時,考古学ではこれまで,オホーツク文化期のヒグマ儀礼との関係のみが重視される傾向にあった。なぜならば,「アイヌ文化期」と直接的な連続性をもつ擦文文化期には,従来,ヒグマ儀礼の存在を明確に示し,かつその内容を検討するに足る資料が得られていなかったからである。ところが,最近,知床半島南岸の羅臼町オタフク岩洞窟において,擦文文化終末期におけるヒグマ儀礼の存在を明確に裏付ける資料が出土した。本稿では,まずこの資料を観察・分析することにより,当洞窟を利用した擦文文化の人々がヒグマ儀礼を行うに際し慣習としていたと考えられる6つの行為を指摘し,次いで,各行為について,オホーツク文化の考古学的事例とアイヌの民俗事例に照らして順次検討を行った。その結果,指摘し得た諸行為は,オホーツク文化のヒグマ儀礼よりも,むしろ北海道アイヌの「クマ送り」,特に狩猟先で行う「狩猟グマ送り」に共通するものであることが明らかとなった。このことは,擦文文化のヒグマ儀礼が,系統上,オホーツク文化のヒグマ儀礼に比べ,アイヌの「クマ送り」により近い関係にあったことを示唆する。発生に際し,オホーツク文化のヒグマ儀礼からいくらかの影響を受けたにせよ,今日民族誌に知られる北海道アイヌの「クマ送り」は,あくまでも北海道在地文化の担い手である擦文文化の人々によってその基本形態が形成されたと考えるべきである。Discussing the tradition of "Iwomante" (the Bear Ritual in Ainu Culture), archaeologists have attracted much attention to the brown bear ritual of Okhotsk Culture than that of Satsumon Culture which was directly prior to Ainu Culture in Hokkaidō. This was affected by the fact that there was poor evidence of the brown bear ritual in Satsumon Culture, which restricted the comparison of cultural continuity on the ritual between the Ainu and Satsumon Culture. Recent Archaeological research of Otafuku-iwa Cave in Rausu, Hokkaidō, however, cleared existence of the brown bear ritual in Satumon Culture. And zoo-archaeological analysis of the findings enabled to compare the brown bear ritual with "Iwomante" of the Ainu.In this paper, firstly, I pointed out six features of acts included in the ritual were reconstructed from the excavated faunal remains. Then I compare each of these with archaeological evidence of Okhotsk Culture and ethnographical evidence of the Ainu. As a result, it becomes clear that these acts are much closer not to the brown bear ritual of Okhotsk Culture but to the Ainu in Hokkaidō.It is conceivable that brown bear ritual of Okhotsk Culture gave some influence to the formation of "Iwomante" of the Ainu, but the major body of "Iwomante" which was ethnographically known has been organized by Satsumon people, the natives of the land of Hokkaidō.
著者
石川 慎太郎 久保 哲也 砂川 正隆 俵積田 ゆかり 佐藤 孝雄 石野 尚吾 久光 正
出版者
一般社団法人 日本東洋医学会
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.337-346, 2011 (Released:2011-09-15)
参考文献数
49
被引用文献数
11 9

瘀血の状態では,血液が鬱滞することから腫脹や疼痛などの障害が現れる。瘀血は循環障害と捉えられ,血管抵抗性と血液流動性の側面から研究されてきた。血液流動性の変動要因には血球および血漿成分があり,その変動に活性酸素が深く関わっていると考えられている。今回,ラットに漢方薬(当帰芍薬散,柴胡加竜骨牡蛎湯,桃核承気湯,桂枝茯苓丸,十全大補湯)を投与して活性酸素動態と血液流動性への影響を観察した。その結果,これらの漢方薬投与群では,抗酸化力が上昇し,血液流動性が亢進した。また,当帰芍薬散・桃核承気湯・桂枝茯苓丸は血小板凝集を減少させた。さらに赤血球浮遊液の流動性は,抗酸化力との間に負の相関を認め,漢方薬の抗酸化作用が赤血球の変形能あるいは粘着性に影響したと推察された。血栓症や塞栓症などの誘因である血液流動性の低下を予防する可能性が示唆された。
著者
加藤 博文 佐藤 孝雄 米田 穣 安達 登 石田 肇 蓑島 栄紀
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2016-04-01

昨年度に引き続き、礼文島に所在する浜中2遺跡の調査を継続し、アイヌ民族文化形成過程を考古学的に検証できる資料の蓄積に取り組んだ。特に調査区南側においては、遺跡上層部の堆積層が撹乱されずに良好に残されていることが判明した。層位的にオホーツク文化終末期の元地式土器、擦文式土器が出土している。その上層では、アワビ貝集積遺構が確認された。このアワビ貝集積遺構からは、人為的に変形されたマキリやマレック、船釘など鉄製品が出土している。年代的には、近世江戸期から明治初頭に遡ることが出土資料から推定される。集積されたアワビ貝には、金属製のヤスで刺突した際に開けられた断面四角形の穴が確認できる。アワビ貝の集積遺構は、層位差があることが確認でき、アワビ貝の採集がかなりの幅の持って連続的に行われたことが確認できた。2017年度に出土したオホーツク文化期初頭に属する墓から出土した女性遺体については、形質人類学的な初見が得られ、古代DNA解析も進められている。今後は、DNAの解析を進め、集団系統論からもアイヌ民族の形成過程や、オホーツク文化集団との関係を明らかにする資料の蓄積を図る予定である。民族形成過程に関する理論的考察としては、同時期のヨーロッパにおける集団移住と文化的統合がその後の民族形成に果たした影響について海外の研究者との意見交換を進め、議論を深めた。北海道においても歴史的アイヌ文化に先行するオホーツク文化や擦文文化の成立の背景に集団移住や隣接集団との接触があることが指摘されてきた。本研究では、移住・適応・文化的統合を具体的な事例に即して、理論的検証を進めている。地域集団の動態の背景には、隣接する国家などの政治社会的な動きや、経済交流の影響も大きく、今後検証していく必要がある。
著者
小野 光徳 佐藤 孝雄 黒河 忠市 杉谷 成美 佐藤 尚也 入江 春雄
出版者
社団法人 日本写真学会
雑誌
日本写真学会誌 (ISSN:03695662)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.27-31, 1969-04-25 (Released:2011-08-11)

Photographic sensitive layer should produce sufficient density with the least layer thickness. In order to satisf y this demand, gelatin must retain as much silver halide as possible dispersed in the emulsion. The limit of silver halide, dispersed colloidally without sedimentation, in a given quantity of gelatin may vary with gelatins.The authors propose “colloidal retentivity” as a measure of this protective colloid power of gelatin against silver halide in the photographic emulsion. Colloidal retentivity is so defined as to show 100% when emulsion grains are well dispersed without sedimentation, while the more sedimentation, the les colloidal retentivity.Two methods of the measurment of colloidal retentivity are introduced.Colloidal retentivity as depending on the ripening temperature, rotation speed of a stirrer, silverhalidegelatin ratio and gelatin characteristics are studied.Colloidal retentivity brings different information about the ripening as compared with the turbidity measurment. Colloidal retentivity during the ripening passes maximum and minimum points while turbidity increases monotonously.The graingrowth mechanism is discussed on these results.
著者
佐藤 孝雄
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.119-165, 2003-03-31

For an archeologically discussion of the establishing process of Ainu's animal cult, including the “sending-off” ceremony for bears, it is first necessary to investigate modern Nusa sites, places where outdoor sacred altars were built, that have ethnographic information available and to organize the characteristics and remains of animals there so as to compare them with other archaeological evidence. However, only a few attempts have been made for Nusa sites in the mountains, far from an Ainu settlement, called a kotan. In particular, the species and characteristics of animal remains at a kotan's Nusa site important due to its relationship with the “sending-off” ceremony for reared bear cubs, called an iomante, have effectively not been studied.As far as I know, the Nijibetsu Shuwan Kumaokriba Site in Shibecha-town, east Hokkaido, is the only remains that is appropriate for the investigation of animal remains. The History Study Group of the basin of the River Kushiro excavated the Kumaokuriba Site in 1976 and 1978 with an about 5mm mesh sieve for collecting fine samples, and recovered over 18,000 pieces of animal body fragments from the Site, it is said that Mr. Kotaro Hashibami, a neighbor of the Site, sent off 200-300 bears from late 19th century (early Meiji era) to 1939 at the site, which is also famous for being the site of the last iomante (December 1939) that was observed by Dr. Takemitsu Natori and his colleagues. However, although these animal remains have a high academic significance, they have not been analyzed in detail.I scrutinized the animal body remains between December 1996 and January 1998. As a result, a statement of the details and characteristics of the animal body remains can be summarized as follows:・ The excavated species were 15 in total including wild animals such as brown bear (Ursus arctos yesoensis), fox (Vulpes vulpes schrencki), river otter (Lutra lutra), sable (Martes zibellina brachyura), deer (Cervus nippon yesoensis), Blackiston's fish owl (Ketupa blakistoni), and large eagles (Haliaeetus sp.); as well as boar (Sus scrofa, of course, which has a possibility of pig) and domestic animals such as dog (Canis familiaris), sheep (Ovis domesticus), cattle (Bos taurus), and horse (Equus caballus), which originally did not inhabit Hokkaido and is unknown as a cult object.・ At least 59 mandibular bones of brown bears were detected, including 11 cubs (<2 years old) that are the objects of the iomante. Beside, bones of extremities, those of trunks, which are rarely observed at rock shelter Nusa sites in the mountains, were also found, though their quantity was lower than 30 % of the mandibular bones on a population basis.・ Cranial bones were more marked in the excavated bones of small terrestrial animals (rabbit, fox, river otter, and otter) than in those of brown bears. One hundred, 49, and 7 mandibular bones of rabbit, fox, and river otter, respectively, were found. Small amounts of bones of extremities and trunks that were derived from one individual had been excavated. Moreover, only 3 sable mandibular bones were found; no sable otter bones were observed.・ The deer specimens were derived from only 2 individuals; this may be attributable to the hunting with bow or trap, and hunting by chasing animals being banned in the early Meiji era, and a reduced population size due to heavy snowfalls.・ The Blackiston's fish owl specimens obtained were derived from at least 3 individuals, with nearly entire body pars being excavated. These findings indicate the possibility of a “sending-off” ceremony for owls, something that is poorly researched in ethnographic information, and will be valuable for archeological study of the establishing process of that ceremony.
著者
山口 徹 棚橋 訓 吉田 俊爾 朽木 量 深山 直子 佐藤 孝雄 王 在〓 下田 健太郎 小林 竜太
出版者
慶應義塾大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2008

今みる景観を自然の営力と人間の営為の絡み合いの歴史的産物と位置づけ、オセアニア環礁(低い島)と八重山諸島石垣島(高い島)のホーリスティックな景観史を、ジオ考古学、形質人類学、歴史人類学、文化人類学の諸学の協働によって明らかにし、その中で人とサンゴ(礁)のかかわり合いを遠い過去から現在まで見とおした。立場や系譜が必ずしも同じではない人々のあいだに、サンゴ(礁)とのこれからの「共存」のあり方への共通関心を喚起する目的で、研究成果を活用したアウトリーチに積極的に取り組んだ。