著者
川島 隆
出版者
日本マス・コミュニケーション学会
雑誌
マス・コミュニケーション研究 (ISSN:13411306)
巻号頁・発行日
no.69, pp.41-56, 2006-07-31

In my article I analyze first how the playwright Bertolt Brecht developed his famous "Radio Theory", which had been the product of his critical engagement with radio as a new medium. Then, the close relationship between Brecht's theory and the practice of the German citizen media including Open Channels and Non-Commercial Lokal Radios will be discussed. Recently there has been criticism against these alternative media, arguing that they may well be replaced by new interactive media such as Internet. On its contrary, Brecht warns that the technical development does not necessarily support democratic communications-and thus offers an apology for the activities of citizen media, especially concerning media education.
著者
中丸 禎子 川島 隆 加藤 敦子 田中 琢三 兼岡 理恵 中島 亜紀 秋草 俊一郎
出版者
東京理科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

言語・時代の枠組みを超えた文学の超領域的研究と、教養教育・社会人教育における研究成果の還元モデルの確立を目的に、各研究者がアンデルセン『人魚姫』に内包される諸テーマを緩やかに共有した。個々の研究者が「人魚姫」「世界文学」「教養教育」などのテーマで成果を発表した。また、ブース発表「「人魚」文学を扱う授業の実践報告―多言語文学間の共同研究と教養教育への還元モデル」、シンポジウム「異界との交流」、シンポジウム「高畑勲の《世界》と《日本》」(映画監督・高畑勲氏を招聘)において、共同・連名で成果を発表した。
著者
村井 源 川島 隆徳 工藤 彰
出版者
Japan Society of Information and Knowledge
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.23-43, 2012-03-26
被引用文献数
1

評判分析などが自然言語処理技術によって進められているが,対象は主にWeb上のテキストであり,人文学的な批評文はその主たる対象となっていない.本研究では人文的な批評文の具体的批評対象を計量化することで,批評行為のより深い意味分析に向けての基礎固めを行う.総合的芸術作品である映画と演劇の批評文を対象として,抽出対象を人名と作品名に絞り分析を行った.結果として頻度分析とネットワーク分析で批評における人物の重要性やグループの傾向,他分野との関わりの相違が明らかとなった.またスタッフのデータベースの利用により,語られる固有名詞の批評文中での意味と機能の傾向が抽出された.
著者
事崎 由佳 竹内 光 関口 敦 品田 貴光 山本 悠貴 高橋 慶 荒木 剛 瀧 靖之 荻野 武 木口 雅史 川島 隆太
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.27, 2013

デイリーハッスルズは日常生活上の小さな苛立ちであり、健康に悪い影響を与えることが知られている。我々は、脳血流と心拍数の生体情報を1chNIRSで視覚的にフィードバックし、自身の生理的状態を制御する訓練によってストレス反応が軽減されるか否か検討した。その結果、統制群と比べ介入群において右眼窩前頭前野と左海馬の灰白質量の増加、陰性気分、抑うつ傾向、職業ストレス、唾液中コルチゾール濃度の低下が見られた。
著者
山下 満智子 川島 隆太 岩田 一樹 保手浜 勝 太尾 小千津 高倉 美香
出版者
日本食生活学会
雑誌
日本食生活学会誌 (ISSN:13469770)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.125-129, 2006 (Released:2006-11-14)
参考文献数
15
被引用文献数
3

最新脳科学の研究成果に注目して, 脳の健康という視点で「調理の効用」を研究するために, 無侵襲・低拘束性の近赤外線計測装置により調理中の脳活動を計測した。  計測に使用した近赤外線計測装置は, 頭皮から20ミリほどの深さにある大脳皮質の活性状態を近赤外線の照射によって計測する装置である。本実験の脳の測定部位は, 大脳の前頭連合野で, 運動・感覚・認知・言語・思考など高次脳機能に関連する。  実験方法は, 成人女性15名に対して, 夕食の献立を考える, 野菜を切る, ガスコンロを使って炒める, 皿に盛り付けるという作業を課し, 各調理の手順における脳活動の計測を行った。  計測の結果, 夕食の献立を考える, 野菜を切る, ガスコンロを使って炒める, 皿に盛り付けるという調理の各手順で, 左右の大脳半球の前頭連合野の活性化が確認された。  音読や計算による脳の活性化の確認やそれらを組み合わせた学習療法による実践的研究や本実験結果から「調理を行うこと」によって前頭連合野を鍛えることができると考えられ, 前頭連合野の働きである他者とのコミュニケーションや身辺自立, 創造力など社会生活に必要な能力の向上が期待されることが示唆された。
著者
川島 隆太
出版者
東北大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2007

疲労やストレスによるパフォーマンスの低下が、脳のどの領域の働きの変化と関連するのかを、非侵襲的脳機能イメージング手法を用いた基礎研究によって明らかにし、さらに、認知心理学的研究を追加することによって、健常成人の疲労やストレスによる認知機能の変化を定量的に評価可能なシステムを開発することが本研究の目指す最終的な目的である。平成20年度は、機能的NIRsを用いて、健康な右利き大学生6名を対象として、連続単純計算による精神疲労負荷時の前頭前野活動を計測したが、疲労に伴う変化を計測できなかった。このため、精神疲労モデルを再構築することが必要であると判断し、心理学研究を展開した。健康な右利き大学生30名を対象として、内田クレペリンテスト(連続単純計算)による精神疲労の状態を、認知心理学的手法によって経時的に観察した。その際に、バランス栄養流動食を摂った場合と、水のみ摂取した場合の2条件を設定した。水のみ摂取した場合には、VAS法による精神疲労の内観が時間と共に増加し、単純計算の作業量も減少する傾向にあったが、流動食を摂った場合には、開始後1時間半までは、精神疲労の内観も単純計算の作業量も減少しないこと、1時間半以降は、水のみ摂取群と同様に精神疲労度の内観も、作業量も低下することがわかった。先行研究では、ブドウ糖のみ摂取した場合には、水のみ摂取と同じ疲労傾向を示すこともわかっており、朝食の摂取パターンによって、精神疲労とそれに伴うパフォーマンスの低下の程度に差が出ることがわかった。
著者
川島 隆幸 狩野 直和 小林 潤司 後藤 敬
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、斬新な特定位置占拠型配位子の設計と、それらを活用した高配位典型元素化合物の創製を目的に行われた。まず、電子・立体効果の両面で安定化能力にすぐれた三座配位子の実現を目指し、三方両錐構造の二つのアピカル位と一つのエクアトリアル位を占拠するように独自に設計・開発した、新規な平面型三座配位子の応用を検討した。次に、配位座の完全固定化による高配位状態の安定化を指向し、全てのエクアトリアル位と一つのアピカル位を占拠しうる剛直な四座配位子を開発し、その高配位リン化合物および高配位14族元素化合物の合成への応用と、四座配位子のアピカル炭素原子を他の典型元素へ置き換えた新配位子の開発を試みた。続いて、デンドリマー型置換基の開発を行い、これを3個導入することにより、フレキシブルなエクアトリアル位占拠型置換基として機能し得るかどうかを検討した。さらに、ジチオカルボキシラト配位子およびカルボキシラト配位子を二座配位子として活用した6配位ケイ素化合物の構築について検討した。これらの検討の結果、熱的に安定な4配位1,2-ヨードキセタンの酸化剤としての応用、三つの酸素原子がエクアトリアル位を、炭素原子が一つのアピカル位を占めたカルバホスファトランやカルバシラトラン、および5配位ケイ素原子あるいは7配位ケイ素原子同士が連結したジシランの合成に成功した。加えて、これらの関連化合物、リンとアルミニウムからなるホスファアラトラン、オレフィン重合活性を示すカチオン性シラノラトジルコニウム錯体、および電子供与能の最も高いアミノ(イリド)カルベンの創製にも成功した。このように独自に開発した配位子を活用して、従来の配位子では安定化し得なかった新規な有機高配位典型元素化合物を創製し、その構造、結合様式および反応性を明らかにするとともに、有機元素化学の発展に貢献する新構造に基づいた新しい知見を得ることができた。
著者
粂川 一也 小久保 温 佐藤 和則 川島 隆太 山田 健嗣 福田 寛
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会論文誌. B, 通信 (ISSN:13444697)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.308-313, 2000-03-25
被引用文献数
9

病院間における高速データ通信の需要には, コンピュータトモグラフィー(CT)等の画像データの転送や, ビデオ会議システムにより診断, 研究の議論を行うことなどがある.本論文では, 仙台市内の病院間に, 空間光伝送を利用した155Mbps ATM無線LANを構築し, 天候による影響を長期にわたって観測した.測定期間中, 霧及び降雪による回線断が発生したが, 降雨による回線断は観測されなかった.霧による回線断は早朝及び日没以降に発生しているので, 主な回線利用時間帯での影響は少ない.また, 全体を通して回線断の頻度は低く, 10Mbps以上での回線稼働率は99.4%であり, 空間光伝送によるLANの有用性が示された.
著者
川島 隆
出版者
日本オーストリア文学会
雑誌
オーストリア文学 (ISSN:09123539)
巻号頁・発行日
no.24, pp.19-28, 2008-03-31

Die Erzahlung Schakale und Araber, die einen fundamentalen Konflikt zwischen "Schakalen" und "Arabern" in einem arabischen Land darstellt, wurde im Fruhjahr 1917 geschrieben und erschien im Oktoberheft der von dem Kulturzionisten Martin Buber herausgegebenen Zeitschrift Der Jude. Dass in diesem parabelhaften Stuck das Judentum thematisiert wird, liegt auf der Hand. Jens Tismar (1975) setzt die sklavenhaften "Schakale" mit dem judischen Volk gleich, indem er darauf hinweist, dass man das Bild des Schakals historisch als Metapher fur die Diaspora-Juden, deren "parasitare" Lebensform im antisemitischen Diskurs immer wieder angegriffen wurde, benutzt hat. An these literarische Tradition, die u.a. auch bei Heinrich Heine, Franz Grillparzer und Adalbert Stifter anzutreffen ist, knupfte auch Franz Kafka an. Diese Erzahlung allegorisiere, so behauptet Dusan Glisovic (1996), daruber hinaus den Streit zwischen judischen Kolonisatoren und wirklichen Arabern in Palastina-was hochst unwahrscheinlich ist, zumal Kafka sie zu einem Zeitpunkt schrieb, an dem, noch vor der Balfour-Deklaration im Winter 1917, die Beziehung der Juden zu ihrem Nachbarvolk viel weniger feindlich erschien als heute. Ohnehin geht es bei dem arabischen Land in der Erzahlung nicht um Palastina, sondern um Agypten, da an einer Stelle das Wasser des "Nil" erwahnt wird. Agypten ist jenes Gebiet, von dem aus die alttestamentarischen Juden unter der FUhrung von Moses nach dem gelobten Land auswanderten. Das Agypten-Bild in diesem Sinne taucht schon in Kafkas erstem Roman Der Verschollene (Amerika) auf: Die Fahrt des Protagonisten Karl Rossmann von der Stadt "Ramses" nach Oklahama [sic] soll laut Bernhard Greiner (2003) den Auszug der Israeliten aus Agypten wiederholen. Auch die "Schakale" in der spateren Erzahlung begehren die Befreiung von der agyptischen Sklaverei, und ihre Hoffnung konnte man im Kontext der zeitgenossischen Situation der Juden in Europa wohl als eine "zionistische" bezeichnen. Der Ich-Erzahler als vermeintlicher Retter der "Schakale" ist somit eine Figur, die die Rolle Moses' in der Gegenwart erneut auf sich nehmen solite. Das Moses-Bild ist in der europaischen Gesellschaft seit der Aufklarung mehrfach Gegenstand der Diskussion geworden. Es funktionierte haufig als Identifikationsbild der Intellektuellen, vor allem bei mehreren judischen Autoren, die zwischen Tradition und Assimilation ihren eigenen Weg finden mussten-und wie Bluma Goldstein (1992) ausfuhrlich gezeigt hat, nicht zuletzt auch bei Franz Kafka, der sich in seinen letzten Tagen immer starker mit Moses als "Volksfiihrer" identifizierte. Obwohl er sich zuerst vom judischen Nationalismus abgestossen fuhlte, nahrte sich Kafka dann spater, insbesondere wahrend des Ersten Weltkrieges, immer mehr der zionistischen Bewegung an; seiner Hinwendung zum Zionismus entsprechend vertiefte sich auch sein Interesse an Moses. Im Jahr 1913 hielt der Prager Zionist Hugo Bergmann einen Vortrag mit dem Titel "Moses und unsere Gegenwart", basierend auf seinem kurz zuvor erschienenen Buch Worte Mosis. Unter den Zuhorern war auch Kafka, und er war tief beeindruckt. Bergmann beschreibt dabei den Kurs der Geistesentwicklung Moses' als Fuhrer seines Volkes, der sich trotzdem stets "zogernd" zwischen Freiheit und Sklaverei, gottlicher Bestimmung und menschlichen Bedurfnissen bewegt. Scott Spector (2000) schatzt Bergmanns Moses-Interpretation als Strategie der "deterritorialisation" ein, wie sie Gilles Deleuze und Felix Guattari (1975) anhand der Sprache Kafkas definierten. Meines Erachtens setzt Kafka dieses Bild von Moses im Motiv des Zogerns in der "Schakale"-Parabel fort, und zwar in einer noch gesteigerten Form. Am Ende der Geschichte fasst der Ich-Erzahler den Arm des "Arabers", der mit der Peitsche die "Schakale" schlagt. Damit scheint er die Tat Moses' (Exodus 2:11f.) zu wiederholen-allerdings nur teilweise. Weder erschlagt er den peitschenden Mann, noch befreit er die Tiere aus ihrer Knechtschaft. Diese zuruckhaltende Haltung des Erzahlers entspricht derjenigen des Autors. Trotz seines langjahrigen Hasses gegen das burgerlich-assimilierte Leben in der westlichen Gesellschaft konnte Kafka, der einmal sein ganzes Leben als "Zogern vor der Geburt" zusammengefasst hat, sein Vorhaben der Auswanderung nach Palastina nie ausfuhren.