- 著者
-
鈴木 尚
- 出版者
- The Anthropological Society of Nippon
- 雑誌
- 人類學雜誌 (ISSN:00035505)
- 巻号頁・発行日
- vol.90, no.Supplement, pp.11-26, 1982 (Released:2008-02-26)
- 参考文献数
- 33
- 被引用文献数
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2
5
戦前の常識によると,洪積世の日本は人間の住める環境にはなかったので,沖積世になり初めて人間が住み付いたと信じられてきた。ところか戦後,岩宿のローム層から初めて石器が証明されて以来,日本にも旧石器時代があるとの意見が定着した。これに伴い洪積世人骨の探索も行われ,本州と沖縄から若干の例が指摘されるに至った。下部洪積世 明石人は直良信夫により発見され,長谷部言人によって下部洪積世人として記載されたが,現場発掘の所見から骨の古さに若干の議論がある。中部洪積世 牛川人は豊橋市牛川鉱山から発見された女性の左上腕骨の一部で,Homo sapiens と違って骨幹は前後に扁平であるほか,旧人的特徴がみられる。この骨を基にして身長を推測すると135cmで矮人の範疇に属する。上部洪積世本州 三ケ日人,浜北人などがある。いずれも断片であるが,観察しうるわずかの所見から判断すると,これらは洪積世の Homo sapiens で,縄文人と共通する多くの特徴があり,縄文人の祖先と見なしても差支えない。沖縄 港川人,山下町人などがある。港川人 本島南端の港川採石場から初めて大山盛保により人骨と獣骨化石が確認されたのが契機となり,総合調査が行われ,5~9体分の人骨が発見された。そのうち3体分が完全である。これらはC14法により約18,000年前と推定された。研究の結果,彼らは新人的特徴が基本になり,それに横後頭隆起,下顎に頤下切痕,上•下横隆起など旧人的特徴を混えたかなり原始的人類と考えられる。なおこの人類は縄文人に近似するとともに,南支那,印度シナの洪積世人,新石器時代人に類似するのに対し,北支那の人類とは関係が薄いようである。山下町人 那覇市,山下町第一洞から発掘された約7年の幼年者の右大腿骨と右脛骨で性不明。C14法により約32,000年前と推定された。骨の特徴はこの人類が化石の Homo sapiens であることを物語っている。ただし同年の現代日本人よりもわずかに大腿骨稜の発達がよい。結論, 今日までに発見された資料に関する限り,日本の洪積世人は低身長,中,短頭型,広顔,広鼻,低眼窩など縄文人と共通する形質がある。多分,3万年ほど前,少くも18,000年前の頃,南支那,印度シナに住む一般化された Protomongoloid は少くとも2群に分かれて,当時,存在した陸橋を経てそれぞれ沖縄と日本本州に到着したものであろう。