著者
倉沢 一
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
no.58, pp.p204-234, 1977-03

南極の火山の分布は,後期新生代に関して,いわゆる造山帯の傾向あるいは歴史と同様な特徴をもっている.南極のマリー.バードランドとビクトリアランド地域はアルカリ岩系の岩石区の特徴をもって,さまざまな変化をみせている.南極半島地域の南シェトランド諸島は玄武岩〜安山岩の組み合わせで,Na成分に富むとはいうものの,それらの性質からは,アルミナに富む高アルカリソレアイト系列に属すると考えられる.ストロンチウム同位体組成などから,ロス島火山岩類は,大陸に隣接していながら,ホット・スポットという意味をもって,海洋島のそれらによくにた性質をもっているという結論がえられた.同位体地質学的あるいは化学的性質から,南極地域の火山および火山岩類を検討した.
著者
江崎 雄治 栗田 邦明 松島 功 木津 暢彦 中嶋 哲二 金戸 進
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.125-204, 2000-07
被引用文献数
1

この報告は第38次南極地域観測隊気象部門が, 1997年2月1日から1998年1月31日まで昭和基地において, および, 1997年1月25日から1998年1月20日までドームふじ観測拠点において行った気象観測結果をまとめたものである。観測方法, 測器, 統計方法等は第37次観測隊とほぼ同様である。越冬期間中特記される気象現象として, 次のものがあげられる。1) 昭和基地での年平均気温はほぼ平年並みであった。9月の月平均気温は-23.6℃であり歴代1位の低さであった。2) 昭和基地において, 9年連続で大規模なオゾンホールを観測し, オゾン全量の最低月平均値は10月の164m atm-cmであった。これは観測開始以来2番目に低い記録であった。3) 昭和基地において, 1年を通して地上オゾン濃度観測を行った。8月28日から29日にかけて地上オゾン濃度急減現象を観測した。4) 昭和基地において, エアロゾルゾンデにより成層圏エアロゾルの観測を行った。年間を通して6台のエアロゾルゾンデを飛揚した。5) ドームふじ観測拠点における1997年の年平均気温は-54.4℃, 最低気温は7月8日に観測した-79.7℃であった。
著者
宮本 仁美 中村 雅道 成田 修 横田 歩 森永 裕幸 Hitomi Miyamoto Masamichi Nakamura Osamu Narita Ayumi Yokota Hiroyuki Morinaga
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.477-533, 1999-11

この報告は, 第37次南極地域観測隊気象部門が, 1996年2月1日から1997年1月31日まで昭和基地において, 1996年1月23日から1997年1月24日までドームふじ観測拠点において行った気象観測の結果をまとめたものである。観測方法, 測器, 統計等は第36次観測隊とほぼ同様である。越冬期間中に特記される気象現象としては, 次のものがあげられる。1) 昭和基地においては7月から10月にかけて気温が平年より高めに経過し, 特に9月は月平均気温が平年値に比べ6.1℃も高かった。月平均気温は9月と10月に歴代1位の高温を記録した。2) 5月26日から28日にかけて発達した低気圧(ブリザード)に昭和基地が襲われ, 27日には最大風速44.3m/s(歴代3位), 最大瞬間風速61.2m/s(歴代1位)の強風を記録した。3) 昭和基地において, 8年連続で大規模なオゾンホールを観測し, オゾンホールが顕著だった10月, 11月のオゾン全量の月平均値は過去最低を記録した。特に10月の156m atm-cmは, これまで観測された月平均値の中で最小であった。4) 37次では36次に引き続きドームふじ観測拠点において越冬観測を行った。ドームふじ観測拠点における1996年の年平均気温は-54.4℃, 最低気温は5月14日に観測した-79.7℃であった。
著者
植竹 淳 東 久美子 本山 秀明
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.57-67, 2012-03

氷床アイスコア中には,鉱物粒子と共に輸送されてきた微生物が含まれる事が知られている.これら微生物の細胞数の計測には,蛍光顕微鏡による直接観察法が用いられるが,細胞数が少ないアイスコア試料では蛍光染色試薬の退色により数を過小評価しやすい一方で,含まれる鉱物などの非特異的な蛍光により過大評価しやすいため,定量的に細胞数を測定する事が困難である.本研究では5種の退色防止試薬から退色が最も少ないもの,19種の蛍光染色試薬から非特異的蛍光との選別が容易な試薬をそれぞれ選出し,細胞壁構造の異なる6種の微生物株を用いて染色選択性を確認し,鉱物の混入による染色への影響を調べた.その結果,退色防止試薬にはEverBrite Mounting Medium(Biotium製),蛍光染色試薬にはYOYO-1(Molecular Probes)が最も適していることがわかり,鉱物が混入する場合は濃度をやや高めに調整することで定量性が高くなる事が示された.
著者
高橋 昭好 藤井 理行 成田 英器 田中 洋一 本山 秀明 新堀 邦夫 宮原 盛厚 東 信彦 中山 芳樹 渡辺 興亜 Akiyoshi Takahashi Yoshiyuki Fujii Hideki Narita Yoichi Tanaka Hideaki Motoyama Kunio Shinbori Morihiro Miyahara Nobuhiko Azuma Yoshiki Nakayama Okitsugu Watanabe
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.25-42, 1996-03

南極氷床の深層掘削を行うため, 国立極地研究所は掘削装置開発小委員会等を設け, 1988年以来開発研究を行ってきた。開発の経緯については, 中間報告, 深層掘削ドリルの最終仕様, その完成までの経過にわけて, それぞれ報告してある。本報告では開発した深層掘削システムとその周辺装置について, ドームふじ観測拠点の掘削場の配置, 掘削作業の流れを説明したのち, 各論において, ウインチ, ケーブル, マスト, 操作盤, チップ回収器等の開発の経緯を設計基準, 具体的設計, 製作の流れに準じて説明した。
著者
鮎川 勝 Masaru Ayukawa
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.36-65, 2004-03

第44次南極地域観測隊は,鮎川勝観測隊長以下60名(うち越冬隊は小島秀康副隊長兼越冬隊長ら40名)で構成された.越冬隊のうち8名(大日方一夫副隊長兼越冬副隊長ら)はドームふじ観測拠点で越冬し,夏隊のうち3名(小達恒夫副隊長(専用観測船担当)ら)は「専用観測船」で行動した.このほか,越冬隊に4名,夏隊に6名および専用観測船に16名が,同行者として観測隊と行動を共にした.2002年11月14日,南極観測船「しらせ」は東京港晴海ふ頭より出発した.観測隊57名およびその同行者10名(NHK放送記念事業など報道関係者9名,研究者1名)は,11月28日に成田から空路でオーストラリアのシドニー経由パースに向かい,29日にフリーマントルで「しらせ」に乗船した.「しらせ」は,12月3日に同港を発ち,15日にリュツォホルム湾沖に到着し,26日に昭和基地に接岸した.2002年12月17日から2003年2月15日までの間に,昭和基地および見返り台(S16: ドームふじ観測拠点)への物資輸送,昭和基地からの廃棄物の積み込み,同基地における観測および建設作業,内陸および沿岸地域における野外観測などを行った.昭和基地等への物資輸送量は1225トンであった.昭和基地から「しらせ」に積載した廃棄物量は162トン,持ち帰り一般物資は139トンであった.昭和基地における夏期設営作業では,観測系のPPB飛実験支援のほか,見晴らし燃料タンク-昭和基地間の燃料送油管の設置第2年次工事,インテルサットアンテナの基礎コンクリート打設工事,300kVA発電機1号機のオーバーホール,基地側燃料タンクの防油堤建設工事,放送事業用の直径4.8mパラボラアンテナ放送棟小型発電機小屋の建設とその内部設備送配電線工事等36項目にわたった.夏期観測では,昭和基地における観測として4機の南極周回気球飛実験を実施したほか,野外における観測として宗谷海岸露岩域一帯から,明るい岬などのプリンスオラフ海岸露岩域に至る地学地質,陸上生物,測地,広帯域地震計観測などを実施した.また,気水圏系では,氷河末端域の消耗量観測およびパッダ沖多年氷の採取を行ったほか,内陸ドーム旅行中には雪氷学的調査を実施した.2003年2月14日までに第43次越冬隊員および第44次夏隊の野外調査隊,基地の設営作業者等を順次「しらせ」に収容し,2月15日の最終便の後に「しらせ」は北上を開始した.2月22日から26日にかけてアムンゼン湾沖で海底地形測量を実施した.「しらせ」による停船航走観測は,往復路ともほぼ計画通りの観測を実施した.「しらせ」は,3月21日にシドニーに入港し,27日に同港を発ち4月13日に東京港に帰港した.観測隊は3月29日に空路成田に帰国した.他方,「専用観測船」は,2003年2月17日にニュージーランドのウェリントンを出港し,東経140度付近の南極海で約10日間の海洋観測を行い,3月13日に同港に帰った.観測隊員等は3月17日に空路成田に帰国した.
著者
小達 恒夫 野元掘 隆 宮岡 宏 Tsuneo Odate Takashi Nomotobori Hiroshi Miyaoka
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.251-290, 2008-07-30

第48次南極地域観測隊夏期行動の概要を報告する.第48次隊は総勢62名で構成され,このうち越冬隊は35名,夏隊は27名であった.他に同行者として,南極観測船「しらせ」で行動した4名,ドームふじ基地において行動した2名,日独共同航空機観測を行った11名,及び航空機により昭和基地へ入り湖沼生態調査を行った3名が参加した.「しらせ」は2006年11月14日に晴海を出港し,また,観測隊本隊は11月28日に航空機で出発し,西オーストラリアのフリーマントルで「しらせ」に乗船した.「しらせ」は12月3日に同地を出港し,海洋観測を実施しつつ12月16日に氷縁に到着した.12月19日に昭和基地第1便が飛び,2007年2月16日の最終便までの間に,第48次越冬隊成立に必要な物資約1000 tの輸送と越冬隊員の交代を滞りなく完遂した.沿岸露岩の湖沼域の生態学的調査,氷河地形調査,地震観測,氷・水・土壌・生物等の試料採集,内陸での気象,電波,GPS等の無人観測などの夏期観測調査はほぼ予定通り実施できた.設営系では,昭和基地夏作業として予定された基地建物,施設の新設や改修工事はすべて実施した.特に,昭和基地クリーンアップ4カ年計画の3年目として,主に第47次隊が用意した200 tを上回る廃棄物を持ち帰り,また島内一斉清掃によって飛散していた廃棄物の回収に努めた.往復の航路上では,海洋観測を実施し,シドニーに3月21日に到着,観測隊は航空機で3月28日に帰国した.一方,ドームふじ基地支隊は11月5日に成田を出発し,ケープタウンからDROMLANチャーター機により,ノボラザレフスカヤを経由して12月3日に「ARP2」地点で第47次隊と合流した.その後,雪上車でドームふじ基地に12月12日に到着した.ここで,第47次越冬隊と協力して,1月26日までに3025.22 mの掘削に成功したのち,航空機により2月20日に帰国した.また,日独共同航空機観測に参加した夏隊1名は,12月3日に成田空港から出国した.ケープタウンからDROMLANチャーター機により,ノボラザレフスカヤを経由して12月8日にノイマイヤ基地へ到着した.同基地付近での航空機観測を実施した後,1月6日にはS17航空拠点へ移動し,昭和基地付近での航空機観測を実施した.1月27日にS17を離れ,2月8日帰国した.
著者
関口 洋嗣 田中 邦明 Hirotsugu Sekiguchi Kuniaki Tanaka
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.504-511, 2002-09

日本に持ち帰られた第10居住棟合板の耐久性を接着という観点から評価した結果と、合板の接着耐久性と並び重要である枠材と合板の接着性能について報告する。木質パネルから試験体を採取し、含水率を測定した上で、単板接着力試験と合板-枠材圧縮せん断試験を行い、接着力を測定した。その結果、室内側合板の含水率は低いため接着力は高いが、それに対して屋外側合板は高含水率化しており接着力の低下が著しかったこと、また合板と枠材の接着力は単板間接着力よりも高く、本エポキシ樹脂が適当であること、屋外面鉄板の接着仕様については今後検討を要することなどが分かった。総じて、合板の接着力低下には水分が大きく関与し、パネルの耐久性向上には、融雪水の進入対策、結露対策、外壁鋼板の防錆対策等による木材の高含水率化の防止と、接着剤の耐水性向上が必要であると思われる。
著者
渡辺 隆 岩上 直幹 小川 利紘 中村 正年 Takashi WATANABE Naomoto IWAGAMI Toshihiro OGAWA Masatoshi NAKAMURA
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
no.69, pp.111-115, 1980-03

冬期高緯度において,中間圏オゾンのロケット観測を太陽吸光法を用いて行った.得られた高度分布は,典型的な中緯度の値にくらべて著しく小さい.
著者
西脇 三郎 Saburo NISHIWAKI
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
no.44, pp.93-99, 1972-08

第12次南極観測海洋生物部門の定常観測として1970年11月26日から1971年5月1日まで観測船「ふじ」の航路にそって,北太平洋西部・インド洋・南極洋にわたる115地点の表面海水中のクロロフィルa量の測定を行なった.南極洋および南緯32°以南のインド洋ではクロロフィルa量の分布にかなりの変動がみられたが,全体的にはその他の海域におけるよりも高い値が見られた(0.05~1.10mg/m^3).北太平洋西部・南シナ海・南緯32°以北のインド洋では,比較的高い値がみられたオーストラリア沿岸・南アフリカ沿岸・マダガスカル島沿岸・マラッカ海峡などの沿岸海域を除けば,南極洋などに比べ全体的には低い値がみられた(0.02~0.17mg/m^3).今回の観測で得られたクロロフィルa量の地理的分布の様相は,これまでのほぼ同じ航路において得られた結果と全般的傾向としてはほぼ一致していた.
著者
岸 隆幸 安田 毅彦 吹田 俊明 堀川 和久 大河原 望 Takayuki Kishi Takehiko Yasuda Toshiaki Fukita Kazuhisa Horikawa Nozomu Ookawara
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.318-376, 2002-07

この報告は, 第39次南極地域観測隊気象部門が1998年2月1日から1999年1月31日まで昭和基地において行った気象観測の結果をまとめたものである。観測方法・測器・統計計算等は第38次観測隊とほぼ同様である。越冬期間中特記される気象現象としては次のものが挙げられる。1) 年間をとおして気象現象の変化が激しく, 年前半の気温は高めに経過した。3月の月平均気温は1位の高温を記録した。2) 6月3日から5日にかけてブリザードが昭和基地を襲来し, 最大風速46.4m/s, 最大瞬間風速54.8m/s(ともに6月の歴代1位)を記録した。9月は悪天が継続し, ブリザード日数は17日間を記録した。3) 10年連続で大規模なオゾンホールを観測し, 1998年9月, 11月, 12月及び1999年1月の月平均オゾン全量はその月として過去最低を記録した。オゾンホールの目安である220m atm-cmを下回る値が, これまでで最も遅い12月中旬まで観測された。
著者
石沢 賢二 粉川 牧 半貫 敏夫 Kenji Ishizawa Tsutomu Kokawa Toshio Hannuki
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.115-127, 1993-07

アイスドームの製作技術と時間によるその変形を研究するために, アイスドームの建設が試みられた。直径10mの膜を送風機で膨らませ, 水と雪をこの上にかけた。約13tの水を使って厚さ7cm, 高さ3mのものができあがった。天井はクリープにより, 徐々に変形が進み, 中央部は99日間で55mm沈下した。また, 夏にはアイスドームの厚さが昇華により急速に薄くなったため, ロータリ除雪車で時々雪掛けを行った。このアイスドームは倉庫あるいは作業場として有効に使用できた。もうひとつのアイスドームは, このために持ち込んだ造水装置を使用して実施したが, 強風と低温で大変な作業だった。また, 水を使わない雪だけのスノードームの製作も試みたが, 固まらなかった。
著者
東島 圭志郎 佐藤 建 安ヶ平 一也 村方 栄真 河原 恭一 Keishiro Higashijima Tatsuru Sato Kazuya Yasugahira Eishin Murakata Kyouichi Kawahara
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.171-271, 2003-07

これは,第40次南極地域観測隊気象部門が,1999年2月1日から2000年1月31日まで,南極昭和基地において気象観測を行った結果の報告である.気象観測の方法,測器,統計方法等は,第39次隊とほぼ同様である. 越冬期間中,特記される気象現象として,次のものがあげられる.1) 地上気象観測において,7月,12月,1月の気温,5月,10月,12月,1月の気圧が平年に比べ著しく低かった.10月5日に最低海面気圧932.1hPa(歴代2位)を記録した.ブリザードは,A級が4回,B級が10回,C級が11回の計25回あり,平年並みであった.2) オゾン全量観測において,昨年に引き続き大規模なオゾンホールを観測し,11月の月平均オゾン全量は過去最低を記録した.その後,12月中旬にオゾンホールは消滅したが,オゾン全量値の回復は過去一番遅かった.3) それに伴い,成層圏の昇温が遅れ,春季に下部成層圏で記録的に低い月平均気温を観測した.4) エアロゾルゾンデ観測において,春期南極上空で形成されるオゾンホールの重要要因となっていると思われる極成層圏雲(PSCs)の雲粒子の分布状況を観測した.5) 地上オゾン濃度観測において,観測を始めた第38次隊以来連続して地上オゾン濃度急減現象を観測した.
著者
高橋 修平 亀田 貴雄 本山 秀明 Shuhei Takahashi Takao Kameda Hideaki Motoyama
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.52, no.特集号, pp.117-150, 2008-06-30

本報告は,1991年から2007年(第32次南極地域観測隊から第48次隊)に東南極氷床の内陸域に位置するドームふじ基地を中心として実施された「ドームふじ観測計画」で得られた雪氷・気象観測の主要な成果を取りまとめたものである.現地での雪氷・気象観測は,「基本観測」及び「研究観測」として実施された.前者は,ドームふじ観測計画として立案したものであり,後者は南極地域観測隊に参加した研究者が立案したものである.2001年から2007年(第42次隊から第48次隊)まで実施された第二期ドームふじ観測計画期間での基本観測については,観測方法及び現地での観測実施状況を詳しく述べた.なお,ドームふじ観測計画により得られた雪氷・気象観測結果を報告する論文・報告は現在までに157編,学会等での口頭・ポスター発表は243件であった.
著者
増田 彰正 田中 剛 朝倉 純子 清水 洋 Akimasa MASUDA Tsuyoshi TANAKA Junko ASAKURA Hiroshi SHIMIZU
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.197-203, 1977-03

やまと隕石(j),(k)および(m)の中の希土類元素(REE),Ba,Rb,Srを安定同位体希釈法によって定量した.(j)については,任意に二つの部分をとって分析した(提供された試料は,やや粗い粉末試料だった).最も代表的な希土類元素相互存在度を示すと考えられるLeedeyコンドライトの値で規格化すると,(k)は最も小さい分化を示すが,Euによく見られる異常は別として,GdとDyとの間に不連続性が見られるのが特徴である.(m)と(k)は,成因的な関連が深いと判断された.(j)の二回の定量値の間には,興味深い,系統的な差がある.(m)と(k)との関連,および(j)の内部的分化は,共に,もとの母体小惑星内での溶融と結晶分化の効果を強く示唆すると解釈できる.
著者
平山 善吉 Zenkichi HIRAYAMA
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.980-990, 1961-01

1956年以来昭和基地の建築は毎年,改造,増築等を行いつつ現在(1960年)に至っている.その間1957年から58年迄の基地放棄の1年間があったにせよ,建物は充分にのそ機能を発揮しつつ,健全な成長をとげている.ここでは,初期の平面計画の問題からおし広げられた,現在迄の様子を,新めて基地の立地条件,輸送の問題にふれながら,年ごとにその成長の過程を述べてある.この中では1956年当時の建築面積が,250.6m^2から413.0m^2(1960年)と飛躍的な発展をしたものの,これらのうちの多くは,現地で建設された,簡易建築物であることも見のがすことはできない.またその是非については色々と問題もあろうが当然なされるべき処置であると同時に,その結果は今後の参考になろうと考えられる.最後に1959年,すなわち基地再開時の建物の考察の結果を述べてある.最後にこの建物について検討を加えるならば,そこには若干の不備があったにせよ,南極大陸に立ち自然の猛威に抗しつつ,充分にその目的を達し得たと思う.
著者
菊池 徹 北村 泰一 Toru KIKUCHI Taiichi KITAMURA
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.625-660, 1960-01

(1)第1次越冬隊に使用させていただいた犬ぞりは,その準備と訓練に多大の努力を払って下さった加納一郎氏,北海道大学の犬飼哲夫教授,芳賀良一講師など,北大極地研究グループの人達に負う処が極めて大であった.厚く御礼申し上げる.(2)南極や北極で,外国隊の使用した犬はすべてハスキー種(又はその同属)であるが,日本隊は,1910~12年の白瀬隊の時もそうであった様に,今回も樺太犬を使用した.(3)越冬した樺太犬は,越冬初期に19頭(内雌1頭)であったが,越冬中に3頭をなくし,8頭の仔犬が産まれたので,その末期には24頭(雌1頭,仔犬8頭を合む)であった.この内,15頭の雄成犬が,第2次越冬隊を待ったまま昭和基地に残った.(4)IIの項では,昭和基地の犬小屋,犬の食糧(第1表),犬の体重変化(第2表),仔犬の出産及び8月に行なった訓練(第3表)について書いた.(5)IIIの項では,始めにそりその他の用具についてふれ,続いて,パッダ島並びにその南の上陸地点への偵察行(8月28日~9月4日),ボツンヌーテン行(10月16日~11月11日)及びオラフ行(11月25日~12月10日)の3つの旅行をあげ、それぞれ第4表,第5表,第6表にその概要を記した.(6)犬ぞり旅行を,数字で説明する一つの試みとして,Wt=(4rtfgaWdN)/V(荷重の法則)なる式を仮定し,3つの旅行について,その分析を行なった.第7表,第8表,第9表に示す通りである.(7)15顛の犬達が,オングル島に残らざるを得なかったのは,実現はしなかった第2次越冬隊を送り込む事に最大の努力がはらわれ,犬達は新しい隊の来るのを待っていたのである事実を明記した.(8)最後に犬達の冥福を心から祈って,この拙い報告書を彼等の霊に棒げる.