著者
Wang Zipan
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.79-93, 1995-07

東南極の塩湖に生息するかいあし類の一種Drepanopus bispinosusの雌成体の冬季および夏季の酸素消費量を測定した。測定は種々の水温, 塩分, 溶存酸素量, および餌濃度の実験条件下で行った。呼吸量は水温の上昇とともに増大するが, とくに, 生息水温(0±2℃)から致死水温(13.1℃)範囲で顕著な呼吸量の増大がみられた。8月から12月にかけての呼吸量のQ_<10>値は1.65-1.89の範囲にあったが, 1月には3.11-3.32に増大した。通常の生息塩分濃度(37.2-39.5‰)で呼吸量は最も低く, それより高塩分あるいは低塩分で増大した。溶存酸素量および植物プランクトン濃度もまたある程度呼吸量の変化に影響をあたえているらしいことが推測された。8月から1月にかけてD. bispinosusの雌成体の呼吸量は連続的に減少する傾向を示した。この呼吸量の減少は繁殖期には繁殖活動の結果によるものであり, 繁殖期以降は老衰による生理的機能の低下に起因しているものであることが示唆された。
著者
堀内 公子 鳥居 鉄也 村上 悠紀雄 Kimiko HORIUCHI Tetsuya TORII Yukio MURAKAMI
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.69-80, 1977-03

ドライバレー地域の掘削で得られたDVDP 13コアー試料とベストフォールド・ヒルズの湖底堆積物について,過塩素酸可溶部と不溶部の炭酸ナトリウム融解抽出部のそれぞれの中のRa量を求めた.Raの定量は放射平衡に達したRnを液体シンチレーションカウンターで測定した.BGが45 cpmのとき,その1/8を測定下限とすると,2gの試料で0.25±0.04×10^<-12> Ci/g のRaの測定が可能である.UとThとの地球化学的な行動が異なることに基づいて考察すると,Uは海水で運ばれ,生成した^<230>Thが沈積しやすく,娘核種の^<226>Raとは一万年弱で放射平衡に達する.放射平衡に達するまで^<226>Raの量は次第にふえ,それから7.5×10^4年の半減期で減少していく.ゆえに過塩素酸可溶部と炭酸ナトリウム融解部のRaを定量することにより,堆積生成以来のおよその年代の古さを知り得る.ドライバレー地域では前者の値が後者より数倍も多く今回の試料中で最も古く,スチニア湖湖底堆積物は最も新しいと推定した.The ignition loss and the Ra content in the 10% HClO_4-soluble fraction and Na_2CO_3-fusion fraction were respectively determined for the 17 core samples (DVDP 13 core), down to the depth of 50 meters and for the four lake deposits in the Vestfold Hills. The determination of Ra was performed by measuring the activity of Ra in radioactive equilibrium state with a liquid scintillation counter. The detection limit of Ra with 2 grams of sample wag (0.25±0.04)×10^<-12> Ci/g, taking one-eighth of the BG counting rate, 45 cpm, as the limit in this case. Based on the differences between U and Th in geochemical behaviors, it is thought that U is transported into sea water and decays to ^<230>Th which tends to precipitate in the site. From ^<230>Th is produced ^<226>Ra which attains the radioactive equilibrium within a little under ten thousand years. And then, the ^<226>Ra content gradually increases with a half life of 7.5×10^4 years. Therefore, by determining the ratio of Ra in the HClO_4-soluble fraction to that in the Na_2CO_3-fusion fraction of a sample, it is possible to determine its age since the time of sedimentation. The results obtained indicate that the Dry Valley sediment is the oldest while the Lake Stinear sediment is the latest because the ratio is the largest for the former and the smallest for the latter.
著者
金尾 政紀 神沼 克伊 Masaki Kanao Katsutada Kaminuma
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.156-169, 1995-07

昭和基地(69.0°S, 39.6°E)では, 1967年より短周期, 長周期各3成分のアナログ記録による地震記象の読み取り作業が開始された。越冬の地球物理定常隊員により観測の保守がなされ, 着震時の読み取り作業が現在まで継続して行われている。験震した走時と震源のデータは, アメリカ地質調査所(USGS)と国際地震センター(ISC)に定期的に送られると共に, 極地研究所で再験震を行い"JARE Data Reports (Seismology)"として発刊されている。近年, エレクトロニクス技術の進歩によりモニター記録の質が向上すると共に, 同一の基準で再験震がなされた。本稿では, 1987年より1993年の7年間における験震データを用いて, 昭和基地で記録される地震の空間分布と時間的推移を詳しく調べ, またISCデータを用いた結果と比較することで昭和基地の地震検知率について考察した。Phase readings of teleseismic earthquakes at Syowa Station (69.0°S, 39.6°E), Antarctica have been carried out since 1967 by use of analog records of three-component short-and long-period seismometers. Seismic observations and phase readings have been conducted by the wintering members for geophysics of the Japanese Antarctic Research Expedition (JARE). The arrival times of P-waves have been reported to the United States Geological Survey (USGS) and the International Seismological Center (ISC), then published as the "JARE Data Reports (Seismology)" by the National Institute of Polar Research (NIPR). In recent years, the quality of chart records has been improved by the advance of electronics. In this paper, the hypocentral distribution of the detected earthquakes for the seven year period from 1987 to 1993 was presented and the spatial distribution and time variations for epicental parameters were investigated. Moreover, the detection capability of earthquakes was discussed in relation to the report from ISC data.
著者
内藤 靖彦 Yasuhiko Naito
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.406-423, 1999-11

第25次南極地域観測隊は越冬隊36名, 夏隊11名の構成のもと, 1983年11月14日東京港を出発した。25次隊には観測隊員以外に, 本部委員1名, 外国交換科学者1名(アメリカ), 報道関係者5名(新聞取材2名, テレビ取材3名), 造船関係者5名の計12名が同行した。「しらせ」就航により輸送量の増大や早期の接岸が期待され, 新発電棟設備の工事など多くの夏作業が計画された。12月14日には氷縁に到着したが, 18日には昭和基地北42.7マイル地点で厚さ10mに及ぶハンモックアイス帯に遭遇し, 輸送の遅れが懸念された。幸いハンモックアイス帯を無事突破, 1月5日には6年ぶりに接岸に成功し774トンの物資輸送を行った。昭和基地方面における新発電棟関連の工事などすべての活動を1月末までに終了し, 「しらせ」は2月1日反転北上, セールロンダーネ山地地学調査のためブライド湾に向った。2月3日よりL0,30マイル拠点への輸送, 雪上車組立, 小屋設置の諸作業を行った後, 地学旅行隊は12日から23日の期間で調査を実施した。地学調査と並行し「しらせ」はブライド湾, グンネルスバンク域において海洋観測を実施した。乗員に患者が発生したため予定を変更し, 2月23日反転北上し, ケープタウンに向かった。2月3日ケープタウン入港, 患者は無事下船, 2月5日ポートルイスに向け出港した。以後ポートルイス, シンガポール経由し予定通り4月19日東京港に戻り, 25次隊の行動を終了した。The 25th Japanese Antarctic Research Expedition (JARE-25) consisted of 36 wintering members and 11 summer members. The summer party was accompanied by one observer from JARE headquarters, one foreign exchange scientist from the U.S.A., 2 press observers, 3 TV crews, and 5 ship engineers. The icebreaker "Shirase" left Tokyo on November 14,1983 as her first voyage to Antarctica and arrived at the pack ice edge near Lutzow-Holm Bay on December 14. On December 18 she encountered a heavy hummock ice zone at the mouth of Lutzow-Holm Bay. She managed to break through it and succeeded to anchor at Syowa Station. She off loaded 774 tons of cargo there. Logistic operations such as construction of a new power house, the new power system in it and observation facilities progressed on the planned schedule and "Shirase" left there on February 1,1984 for Breid Bay to support geological field survey at Sor Rondane Mountains and to conduct oceanographic survey. "Shirase" stayed in Breid Bay and adjacent waters from February 3 to February 23. Thereafter she changed her destination to Cape Town, South Africa, to carry a patient. She arrived in Cape Town on March 3 and left there March 4 for Tokyo via Port Louis, Mauritius and Singapore. Wintering members of JARE-24 and some observers left the ship at Port Louis. Along her cruise track she conducted oceanographic observations as planned.
著者
神沼 克伊
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.205-226, 2000-07

西南極・サウスシェトランド諸島付近は南極プレートの中でも最も活動的なテクトニクスの地域である。その地域のテクトニクスやサイスモテクトニクスを調べ, 発展させるためには, そこに点在する各基地での地球物理学的な観測や研究の現状を把握し, そこでどんなデータが得られているかを確かめておくことが必要である。平成11年度(1999年)の南極条約の交換科学者としてキングジョージ島のチリ基地への訪問を希望したのは, 上述の背景とチリによる航空機での南極へのアクセスが可能だからである。幸いチリ南極研究所(INACH)は, 2000年1月に2週間, チリの基地への滞在を許可してくれた。筆者はチリ大学F. Herve教授の研究グループの一員として2000年1月5-19日, Base Frei/Escuderoに滞在した。筆者の活動はすべてINACHの傘下で行われた。南極に滞在中, 徒歩で行けるロシアのBellingshausen, 中国の長城, ウルグァイのArtigasの各基地を訪問した。湾を挟んで10km東の対岸にある韓国の世宗基地やさらに6km東にあるアルゼンチンのBase Jubanyへは, 世宗基地の好意により同基地のゾディアック(ボート)で行くことができた。Base Escuderoを除く6基地では, 気象観測を実施していた。Base Freiの地震観測はアメリカ・ワシントン州立大学によって行われている。地震や地磁気3成分の観測は世宗基地と長城基地とで地球潮汐はBase Artigasで実施されている。世宗基地は次年度からGPSや重力の連続観測を予定している。以上の他, 各国の1999-2000年の南極夏シーズンの活動状況や将来の共同研究に備えて, 各基地の設営関係の情報収集も行った。
著者
大瀬 正美
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.141-157, 1979-09

第19次南極地域観測隊の観測計画および夏期行動計画の概要を述べる.平沢隊長以下隊員40名,4名のオブザーバー(NHK取材班3名,チリーからの交換科学者1名および約500トンの物資を積載した「ふじ」は1977年11月25日東京港を出発,147日間の全行程を終え,1978年4月20日東京港に帰った.「ふじ」は12月28日氷縁に着き,1月17日には8年ぶりに昭和基地に接岸した.1月24日までに全越冬物資を昭和基地に運んだ.
著者
平沢 尚彦 高橋 晃 渡辺 興亜 佐藤 夏雄 Naohiko Hirasawa Akira Takahashi Okitsugu Watanabe Natsuo Sato
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.255-258, 1996-07

本研究小集会の目的はSARデータを使った南極氷床・氷河に関する最近の研究成果, 及び今後の研究計画について議論することである。本会は1996年2月6日, 極地研究所講義室において行われ, 出席者は約30名であった。SAR画像に見られる様々な模様にについての紹介, 飛行機観測や可視画像との比較, 現地氷状観測との比較, インターフェロメトリの今後の課題などが議論された。The main purpose of the workshop is to discuss recent results of Antarctic research using SAR data. It was held on February 6,1996 at the National Institute of Polar Research (NIPR), the number of participants being about 30. The contents of the workshop are demonstration of various SAR images, comparison with pictures from an airplane and visible images, comparison with observational data on ice conditions and demonstration of problems in interferometry.
著者
平尾 邦雄
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.904-910, 1961-01

予備観測の際の船上観測で非常に明瞭な短波海上散乱が発見された,その後2回の船上観測の際にも同様の観測がなされ且つラジオゾンデによる気象観測も特に強化された.特に1959年の船上観測の際は固定周波によるh'tの観測及びA-scopeによる反射波のスナップ撮影も加えて原因の究明につとめた.これらの結果を綜合して短波海上散乱波は結局海の波による後方散乱であることが推論された.海上では大地常数が大きいために特に地上波の伝播に都合がよいので散乱波が受信されるものと思われる.但し海の波により電波がcoherentに反射されると考えなけれはならない.更に大洋上や暴風圏内においても顕著な日変化を示すことから大気の屈折率に新らしい要素を導入する仮説をたてた.これによって日変化は電波の屈折,廻折及び低層中の反射面の日変化に帰着させることができる.
著者
青柳 昌宏
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.85-101, 1988-03

1978-79年夏期, ロス島ケープバード, 北ルッカリーのB4コロニーにおいて, アデリーペンギン集団の経時的変化を観察した。1978年12月下旬から予備調査を行い, 1979年1月1日から1月24日までの間, 少なくとも1日1回, コロニー内の繁殖巣数, 繁殖個体数, 未繁殖個体数, 雛数, およびその位置を観察し地図上に記録した。この時期は雛のクレイシ形成期であり, 繁殖個体が巣を離れるのに従って, 雛も巣を離れクレイシを形成した。1月9日から10日の間に, 繁殖個体と雛の巣離れが完了した。同時に, これまでコロニーの外にいた未繁殖個体が繁殖個体に代わってコロニーに入った。巣を離れた雛はクレイシのところどころに密集し小集団を造ったが, その大きさ, 形, 場所は常に変化した。クレイシ形成の初期に雛は元の巣に戻って給餌を受けたが, 次第に巣の外で給餌されるようになり, 1月10日以後はコロニーの外で給餌を受けるようになった。
著者
青柳 昌宏 田宮 康臣
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.39-46, 1983-12

クレイシ中期にアデリーペンギンの給餌行動を, 24時間連続観察し, 以下の4点についてまとめた。1) 雛が給餌される頻度, 2) 給餌のため, 親鳥がコロニーに帰る頻度, 3) 雛が出てしまった空巣を含むなわばりの識別と利用, 4) 雛の生存率と育雛行動の雛数によるちがい。
著者
高田 真秀 戸田 茂 神谷 大輔 松島 健 宮町 宏樹
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.380-394, 2003-11

第43次日本南極地域観測隊(43次夏隊)は,みずほ高原において地殻構造の解明を目的に,ダイナマイト震源による地震探査を行った.この探査と同時に,探査測線下の基盤地形の詳細な分布を求めるため,アイスレーダーによる測定を実施した.本報告では,アイスレーダー測定の概要と得られた結果について報告する.
著者
金尾 政紀 神沼 克伊 渋谷 和雄 野木 義史 根岸 弘明 東野 陽子 東 敏博
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.16-44, 1999-03

1997年度(第38次日本南極地域観測隊;以下JARE-38と略す)を中心に, これまで定常観測で行われてきた地震観測システムが, ハード及びソフト両面共に大幅に更新された。特に, 建造以来25年以上が経過し, 施設の老朽化が指摘されていた旧地震感震器室を閉じ, 器材をすべて撤収した。そして1996年度(JARE-37)に建設した新地震計室へ, 短周期(HES)及び広帯域(STS-1)地震計を移設あるいは新しく設置すると共に, 地学棟にワークステーションによる波形データ収録装置を新たに導入して, パソコンにより収録する旧システムから切り替えた。この地震計室及び収録装置すべてを含めての新システム導入により, 昭和基地では越冬中の地震計室見回りの労力が半減し, 基地LANを利用してのデータ収集が合理化されたため, これまでの保守作業がかなりの部分で軽減された。今後はインマルサット回線をさらに利用して, 基地外へのデータ公開の迅速化をめざす。さらに常時IP接続が可能になれば, 国内での験震処理が可能となり, 現地での完全自動化が期待される。JARE-38越冬中の経過を中心にシステム更新の詳細を記載すると共に, インターネット利用を含めたデータ公開についても簡単に述べる。
著者
和田 誠 古賀 聖治 野村 大樹 小達 恒夫 福地 光男
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.271-278, 2011-11-30

2009年に就航した新「しらせ」には,改造した20 ftコンテナを船上実験室として搭載するスペースが確保された.第51次日本南極地域観測隊では,このコンテナ実験室の内部に大気中の硫化ジメチル濃度を測定するためのプロトン移動反応質量分析計を収納し,観測を実施した.本稿では,コンテナ実験室の概要と今後改良すべき点等について報告する.
著者
石沢 賢二
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.147-160, 1981-09

南極大陸氷床上部のP波とS波の速度が, みずほ基地(70°42'S, , 44°20'E, , 海抜2230m)において測定された。測定方法は, 12・13次日本南極地域観測隊で掘削されたボーリング孔を使用した検層と, 屈折法である。検層には孔中固着式受震器が使用され, 深さ80mまでのP波S波の速度構造が求められた。また屈折法ではP波の構造が36mまで測定された。得られた結果は, コアーを使用した超音波パルス法による測定結果とほぼ同じであった。南極やグリーンランドのさまざまな場所で得られたP波の速度構造を対比してみた結果, その場所での年平均気温と強い相関があることがわかった。深さ50mのP波速度に注目してみると, 年平均気温, T_m (℃), が高いほどP波の速度, V_P (km/s), は大きく, それらの間には次のような関係がある。V_P=0.034T_m+4.529
著者
土井 浩一郎 今栄 直也 岩田 尚能 瀬尾 徳常
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.7-18, 2004-03
被引用文献数
1

第41次南極地域観測隊における越冬期間中に,南極大陸氷床上の3点,すなわち,とっつき岬付近の裸氷帯N7,みずほ基地,やまと航空拠点YM175においてGPS観測を行い,各点の流動速度を求めた.N7の移動速度はN60°Wの方向に約1.5cm/dayであった.みずほ基地の移動速度はN60°Wの方向に約6cm/dayという値であり,H. Motoyama et al.(Nankyoku Shiryo, 39, 94, 1995)が得た結果とよく一致している.YM175ではN71°Wの方向へ0.8mm/dayという水平方向の速度とともに,1.1mm/dayの上昇速度という結果を得た.この上昇運動はやまと山脈地域において提案されている隕石集積機構を支持するものである.
著者
吉田 順五
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.732-736, 1961-01

南極大陸につもった雪は,長年月とけることなく,氷となって氷河にかわる.北海道の雪も冬はほとんどとけない.そして,冬のあいだに大きな変化をうけ,春とけさるころには,しまった固い雪になっている.それで,北海道の雪が冬のあいだにうける変化は,南極の雪が氷に変ってゆく過程のはじめの部分と多くの点で似ているにちがいない.この意味で,低温科学研究所で行なわれた北海道の雪についての研究結果は,南極の雪氷を研究するにあたって参考になると思う.これらの研究結果のうちから,次のものをえらび,簡単な説明を加える.(1)積雪の微細組織の変化.(2)焼結現象.(3)積雪全層の一般的変化.(4)日射による積雪の内部融解.
著者
東野 陽子 神沼 克伊 Yoko Tono Katsutada Kaminuma
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.190-195, 1998-07

1998年3月25日03時12分(UT)頃, 南極プレート内の62.876°S, 149.712°Eで, M_s8.0の巨大地震が発生した。昭和基地(SYO : 69°00′S, 39°35′E)からの問い合わせに対し, フランスのDumont d'Urville基地(DRV : 66°40′S, 140°01′E)では全員が揺れを感じ, 落下物もあったと言うから日本の気象庁震度階でIII~IVに相当する。昭和基地では4時間にわたり連続して地震動が記録された。DRVの震央距離は670kmであるから, 日本の関東地震(1923年, M=7.9)を岡山付近で感じたことになり, 有感半径が700kmの関東地震と同じ規模かそれ以上の大きな地震だったことが分かる。この地震は南極プレート内で起こった初めてのM8クラスの地震であり, 南極大陸での初めての有感地震であった。A great earthquake occurred in the Antarctic Plate at 03h 12m 24.7s (UT) on 25 March 1998. The location and magnitude of the earthquake determined by United States Geological Survey are as follows : 62.876°S, 149.712°E, 10km depth m_b 6.8,M_s 8.0. In response to a request for earthquake information from Syowa Station (69°00′S, 39°35′E) to Dumont d'Urville Station of France (66°40′S, 140°01′E), the station leader reported that all wintering members in the station felt a quake and something on the shelf in the building fell down. The intensity at the station was estimated to be III&acd;IV by the intensity scale of Japanese Meteorological Agency. This earthquake is the first great earthquake of magnitude 8 recorded in the Antarctic Plate since IGY of 1957 and the first earthquake felt in Antarctica except for volcanic earthquakes.
著者
白石 和行 成瀬 廉二 楠 宏
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.49-60, 1976-03

1969年12月,9箇の石質隕石がやまと山脈の南東端付近で発見された(Yamato (a)からYamato (I)と命名).引き続き12箇の石質隕石が1973年12月,第14次南極観測隊の旅行隊によってほぼ同地域で発見された.12箇中,大型のもの4箇(重量500〜900 g)はYamato (j), (k), (l), (m)と命名され,Yamato (l)はachondrite,他はchondriteである;残りの8箇(4〜40 g)はYamato (n)からYamato (u)と命名された.採集現場での産状写真を示すとともに,地形や氷状についても述べた.将来,さらに発見される可能性があり,やまと山脈南端の限られた裸氷域に隕石が集中している原因や機構の解明のため,将来室内研究と現場での研究の必要なことを述べた.
著者
岩田 修二 白石 和行 海老名 頼利 松岡 憲知 豊島 剛志 大和田 正明 長谷川 裕彦 Decleir Hugo Pattyn Frank
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.355-401, 1991-11

第32次南極地域観測隊(JARE-32)夏隊のセールロンダーネ山地地学調査隊は, 1990年12月24日あすか観測拠点を出発し, 1991年2月7日に再び「あすか」に帰り着くまでセールロンダーネ山地中央部で, 地形・地質・雪氷調査を行い測地作業も実施した。雪上車とスノーモービルを利用してキャンプを移動しながら調査するという従来と同じ行動様式をとったため, 設営面でもおおかたはこれまでの方式と同じである。地学調査は, 地形では, 野外実験地の撤収, 岩石の風化の調査, モレーン・ティルのマッピング, 地質では, 構成岩石の形成順序の解明, 構造地質学的・構造岩石学的そして地球化学的研究のためのサンプリング, 測地では, 重力測量, 地磁気測量, GPSによる基準点測量が行われた。ベルギーからの交換科学者は氷河流動・氷厚などを測定した。
著者
岩田 修二 白石 和行 海老名 頼利 松岡 憲知 豊島 剛志 大和田 正明 長谷川 裕彦 Decleir Hugo Pattyn Shuji Iwata Kazuyuki Shiraishi Yoritoshi Ebina Norikazu Matsuoka Tsuyoshi Toyoshima Masaaki Owada Hirohiko Hasegawa Hugo Decleir Frank Pattyn
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.355-401, 1991-11

第32次南極地域観測隊(JARE-32)夏隊のセールロンダーネ山地地学調査隊は, 1990年12月24日あすか観測拠点を出発し, 1991年2月7日に再び「あすか」に帰り着くまでセールロンダーネ山地中央部で, 地形・地質・雪氷調査を行い測地作業も実施した。雪上車とスノーモービルを利用してキャンプを移動しながら調査するという従来と同じ行動様式をとったため, 設営面でもおおかたはこれまでの方式と同じである。地学調査は, 地形では, 野外実験地の撤収, 岩石の風化の調査, モレーン・ティルのマッピング, 地質では, 構成岩石の形成順序の解明, 構造地質学的・構造岩石学的そして地球化学的研究のためのサンプリング, 測地では, 重力測量, 地磁気測量, GPSによる基準点測量が行われた。ベルギーからの交換科学者は氷河流動・氷厚などを測定した。The Sor Rondane field party as part of the summer party of the 32nd Japanese Antarctic Research Expedition (JARE-32) carried out geomorphological, geological, geodetic, and glaciological fieldworks in the central area of the Sor Rondane Mountains for 45 days from December 24,1990 to February 7,1991. The field trip was conducted by two parties, consisting of 9 persons, traveling from mountains to mountains to shift tented camps using 4 snow vehicles towing their equipments on sledges behind. Nine snowmobiles (motor toboggans) were used for their field researches on glaciers. Geomorphologists carried out measurements in the periglacial field experimental sites, observations of rock weathering, and mapping of chronological sequence of tills and moraines. Geologists studied chronological sequence of rock formation and collected rock specimens for structural, petrological, and chemical analyses. A surveyor set up geodetic control stations using GPS satellite positioning system and made gravity surveys on glaciers as well as at some control stations. Two Belgian glaciologists took part in the fieldwork as exchange scientists and studied dynamics of glacier movement and ice thickness.