著者
白水 浩信
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.126, pp.139-154, 2016-06-30

近年の研究の進展により,‘education’を「引き出すこと」とする教育学神話から離れて,語の本来の歴史が解明されつつある。‘education’とはラテン語 educere(引き出す)ではなく,人間,動物,植物にまで用いられた educare(養い育てる)に由来する。本研究は educare の用例を古典ラテン語文献に求め,用いられた文脈,語義を明らかにすることを目ざすものである。 本稿では,ラテン語文法書における educare の語釈に焦点を絞って検討する。ノニウス・マルケッルス『学説集』とエウテュケスの『動詞論』を取りあげる。これらは中世においてラテン語文法の教科書として利用され,重要な史料である。両者ともに,educare を nutrire(栄養を与える)として理解している点は特筆すべきである。また,古代末の文法学者がeducareを educere と区別していた点は強調されてよい。
著者
菊池 浩光
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.117, pp.83-111, 2012-12-26

人が衝撃的な出来事に遭遇すると心的外傷を生じることがある。心的外傷は,被害者と社会との間に理解が困難な裂け目をつくり出す。1980 年に心的外傷の特徴的な症候群がPTSD と診断されるようになり,心的外傷被害者の認知や救済に大きな役割を果たしてきた。しかし,被害者は医学的な症状だけに苦しんでいるのではなく,社会から正当に理解されず,孤独に追いやられて重い気持ちでひっそりと生きなくてはならないという生きづらさにも苦しんできたのである。 心的外傷が社会に正しく認知されないのは,外傷の伝達の困難性に由来している。それは,伝える側に「語ることの抵抗や困難」があるだけではなく,伝えられる側にも「聴くことの抵抗や困難」といった問題がある。双方の伝達困難な理由を明らかにして,改めて被害者の苦悩を考えたときに,外傷がもたらす「過去の自分との離断」と「社会との離断」という二つの離断が生きづらさの根底にあると考えられる。
著者
上山 浩次郎
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.195-209, 2021-06-25

本稿では,教育機会の不平等における地域と社会階層の関連構造を検討した。地域による教育機会の不平等に関する研究は,これまでコンスタントに行われてきた。ただし,地域的要因が社会階層などの他要因に還元できると解釈されうることから,地域を属性的な要因として位置づけることには批判も存在してきた。そこで,本稿では,進路選択に対して,地域変数と社会階層的変数が,どのように関連しているのかを計量的に把握することを試みた。分析の結果,たしかに,進学行動に対して,地域変数は社会階層的変数を通して格差を生成していた。だが,社会階層的変数に還元できない形でも地域変数は格差を生成していた。さらに,両者を比べると,社会階層的変数を媒介しない形の方が,格差を生成する度合いが大きい。ここからは,地域的要因は,社会階層的要因とは相対的に独自に教育機会の不平等という現実を生成していることがあらためて示唆される。
著者
侯 月江 太田 正義 加藤 弘通
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.134, pp.1-15, 2019-06-27

不登校児童生徒の割合は,とりわけ中学校1年生と中学校2年生において顕著に増加する。本研究はこの問題を受けて,学年移行期における欠席行動の説明要因を明らかにすることを主たる目的とする。具体的には,学校適応状態の指標である学校享受感を移行前後で測定し,そのレベルと変化が移行後の欠席行動と関連するのかを,短期縦断調査によって検討した。1年生に進級した484名,2年生に進級した543名を対象に調査を行った結果,(1)1年生,2年生への移行前後において,学校享受感のレベルと変化には個人差があることが示された。(2)学年移行後の欠席日数はゼロ過剰ポアソン分布に従う可能性が示された。(3)欠席行動の有無には,学校享受感のレベルと変化の両方が影響していることが確認された。これらの結果を受けて,学年移行期における不登校の予防に向けて,学校享受感の視点から支援方策について考察した。
著者
河口 明人
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.112, pp.1-26, 2011-06-30

要旨】文化は「遊び」の中から発生し,日常を超えた「遊び」は自由な創造性の根源であり,文明の駆動力である。ギリシャ社会が獲得した宗教的生活の核心的象徴である祭典は,互いに死力を尽くす戦闘状態にあったポリス間の一切の戦闘を禁止するという驚くべき秩序を保って継続された。それは,宣戦布告もない不断の戦闘状態に晒される精神的緊張と抑圧からの解放であるとともに,アゴン(競争)によって,常に他者を凌駕しようと意欲したギリシャ人の善と美を創造する身体への憧憬の源泉でもあった。祭典がテストしたのは,人間の境界を越え行く精神と身体が一体化したアレテー(卓越性)である。ポリスの命運に自由な生存を託し,最善を尽くさんとする不滅の行動原理を堅持したギリシャ人は,感性に支えられた生存の意思(生き甲斐)によって生命を意義づけた歴史的民族であった。
著者
宗野 文俊 佐藤 亮平
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.120, pp.137-158, 2014-06-30

本稿では,戦後の学習指導要領における「ゴール型」ゲームの戦術的内容を示すと考えられる「集団的技能」に着目し,戦術的課題の取り扱いの変遷について検討した。その結果,ボールゲーム指導では一貫して「ゲーム」の質を向上させることが目指されてきており,その中で「集団的技能」は,ボール操作や身体操作の技能である「個人的技能」と「ゲーム」を結びつける媒介項として位置づけられ,この「集団的技能」の位置づけが現行学習指導要領における「ボールを持たないときの動き」として踏襲されていることが明らかになった。そして,戦術的要素である「集団的技能」を容易で単純なものから複雑で難解なものへと線形的に積み上げて全体の「ゲーム」に発展させるように企図されてきたものであるため,「ゲーム」そのものの変容をとらえる観点を見出す必要性があることが示唆された。
著者
佐藤 公治
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.113, pp.109-147, 2011-08-22

【要旨】本論では,表現行為,特に芸術的表現行為を人間精神の問題として位置づけることの課題とその可能性について論じる。具体的にはヴィゴツキーが『芸術心理学』と「俳優の創造 の心理学的問題について」で展開している芸術創造論,バフチンの「言語芸術作品における内容,素材,形式の問題」を中心とした言語芸術論についての理論的検討を通して,これらが芸 術的表現行為と芸術的創造の問題にどのような理論的貢献が可能であるかを検討する。さらに,表現行為を巡る問題として西田幾多郎と木村素衛の表現行為論が持っている今日的意義について理論的検討を行う。
著者
渡邊 誠
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.118, pp.225-234, 2013-06-30

心理臨床家が事例研究から得ているものを明らかすることを試みた。臨床心理学的面接は対人的相互作用の一種であり,通常認識されている以上に幅の広いものと考えられる。そこでは非言語的なものの占める比重が高く,また意識化,言語化の困難な側面が存在する。心理臨床家は関与的観察を行い,被援助者の利益が最大になることを目指す。事例研究の多くが,この複雑な過程の全体を扱おうとする。事例研究に関する先行研究は,主に研究法としての側面に焦点を当て,事例研究により何らかの一般性を抽出することを重視するものが多い。しかし,心理臨床家の実感からすると,事例研究の意義はそれにとどまらない。先行研究は,他の事例へのアプローチに通じる知見の獲得,事例としての質を高める契機などの面を指摘する。筆者はそれに加えて,個人の「絶対性」および実存的側面の実感的理解,そして臨床的姿勢や技法の口伝的伝達機能を仮説として提示し,検討した。
著者
宮内 洋 松宮 朝 新藤 慶 石岡 丈昇 打越 正行
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.122, pp.49-91, 2015-06-29

本稿は,貧困調査のクリティークの第2 弾として,西田芳正『排除する社会・排除に抗する学校』(大阪大学出版会,2012 年)を対象に,貧困調査・研究が陥りがちな諸課題を指摘した論考である。当該書は,1990 年代から西田が取り組んできた調査研究の知見を,貧困層の社会的排除という形でまとめ直したものである。当該書では,関西圏の「文化住宅街」や「下町」を中心的な対象とし,これらの地域に暮らす「貧困・生活不安定層」の生活や教育の実態・意識が明らかにされている。この研究に対し,「〈生活―文脈〉理解研究会」のメンバーが,理論的なレベル,方法的なレベル,そして若者,学校,地域という具体的なテーマのそれぞれの視点から批判的な検討を行った。これらの検討から浮かび上がったのは,当該書における〈文脈〉の捨象と,そのことが分析にもたらす問題である。本稿を通じて,貧困調査に求められる〈文脈〉のふまえ方が示された。
著者
藤川 奈月
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.359-374, 2021-06-25

本論文は,「生きづらさ」という言葉の系譜を「専門領域」に留めずに辿ることを試みたものである。まず,これまで「生きづらさ」という言葉がいかなる文脈でどれほど用いられてきたかを新聞記事で概観したところ,この言葉に関する三つの仮説を得られた。そして,これらの仮説を掘り下げるため,若者に関する記事に焦点を絞り,言説の展開をより詳しく検討した。その結果,次のことが明らかになった。①「生きづらさ」という言葉は「問題」との関連からのみで読み解かれうるものではないこと。②「生きづらさ」を「問題」とみなすかどうか,「問題」とみなすならばそれをいかなる「問題」とみなすか,それをいかなるアプローチで〈どうにかし〉ようとするのか,といったことは,単一的に捉えられないということ。③「生きづらさ」という言葉にとって2007年~2009年が転換期だったこと。これらのことは我々に「生きづらさ」を問題視すること自体を問い直すよう促す。
著者
ゲーマン ジェフ
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.127, pp.77-90, 2016-12-20

This paper sets out to describe the author’s educational undertakings as an Associate Professor serving in the School of Education and teaching content-based classes in English for general education programs for undergraduates at Hokkaido University, a tertiary institution located in the very center of Ainu country. While purportedly to do with the author’s teaching at Hokkaido University, the mainstay of the article actually deals with the characteristics of tertiary education for Indigenous peoples, as summarized by Barnhardt (1992), and as experienced by the author during his Master’s Degree coursework at the University of Alaska, Fairbanks, in 2004~2005. In short, tertiary education for Indigenous peoples tends to blur the boundaries between university and community by imbuing university education with traditional Indigenous knowledge and traditional Indigenous teaching practices, especially in the form of whole-person education under the tutelage of Elders, and through extensive community-based learning. It tends to be committed to the needs of the community, and can often center around community-participatory research approaches. Indigenous education at the tertiary level also often tends to seek to create a congenial environment for Indigenous students leaving the comfort of their families and communities for the first time. The author has striven to replicate such conditions amongst the students under his tutelage by inviting numerous Ainu guest teachers to speak at the university, by providing as many opportunities as possible for his graduate students to engage in fieldwork by attending local Ainu community events, and by providing a role model of himself doing service to the Ainu community. On the intercultural education front, he disseminates information as much as possible about public Ainu events to mainstream students, as well as by teaching students about the unique rights of Indigenous peoples as victims of processes of colonization and assimilation. The precarious state of current Ainu policy and possibilities for change via citizen activism are also touched upon.
著者
村澤 和多里
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
no.132, pp.75-97, 2018

本稿では,1990年代後半から心理-社会的な問題として注目されるようになった「ひきこもり」という現象について,心理学的側面と社会学的側面のそれぞれを概観し,それらを総合的に理解する枠組みを提示することを目的とした。 心理学的側面については,自己愛パーソナリティやシゾイドパーソナリティとの関連が指摘されてきたが,近年では発達障害との関係も注目されている。これらに共通する特徴は,「自己の脆弱性」と「過度の自己コントロール」である。また,この現象の社会学的側面としては,日本における思春期の親密性の質的変化,巧妙な社会的排除のメカニズム,就労構造の変化などが挙げられる。 本稿では,Young, J.(1999)の「排除型社会」の理論を参考に,心理学的側面と社会学的側面を包括的に理解する枠組みを提示した。The phenomenon known as"hikikomori"began to garner attention as a psycho-social issue starting in the late 1990s. The objective of this paper was to outline the respective psychological and sociological aspects of"hikikomori", and to present a framework for comprehensively understanding those aspects. On the psychological side, connections have been made with narcissistic and schizoid personalities, but in recent years, a relationship with developmental disorders has also been gathering attention. The characteristics that they have in common are"vulnerability of the self"and"excessive self-control."As for the sociological side, in Japan, the following things bear mentioning: qualitative changes in intimacy during puberty, progressive social exclusion mechanisms, and changes in the employment structure. Finally, with reference to J. Young's(1999)"exclusive society"theory, I presented a framework to understand the psychological and sociological aspects comprehensively.
著者
木谷 岐子
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.122, pp.1-25, 2015-06-29

本研究は,ASD の人がいかなる「自分」を抱えてきたのか,当事者の語りからその様相に迫ることが目的である。成人後にASD と診断された10 名に半構造化インタビューを行い,診断前から現在にかけての「自分」について聞いた。M-GTA を用いて分析した。その結果,ASD の人の「自分」を尋ね出すプロセスは,「おぼろげな自分」を抱えつつなんとか他者と関わって生きようとする中で動き出していた。さらに,「身体の訴えをきき流す」ことで「苦悶のサイクル」を巡り,「身体の訴えをきき入れる」ことで「調整のサイクル」へと転じ,「人の中で生きられる自分の形を探す」試みへと導かれていた。しかし,「人の中で生きよう」とするゆえに,再び「“できなさ”の中に自分を垣間見る」こととなり,「苦悶のサイクル」に戻っていってしまうこともある。こうした行きつ戻りつの巡りの中で,「自分」を尋ね出すプロセスは続いていた。
著者
日置 真世
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.107-124, 2009-06-22

地域社会における子どもたちを取り巻く環境は厳しさを増している。地域社会のつながりが希薄となり,家族のあり方が多様化し,子どもたちを育む機能が脆弱になっている。脆弱な養育環境におかれた子どもは学校などの集団においても孤立し,排除されるリスクを負う。そのリスクを放置することは,社会的なハンディを持つ子どもたちへの社会による排除であり,地域社会のあらゆる構成員が総力を挙げて対策を講じる責任があると考える。本論文は多くの厳しい現状を抱えている地域である釧路市において2008年1月から実施されている生活保護世帯等の中学3年生への学習支援実践についてのレポートである。孤立・排除のリスクを抱える子どもたちへの支援をきっかけに集まったすべての参画者たちが協同的な「場づくり実践」を通して生活主体となるプロセスを辿ることで,子どもたちを育む地域づくりのための対策の必要性と可能性を探る。
著者
山本 武志 河口 明人
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.126, pp.1-18, 2016-06-30

医師,看護師,理学療法士の3職種の13のプロダクト(文書・声明文・綱領等)の内容を精査し,90のコード,21のカテゴリ,7領域,3分野で構成された「医療プロフェッショナリズム概念」を構築した。次に,1990年以降のプロフェッショナリズム概念の変遷を検討した。「科学的根拠に基づく医療・ケア」,「専門職連携・協働におけるコンフリクト・マネジメント」,「ハンド・オーバー」,「安全文化の普及・推進」,「マス・メディアの利用と情報提供のあり方」などの新しい概念の登場によるプロフェッショナリズム概念の拡大がみられた。また,患者の意思決定への参加から,患者の自律性を尊重するなど,プロフェッショナリズム概念の質の変化が認められた。概念の変化に応じた卒前・卒後の教育・学習の転換が求められるが,専門職連携教育をプロフェッショナリズムを涵養する1つの方略として提示した。
著者
日高 茂暢
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.114, pp.101-121, 2011-12-27

【要旨】発達障害の一つである自閉症スペクトラム障害 (Autism-Spectrum Disorders: ASD) は,社会性の質的な障害を特徴の1 つとして有する。ASD における非定型的な表情認知が社会性の障害の背景として指摘されてきた。一方,実験場面において比較的良好な表情認知成績を示すASD の知見がある。そのため,ASD の非定型的な表情認知を検討するために,実験場面と日常場面における表情処理の差を考えることが重要である。日常場面で他者の情動状態を推測するとき,最適な解は表情処理だけでは得られない。場面に適切な表情の意味処理を行うために,場面情報から表情の情動的意味処理を促進する文脈的情報が抽出される必要がある。本稿では,ASD における表情認知の問題を,視覚的物体認知における大細胞系視知覚の知見をもとに,表情処理を促進させる文脈の問題として検討する。定型発達とASD における場面情報と表情認知の研究を比較し,ASD における文脈にもとづいた表情認知の問題を示した。
著者
光本 滋
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.130, pp.151-162, 2018-03-30

国立大学における生涯学習部門は,理念的には大学開放と大学改革をつなげることを 使命としながら,現実には生涯学習政策を推進するものとして整備されてきた。法人化後,生涯 学習部門の多くは地域連携部門に吸収され,雇用創出や人材育成の面から大学の地域機能を高 めようとする政策の展開に伴い,役割を打ち出すことが困難になっている。このような中で,生 涯学習部門には,原点に立ち返ることにより存在意義を発揮することが期待される。国立大学 生涯学習系センター研究協議会の近年の活動にも同様の問題意識を確認することができる。生 涯学習の視点から大学組織のあり方を探究することは高等継続教育論の課題である。