著者
小出 敦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.133-156, 2007-03

この表は、歴史的字音仮名遣いによる日本漢字音と、中国中古音との対照表である。この表を一覧することにより、日本漢字音の輪郭を把握することができる。
著者
上野 継義
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.137-178, 2014-03

鳥山新一は、サイクリングの普及に尽力した先覚者の一人である。彼は、財団法人日本サイクリング協会(JCA)のリーダー養成をはじめ、おびただしい量の啓蒙書の公刊や雑誌への投稿、中学・高校向けサイクリング教本の執筆、自転車のマスプロ・メーカーや中小工房へのアドヴァイスなど、さまざまなルートを通じてサイクリングの普及に取り組んだ。彼の働きから今日のサイクリングのすべてがわき出したわけでは勿論ないが、鳥山が日本のサイクリング事情にどのような問題を発見し、それに対していかなる取り組みをしたのかを復元することは、わが国サイクリング史の一面をあぶり出すことになるであろう。本稿はまた、余暇を楽しむ中流階級(近代的消費者)の形成という視点を織り込んで自転車産業の発展を考察するための準備作業でもある。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
pp.69-118, 2012-03

古在由直(1864.1934)は、明治期の日本農学を代表する研究者のひとりである。東京帝国大学農科大学教授となり、さらに農科大学学長に就任し、その後に東京帝国大学総長に就任する。その功績には顕著なものがあり、その評価は高い。しかしながら古在が足尾銅山鉱毒事件に関わったこと、わが国の大学で初めて停年制を実施したことなどは、大学教授職としての視点から、これまで評価がなされてこなかった。 本稿は古在の事績を再評価することによって、農科大学の課題と大学教授職の役割を考察する。ごく最近に至るまでわが国では、大学教授職は研究と教育に携わることに限定されてきたが、古在による農科大学の帝国大学への移管、足尾銅山鉱毒事件の調査、農芸化学の確立、農業研究教育機関の整備、停年制の実施、関東大震災後の対応などの事績は、今後の大学教授職の役割を考えるうえで示唆に富んでいる。 古在は京都での少年時代の勉学、駒場農学校でのケルネルの教えなどによって、科学的知識の獲得というよりも、科学的態度や科学的方法を学ぶ。これが古在の科学者精神の核となり、大学教授職に就任後もこの精神が生かされる。わが国の大学は科学的知識や西欧からの知識の摂取において、制度面での葛藤を繰り返したが、それと同時に閉鎖性という特徴を強めた。さらに大学教授市場の非流動性も進んだ。この過程で教授職については、研究教育という限定された面でしか語られなくなる。 古在は農科大学の移管にあたって、他の分科大学よりも劣る点は、大学教授職の人材不足であると語る。したがって教授職としての役割は、研究教育体制の整備であり、それによる人材養成であるという。停年制の実施も、この考え方に基づいたものであった。停年制は計画的人事を可能とするので、人材養成につながる。古在は足尾銅山鉱毒問題の土壌調査や政府の会議を通じて、科学は社会とのつながりが必要であることを痛感し、さらに科学のあり方と大学のあり方は密接に関わっていることを感じる。 しかし科学は「象牙の塔」の構築に多くの労力をはらうようになり、古在が強調した社会とのつながりを急激に失っていく。これは国際社会からの隔絶をも意味した。古在は学生に対しても、その人格修養につとめるように説いているが、人格修養は閉鎖的な場では困難である。科学は本質的に閉鎖性をもつものであるので、古在はそれに対して常に警鐘を鳴らしていた。 古在によれば、科学の形成、社会問題への取り組み、研究教育体制の整備は、それぞれ無関係のものではない。科学者精神の発揮という共通点をもつ。したがって大学教授職の役割を考える場合には、単に教育と研究という側面からではなく、社会とのつながり、研究教育体制の整備という側面からも考える必要がある。1 はじめに2 近代農学の摂取3 農科大学の設立4 帝国大学との関係5 足尾銅山鉱毒事件と大学6 農芸化学への寄与7 農業研究教育機関の整備8 研究教育体制と大学総長9 停年制の実施と人材養成10 研究教育体制の変容と教授職11 震災復興と学生対応12 結びにかえてー教授職とは
著者
荒井 文雄
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.50, pp.385-407, 2017-03

東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故から数年が経過し,放射能汚染地から避難した住民は,原子力エネルギー政策の継続を掲げる政府の方針によって,被災地の復興のために,ふるさとへの帰還をうながされている。この論考では,原発事故後の帰還と復興をうながす言説を,<象徴暴力>の観点から分析する新たなアプローチを取った。<象徴暴力>とは,フランスの社会学者ピエール・ブルデューによる概念で,被支配者が自分から支配を正当化して受け入れるメカニズムの中心をなす。帰還と復興を暗示的に推奨する新聞記事の分析をとおして,これらのメディア言説が<象徴暴力>の特性を持ち,その効果を発揮していることを示した。なお,「福島第一原発事故関連報道と象徴暴力(下)」では,論考全体のうち,後半部5・6 章を分割してとりあげた。
著者
菅原 祥
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.75-96, 2021-03-31

本稿が試みるのは「SF の社会学」という新たな試みに向けた第一歩である。それは,SF 文学を一種の社会学的テクストとして(あるいは,従来の社会学が苦手としてきたような領域を社会学的な考察の俎上に載せるためのヒントになるようなテクストとして)読むことを提唱する。この目的のために,本稿はアーシュラ・K・ル・グィン(ル=グウィン)の『所有せざる人々』(1974)を「時間の社会学」の観点から詳細に読解し,この作品が社会学における時間に関する議論にどのような新たな視点を付け加えることができるかを検討することで,SF が社会学にどのような貢献をなしうるかを考察する。考察の結果,SF 文学には「時間の社会学」に対して以下のような有効性があることが示唆された。第一に,「異化の文学」としてのSF 文学は,その最良の場合において「他なる時間のあり方」への想像力を喚起する。そこにおいてSF 文学は,物理学や生物学の知見を取り入れることによって「社会的時間」という社会学用語が含意する人間中心主義の独善を免れることが可能なのであり,それによってさまざまな存在レベルの時間を相互に横断し結びつけるような社会理論へと思考を媒介していくことが可能である。第二に,SF 文学は,このような「他なる時間のあり方」をさらに「人間的時間」へと再び差し戻し,翻訳しなおすことによって,人間と「未来」との関わりの有り得べき可能性の探求を可能にしている。そこにおいては現実に対するユートピア的な改変可能性の力を有する「未来」のあり方が示唆される。ここに,「未来」通じて現在を批判的に考察する文学としてのSF 文学の強みがある。
著者
鬼塚 哲郎 中西 勝彦
出版者
京都産業大学
雑誌
高等教育フォーラム (ISSN:21862907)
巻号頁・発行日
no.4, pp.29-35, 2014

本研究では、低単位・低意欲層に向けて開講されているキャリア形成支援教育科目「キャリア・Re-デザインⅠ」に登録した受講生が、授業期間中にどのような変化を被り、どのような学びを獲得したのかを分析し、検証する。本科目は2005年の開講以来、自己理解と社会への目線づくりを統合するキャリア教育プログラムとして、グループワークを中心とし、元受講生が学生ファシリテータとしてかかわる独自の授業運営により、徹底した参加型授業を行ってきた。分析にあたっては、受講生が授業期間中に被った変化についてライフストーリーを記述したもののうち、研究目的の利用を許可したものに限って分析を行った。その結果、多くの受講生が対話を通じて他者との親和的な関係を構築し、そのことを契機に変化を促され、閉塞的な価値観および人間関係を相対化する視点を獲得したことが明らかになった。また、授業の立案・運営にあたっては、成果の産出をどうデザインするかという視点とともに、プロセスを意識しつつ授業をデザインすることが重要であるとの示唆を得た。
著者
今井 洋子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.34, pp.74-90, 2006-03

漱石とコルタサルの作品の比較を始めたきっかけとなった『草枕』『石蹴り遊び』の中に見られる"オフェリアコンプレックス""女性読者蔑視"を出発点として,これら作品の女性像についてフェミニズムの視点から分析する。 本論では『草枕』の那美さん,『石蹴り遊び』のラ・マガに代表される宿命の女たちはなぜ殺されたかを考察した。二人はこれまで男を惹きつけてやまない宿命の女として解釈されてきたが,近年フェミニズム批評によって,オフェリアコンプレックスの分析とともに,男の側の女性嫌悪が暴かれてきた。那美さんもラ・マガもその魔性によって抹消されたのではない。自我を持とうとしたゆえに男の共同体からの排除されねばならなかった。これが,彼女たちが殺された理由の一つである。漱石とコルタサルが生きた時代と場所と文化のコンテクストを考慮すれば,性の描写の違いは当然のことである。しかし,アジアとラテンアメリカからヨーロッパにやってきた知識人の疎外という意味では時代を超えた相似形を示す。つまり,漱石が産業革命後のロンドンに行き,その機械文明に疑問を抱いたように,ポストコロニアルのラテンアメリカからパリに行ったコルタサルは,西欧の論理に疑問を抱くのである。那美さんも,ラ・マガも,西欧の文明に対する"自然"を象徴する。しかし,その自然は西欧文明に"あさはかに"かぶれてしまっていた。これが彼女たちが殺されなければならなったもうひとつの理由である。
著者
三好 準之助
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.21-50, 2014-03

1.「はい」とsí の辞書的なデータ 1.1.現代語のデータ:単一語辞書の場合 1.2.現代語のデータ:二言語辞書の場合 1.3.それらの語源的データ2.「はい」関連の研究について 2.1.相づちに関する研究 2.2.「はい」の用法 2.3.相づちの国際比較 2.4.日本語の否定疑問文への応答について3.sí の用法について 3.1.辞書的な情報 3.2.規範文法でのsí の使い方 3.3.語用論から見たsí の使い方4.対応と結論 4.1.「はい」の用法とsí との対応 4.2.sí の用法と「はい」との対応 4.3.結論注参考文献
著者
バアスティアン ソフィー 長谷川 晶子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.53, pp.3-13, 2020-03

本稿はアンドレ・ブルトンとアルベール・カミュという20 世紀フランス文学を代表する重要な作家の関わりを分析するものである。40 年代に彼らは政治的な感覚と倫理的な要請を共有していた。また全体主義と死刑への反対の立場でも協力し,世界市民という国際主義的な運動に賛同していた。カミュが有名なエッセイ『反抗的人間』を1951 年に出版すると,センセーショナルな論争が始まる。しかし絶対自由主義という大義のために,彼らは再び声を合わせるようになる。カミュが亡くなるまで彼らは50 年代を通して協力した。本稿は良心という見逃されがちなふたりの共通点から彼らの関わりを明らかにしている。
著者
若井 勲夫
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.172-147, 2008-03

唱歌・童謡・わらべ歌など、広く童歌、子ども歌と称せられる歌謡は、長年にわたって歌い継がれ、親しまれてきているのに、それらの歌詞の内容や言葉の意味についてはそれほど注意されずに過ぎてきた。その要因の一つはこれらは幼少の子が歌うものであって、本格的な研究対象にし難く、一部の音楽に関心のある者が総括的に取上げて一般書として公刊される程度であった。最近は、興味本位の、根拠のない思いつきの論も世に出ている。そこで、本稿では今までいろいろな解釈が提示され、なお決着がつかず、諸説のある童謡・わらべ歌について、国文学だけでなく、国語学の研究に基づいて、歌詞の言葉や表現を精しく分析し、考証し、言語主体の言語意識や表現意識を考究し、作品全体の構想や主題を明らかにして、その歌の意味づけを定めようとした。 本稿では四編を取上げ、まず「赤蜻蛉」は「負はれて見た」「小籠に摘んだ」と「お里のたより」の照応に着眼して、表面的には姐やを歌うが根底に母への思いがあることを一部の説を評価した上で論じ、その上に、最後の連を故郷の原風景として捉え直した。「七つの子」の「七つ」は七羽という数を示すのではなく、七歳という年齢を表すことを、国語学、国文学、民俗学などの面から究明し、ここに日本人の根本的な意識・感情があることを論じた。「雪」はわらべ歌の「雪やこんこん」を取り入れたもので、この「こんこん」は「来む来む」であるという説を多くの用例を挙げて補強し、併せて、命令表現の意味をも考えた。「背くらべ」は「羽織の紐のたけ」は長さではなく、高さであることを語源、原義から明らかにし、「何のこと」「やっと」に込めた言語主体の表現意識を探った上で、第二連との対応も考え合せ、新しい説を提起した。なお、次号(下)では「かごめかごめ」と「通りゃんせ」について論究する。
著者
池田 昌広
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.47, pp.73-86, 2014-03

大宝令の注釈書である「古記」の佚文都合3条に『漢書』顔師古注の引用を見出せる。「古記」が引用している種々の漢籍は,ほとんど原本系『玉篇』や類書など第2次編纂物からの孫引きだが,くだんの師古注文はそうではなく,『漢書』顔師古本から直接引用されたものと考えられる。また,その引用にあたって吉備真備の教導のあった蓋然性がたかい。この考察結果は,つぎの2つの問題の究明に資する。1つは「古記」の撰者問題。「古記」の撰者については,大和長岡説と秦大麻呂説とが並立しているけれど,真備の教導をうけうる人物であることから長岡説が有利になった。長岡と真備とは,769年に長岡が死去するまで,半世紀にわたり親しい友人関係にあった。最新の『漢書』学を学習し帰朝した真備から知的供与をうけやすい立場に,長岡はいた。もう1つは『日本書紀』の書名問題。「古記」は「日本書紀」の称謂の史料初出である。わたしは,この喚名の由来を真備から「古記」撰者への「正史」観念の伝学にもとめる私案を述べたことがある。真備から「古記」撰者への知的供与が一定の実証性をもっていえることは,私案の蓋然性をたかめる。くだんの知的供与が,ただ師古注にかぎられたとは考えにくく,そのうちに「正史」観念のふくまれていた可能性が十分みとめられるからである。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.101-136, 2014-03

賀川豊彦(1888-1960、以下は賀川)は大正期から戦後にかけて活動したキリスト教徒(プロテスタント)の社会運動家である。賀川は、一般的に「友愛」に基づく協同組合主義の提唱者であるとされる。その独創性は、キリスト教の信仰から経済のあり方を再構想した点にある。賀川の組合主義はマルクス主義から批判され続けるが、それに対して友愛主義的な組合論を説き続けた。 賀川はさまざまな組合(労働組合、農民組合、消費組合)の創設に関わった。賀川は独自の経済学を構築したとは言い難いが、独自の経済哲学を論じた。この業績に対する国際的な評価は高いが、国内の評価は低い。しかしわが国において、賀川に関する先行研究は数多くある。なかでもキリスト教という宗教の側面から、組合思想や組合運動史という組合という側面から、そして賀川の社会改良主義的な側面から、数多く取り上げられている。 しかし賀川による組合運動の組織原理は明らかとなっていない。賀川の思想と発想が、時代の潮流から取り残されたとすれば、その組織原理は時代に適合的ではなかったのであろうか。本稿では賀川の思想や発想、そして組合運動は、その実践活動とキリスト教に由来する「自助と共助」にあったことを明らかにした。そして個人と国家の中間に位置する組織のひとつである「組合」において、この自助と共助を発揮し、理想とする社会(世界連邦論にまで拡大する)を形成しようとしたことを明らかにした。賀川の理想は実現に至っていないが、巨大化し複雑化した現代社会において、中間に位置する組織の原理を示唆する賀川の思想は、再考する価値がある。
著者
濱地 賢太郎
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 自然科学系列 (ISSN:13483323)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.49-68, 2009-03

Diracによって与えられた,特異ラグランジアンから導かれるオイラー・ラグランジュ方程式に対応するハミルトン形式を構成する処方の問題点を幾つか挙げ,その解決策としてその構成法の改良を与えた.またここで与える手法によって,これまでオイラー・ラグランジュ方程式とハミルトン形式の同値性に関する問題を,明快な形で論じることができるようになり,特に,オイラー・ラグランジュ方程式の解を再現するハミルトン系の構成法を与えた.
著者
ポンサピタックサンティ ピヤ
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.3-19, 2018-03

本研究の目的は,現代タイ社会における若者の精霊信仰にメディアが及ぼす影響を明らかにすることである。筆者は,2016 年9 月に,タイの若者の精霊信仰に対する考えかたを調査するために,タイ・バンコクの大学生を対象にアンケート調査をおこなった。 本論文は,この調査の結果および2015 年の調査を元に,タイの若者の信仰と,それに対するメディアの影響に焦点をあてて考察する。本論文は,その調査の中で特に,マスメディアと精霊信仰の役割についての質問項目をとりあげ分析考察をめざすものである。また,2015 年の調査と比較し,その意識変化を探りたい。調査の結果,タイの若者の多くは,テレビドラマやテレビ番組,映画から精霊に関するイメージや情報を得ていることが明らかになった。そして,若者がイメージする男性精霊は特定のものに集中しているが,イメージされる女性精霊は多様であることがわかる。さらに,現代タイ社会において女性の精霊は男性の精霊より怖いイメージで,男性の精霊は女性の精霊よりも優しいイメージで捉えられている。なお,2015 年と翌年の調査結果を比較した結果,ほとんど違いは見られないが,特定の精霊はテレビなどのメディアに出演することによって,より一層イメージされやすくなる傾向にあることが明らかになった。このような研究結果により,タイの若者は,テレビや映画などのメディアに表象される精霊イメージの影響を受けていると考えられる。
著者
池田 昌広
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.46, pp.29-47, 2013-03

班固『漢書』は成書以来,複数のテキストが行われてきた。初唐に顔師古による校注本があらわれ,これが普及するにつれ標準本となった。小論は唐代における師古本普及のさまを推測するため,盛唐に成った司馬貞『史記索隠』と張守節『史記正義』とが師古本を利用しているか否かを調査した。その結果,索隠では利用に否定的,正義では肯定的結論を得た。索隠がおもに依拠した『漢書』テキストは師古本以前の標準本たる東晋の蔡謨集解本であったらしい。 正義では蔡謨本利用の痕迹は見つかっていない。 果たして,旧来の蔡謨本によった索隠と,あらたな師古本によった正義と,両者の『漢書』テキストの選択は対照的といえる。これの成因は索隠と正義との成立の時間差と思われる。正義は開元24年(736)の成立,索隠はそれより一世代分ほど早く成ったようだ。この間隔に師古本の普及が一定程度すすみ,正義の師古本利用を可能にしたと推量される。このことから師古本は成立後,急速に普及したのではなく漸次的に普及し,盛唐のころ蔡謨本から師古本へ 『漢書』の標準本の交替がおこったと考えられる。