著者
小田 秀典 藤井 宏 秋山 英三
出版者
京都産業大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2006

研究計画に従って、ATR脳イメージングセンターで不確実性下での意思決定(100パーセントで4000円受けとる選択肢と50パーセントで8000円受けとる選択肢のいずれを選ぶかなど)の脳活動計測実験を実施した。さらに当初の計画にはなかった時間選好の意思決定(今日5000円受けとる選択肢と1週間後に6000円受けとる選択肢のいずれを選ぶかなど)の実験を不確実性下での意思決定と比較可能なかたちで実施した。これは標準理論に対して同様のアノマリー(90パーセントと80パーセントは程度の差だが100パーセントは特別に重視される、明日と明後日は程度の差だが今日は特別に重視される)が観察されている2つを比較することで、不確実性下での意思決定の特徴をはっきりさせるためである。現時点での暫定的結論は、将来の報酬を選択するとき、被験者は(現在の自分から将来の自分への)セルフ・プロジェクションと理解される脳領域をいっそう活発化させ、不確実性な報酬を選択するとき、被験者は計算と評価と理解される脳領域を活発化させるというものである。さらに実験が必要であるが、時間選好と不確実性下の意思決定が異なる脳活動に基づくこと、および時間選好がセルフ・プロジェクションと関係することは脳科学にとっても経済学にとっても示唆するところが大きい。経済理論の観点からは、とくに一貫する個人の意思決定ではなく、現在の自分と将来の自分とのゲームとして時間選好を理論化することに現実性のあることを示唆する。以上の(2008年3月の学会ではじめて報告された)本研究の主要な成果に加え、脳科学の基礎的理論とゲーム的状況(他人の意思決定を推測しなければいけないとき)の脳活動についての研究を実施して発表した。
著者
山田 修司 中西 康剛
出版者
京都産業大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2001

結び目理論においては、近年、量子不変量と呼ばれる一連の不変量が発見され、精力的に研究されている。また、結び目理論は、低次元幾何学特有の複雑な現象が見られる分野でもある。当研究では、その複雑な現象と不変量とを暗号理論に結びつけて、新しい公開鍵暗号システムを構築することにあった。公開鍵暗号システムを構築するには、逆関数は存在しているが、その計算は非常に困難であるような、落とし戸関数と呼ばれる関数が必要となる。当研究においては、その関数を結び目の複雑性に求めた。研究成果として、研究代表者は、結び目ダイアグラムおよび組み紐群を用いた、新しい暗号システムの素案を考え出した。結び目ダイアグラムを用いたものは、ダイアグラムを表すコード列である、P-dataと呼ばれるものを暗号化のためのデータとして用いるものである。平文のデータを用いてP-dataを作り、それに適当な交点情報を付け加えてできる結び目ダイアグラムをライデマイスター変形を行うことにより、暗号化を行う。また、組み紐群を用いた暗号システムには、韓国の研究者グループが先鞭を打っているが、当研究においては、彼らの実績をふまえつつ、暗号化手続きにさらに複雑な手順を施し、暗号の保守性を高めたものを考案した。しかしながら、どちらの暗号システムにおいても、暗号化のための効果的なアルゴリズムの存在と、暗号の保守性とを両立させるものを構築するには、至らなかった。
著者
井尻 香代子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.47, pp.87-102, 2014-03

本稿では,二つの視点から日本の俳句および海外のハイクが広範な普及を実現した原因を探る。第一に,その詩型の短さが意味するものに着目する。俳句は西欧近代文学の影響下に誕生したが,究極の短詩形であることによって,俳諧連歌の発句としての特徴を維持した。それは,創作方法における共同体的な集団性であり,これによって俳句は近代文学における個人主義の価値観を変革するジャンルとなったのである。第二に,日本の俳句の成立と世界への伝播の過程を環境史とエコクリティシズムの視点から検討する。日本の伝統詩歌はその発展のプロセスにおいて,日本列島という限られた領土における自然と人の関わりの破綻に幾度か直面した。そのたびに自然観および言語を更新し,連歌,俳諧連歌,俳句という新しいジャンルを生み出したのである。俳句の形式や言語には,そうした自然観の枠組みの変遷が刻み込まれている。欧米におけるハイクの受容は環境思想やエコロジーへの関心とリンクして進展した。多言語で制作されるハイクには,各地域の生物文化の多様性を守り共生しようとする価値観が共有されている。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.269-287, 2012-03

マイクに向かって話すことを表すフランス語の表現parler dans le microにおいて,前置詞句はマイクの内部を指しているだけである。英語などの幾つかの言語では,これに対応する表現において,前置詞句がマイクの内部への経路を明示的に表している(英語:to speak into the microphone,ドイツ語:ins Mikrophon sprechen,チェコ語:hovořit do mikrofonu,ロシア語: govorit’ v mikrofon)。しかし,フランス語では,マイクの内部が経路の着点であることは,推 論による解釈の結果なのである。 parler dans le microという表現においては,移動するもの,すなわち「声」が,明示的に表現されず,動詞parler(話す)によって含意されている。この潜在的な参与項はLangackerのアクティブ・ゾーンに対応している。前置詞句は,アクティブ・ゾーンの移動経路の着点に対応する場所を表しているのである。同じ説明は,souffler dans le micro(マイクに息を吹きかける),se moucher dans un mouchoir(ハンカチで鼻をかむ),vider une bouteille dans l’évier(びんの中身を流しにあける),mordre dans une pomme(リンゴをかじる)にも適用される。これら の表現において,アクティブ・ゾーンは,それぞれ,息,鼻腔内の粘液,瓶の中身,歯である。
著者
田中 寧
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.63-82, 2010-03

本稿の主旨は大学進学の経済的メリットを内部収益率の概念を使って説明することであるが、従来の内部収益率の定義にいくつかのバリエーションを加えた分析を試みた。費用については学費以外でも生活費や家庭の負担なども考慮し、賃金については産業別の賃金を使って、様々な内部収益率を算出した。 その結果、現在の日本では、(1)まだ大学進学に経済的メリットはあるが、(2)家庭の負担は大きくメリットをかなり下げる、(3)国立・私立大、自宅・下宿などの違いがメリットの大小に大きく影響を与える、(4)産業間格差がかなり大きく、就職先産業が大学進学のメリットを決めてしまう、(5)教育機会の平等化とそれに伴う社会の平等化が不十分である、(6)グローバル化される国際社会において日本の高等教育市場や労働市場の競争力の低さが懸念される、などの点が指摘された。 このことから本稿は、(1)教育ローンの充実化、(2)授業料の再検討、(3)産業別賃金プロファイル格差の再検討、などを提案する。
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.23, pp.99-125, 2006-03

拙稿は1970年に締結され、オーデル・西ナイセの境界を戦後はじめて正式な国境として承認したポーランドと西ドイツ関係正常化基本条約、及び締結に至る経緯を扱う。この条約はポーランドにとってのみならず、ヨーロッパ全体の安定のためにも不可欠の条約であったにも拘らず、その背後には歴史的な対立が存在したため締結までに25年という歳月を要している。 冷戦期、ドイツは東西に分裂していたにもかかわらず、ポーランドとの新しい国境を認めないという点では一致していた。二つの国家に分断されたとはいえ、ポーランドに対しては共同歩調をとり得たのである。東ドイツは、社会主義国としてポーランドと同じ陣営に属していながら、その望むところは戦前の旧国境の回復であった。しかし東ドイツは1950年にソ連からの圧力によって、この国境を承認せざるをえなかった。問題は西ドイツだった。ポーランドは、西ドイツからの承認が得られない限り、自国の存立の基盤、安全の保障に支障があったのである。 敵対的な両国の関係に転機をもたらしたのは、新たに西ドイツ首相となったブラントであった。東側との和解を求めんとするブラントは1970年にワルシャワを訪問して、国境承認に関する条約に調印したが、その際ゲットーの跡の記念碑に詣で、そこにひざまずいたのである。ポーランド側にとって誠に好都合なジェスチュアであると思われたのであるが、同国はブラントのこの行為に困惑した。ひざまずいている写真を国内で報道することを一切許さなかった。 その理由は、直接にはブラント訪問の三年前、ポーランド社会主義政権が始めたユダヤ系ポーランド市民排斥の動きに抗議して学生、労働者がおこした反体制運動と関連している。ポーランドの共産党第一書記ゴムウカは、ブラントがこれらユダヤ人を支援するとの意図を持つのではないかと疑った。 また社会主義陣営内では一般国民に向けて、西ドイツとは即ち「アメリカ帝国主義の手先」であって、常に報復を企てている悪辣な国家であるとの宣伝を行っていた。ここでブラントがひざまずいた写真を公表するならば、従来の西ドイツに関する説明は、根拠が薄弱となることを認めなければならない。写真を公表しなかったのはそのためでもある。 ゴムウカは破綻しかかっている社会主義の経済、全体主義的な支配にたいする国民の不満をさらに覆い隠すためにも、真実を発表できなかったのである。しかし、発表しなかったことによっても政権は救えなかった。ブラントのこの行為は結局、社会主義専制体制の崩壊へとつながっていく。ポーランドを取り巻く列強の思惑、東ドイツとの関係に触れながら、以上の点を明らかにする。1.はじめに2.ポーランドの東西国境形成と列強3.オーデル・ナイセ境界と西ドイツ4.ゴムウカとウルブリヒトの反目5.ポーランド・西ドイツ関係正常化へ6.ブラント訪問の波紋7.まとめとして
著者
松川 克彦
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.99-125, 2006-03

拙稿は1970年に締結され、オーデル・西ナイセの境界を戦後はじめて正式な国境として承認したポーランドと西ドイツ関係正常化基本条約、及び締結に至る経緯を扱う。この条約はポーランドにとってのみならず、ヨーロッパ全体の安定のためにも不可欠の条約であったにも拘らず、その背後には歴史的な対立が存在したため締結までに25年という歳月を要している。 冷戦期、ドイツは東西に分裂していたにもかかわらず、ポーランドとの新しい国境を認めないという点では一致していた。二つの国家に分断されたとはいえ、ポーランドに対しては共同歩調をとり得たのである。東ドイツは、社会主義国としてポーランドと同じ陣営に属していながら、その望むところは戦前の旧国境の回復であった。しかし東ドイツは1950年にソ連からの圧力によって、この国境を承認せざるをえなかった。問題は西ドイツだった。ポーランドは、西ドイツからの承認が得られない限り、自国の存立の基盤、安全の保障に支障があったのである。 敵対的な両国の関係に転機をもたらしたのは、新たに西ドイツ首相となったブラントであった。東側との和解を求めんとするブラントは1970年にワルシャワを訪問して、国境承認に関する条約に調印したが、その際ゲットーの跡の記念碑に詣で、そこにひざまずいたのである。ポーランド側にとって誠に好都合なジェスチュアであると思われたのであるが、同国はブラントのこの行為に困惑した。ひざまずいている写真を国内で報道することを一切許さなかった。 その理由は、直接にはブラント訪問の三年前、ポーランド社会主義政権が始めたユダヤ系ポーランド市民排斥の動きに抗議して学生、労働者がおこした反体制運動と関連している。ポーランドの共産党第一書記ゴムウカは、ブラントがこれらユダヤ人を支援するとの意図を持つのではないかと疑った。 また社会主義陣営内では一般国民に向けて、西ドイツとは即ち「アメリカ帝国主義の手先」であって、常に報復を企てている悪辣な国家であるとの宣伝を行っていた。ここでブラントがひざまずいた写真を公表するならば、従来の西ドイツに関する説明は、根拠が薄弱となることを認めなければならない。写真を公表しなかったのはそのためでもある。 ゴムウカは破綻しかかっている社会主義の経済、全体主義的な支配にたいする国民の不満をさらに覆い隠すためにも、真実を発表できなかったのである。しかし、発表しなかったことによっても政権は救えなかった。ブラントのこの行為は結局、社会主義専制体制の崩壊へとつながっていく。ポーランドを取り巻く列強の思惑、東ドイツとの関係に触れながら、以上の点を明らかにする。
著者
菅原 祥
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.241-272, 2021-03-31

炭鉱はかつて,ポーランドにおいて最重要の産業として大きな重要性を有していた。ところが近年,ポーランドにおいては炭鉱や石炭がますますネガティブに表象されるようになりつつある。そのような中,本稿は,ポーランドの代表的な産炭地である上シロンスク地域に焦点を当て,そこにおいて社会主義時代から現在に至るまで炭鉱の経験がどのように可視化され,表象され,またいかなるまなざしを向けられてきたのかを,この地域に現存する有名な炭鉱住宅,ギショヴィエツとニキショヴィエツに着目して論じることで,そうしたローカルなコンテクストの中における炭鉱へのまなざしが,現在においてどのような意義や重要性を有しているのかについて検討する。分析の結果,ニキショヴィエツおよびギショヴィエツをめぐっては,単なる「工業施設」としての炭鉱というイメージ以外に,少なくとも以下の3 つの炭鉱をめぐるイメージが確認できた。①「自然」を破壊するものであると同時にそれ自身も「自然」とみなすことができるような,両義的かつ神秘的なトポスとしての「炭鉱」,②「文化遺産」「産業遺産」としての炭鉱,あるいは「小さな祖国」としての産炭地,③戦前から社会主義期,さらにはポスト社会主義の現在へと連綿と続く炭鉱夫の集合的経験・集合的記憶の領域を,支配的秩序に対する一種の「抵抗」の足がかりとして再発見することの可能性。このように,ポーランドにおいては「炭鉱」をめぐる上記のようなさまざまな記憶,経験,イメージ,言説が複雑に絡み合っている。本稿の分析の結果,そのような多様なイメージや記憶が交錯する場として「炭鉱」を再考することには大きな意義と可能性があるということが示唆された。
著者
塩谷 芳也
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.38, pp.63-73, 2021-03-31

本研究の課題は,日本における成人の性行動とパーソナリティの関連性を解明することである。日本全国に居住する20–59 歳の男女を対象に,2019 年9 月にWeb 調査を実施し,性交経験人数とビッグファイブによるパーソナリティ(外向性,協調性,勤勉性,神経症傾向,開放性)を測定した(N=300)。性交経験人数を従属変数,ビッグファイブを独立変数として,年齢,教育年数,個人収入をコントロールしながら男女別に重回帰分析を行った。その結果,男性では,外向性と協調性が性交経験人数に対して有意な効果を持ち,外向性が高いほど,また協調性が低いほど性交経験人数が大きくなる傾向が見られた。しかし,女性ではいずれのパーソナリティも有意な効果を示さなかった。これらの結果について,先行研究と比較しながら議論を行った。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.135-174, 2009-03

太田朝敷(1865-1938,以下は太田)は,明治・大正・昭和を通して活躍した沖縄を代表する言論人である。沖縄最初の新聞である『琉球新報』紙を創刊し,言論界で活躍した。言論活動では単に多くの新聞記事を書いたというのではなく,当時の沖縄社会に関する論説を発表し,経済社会問題を提起していた。これらの論説はまとめられて『太田朝敷選集』として刊行されているが,この著書が大部であるにもかかわらず,これまでの研究成果は数少ない。 太田の思想が注目されてこなかった理由のーつに,沖縄に特有の事象を扱っているために,日本とのつながりが見出せず,全国的な広がりをみせていないことがあげられる。本稿では太田が約8年間の在京経験をもち,そこで福沢諭吉(1834-1901)の思想から大きな影響をうけたことを前提にして,福沢の思想からの影響を明らかにし,沖縄社会において太田が自らの思想を形成した過程を考察した。 注目した点は,福沢の『文明論之概�』から大きな影響を受けていた点であり,それに基づいて太田の地域発展論が組み立てられたという点である。その中核となるのは福沢の「独立自尊」であり,太田は沖縄の独立自尊の途を模索したといえる。太田の「同化論」は現在でもよく知られているが,この同化論も沖縄の独自性あるいは主体性を前提とした主張であり,独立自尊に反することではなかった。むしろ,同化論に基づいて,沖縄の独自性を見出すための沖縄研究,産業の組織化,糖業をめぐる組合の形成などを積極的に進めるように訴えている。 太田は「沖縄県民勢力発展主義」という用語を使い,沖縄の独立自尊への途を示したが,実際には独立自尊の達成が困難であった。現実は太田の期待とは裏腹に,太田が明治期以来の沖縄は食客生活というほど,自立性を失っていく過程であった。この点で太田の地域発展論には限界があったともいえるが,太田が示した独立自尊の途は大きな示唆を与えている。
著者
山口 亮子
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

国内で親が子を連れ去った場合は、人身保護手続きや審判前の保全処分によるが、日本の子の奪取事件の手続きと効果は、ハーグ条約案件とは異なり、子を即座に元の状態に戻す制度ではない。本研究では、その違いと日本の親権法における問題点を明らかにした。次に、アメリカにおける、他方親の同意のない無断転居を制限する立法と裁判基準等を検討し、子の奪取防止と親子の交流確保に有効であることを示し、ドメスティック・バイオレンス事件の手続きと保護について調査した。これらの研究により、子の奪取問題は単なる家庭の私事ではなく、国家が対策すべき課題であり、国家の家族への一定の介入が必要であることを示した。
著者
山下 麻衣
出版者
京都産業大学
雑誌
京都マネジメント・レビュー (ISSN:13475304)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.25-38, 2015-05-15

本論文の目的は,日清戦争以降から満州事変以前において,日本赤十字社がどのような救護をおこなっていたのかを明らかにすることにある.日本赤十字社の主たる事業上の使命は,戦傷病者をケアすることであった(「戦時救護」).但し,国際赤十字社は,1920 年以降,健康管理や疾病予防のための取り組みを行なうようになった.この流れを受けて,日本赤十字社は,少年赤十字を結成し,学校看護婦および社会看護婦を養成し,林間学校を文部省と協力して行なうようになった(「平時救護」).これら事業は日本における健民健兵政策と強く結びついていた.
著者
GILLIS-FURUTAKA Amanda
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.47, pp.51-71, 2014-03

YouTube was launched in 2005 as a site for people to share their home videos, but hasexpanded to become an unprecedented archive of freely available sound and visual aterial,as well as a platform for accessing the latest pop music releases. YouTube is also a major social networking site and is facilitating the exchange and appreciation of creative work both within and across national borders. These functions of YouTube will be discussed in relation to the findings of a two-stage research project with Japanese university undergraduates thatinvestigated how and why they use YouTube to access pop music. An initial survey of over2,000 first-year undergraduates was followed up by interviews with 51 students to find outthe ways in which they use YouTube in their daily lives.
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.21-49, 2018-03

食糧管理制度は,戦時下であった1942(昭和17)年の食糧管理法の制定から,約半世紀にわたり,わが国の食糧政策の根幹であり続けた。本稿はその起源を戦時体制下の食糧政策に求め,今日も続く自給をめぐる管理体制の問題を明らかにした。 1939(昭和14)年の朝鮮大旱魃をきっかけとして,わが国の食糧管理体制が構築された。この体制は外米輸入や消費規制を重視したが,食糧の供給不足が続くなかで,農林省は農家保有米の制限や配給の導入を行なった。それとともに外貨を流出せずに外米を輸入できる仕組みを整え,供給不足の解消をめざした。さらに1941(昭和16)年に食糧管理局が設置され,日米開戦後に食糧管理法が制定された。 しかし戦局の悪化に伴い,外米輸入や朝鮮・台湾からの移入が困難となった。農林省は国内自給を訴えたが,食糧管理体制は脆弱性を露呈した。この体制の維持には,農家の供出が重要となったが,その完遂は容易ではなかった。 終戦直後,食糧管理局はGHQ に対する食糧輸入の懇請を行なった。GHQ は食糧輸入を通して,日本の食糧管理に深く関与したが,国内自給を最も重視した。このためにGHQ は,食糧管理局主導の食糧管理強化を許容せざるをえなかった。これによって食糧管理局は戦後も食糧管理体制を存続・強化することになった。これが現在も続く自給率向上の強調へとつながっていった。