著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.367-387, 2015-03

形容詞different はfrom と用いるのが規範的であり,また頻度も高い。しかし,実際には,than とも用いられ,またイギリス英語の場合にはto とも用いられることが知られている。つまり,差異の基準は,起点,比較の基準,着点として標示されうるのである。筆者が調査した範囲では,差異の基準の標示については,起点型(英語のdifferent from)と同伴型(日本語の「... と違う」)の言語が多い。比較型(英語のdifferent than)は通言語的に限定されている。着点型(英語のdifferent to)の言語はまれであり,しかも,形容詞において見られるのであり,動詞の場合には起点型になる傾向にある。 英語:different from/to .... に対して differ from ... スペイン語:diferente/distinto de/a ... に対して diferir de ... ウェールズ語:gwahanol i ... に対して gwahaniaethu oddi wrth ... この偏りを説明するために,以下の仮定をした。差異はメタファーにより距離として理解される。この距離を認識するために二つの操作のいずれかが行われる。(1)基準から遠い対象は,基準から離れていくものとして表示される。(2)対象と基準の間の距離が心的に走査される。走査の方向には,(a)基準から対象へという方向と,(b)その逆がある。(1)は,対象が動くものとして表示されているという意味で,より動態的であり,それゆえ動詞として語彙化されやすい。それに対して,(2)は,より静態的であり,形容詞として語彙化されやすい。起点型は,(1)によっても,(2a)によっても動機付けされるが,着点型は,(2b)によってしか動機付けされない。これにより,着点型が特に形容詞において見られ,動詞においては起点型になる傾向があることが説明される。
著者
福田 充男
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.27, pp.127-143, 2010-03

第三者割当増資では発行価格が市場価格よりもかなり低い水準に、つまりディスカウントされて設定されるのが通常ある。一見すると、このことによって割当を受けない既存株主は不利益を被るように見える。この研究で得られた実証結果によると、発行価格のディスカウントは割当を受ける投資家が負担する情報生産コストやリスクを反映して決まる。そして、大幅なディスカウントにもかかわらず、第三者割当増資のアナウンスメントに対して株式市場はプラスの超過リターンを示す。そして超過リターンは企業価値に関する好ましい情報を反映している。つまり、第三者割当増資によって既存株主が不利益を被るという証拠はない。
著者
中 良子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.215-232, 2013-03

Clement Musgrove (The Robber Bridegroom), George Fairchild (Delta Wedding), Jack Renfro (Losing Battles) など,Eudora Welty の作品に登場する主要人物は,いずれも彼らの 「イノセンス」が強調されている。この事実については,従来取り立てて議論されることはほ とんどなかった。しかし,アメリカ南部ミシシッピ州を舞台にした物語を書き続けてきたウェ ルティが作品中に「イノセントなヒーロー」を登場させたことは,彼女の南部に対する歴史意 識を探る上で重要な意味を持つものであるといえる。ウェルティの描く「イノセントなヒー ロー」とはどのような人物形象なのか。この問題を考察する上で重要になってくるのは,いわ ゆる「アメリカのアダム」像との関わりである。アメリカ的進歩から取り残されたフロンティ アとしての南部,罪と恥の歴史をもつ南部においてアダム像はいかなる変容を遂げるのだろう か。本稿はThe Ponder Heart (1954) を取り上げ,Uncle Daniel に体現されるイノセンスの分 析をとおして,ウェルティの描く南部のイノセンスを50 年代の歴史的文脈において考察した。 その結果,イノセンスとは南部の物語を語る視点であることを明らかにした。
著者
鈴木 雅恵 与那覇 晶子
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

本研究は日本の近代化と、沖縄の大和への同化の歴史と共にはじまった、沖縄芝居の特異性、および現在の位相について、大和(特に京都)と沖縄双方の視点から考察し、世界演劇の中に位置づけよう、という研究の一部である。今回は特に、広義の意味での「沖縄」演劇(ウチナーヤマトグチによる現代劇や、映画化された沖縄発のアメリカン・ミュージカルも含む)における、広義の意味での「女優」(舞踊家や、花街や辻の芸能者を含む)の表象について考察し、さらに他のアジア圏や西欧の例と比較することを目的とした。当プロジェクトの主たる成果は、代表者・分担者が主となって、沖縄県男女参画センターにおいて2007年11月23日から25日まで開いた日本演劇学会の秋の研究集会であるといえる。特に、11月24日に、当プロジェクトの成果発表の場として「演劇(芸能)における女優の表象」というタイトルでおこなったシンポジウムは、メンバーの他、沖縄を代表する女優の北島角子氏をはじめ、現役の女性歌劇団員、大阪の歌舞伎研究者、戦後50年間存在した沖縄の女だけの「乙姫劇団」出身の古代宗教研究家等を研究協力者にむかえ、貴重な証言を記録することができた。また、それに先立っておこなわれた「対談」では、芥賞作家の大城立裕氏から、彼の創作した新作組踊における女性像について、貴重な話を聞きだすことに成功した。こうした内容は、地域の人々にもオープンにし、広く研究の成果とその課題を提示することができた。さらに、代表者と分担者は、京都の花扇太夫や女性能楽者、フィンランド・デンマーク・英国・香港の研究者・演出家・女優などに取材して、沖縄演劇における「女優の表象」を相対化することに努めた。特に代表者が宮古島の舞台で、男性の能楽研究者に混じって地謡を勤めた経験は、「芸能する女性」のグローバルかつローカルな表象を、新たな観点から再検討するきっかけとなった。
著者
鈴木 雅恵
出版者
京都産業大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、東アジアのシェイクスピア受容について英文で発信するためのプロジェクトの一環であり、「日本」のシェイクスピアの受容を、伝統演劇の典型としての能と、「日本」とほかのアジアの国々をつなぐ接点としての沖縄の芸能に広げているところに特徴がある。本プロジェクトの期間中には、シェイクスピアを本説とした泉紀子氏の「新作能・マクベス」の英訳や「新作能・オセロ」の研究、「琉球歌劇・真夏の夜の夢」の解読、新作組踊の調査や沖縄演劇の歴史に関する英文論文の執筆などを行った。
著者
溝部 英章
出版者
京都産業大学
雑誌
産大法学 (ISSN:02863782)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.651-728, 2010-11
著者
島 憲男 島 令子
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.40, pp.33-49, 2009-03

This paper presents a contrastive analysis of resultative constructions in German and English. These constructions consist of a subject, verb, object, and either a predicative adjective or a prepositional phrase which has a directional meaning. Semantically speaking, these constructions denote an event in which a subject is involved in an action or process expressed by the verb, and as a result, the object undergoes a change of state resulting in a situation expressed by the adjective or in a location denoted by the prepositional phrase. Resultative constructions have been a center of discussion among linguists, especially in English linguistics, and the recent study by Goldberg & Jackendoff(2004)regards English resultative constructions as a family of subconstructions and proposes that various other types of constructions, which are traditionally not considered as resultative constructions, also belong to the same category. Starting with a critical analysis of previous studies, this paper will(1), by analyzing various bilingual(German and English)texts, show how ubiquitous resultative constructions in both languages are, and(2), by contrasting the resultative constructions in both languages, present fundamental characteristics of resultative constructions which should serve as a basis for further typological study of these constructions.
著者
山下 辰夫 堀田 幸平 佐藤 克信 林 大介 北波 赳彦
出版者
京都産業大学
雑誌
高等教育フォーラム (ISSN:21862907)
巻号頁・発行日
no.5, pp.197-203, 2015

近年は大学にグローバル人材の育成が求められており,京都産業大学は,2012 年に文部科学省の「グローバル人材育成推進事業」に採択され,その構想調書のなかで事務職員の語学力向上についても言及している。グローバル人材の定義は様々であり,もちろん一般教養をはじめとした能力も求められるが,語学能力は必須であり,京都産業大学では事務職員を対象に海外語学研修を毎年実施している。本稿は2014 年の夏にタイのチェンマイ大学で今年度より新たに実施された研修に参加した5 名の報告をまとめたものである。研修の内容を中心にまとめており,次年度以降に本研修が継続されるかは現時点では未定であるが,もし継続されるのであれば本稿が研修参加者の参考となれば幸いである。また,本プログラムがより良いものとなるために帰国後に行った振り返りをもとに研修プログラムへの改善等についても言及している。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.48, pp.255-280, 2015-03

本稿は昭和期に活躍した沖縄研究者である金城朝永を取り上げ,金城が唱えた「琉球学」の構想について考察した。これまで金城に焦点をあてた研究は数が少なく,その数少ない研究は「沖縄学」と金城の研究との関連を明らかにしたものである。しかも研究成果は主に1970 年代に出されているので,沖縄返還(1972 年)という歴史的背景に大きな影響を受けている。つまりこの歴史的背景によって金城の琉球学を見直そうとするものであったが,琉球学は消えてしまう。琉球学がなぜ消えてしまったのかは明らかではない。本稿は金城の研究業績の再評価をして,琉球学がなぜ消えてしまったのかいう問題について考察した。 金城は夭逝したこともあり,琉球学を体系化することはできなかった。体系的な研究成果も残していないので,琉球学は消えゆく運命にあったといえる。しかし言語,民俗,文学,歴史など広い分野にわたって多彩な研究活動をみせ,体系化の方向性はもっていた。これは今日における沖縄学がもっている排他的傾向とは異質のものであったといえる。もし琉球学という言葉に,積極的な意味を付与して考えるとすれば,伊波普猷に代表される沖縄学の系譜において,金城は言語学,歴史学,文学,民俗学など多様な分野にわたる研究を総合することを試みた唯一人の後継者であったといえる。
著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 = Acta humanistica et scientifica Universitatis Sangio Kyotiensis (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
no.48, pp.255-280, 2015-03

本稿は昭和期に活躍した沖縄研究者である金城朝永を取り上げ,金城が唱えた「琉球学」の構想について考察した。これまで金城に焦点をあてた研究は数が少なく,その数少ない研究は「沖縄学」と金城の研究との関連を明らかにしたものである。しかも研究成果は主に1970年代に出されているので,沖縄返還(1972年)という歴史的背景に大きな影響を受けている。つまりこの歴史的背景によって金城の琉球学を見直そうとするものであったが,琉球学は消えてしまう。琉球学がなぜ消えてしまったのかは明らかではない。本稿は金城の研究業績の再評価をして,琉球学がなぜ消えてしまったのかいう問題について考察した。 金城は夭逝したこともあり,琉球学を体系化することはできなかった。体系的な研究成果も残していないので,琉球学は消えゆく運命にあったといえる。しかし言語,民俗,文学,歴史など広い分野にわたって多彩な研究活動をみせ,体系化の方向性はもっていた。これは今日における沖縄学がもっている排他的傾向とは異質のものであったといえる。もし琉球学という言葉に,積極的な意味を付与して考えるとすれば,伊波普猷に代表される沖縄学の系譜において,金城は言語学,歴史学,文学,民俗学など多様な分野にわたる研究を総合することを試みた唯一人の後継者であったといえる。1 はじめに2 伊波普猷の影響3 琉球語と民俗学4 沖縄学と琉球学5 結びにかえて―沖縄学の可能性