著者
岡田 茂弘
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.249-265, 2003-03
著者
安部 清哉
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.21-55, 2015-03

日本語方言の地理的分類には各種の理論がある。研究史上、初めは共時的な解釈が多く行われ、後に通時的な研究が中心になった。その理論の1 つである東条操の「方言区画論」は、その後の研究への影響が大きい。今も東条の方言区画論に沿った各種の区画案によって地理的分類がされることが多い。本稿では、日本語方言の歴史的形成の解釈においては、方言境界線群(bundle of isogloss)や方言圏(dialect region)をもっと重視し、通時的視点もより考慮した地理言語学的分類が必要であることを、実例を提示しつつ提唱する。それに先だって、方言分類理論の課題を明確にするために、東条の提唱した方言区画論の受容と諸家による区画案を検証し、ついで、歴史的に重要な方言境界線・方言圏とを改めて提示して検する。東条の区画論は、通時的視点をもむ理論と見なせる。しかし、その受容では共時・通時で立場が別れることになり、そのことがの研究者の区画案の相違にも影響した。共時的分類の代表的な解釈は、東日本、西日本、琉球方言の3 地域に区分する案であり、もう1 つは、さらに西日本を、九州とそれ以外にわける4 区分案である。一方、地理言語的研究の進展によて、方言区画論の区画分類とは異なる方言境界線が解明されるようになった。さらに、区画や境界線とも異なる「方言圏」の点でも、地理的分類を再検討する必要があると認められる。日本語方言は、方言区画、方言境線、方言圏のそれぞれの共通点や異なる観点、矛盾点を止揚して総合的に解釈していく必要がる。区画論・分類理論を比較検討すると、日本語の方言形成は、より複雑な過程を経ていると解釈できる。その方言境界線、方言圏を通時的点から検討すると、日本語方言はアジア・太平洋の言語との直的関係も視野に入れて考察する必要があることがわかる。The geographical classification of Japanese dialect has been proposed in a variety of dialect theories.Misao Tojo's "Dialectal region theory", which was the first theory in the history of dialect studies, had the strongest impact on subsequent studies. Subsequently, the dialectal boundaries were clarified by the geolinguistic studies. Furthermore, the necessity of the re-examination of geographical classification was identified from a "Dialectal Region" perspective, different from the viewpoints of the region or dialectal boundaries.In this paper, the validity of geolinguistic regions takes better account of the diachronic view and is advocated by presenting examples in terms of the interpretation of the historical formation of the Japanese dialects, with greater emphasis placed upon the dialectal boundaries and regions compared with the studies of dialectal region theory.Now, the Tojo's dialectal region theory can be considered as a theory including the diachronic view.However, its acceptance was divided intc or diachronic perspectives and affected the subsequent studies. At the beginning, most interpretations of his theory were synchronic, and then studies shifted towards diachronic interpretation. In this paper, firstly, Tojo's dialectal region theory and dialectal region proposals by various linguists were compared in order to clarify the issues of the dialect classification theory. In addition, this paper presents a bundle of dialect boundaries,"dialectal boundaries", which were revealed after Tojo's theory, and peculiar dialect distribution areas, "Dialectal regions", in order to verify the important differences from the conventional region boundary.In the early representative synchronic region theories, it was proposed that the dialect regions were divided into three areas; East Japan, West Japan, and Ryukyu, or four areas with West Japan divided into two with Kyushu. However, they do not explain the positions of the dialect boundaries sufficiently.Meanwhile, regional theories proposed by Kindaichi and Fuijwara were both diachronic and were excellent in that they could be interpreted with a bundle of dialectal boundaries.General theoretical reviews of dialectal regions, dialectal boundaries, and dialectal areas identified the differences and inconsistencies of geographical interpretations. The historical interpretation of the dialect distribution need to be re-examined through a diachronic perspective to eliminate the inconsistencies. Seen from the diversity of these dialects, the formation of Japanese dialect can be inferred as having passed through more complicated processes than previously thought. Finally, this paper introduces how Japanese dialects need to be examined in the perspective of direct influence of Asia-Pacific languages.
著者
小倉 芳彦
出版者
学習院大学
雑誌
学習院史学 (ISSN:02861658)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.1-5, 1996-03
著者
赤岩 隆
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.145-163, 2005

本稿は、キプリングの葬儀の際の文学色のなさにヒントを得て、なにより彼を公的発言者と見做し、それとして彼が成長してゆく過程を4 段階に分けて跡づける。第1 段階は、彼がインドでジャーナリストをしていた時期を中心に、職業作家となることを決心しイギリスにむけて発つまでを指す。第2 段階は、ロンドンで作家としてデビューし、続いてアメリカへと渡った時期。第3 段階は、イギリスに戻りベイトマンズに居を定めるまで。それと、それ以後の長い30 年間を第4 段階とする。それぞれの占める時間的なスパンは均等ではないが、さまざまな伝記が示すとおり、そのように時間的にはいびつな段階を踏みながらキプリングは公的発言者として成長していった。当然のことながら、それぞれの段階にはその時期の代表作が書かれているが、本稿において中心的と見做されるのは、『キム』でも『ジャングル・ブック』でもなく、おもに詩である。なにより時代の動きに敏感であることを求められる公的発言者という立場を考えれば、そうなって当然である。創作に時間のかかる小説ではそうした要求に十分には応えられないからである。本稿における議論を助けてくれる詩作品を並べると、おおよそ以下のようになるだろう。まず『兵舎のバラッド』のうち、「ダニー・ディーヴァー」と「ガンガ・ディン」。次に「生粋のイギリス人」と「退場の歌」。それと、「島国の人々」、最後に「忘れっぽい奴」と続く。公的発言者としての成長過程を跡づけるという本稿の目標設定により、議論の射程は、およそベイトマンズに落ちつくまでのキプリングの前半生を扱うことになる。天才だったキプリングは、人生半ばにしてすでに公的発言者として完成されていたからである。Rudyard Kipling was, first and foremaost, a public speaker. This essay traces the four stages of his development as a public speaker. These stages are not represented by the novels or short stories, but by a series of poems, including "Danny Deever," "Gunga Din," "The Native-Born," "Recessional," "The Islanders," and "The Absent-Minded Beggar." In 1902, Kipling moved into Bateman's with his family, after having become established a public speaker. Clearly, he was a true genius, a genuine man-of-letters. Ironically, when his funeral was held in 1936, none of his pallbearers came from the literary circles.
著者
眞嶋 史叙 草光 俊雄 新井 潤美 大橋 里見 菅 靖子 大石 和欣 冨山 太佳夫 見市 雅俊 新 広記 田中 裕介
出版者
学習院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究プロジェクトでは,「消費文化史研究会」開催を通じて,この新領域に関する共通認識を培いつつ,構成員をそれぞれ単独執筆者とする著作シリーズ発刊の準備を進めてきた.成果の一部は, 2009年社会経済史学会のパネル報告「消費社会における教養を考える」で公表された.また, 2011年度末に開催された国際シンポジウムでは,国内外の研究者25名の講演・発表を通じて,研究成果を集約するとともに,今後の学問的課題を確認した.
著者
土谷 真紀
出版者
学習院大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2010

本年度は、初期狩野派の絵巻物に加え、狩野派の図像摂取の様相をたどるべく、土佐派の涅槃図について調査・分析・発表を行った。特に、「釈迦堂縁起絵巻」第二巻第七段に描かれる涅槃場面に注目し、その図像典拠となっている土佐派系の涅槃図(山口県・周防国分寺本、滋賀県・興善寺本、米国・個人蔵本)を調査し、考察内容を「土佐派による仏涅槃図について」と題して発表した。調査の過程において土佐派の手になると判断された作例もあり、今後さらに関連作例が見出される可能性がある。一連の土佐派系仏涅槃図作例の分析は、狩野派の仏画制作における、先行図像の受容問題を検討していく上で極めて有益なものとなった。本研究の主軸である狩野派絵巻の分析と発表は次の通り行った。「二尊院縁起絵巻」については、「『二尊院縁起絵巻』について一作品紹介とその特質」と題する発表を行い、画風の検証結果を報告するとともに、二尊院の寺史を軸として縁起が構成されていることを指摘した。「酒飯論絵巻」については、文化庁本とやまと絵系絵師の手になる静嘉堂文庫美術館本「酒飯論絵巻」との比較を行い、文化庁本では総じて絵画としての有機的構造が企図されていることを「狩野派における『酒飯論絵巻』の位置」と題した発表において報告した。狩野派絵巻の中で最も重要な作例である「釈迦堂縁起絵巻」については、画面の大部分を占める異国表現について「『釈迦堂縁起絵巻』における中国美術の援用と中国イメージ」と題して発表した。これらの発表については、現在公刊が決定しているものを含め、論文化を進めている所である。さらに、狩野派における物語表現の分析を進めるべく、毛利博物館蔵「源氏物語絵巻」(全五巻)を調査し、現在分析中である。本作例は狩野派における「源氏絵」の意義を明らかにするだけではなく、室町後期から江戸初期にかけての「源氏絵」の展開を考える上でも重要な作例である。
著者
豊田 麻子
出版者
学習院大学
雑誌
哲学会誌 (ISSN:03886247)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.117-136, 2013-05
著者
横田 宇雄
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学人文科学論集 (ISSN:09190791)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.219-241, 2013

Quand Zola adapt ses descriptions au théâtre, il les remplace par le décor. Ce n'est bien-sûr pas lui, qui emploie le terme de « visual art » ou d'art visuel. Mais la priorité visuelle est pour le mouvement naturaliste. Quant au théâtre, Zola n'applique pas de principes scientifiques : Claude Bernard, analyse et observation, philsophie de la vie etc. Il a voulu faire « évoluer » tous les systèmes théâtraux, la convention au théâtre, autrement dit le « nouveau » théâtre. En effet, les changements de convention confrontent à l'idéologie. Zola pense que son « nouveau » théâtre est le résultat de l'évolution générale des arts et des conventions, pas d'un processus. Pour lui, quand la perception change, la condition du théâtre change aussi. On peut donc dire qu'il ignore la fonction de la connaissance au théâtre. Pour la perception du théâtre, c'est la critique qui a le rôle principal. La critique est capitale pour le « naturalisme. » La disputé avec Sarcey est une « performance » destinée à changer la condition de spectateurs. Par conséquent, les descriptions romanesques devaient étre remplacées par le décor au théâtre. Selon Zola, le décor prend en charge les exigences optiques, ainsi que celles qui reviennent à l'analyse dans le roman. Le spectacle est le résultat du mouvement : du Romantisme au « Naturalisme. » En effet, la relation entre le text et la représentation est très complexe. Zola n'est pas le seul à adapter des romans au théâtre. Il est aussi dans le mouvement d'évolution des décors. L'exigence visuelle est en augmentation partout. Il faut considérer la condition et l'expérience du théâtre à ce moment-là. Zola voulait conjoindre les mérites du roman et du décor au théâtre, le « naturalisme » au théâtre. En ce sens, c'est un « visual artist .» Ensuite, on analyse à la position de l'écrivain dans l'histoire littéraire et théâtrale. Germinal est la meilleure pièce pour analyser l'histoire des arts visuels et celle de l'idéologie du visuel.
著者
内山 幹生 ウチヤマ ミキオ Uchiyama Mikio
出版者
学習院大学
雑誌
学習院史学 (ISSN:02861658)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.95-113, 2005-03

本稿では、地底銭の発生・概念・運用者その歴史的背景について考察する。現在、地底銭という文言の記載された文書は、地方史料の数点をあげるのみで、藩庁の行政文書においては未確認であり、史料的制約は免れない。もっとも、宇土郡不知火町所蔵『御新地方記録』には、比較的多くの地底銭文言がみられる。同書は、天保期より嘉永五年(一八五二)までの郡浦(こおのうら)手永管内・亀尾村を中心とする干拓新田の村々、周辺古村の動向を記録した村方の文書綴りで、三八〇丁からなり、藩政末期の干拓新田村草創の状況が克明に記されている。この文書を中心にして検討してみる。
著者
南部 鶴彦 花堂 靖仁 舟田 正之 阿波田 禾積 室田 武
出版者
学習院大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1990

本年度は昨年度に蒐集されたデ-タにもとずき,異なる性格を持つ事業所や会社の発電コストについて実証的な数量分析がなされた。これによって電力会社とコストの面でどれほどの乖離があるか,そしてそれが将来の競争についてどのような効果を持つかが検討できる。一方海外における電力事業の変化はめざましいものがあるので,これを特にDSM(Demand Side Management)に着目し,ヒアリングと調査を行った。アメリカでとられたこの制度を日本にそのまま移入することは難しいが,そのアイディアを生かすことができないかが検討された。またアメリカの発電部門ではますます規制緩和が進み,競争メカニズムの利が実現しようとしている.こうした発電部門の自由化は送配電部門に対してどのようなインパクトを与えることになるのかについて,ヒアリングを行うとともに,法制度・経済理論の両側面から研究を行った。わが国でみれば,コジェネレ-ションの進展が,発電部門の自由化に近い意味あいを持つことが考えられる.しかし現在のところ,コ-ジェネの発展に対する諸規制の存在が,これを簡単には実現させていない。そこでどのような法規制がコ-ジェネを阻んでいるか,そしてそれは経済学的に見ればどのような効果を持つことになるのがについて,分析がなされた。同時に,競争の発展とともに電気料金の構造は変らざるをえず,その基礎をなしている会計的枠組にも変化が求められている.この点について会計学の視点から検討が行われた。
著者
福元 健太郎 坂本 孝治郎 待鳥 聡史 増山 幹高
出版者
学習院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

全裁判官の経歴に関するデータ・べースを構築した。これを用いて、9月開催のアメリカ政治学会で、福元・増山は共著論文を発表した。これは、裁判官の青年法律家協会への加入の有無が部総括への昇進を遅らせるとする先行研究に対して、分割母集団生存分析とマッチングの手法を用いるとそうした効果は見られないことを示した。福元は次の研究を行った。(1)立法府から行政府への委任は、最終的な司法府の判断を考慮に入れながらなされる。立法府の議員の選好が多様であることも委任をもたらす。(2)議院が他の議院の政策選好に関する情報が不確実であったり、法案が重要であったりすると、後議院修正や両院協議会が起きる。坂本は、政治・司法関係の変遷について、1962年の臨時司法制度調査会の発足から1987年の中曾根内閣終了までに関し、衆参の法務委員会における司法行政や関連法案の審議に際し、どのような頻度で最高裁事務総局裁判官が出席を求められ、どのような質問をされたか、その頻度データや質疑内容の分析をおこなった。それに、最高裁長官がどのような行事に出席しているか、三権の長が揃って出席する催しにはどんなものがあるか、事例を収集・整理した。待鳥は、日本の地方政府を素材として、行政府と立法府の部門間関係が政策選択に与える影響について分析した共著書『日本の地方政治-二元代表制政府の政策選択-』を刊行した。また、二元代表制が地方政府の運営に与える影響を概観した小論も公表した。増山は二院制の論点整理を試み、第二院と行政権の問に「信任関係」を制度化する方策を検討し、「二院制と行政権」と題する論文を日本公共政策学会で報告するとともに、戦後の日本における首相の信任、不信任に関してより多角的な検討を進めている。
著者
PEKAR Thomas
出版者
学習院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

亡命をめぐる文化人類学的要素(ホームシック、故郷の文化と移住地の文化の差異による葛藤、新しい文化への結びつき等)は異なる分野の亡命テクスト(哲学、文化、文学等)に見られることが明らかになった。これらのテクストを「亡命の文化テクスト」と定義することが可能であり、亡命文学、移住文学、旅行文学に共通するカテゴリーを定義することができる。このカテゴリーは、文学研究および文化人類学の分野で「超域文化テクスト」と定義されている。この「超域文化テクスト」という手法上の概念は第一の成果である。さらに、異文化交流の観点から亡命概念を考察することにより、日本における亡命理解の背景が明らかにされた。日本文化においては、ユダヤやキリスト教文化をベースとする「亡命」の概念が根付いておらず、日本において「亡命」は「追放」の意味合いを持つものとして捉えられていた。ドイツと日本という異なる文化における「亡命」概念の差異の分析は第二の成果である。第三の重要な成果として、様々な文書館および図書館での資料収集、学会の開催(研究発表は出版予定)により、第二次世界大戦中の日本および日本占領地を含む、東アジアへの亡命の全体像が明らかになった点が挙げられる。