著者
嶺崎 寛子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.204-224, 2013-09-30 (Released:2017-04-03)

本稿は、宗教を淵源とするディアスポラ・アイデンティティの構築とその次世代再生産にかかる日常実践を、在日アフマディーヤ・ムスリムを事例として描く。アイデンティティの構築性を前提として、それが構築されるということを、行為主体としての個人だけでなく、個人が帰属する共同体、さらには社会的背景をも視野に入れつつ、民族誌的文脈のなかから捉え返そうとする試みであるともいえる。その際には、グローバル化や越境、国家との関係、言葉、ジェンダーに特に注目する。アフマディーヤは19世紀末、英領インドのパンジャーブ州に興ったイスラーム系の新宗教である。インド・パキスタン分離独立の際本部をパキスタンに移し、その後さらにパキスタン政府からの迫害により本部をイギリスに移転、現在に至る。信徒数は公称数千万、現在はパキスタンよりも欧米や西アフリカで勢力を伸ばしている。極端な平和主義と教団の高度な組織化、カリフ制の採用などに教団の特徴がある。本稿ではアフマディーヤ信徒たちを、国家の外縁に確信的に逃れながら、居場所とアイデンティティ保持のために平和的に交渉する多様な主体として位置づける。そして信徒らがどのようにアイデンティティを保持し、その世代間継承につとめているか、国家との関係や距離感、ホスト社会の内部での立ち位置の取り方などを具体的に検討する。それによって、ディアスポラにとってのアイデンティティや「いま、ここ」が持つ多様な帰属のあり方の意味と可能性、そして限界を明らかにしたい。なお本稿は2012年5月から現在に至るまで継続的に主に愛知県で行ったフィールド調査で得たデータに基づく。
著者
久保 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.62, 2018 (Released:2018-05-22)

現在のフィリピンにおいて、一部の医療機関に生殖技術が導入され、先進国での先例に基づき、ある一定の年齢層に対して出生前診断が推奨されている。他方、中絶行為自体は違法であるが、一部の避妊法の保証と(中絶後の)母体の保護を認めるリプロダクトヘルス法が2012年に制定された。これは社会問題となっている10代の妊娠や貧困女性の中絶の実情を考慮してのことといわれている。フィリピンではネオリベラリズムを背景に、「胎児」をめぐる社会的規範と実態とが多層的に矛盾している状況だ。本発表の目的は、「胎児」をめぐる問題の背景にある、錯綜したいくつかの言説、すなわち「権利」や「倫理」といった言説の歴史的変遷を確認し、そうした言説を辿っていくなかで、フィリピンにおいて「胎児」そのものは不在であったという発表者の仮説について検証するものである。
著者
熊谷 瑞恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.1-24, 2004-06-30 (Released:2017-09-28)

本研究は、中国新疆ウイグル族のナンの利用を中心とした食事文化を明らかにすることにより、ムギ食品が食卓上で持つ「主食」「副食」に代わる独自の位置付けを描き出すことを目的とする。ユーラシア大陸はムギとコメという主要な穀物の違いによって二分することができる。ヨーロッパのパンを主とするムギ食文化には、パンを「主食」という概念で呼ばず、料理を「主食」と「副食」という概念に区分しない特徴がいわれてきた。本研究は、パンに注目してなされてきたそれまでのムギ食文化に対する見解に、中央アジア、新疆ウイグル族にとってのナンという新しい事例と見解を加える。そのために本稿はまず「主食」「副食」に代わるかれらの料理区分を明らかにし、それが「食事」と「茶」であること、その中で「ナン」を食すことがかれらにとっての「食事をとる」という概念と対応していないこと、そして、1日に7、8回あるかれらの食事回数のうちでかれらの語彙における「食事」に対応する食事がほとんどないことを家庭における直接観察から描き出す。そして、ウイグル族にとってのナンの位置付けが「食事」よりも「茶」の中核をなすものであることを示し、ナンと料理との関係が構築する食事体系が「主食」「副食」のある文化とは異なるものであることを描き出す。そしてその食事体系は、家庭の食卓を囲む人々との間において常に「場の共有を目的として」食べるという機能を果たすものとなっていることを論じる。
著者
謝 黎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.125-125, 2009

本発表は、多民族国家中国の博物館で展示されている民族衣装を取り上げ、「民族識別」と博物館とのかかわりや、「民族」に対する博物館の基本姿勢、また展示物としての衣装の意義や博物館の展示基準などについて考察するものである。
著者
廣田 龍平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D12, 2016 (Released:2016-04-23)

本発表は、日本の「妖怪」を人類学的に把握することを通じて、「無形と有形のあいだ」に現われるフィールドの諸対象を位置づける概念として提示するものである。事例として用いるのは、柳田國男が昭和初期に著した「妖怪名彙」に現われる妖怪、そしてネット怪談として知られる「くねくね」という妖怪の二つである。
著者
三尾 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.243-268, 1990-12-30 (Released:2018-03-27)
被引用文献数
2

本論は, 台湾において最も人気の高い<神々>のうちの一つである王爺の分析を通して, 台湾の漢民族の霊魂観の構造的特徴及びそれらと台湾の歴史的社会的背景との関係を検証する。本論で王爺を取り上げたのは, 王爺の分析が, 台湾の漢民族の世界観の特色を理解するのに役立つと考えられるからである。王爺は, 従来台湾人の民俗分類概念といわれてきた3種の霊的存在-<神>, <鬼>, <祖先>-では捉えきれない。その問題点は, 従来の見方があまりに静態的であったために, 霊的存在の変化の可能性やその過程を説明しきれない点にあったといえる。本論では, このような視点の下に, まず従来の王爺研究をふり返る。そして, これらの文献資料及び筆者の調査した王爺信仰及び「迎王」儀礼を通して, 王爺にみられる霊魂の内的構造を分析する。更に, 「王爺」の<鬼>から<神>への変化が, 台湾の歴史的環境のなかで生み出されてきたことを明らかにする。
著者
斉藤 成也
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.G5, 2019 (Released:2019-10-01)

本講演では、中央アジアにおける東西の人間の移動をDNAデータから考察する。まず、モンゴル帝国の始祖チンギス・ハンのY染色体の系統についての研究を紹介する。つぎに全ゲノムデータにもとづくウイグル人集団の起源に関する研究を紹介する。最後に東アジア人が東南アジアから北上した人々を主体としつつ、西から移動した人々とも一部混血して形成したという仮説を紹介する。東ユーラシアにおける稲作の起源についても時間があれば言及する。
著者
西川 慧
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.022-041, 2020 (Released:2020-10-08)
参考文献数
21

本稿の目的は、インドネシア西スマトラ州のミナンカバウ村落社会を対象として、換金作物ガンビールの耕作開始によって社会関係がどのように変容したのかについて、現地の民俗観念を手掛かりとして論じることである。 筆者が調査を行っているテルック・ダラム村の人びとは、1990年代後半からガンビールを耕作するようになった。その背景には、慣習復興運動の結果として中央政府から返還された村落共有地が使用可能になったことがある。2010年代にはガンビールの買い取り価格が高騰したため、利益を求めて多くの人びとが共有地を開墾し、畑へと変えていった。先行研究では、共同性を強調する慣習法復興運動の理念にもかかわらず、生産手段の私有化と、その不均等な配分のために非人格的な資本主義的関係が出現したと論じられている。しかし、調査村落で見られたのは、仲買人から生産者への融資と母系親族関係を中心とした紐帯で結びつくパトロン=クライエント関係の拡大であった。 このようなパトロン=クライエント関係は、東南アジア農村研究の文脈ではリスク回避による生存維持の選好と、互酬性にもとづいた人格的なやり取りに特徴づけられるモラル・エコノミーの代表例として論じられてきた。しかし、調査村落で見られた仲買人と生産者の関係は、生存維持ではなく富の蓄積と消費を志向するものであった。彼らの関係を読み解くためには、人格的なモラル・エコノミーと非人格的な資本主義という二項対立から抜け出す必要がある。 そこで本稿では、母系親族を結びつける「感情(perasaan)」という観念に注目して仲買人と生産者のあいだで行われる取引を分析した。その結果として明らかになったのは、母系親族を中心とする人格的な社会関係が富の蓄積と消費のために動員される「「感情」の経済」であった。
著者
梶丸 岳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

従来民俗学の流れに属する民謡研究は伝統的な場で歌われるうたのみを「民謡」と捉えてきたため、現在「民謡」として実践されている芸能の研究はほとんど進んでいない。そこで本発表では現在の「民謡」が実践される社会を捉える試みの一環として、秋田県における一曲民謡大会の運営と大会参加者に焦点を当て、大会が地域経済や民謡の規範化と民謡人の組織化、民謡の場の変遷といった要因が絡み合いつつ成立していることを示す。
著者
池田 光穂
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.C15, 2020 (Released:2020-09-12)

先住民の権利宣言(UNDRIP, 2007)の国連総会採択以降、これまでの人類学関連分野における先住民の遺骨(主に頭蓋骨)の研究のための収集の歴史が再検証され、それぞれのケースにおける倫理的・法的・社会的含意(ELSI)において今日的な意味でのインフォームドコンセントの欠如と反倫理行為が明らかになりつつある。歴史における研究の反倫理行為を現在から断罪するだけでなく、先住民への集合的謝罪と「和解」がどのような形で可能になるのかを文化人類学の立場から検証する。
著者
安渓 遊地
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.1-30, 1988-06-30 (Released:2018-03-27)

日本南端の八重山諸島は、山と川と田がある高い島(田国(タンダン)島)と平坦な隆起サンゴ礁の低い島(野国(スングン)島)とからなっている。田国島である西表(いりおもて)島とその東の野国島である黒島は,昔から物々交換によって結ばれていた。主な交易品は、西表島からの稲束と水田の肥料としての黒島のソテツの葉の灰で、西表島の白米と黒島の麦・豆・海藻の贈与交換も盛んだった。1477年の済州島漂流民の記録は、西表島と周辺の低い島を結ぶ米の交易網の古さを示している。その後1637年から1902年(明治36年)まで続いた人頭税の制度のもとで黒島を除くほとんどの低い島の住民は西表島に通って水田耕作することを強制された。この結果、稲作をおこなわない黒島だけが西表島との交易を続けることになった。稲束と灰をめぐる両島の物々交換は、現金使用がひろまる大正時代も続き、1930年(昭和5年)頃に稲の新品種・蓬莱米(ほうらいまい)が普及し、化学肥料がひろく使われるようになって終わりをつげた。両島問以外の交易活動との比較を踏まえて、以下の点が結論できる。(1)八重山内部の交易は,隣りあう地域の立地と生業の違いに基づいていた。(2)一方、それは悪性マラリアの伝播・津波の災害といった歴史的事件、人頭税下の稲作の強制・移住の禁止などの政治的な制約によっても大きく左右された。(3)もっとも大きい購買力と一定の単位をもつ稲束は「貨幣」の役割を果たした。(4)この「貨幣」を生産することができない黒島の人々は、みかけは対等な交易関係のなかで従属的な地位におかれることがあった。
著者
窪 徳忠
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.185-211, 1976

A number of festivals, manners and customs, and religious practices of Chinese origin are still prevailing in Okinawa. The author has been engaged since 1966 in research into some of those customs and practices which are apparently more or less related to Taoism. An attempt has been made to determine to what degree they are associated with those customs, etc., of China. A large part of the research done before 1974 has already been published, so the remainder, including the result of the research of 1975 is presented here. However, the research concerning religious practices of Chinese origin is not included here because space forbids. The areas covered are a part of each of the following islands of Okinawa : Iheya-shima, Izena-shima, Okinawa-honto, Miyako-jima, Ikema-jima, Irabu-jima, Kohama-jima. Kuro-shima. Taketomi-jima, Yonaguni-jima. Just behind the front gate of every house in Okinawa, there is something like a wall made of stones or block of some kind. This is called "himpun" in many parts of Okinawa-honto. This construction is still commonly found in those areas as in the areas previously researched by the author and even newly built houses usually have one. Though different names are given to this construction in different areas, Okinawa-honto, Miyako, and Yaeyama areas have a similar structure. Though it is commonly said to be built there so that the inside of the house is protected from the eyes of outsiders, some people and Yutas consider it to be a protection against devils. Since, in Fu-chien, China, too, a similar construction is built of wood and regarded as having a talismanic value, the assumption is that it is from China. As it is believed in Miyako and Yaeyama areas that it came from Okinawa-honto, it is suspected that this structure originated in Fu-chien and was introduced to Okinawa-honto first, then diffused to Miyako and Yaeyama. Another thing to be found in Okinawa is Shih-kan-tang, as it is locally called. This is a stone pillar of talismanic value built at the corner of an intersection or where a narrow passage meets a main street. Usually, the Chinese 石敢当 (pronounced Shin-kan-tang) are carved on its face and some have animal faces designed above the characters. In Amoi, I have heard, it is transformed into a stone lion figure. In Okinawa in all three areas, it is built exactly at the same location and with the same intention as in China. However, Miyako and Yaeyama areas (some parts of Miyako excluded) have fewer of them than Okinawa-honto. It is suspected that in these two areas it was combined and fused with the local belief in a god of stone. The first people to take up this custom in Okinawa seem to have been Sanjin-so's (who professionally told fortunes by the sun) , for they are in possession of Chinese books on the construction of Shih-kan-tang. Also, the people in Miyako and Yaeyama areas believe this custom was brought from Okinawa-honto. What is different from China is that Shih-kan-tang is quite rarely, if ever, worshipped here in Okinawa. The third custom found in Okinawa is the writing of the Chinese characters 天官賜福紫微鑾駕 (pronounced Tun-kuan-tzu-fu-tzu-wei-luen-chia) or 紫微鑾駕: (pronounced tzu-wei-luen-chia) on the ridge beam for the ceremony of setting up the framework of a house. These characters serve as a spell to guard against evils and to envite good fortune-ideas closely related to Taoism. In Formosa this custom was widely observed as late as the period of the Japanese Occupation. In Okinawa-honto this started early in the eighteenth century but was followed only by a small portion of the natives living in tile-roofed houses. It seems that Yuta and Sanjinso had something to do with this custom. It is understood that it came to Miyako and Yaeyama areas years later.
著者
左地 亮子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.470-491, 2014-03-31 (Released:2017-04-03)

近年、人文社会科学の諸領域において、「語り」が意味生成に関与し、個人と他者や共同体との関係を架橋する社会的行為として注目されてきたのに対して、「語らないこと」や「沈黙」は、共同性に対立する孤立や孤独と結びつけられ中心的に扱われてこなかった。本論文は、こうした研究動向に新たな視座を提示すべく、フランスに暮らすマヌーシュの死者をとりまく「沈黙の敬意」を事例に、沈黙の共同性を明らかにすることを試みた。その際に注目したのは、服喪のあいだに死者をめぐって生じるマヌーシュの沈黙が、これまでの「死の人類学」において指摘されてきた、「個別特異な死者から集合匿名的な祖先への移行」を妨げる側面である。マヌーシュは死者の名前や記憶を口にすることを避け、遺品を廃棄する。先行研究は、この死者に属し死者を喚起するあらゆる有形無形の事物を共同体から排除するマヌーシュの態度を、死者の「忘却」を導き、死者を「集団の永続性」を保障する「匿名の祖先」に変換する手続きとみなしていた。しかし本論文では、マヌーシュの沈黙が、むしろ死者や遺族という共同体内部の個人の存在や体験の「特異性=単独性」を保護するために「敬意」という価値を与えられること、そしてそれがゆえに、個の体験を全体性の中に解消することを阻み、死者から祖先への移行が果たされる服喪の終了を先延ばしにすることを指摘した。マヌーシュの沈黙は、「個の全体への統合」を志向する調和的な儀礼モデルに抗いながら、差異の「分有」としての共同性を開示するのだ。
著者
池田 光穂
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F11, 2021 (Released:2021-10-01)

先住民(族)を「異類の他者」として客観的な表象としてのみ扱ってきた学問の倫理的姿勢を、哲学者の植木哲也(2011)氏は「学問の暴力」と呼び、それを厳しく糾弾する。遺骨返還運動の抗議の矛先は自然人類学に向けられているが、このような歴史的な負債を負っているのは、はたしてわれわれのキョウダイ学問だけではあるまい。私は文化人類学もまた、過去の歴史からの反省し学問が倫理的にノーマライズすべきであることを主張する。
著者
モハーチ ゲルゲイ
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.614-631, 2017

臨床試験(治験)は、開発中の医薬品などを病人や健常者に投与し、新薬の安全性と効率性を評価する仕組みである。実薬と偽薬を比べる実験の場である一方で、病気を患っている人びとの苦痛を和らげるという臨床実践でもある。本稿では、ハンガリー西部にある小規模臨床試験センター(DRC)の事例を取り上げ、製薬をめぐる実験的状況に焦点を当てることで、もの・身体・世界を生成していく関係性の特徴を明らかにしていく。DRCは、1990年代前半に行われた市場開放以降、糖尿病と骨粗しょう症に関する研究と治療を中心に、外資系製薬企業と周辺の地方病院のネット ワークを徐々に拡大してきた研究病院である。そこで行われている臨床試験においては、新薬の効果によって実行(enact)される化学物質と身体と社会の間の三つのループが生成されている。まず、臨床試験の土台となる二重盲検法と無作為化法の実験的設定にしたがう実薬と偽薬のループが、新薬の効果を統計データとして生み出していくという過程がある(方法のループ)。次に、このデータがDRCと周辺の外来医院との連携を促す中で、薬を対象とする実験と、治療を受ける集団は組織化の中でループしていくことになる(組織化のループ)。さらに、多くの被験者の家族から血液サンプルを採集・保管するバイオバンク事業では、いわゆる「実験社会」における政治性を伴った治療と予防の相互構成が見えてくる(政治のループ)。本稿では、これらの三つのループを踏まえ、メイ・ツァンが人類学に導入した「世界化(worlding)」という概念を用いながら、医薬化に対する政治経済学的な批判を、薬物代謝の効果として捉え直すことを試みる。実験と治療の間の絶え間ないループを通じて新たな治療薬が誕生する過程に焦点を絞り、自然と文化の二項対立に対する批判的研究の視点から医療人類学への貢献を図る。