著者
中田 梓音
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.66, 2012

本発表では、京都のスナックでの記録した会話の分析をもとに、ママと客との間に見られるやりとりを考察する。とくに怒りやそれに類似する感情や「叱りつける」という行為を扱う。スナックは、ママが主に男性客に飲食物を提供する場所である。こうした場所で客を叱りつけて、その面子をつぶすということは通常考えられない。あってもきわめて計算されている。そこにはまた性的関係を回避する「脱性化」の機能も認められる。
著者
板橋 作美
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.156-185, 1978-09-30

Y is a village in the southwest of Gumma Prefecture, consisting of 181 households, rearing silkworms and planting konjak (devil's tongue). Y villagers believe that extremely lucky success, especially economical success, of neighbors can be attributed to two kinds of supernatural forces. One is mystical power of osaki, a folk-zoological term for a small animal resembling a mouse or a weasel, which, by order of his master or his own will, thieve silkworms, cocoon, wheat powder or other properties of neighbors and make his master wealthy, or possess neighbors who then become mentally or physically ill and at times die. Those who keep osaki in their houses are called osakimochi or osaki-holders, and they are segregated in terms of marriage, for osaki-holding is believed to be transmitted to all relatives of the spouse of the osaki-holder and to all the children of the osaki-holders, paternally and maternally. Another is evil magic of sanrinboo, who are believed to practice magical rites secretly in order to deprive properties of neighbors. Usually they are very stingy but on the day of sanrinboo they present food to neighbors generously, and if neighbors receive it, all their wealth wil be taken away. Y is devided into 13 koochi, small local units whose members are bound in co-operative mutual aid relations. These units, however, vary in terms of their social cohesion or solidarity. Koochi which have few or no osaki-holders and sanrinboo keep, in general, strong social cohesiveness, while those koochi which have many osaki-holders and sanrinboo and suffer from much osaki-possession have a looser social structure. These koochi have been increasing in the number of households by new comers from outside and branch families from other koochi. They have co-operative mutual aid relations and religious relations with the members of other koochi, rather than own, and their relations between main and branch families cut across the koochi boundaries. Moreover, the socio-economic hierarchy in such koochi is unstable : old families become poorest and new families become wealthy suddenly. In contrast, those which have few osaki-holders and sanrinboo maintain their social hierarchy or order : old families keep their social and economic prestige, new branch families are organized in patrilinial kinship, mostly in their main families' koochi. As mentioned above, the beliefs of osaki-holders and sanrinboo seem to be related to the weakness and instability of social structure of the local community, and seem to regulate and make clear the individuals' ambiguous social position caused by such social circumstances. The osaki-holders and sanrinboo are believed to be wealthy. In fact, those who are suspected as sanrinboo are rich and, moreover, they have become rich suddenly, mostly by unfair and not traditional means of acculating wealth. On the other hand, the socio-economical status of all osaki-holders are not high, but notorious osaki-holders, whose osaki-spirits have possessed neighbors frequently or brought much misfortune on neighbors, have become remarkably rich in a brief period of a few decades. In most cases of osaki-spirit posession, osaki-holders belong to the middle or high classes economically and victims to low or middle. This fact may be interpreted as : alleging the occurrence of osaki-possession, the victim may try to accuse a neighbor of extremely rapid accumulation of much wealth by immoral economic activity.
著者
川田 牧人
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.81-100, 2010

グローバリゼーションが進行する現代世界において重要視される課題の一つとして、「複数なるものの共存」があげられる。本稿は、フィリピン・セブ市のグアダルーペの聖母を信奉する複数の宗教コミュニティの共存関係についての考察を通して、文化人類学がこれまでいかにこの課題に対して取り組んできたか、そしてその取り組みを今後いかに継承・修正して発展させていくべきかについて検討を加えることを目的とする。文化人類学はこれまで、文化相対主義の立場を掲げてこの問題に取り組んできた。しかし多文化主義の隆盛などにより、現在、文化相対主義はその刷新を迫られている。本稿ではむしろ「深い」多元主義と接触させる可能性を検討することを通して、「当事者の文化相対主義」という観点を追究したい。セブ市のグアダルーペの聖母をめぐる宗教コミュニティは、正統性が争われる危険性もある宗教的起源伝承を集団ごとに持ち、それは自己アイデンティティの源泉ともなっているので譲歩されるものではないが、同時に対立が先鋭化されることもなく、ゆるやかな共存関係が築かれている。このような様態から、当事者による「実践」として文化相対主義を捉えなおし、グローバリゼーションによって生成されるポスト世俗化社会における生活指向を明確にする。これは、グローバリゼーションの現象そのものを対症療法的に捉えることではなく、文化人類学の方法がこれまで培ってきた方法的視座でもってグローバリゼーションを逆照射するビジョンを展開させることにもつながるはずである。
著者
佐藤 知久
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.16, 2008

本発表は、ドラァグ・クイーンという現象についてアメリカ合衆国と日本での状況を比較検討しつつ論じるものである。特に本発表では1990年代初頭の合衆国から日本へのドラァグ・クイーン文化導入の経緯とその後の展開について考察し、日本ではドラァグの「転覆」「脱臼」的な効果がゲイ男性による批判的実践のみならず、ヘテロセクシュアル女性による美や女性身体をめぐる規範の批判としても用いられていることを指摘する。
著者
比嘉 理麻
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第48回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.64, 2014 (Released:2014-05-11)

いわゆる「工場畜産」と呼ばれる環境下で、飼育される家畜たちは、エージェンシーなき客体、あるいは肉を生み出す単なる機械なのだろうか。この問いを出発点に、本発表では、産業化の進んだ沖縄の養豚場の事例から、人とブタの個別具体的なかかわりを明らかにすることで、産業家畜と人間の関係について別の見方を提示することを目指す。
著者
米田 信子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.255, 2008

ナミビアはアフリカ諸語による母語教育を推進しているが,アフリカ諸語の話者たちは英語による教育を望んでいる。英語なくしては現金収入も十分な情報も得ることができない現実の中での選択である。「母語で教育を受ける権利」だけではなく「自分の言語に誇りを持つ権利」が見直される必要があると思われる。本発表ではアフリカ諸語推進の可能性とそこにフィールドワーカーがどのように関わることができるのかについて検討する。
著者
梅屋 潔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.342-365, 1995 (Released:2018-03-27)

新潟県佐渡島の人々の間では,ムジナ(貉(ムジナ))ないしトンチボ(頓智坊)と呼ばれる動物がしばしば話題に上る。この動物は動物でありながら神であり,ときに人間にも変身する存在として知られている。ところが,注意深くこの概念を巡る語りをみてみると,その意味が極めて同定し難いことがわかる。われわれからみると明らかに異質な存在が,同じものであるかのように「あたりまえ」のものとして語られるのである。本稿の目的は,そのムジナについての語りの分析を通じて,従来人類学者が「象徴」という概念を用いる衝動に駆られるとき,いったいなにが起きているのか,また,語りの中でそのような概念の果たしている役割は何か,という問いに答えようとするものである。「あたりまえ」と考えられていることを相対化し,考察するために,従来の中間的話体に加えて,テキストの微視的な分析を行うことにより,われわれ,そしてかれらの中で起こっているコンテキストのくむかえや矛盾の無視などが明らかにされる。
著者
深田 淳太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.98, 2012

パプアニューギニア、ラバウルで用いられている貝貨の原料となる貝殻は、現在国境を越えてソロモン諸島西部地域から輸入されてきている。本発表では、この貝殻の輸出入のプロセスを辿り、そのネットワークがどのような歴史的な出来事と道具立て、そしてその状況に置かれた人々の実践の偶発的な巡り合わせとして出来上がっているのかを明らかにする。
著者
工藤 正子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.116-135, 2009-06-30 (Released:2017-08-18)

本稿の主な目的は、1980年代後期にその来日が急増したパキスタン人男性と日本人女性の国際結婚を事例として、在日ムスリムとしての差異の生成とそれにともなう主流社会との関係のあり方を明らかにし、それが日本社会の多文化共生の課題に示唆するところを考察することである。最初に、これらの夫婦が日本でおかれた社会・経済的布置について、結婚数の増加と自営業への移行という2点から示す。つぎに、関東郊外のモスクに焦点をあて、そうした場に集うことが夫と妻にいかなる意味をもってきたかを検討する。つづいて、子の就学で居住地域の非ムスリムとの関係が形成されるにともない、そこでムスリムとしての差異がいかに包摂/排除されているのかを検討する。最後に、こうした主流社会との関係を、夫と妻それぞれの立場から個別に考察し、さらにこれらの家族形成の過程が日本の地域社会からトランスナショナルな空間につながっていることを指摘する。まとめと考察では、本稿が日本の多文化共生の議論に示唆するところとして次の3点を提起する。第一に、これまでの議論がしばしば「日本人」と「外国人」という単純な差異を想定しがちであったのに対して、そうした二項対立的な図式には回収されない、複雑な多文化化のプロセスと多面的な差異のあり方を明らかにすることがもとめられている。第二に、非ムスリムの主流社会の人々と同じ地域空間を共有しているにもかかわらず、在日ムスリムの微細な日常は見えにくい。その不可視性の背景にある諸要因を検討するとともに、見えにくいマイノリティの声を多文化共生の構築プロセスに反映させていく必要がある。第三に、多文化共生が一時滞在あるいは定着しつつある外国人を主な対象として議論されがちであるのに対して、そのいずれでもない、トランスナショナルな空間を循環移動する人々をも議論の視野に収めていく必要がある。
著者
奥野 克巳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.53-53, 2010

マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)ブラガ川沿いの、人口約500人の狩猟民プナンは、動物と人間の近接の禁止と魂の連続性をつうじて、動物に対する生殺与奪をいわば反省なしに行う西洋とも、動物を殺生する宿命を認めながらも、動物の魂に感謝する日本とも異なる動物との関わり方を発達させてきた。本発表では、プナン社会における動物と人間の関係を民族誌的に記述した上で、自然と社会の二元論について再検討する。
著者
久保 明教
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.518-539, 2007-03-31
被引用文献数
1

1999年に販売が開始されたエンターテインメント・ロボット「アイボ」は、生活空間において人々の間近で動作する初めてのロボットとして多くの注目を浴びた。本稿では、アイボの開発と受容の過程を横断的に検討し、テクノロジーにおける科学的側面と文化的側面がいかなる関係を取り結ぶかについて考察する。科学およびテクノロジーを社会的ないし文化的事象として捉える研究は近年盛んになされてきたが、その多次元的な性質ゆえにテクノロジーを包括的に考察することには困難が伴う。本稿では、アイボという技術的人工物が科学的知識、工学的製作、日常的実践等の接点となっていることに注目し、異なる領域に属する諸要素が接続される様々な局面を分析することで、境界横断的なテクノロジーの動態を捉えることを試みる。そこで明らかになるのは、開発と受容の過程において、科学的要素と文化的要素が組み合わされる中でアイボの有様が方向づけられていったことである。開発過程においては、人工知能研究およびロボット工学上の成果である設計手法を基盤にしながらも、ロボットをめぐる人々の想像力に基づいた語りを工学的装置へと翻訳することによってアイボがデザインされていった。一方、受容過程においては、アイボ・オーナーの生活する空間に特有の日常的な事物の有様とアイボの機能システムの作動が結びつくなかで、アイボの動作が様々な形で解釈されるようになり、開発者の想定を超える意味をアイボは獲得していった。筆者は、開発者による工学的デザインとアイボ・オーナーによる解釈が科学的要素と文化的要素を組み合わせることで妥当性を生み出す営為であったと分析した上で、実在と意味を媒介するテクノロジーの働きにおいて科学と文化の相互作用が捉えられることを示した。
著者
清水 展
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第45回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.22, 2011 (Released:2011-05-20)

私の最初のフィールドワークは、友達の紹介をとおした偶然の出会いに導かれ、当初の予定とは別の地域・民族の村で行った。民族誌を上梓した直後、1991年にピナトゥボ火山が大爆発したとき、たまたまフィリピンにいた私は、噴火被災者の救援とその後の復興を支援活動に関わった。この10年は、世界遺産のイフガオ棚田村の住民主導の植林運動の同伴者として、日本のNGOとの連携に尽力している。自身の経験から人類学と支援について考える。
著者
中生 勝美
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.C17, 2016 (Released:2016-04-23)

第二次世界大戦中に、アメリカの人類学者の90%が軍事・政治組織にかかわっていた。人類学者を、軍事的な活動の必要に応じて差配していたのはクラックホーンであった。アメリカの対日戦を理解するためには、日本語資料を駆使する必要がある。今回、4つの事例から日本との戦争を通じて、アメリカの人類学がどのように変容し、国家機関や軍事部門に如何にかかわっていったのかという観点から、アメリカの人類学史を描いてみる。
著者
箭内 匡
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.223-247, 1993-12-30

この論文は,チリ南部に住む先住民マプーチェの一老人のある語りの分析を通じて,今日のマプーチェの信仰に対する疑い,そんな疑いを持っていた頃にみたきわめて印象的な夢(「ヘリコプターの夢」),そしてその夢の本当の意味を理解するに至った数年前の儀礼での出来事,を回想する。筆者はまず,この語りの部分部分が喚起するイメージの連鎖と,全体の中で反復されるイメージを追ってゆくことにより,この語りが目指しているマプーチェ的な「真実」の全的な反復を跡付けする。そのあと,そうした反復の試みの中に含まれている差異を引き出して,老人の思考の中の新しいものを表出させる。筆者は,彼の思考の中にみられる,こうした伝統との間の差異と反復の運動を,今日,マプーチェの人々が自らの伝統を生きている姿の一端を示すものとして提出したい。