著者
濱野 千尋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

本発表の目的は、ドイツにおける動物性愛者の任意団体「ZETA(Zoophiles Engagement fur Toleranz und Aufklarung/ Zoophiles Commitment for Tolerance and Awareness/ 寛容と啓発を促す動物性愛者委員会)」に属するメンバー8名へのインタビュー・データをもとに、人間と動物の関係、特に獣姦(Bestiality)および動物性愛(Zoophilia, Zoosexuality)を考察することである。
著者
熊田 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第43回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.193, 2009 (Released:2009-05-28)

人間は、ある目的を達成するためだけに生きているのではなく、その過程や行為を楽しむ(「遊ぶ」)ものであると考えたホイジンガは、人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と呼んだ。様々な性行為も、生殖という目的だけで行われるわけではなく、それ自体の面白さを楽しむ「遊び」である。本発表では、あるSMクラブを事例に、そこで働く女性たちがSMプレイをどのように認識しているのかついて、「遊び」を手がかりに検討する。
著者
佐藤 若菜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.305-327, 2014

本稿は父系親族組織を特徴とする中国貴州省のミャオ族を事例に、その民族衣装を介して形成される母娘関係について検討する。特に衣装の製作・所有・譲渡の様態と、婚礼後に見られる実家・婚家間での女性の移動パターンが、1990年頃を境に大きく変化した点に着目する。清水昭俊は、親子の身体的・霊的要素の連続性からかつての接触や融合を想起することで繋がれる両者の関係を、呪術的な性格をもつ「共感的な」関係と表現した。これに対し本稿では、現地の社会経済的な変化とともに生起した母と娘との関係を明らかにすることで、この関係もまた衣装を介して「共感的」に築かれたことを指摘する。1980年代までミャオ族の女性は婚礼を挙げると一旦実家に戻り、数年滞在してから婚家での生活を始めていた。新婦は実家での滞在を終え、婚家へと移動する際に衣装を持参していたのである。しかし1990年代以降、この実家での滞在期間は数日間に縮小され、新婦は早々と婚家での生活を始めるか、夫とともに出稼ぎに出るようになった。その一方で、衣装を婚家へ持参する時期は、その後の第2子出産か実母の死去まで延期されるようになったのである。これにより娘が実家を離れてもなお、衣装を介した母娘関係は持続するようになった。以上の事例から、衣装がつなぐ母娘間の「共感的」関係は、身体的・霊的要素によって内在的に親子の間に存在したのではなく、むしろ現地の社会経済的な動態を背景に築かれたことを示す。すなわち、衣装の価値の高まりと、実母が娘の衣装を製作するというサイクルの普及、および婚姻の変化によって、衣装は既婚女性の(実家ないし婚家への)帰属に働きかけるものとなった。これにより、母親が娘のために製作した衣装をめぐって母娘間に新たな所有の関係が生まれ、そこに娘の婚家への移動過程の変化を反映した意味づけがなされたことにより、1990年代以降、衣装を介した母娘の「共感的」関係が動態的に生起したことを指摘する。
著者
松園 典子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.297-304, 1982-12-30
被引用文献数
1
著者
小林 高四郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1-2, pp.36-46, 1956-08-10 (Released:2018-03-27)

As formerly Prof. Egami published an article titled "On the beverages and foods of the Hsiungnu (匈奴), Mr. Hotta recently dealt with the same problem in detail also (vide "The Shigaku", Vol.27, No.4, a journal of the Keio University). But owing to the anbiguousness of the Mongolian language and the inaccuracy of the Chinese documents, we are not yet able to understand exactly the substances and their Mongolian names. So some questions remain uncertain still. Accordingly the present author aimed to explain the real meanings of such Mongolian words as "airan", airaq, araxi, esug, cigen, kumys etc., and the identity with the Chinese characters denoting the above mentioned beverages, 酪 lo, 馬酪 ma-lo, 賣 su, 阿児赤 arci, 哈刺赤 haraci, 馬〓子 ma-nai-tzu, 醍醐 ti-hu etc., principally from the philological points of view. The results led us to the correction of the opinions of Mr. Hotta, late Prof. Ramstedt, and Prof. Karlgren. Moreover the author explained the Mongolian words, 'sarχud', 'bisilarγ' and 'bor'.
著者
上杉 妙子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第46回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.84, 2012 (Released:2012-03-28)

本発表では、旧英領インド陸軍及び英国陸軍に雇用されてきたグルカ兵の通婚規制を取り上げ、配偶・生殖過程の管理に注目する観点から英国の国際戦略におけるマーシャル・レイスの位置づけ及び主体的関与を明らかにする。結論として、1)グルカ兵が自主的に通婚規制を行ってきたことと、2)通婚規制が、駐屯地周辺の人々との民軍関係を調整しマーシャル・レイスのブランドを維持するための境界作業として機能してきたことを指摘した。
著者
植村 清加
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.271-291, 2004

本論文はフランス、パリ地域に住むマグレブ系移民第二世代が語る<つながり>のかたちを検討することから共同体を再考する。個人を基礎とする「市民たちの社会的つながり」に価値をおくフランス社会において、マグレブ系の人々はその「民族的共同体」や「共同体的属性」が可視化され周辺化された状況にある。その周辺化された「共同体」を自身の生活空間および社会関係の一部とする第二世代の人々は、親たちと自分を差異化し、「出身共同体の文化」から身を引き離してフランスの市民像にうまく合致する自己表象を行うが、その語りからは具体的な生活空間における対面的な関係をさす共同体への言及がみられる。本論文では、そうした彼らの語りと空間実践を、マルク・オジェが提示した「非-場所/場所」の概念、およびミシェル・ド・セルトーが提示した実践される場所としての「空間」概念にヒントを得て検討していく。こうした空間概念を用いることの主眼は、彼らの生活空間を形作ってもいる匿名的な「非-場所」としての都市において対面的な関係がもたれる「空間」に注目するためであり、そうした視点から<つながり>を分析することにある。彼らの語る「私たちの共同体」および「私は私たちの共同体からでている」という語りと空間実践の分析を通して本論文が提示するのは、彼らがローカル化された意味をもつ生活空間における対面的な交換や異なる意味の関係の重ねあいを通して<つながり>を語るとともに、そうした<つながり>を、意味づけの異なる関係と空間へと分割しながら共同体を維持しているということである。本論文は、「公私の区別」という空間概念を導入して提示されるフランス市民像における「個人」と「共同体」のあり方と並存して、そうした区分を横断する形で「個人主義的」であると同時に多民族的で、差異を含みもつ<つながり>としての共同体が生きられていることを、こうした彼らの実践から明らかにする。
著者
梅屋 潔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.274-284, 2018

<p>This paper argues the effectiveness of a strategy by President Museveni's campaign for reelection to conduct a series of government re-burials of or commemorative ceremonies for great men with West Nilotic origin who had been murdered by then-President Idi Amin. The attempt is to describe the attitude of the Western Nilotic peoples in Uganda towards a series of events, and to confirm how individuals with voting rights are inseparably connected to the identity and sentiments of their ethnic group. The re-burials clearly show that modern presidential elections in Uganda have an emotional aspect as well as a civic one. The series of events, and the strategic effectiveness displayed, force us to rethink the universality of the idea of the concept of "citizenship." That concept—as with all concepts of Western origin believed to be universal—has been interpreted and appropriated reasonably within an autochthonous cosmogony, and might be seen to be interwoven with autochthonous concepts in Africa and other areas after being imported from the West.</p><p>Because of the series of events, the people of Western Nilotic origin, or at least those who can assert to have some connection, supported President Museveni as he honored the great dead men of their ethnicity. This time, the reburial was an epoch-making strategy to address the issue, and even successfully managed to integrate people based on their ethnicity, even though the late Oboth-Ofumbi was not especially beloved by all his neighbors. Another issue was the role of religious and spiritual dimensions in peopleʼs voting behavior. The government's honoring of the dead positively affected people in neighboring communities. It can be said that the dead thus demonstrated agency to the living, having intervened in the actions of the living. In a sense, they—ontologically, the dead—shared a social space with the living in terms of personhood, which, for people of Western Nilotic origin, inevitably includes those who have already died. A consideration of the state of the dead can thus greatly influence their voting behavior.</p><p>(View PDF for the rest of the abstract.)</p>
著者
田原 範子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.233-255, 2018

<p>本稿は、アルル人の死者祈念の最終儀礼をとおして、死者と生者の交流について論考するものだ。死者祈念の最終儀礼は、死後10年くらいまでに、死者のクランが、他のクランを招待して饗宴をもつことで完了する。2つのクランは、笛と太鼓と踊りに3夜連続、興じながら、死者のティポ(精霊)を祖霊の世界へ送りだしてきた。ところが、ウガンダ共和国ネビ県においては、死者祈念の最終儀礼は1987年が最後であった。このまま儀礼が消滅することを案じた筆者は、パモラ・クランのウヌ・リネージの人びとに協力し、2009年より準備を重ね、2012年3月に簡略化した死者祈念の最終儀礼を行った。</p><p>調査対象の社会に対して、こうした働きかけをすることに迷いがなかったわけではないが、消えゆく儀礼を若い世代へ継承する一助になればという気持ちがあり、映像化を試みた。また、対話的に儀礼を生成する過程をとおして、当該社会の意思決定過程や社会関係を学べるのではないかと考えた。人びとと共に死者祈念の最終儀礼の再興を模索する過程で、パモラ・クランの人びとがコンゴ民主共和国の人びとの支援を受けたり、ウガンダ国内の異なるクランの人びとから助けられたりする状況が明らかになった。この儀礼は、日常生活では関係を密にしない生者たちが再会し、音楽と踊りを楽しみ、共に飲み、共に食べることをとおして、友好関係を再確認する場でもあった。本特集に執筆しているニャムンジョの言葉を借りれば、死者祈念の最終儀礼とは、一過的で集合的なコンヴィヴィアリティを構築する場であった。</p><p>本稿では、こうした死者祈念の儀礼空間に、緩やかな連帯関係にあった生者が参入し、儀礼を共同して構築すること、この一時的で流動的な共同性を、リチュアル・シティズンシップと名付けた。それは、死者という存在によって生者たちが構築する共同性であり、死者と生者が交流する場に現れるシティズンシップである。従来、シティズンシップにかかわる研究は、生者を中心に行われてきた。なぜならシティズンシップの根幹には、法的・政治的・経済的、すなわち現世的な権利や義務の制度があり、そこに死者の存在は勘案されることはなかったからだ。しかし死者や祖霊の存在は、私たち生者の日常生活に深く根をおろしている。本稿では、死者という存在を含めた共同性を考察するために、従来のシティズンシップ概念に死者を含めるリチュアル・シティズンシップという新たな概念を提唱した。その概念を使用することにより、死者祈念の最終儀礼の記述をとおして、アルル人のクラン間の緩やかなつながりを考察し、生者の共同性の底流にあるものを明らかにすることを試みた。</p>
著者
三尾 稔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.334-355, 1994-03-30

南アジア各地で祝われるドゥルガー女神の例大祭は,ヒンドゥ王権の儀礼的な側面はほとんど見いだされない。隣接地域の過去の民族誌の検討により,事例間の差異の理由は文化的多様性ではなく歴史的変化に求められることが明らかとなる。インド独立以後の急速な社会変容は,超歴史的とされてきたヒンドゥ的王権を基盤とする村落社会構造を根底から揺るがし祭礼の過程をも変化させたと解釈できるのである。本論では,女神の祭礼の変容の様相を祭礼の行われる農村の社会変化と対応させながら具体的に記述し,最後に今日も依然として盛大に祝われるこの祭礼の今日的な意義を検討する。
著者
中川 敏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第47回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.37, 2013 (Released:2013-05-27)

本発表は他者にエージェンシーを付与する(志向姿勢をとる)ことについて考察する。第一部では、生活世界においてわれわれが他者にエージェンシーを付与するのはどのような状況なのかを考察する。第二部では、他者が論理空間の外部ならば、 他者は「謎」として現れるという野矢茂樹の指摘を受け、 そのような他者に対する姿勢、志向姿勢を越えた姿勢(倫理姿勢)の可能性について考察する。
著者
藤本 武
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.21-43, 2007

人類共有の財産とみなされてきた世界各地の多様な作物は、今日地域の文化資源や世界の遺伝資源と認識され、保護が模索されるとともに、そのアクセスと利益配分をめぐって国際的な議論がかわされつつある。ただ、そうした多様な作物がもっとも豊富にみられるのは周辺地域の諸社会であり、文化人類学からの貢献が期待される。本論が分析するのも、アフリカのなかで例外的に長い国家の歴史をもつエチオピアにあって、その西南部という十九世紀末に国家体制に編入され、今日数多くの民族集団が分布する周辺地域における一少数民族の事例である。従来の研究では、各民族集団における固有の生態条件や文化的慣習との関連でその多様性が考察されることが多かった。しかし時間・空間的な範囲を広げて検討した本論の分析からは、今日の民族集団の枠組み自体が自明なものでなく、国家体制に組み込まれる以前、人びとは境界をこえて活発に移動をくりかえしてきており、むしろそうした広範な移動・交流によって今日の多様な作物・品種の基礎が築かれていたことが示唆された。また自給自足的だった経済は国家編入を契機に変化し、二十世紀に外部供出用の余剰生産を企図した穀物栽培が拡大するなかでその品種への関心は低下し、一部の穀物品種はすでに失われ、あるいは現在消失の危機に直面している。その一方、果樹や香辛料、野菜などの副次的な作物が外部から次々ともたらされ、庭畑に積極的に植えられることで全体の作物の種類は増えてきている。つまり、近年の作物の多様性の動態は一様ではない。ただ、いずれも社会のあり方と密接にかかわって変化するものであることを示している。今後作物資源の保護を模索する際は、民族集団などの単位で閉じた静態的なモデルにもとづいて構想するのでなく、より広い範囲を対象に人びとどうしのつながりや交流を促していく動態的なモデルにしたがって構想していくことが望まれる。
著者
山口 未花子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.260-260, 2008

カナダの狩猟採集民であるカスカの人々にとって、ヘラジカは最も重要な狩猟対象動物である。本発表ではヘラジカ皮の利用方法について明らかにすると共に、その実用性や経済的側面、文化的な価値について検討する。そしてヘラジカ狩猟活動系においてヘラジカと人間との関係を維持する精神的な戦略としてヘラジカ皮利用を位置づけると共に、他の動物の皮利用との比較を行いカスカ社会におけるヘラジカの重要性を明らかにしてゆく。
著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
福西 加代子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.158-158, 2009

日本国内に散在する自衛隊基地や在日米軍基地で毎年、航空ショーがおこなわれている。航空ショーでは、地上での戦闘機への試乗や、飛行展示などをメインとして、自衛隊や米軍の地域社会での活動の紹介や、軍用機の技術を幅広く展示している。本発表では、2008年に日本各地でおこなった、航空ショーでのフィールドワークをもとに報告し、航空ショーにおける軍事力展示の位置づけを示す。
著者
菅野 美佐子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.A05, 2016 (Released:2016-04-22)

本報告では、女性調査者が現地社会と自らの帰属する社会の双方のジェンダー規範やジェンダー構造に絡め取られながら実践するフィールドワークを「ジェンダー的価値の交差点」ととらえ、そのなかで調査者はいかなるポジショナリティの変化を経験したり、困難的状況に直面し、それにどう向き合い、あるいは今後どう向き合っていけばよいのかを、子連れフィールドワークの経験から考察することを目指す。
著者
中西 定雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.265-266, 1975-12-31
著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.105-127, 2012-06-30

本稿の目的は、カナダ極北圏の先住民、イヌイトの人びとの間にみられる一連の諸技術を一つの事例に、「自然=人間(社会・文化)」の一元論的視点から人類の技術の営みを世界生成の機械として捉える自然=文化人類学の技術複合システム論を提示し、その可能性を探ることである。そのために、本稿ではまず、イヌイトの生業システムについて検討し、その生業システムによって、「自然」も「人間」もない一元的な世界から、イヌイトやさまざまな野生生物など、さまざまなカテゴリーが絶え間なく産出され、一つの秩序化された生活世界が持続的に生成されてゆくメカニズムを明らかにする。そのうえで、この生業システムがイヌイトのさまざまな技術の営みを組織化する統辞法になっていること、すなわち、この生業システムによって、野生生物を含めた生態環境とのかかわり合いをめぐる技術と知識から、社会関係をめぐる社交の技術にいたるまで、イヌイト社会にみられる一連の諸技術が、一貫した技術複合システムとして安定的かつ柔軟に組織化されている様子を追跡する。そして最後に、このイヌイトの技術複合システムの考察を通して、「自然=人間(社会・文化)」の一元的な存在論から出発し、人類の技術の営みを世界生成のための機械として捉える自然=文化人類学の視座を提示し、その自然=文化人類学の視座が人類の技術の研究に対して拓く可能性について考える。