著者
梅津 綾子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.C02, 2021 (Released:2021-10-01)

イスラームの古典的解釈では同性婚が認められておらず、同性愛ムスリムが差別や迫害を受け国際問題となっている。日本にも性的少数者(LGBT)のムスリムはいるが、その実態はあまり解明されていない。本発表では日本人LGBT信者への聞き取りから、古典的解釈を選択的に重視することにより、同性婚と信仰を両立させうることを示す。そしてジェンダー公正と信仰が両立しうる日本版イスラーム文化の可能性を示唆する。
著者
里見 龍樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.161-179, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
18

本稿では、ソロモン諸島マライタ島北部で特徴的な海上居住を営んできたアシ/ラウにおける葬制とその変容について考察する。オーストロネシア語圏の複葬慣習に関する一群の研究には、葬制が、生前の通婚・姻族関係を儀礼的に解消し、死者を集合化することを通じて社会集団を再生産するという共通理解が見出される。本稿では、反復的な移住の中で海上に居住してきたアシの葬制が、この通説に回収されえない独自性をもつことを示す。 キリスト教受容以前のアシの葬制は、死者の頭蓋骨を切除・保管した後、特定の場所に海上移送する「トロラエア」という慣習を中心としていた。遺体の取り扱いの3つの段階からなるこの葬制は、個別的葬送から集合的葬送へと明確に移行する。とくに最後の段階は、同一氏族に属する死者たちの頭蓋骨を、父系的祖先のかつての居住地へと移送するものであり、氏族における祖先崇拝の一体性を維持する意義をもっていたとされる。 ただし以上の側面は、アシの伝統的葬制の一面にすぎない。他面において女性の個別的葬送は、出身地と婚出先という2つの場所・集団の間における女性の二面的な立場を明確に反映している。しかも注目すべきは、通婚・姻族関係をたどって移住を繰り返してきたアシにおいて、氏族の集合的葬送が一面で、女性の個別的な移住と葬送を再現しているという事情である。本稿では葬制に おける集合性と個別性のこのように逆説的な関係に、アシの葬制の独自性を見出す。 しかし、20世紀を通じて進展したキリスト教受容により、アシの葬制は根本的な変質を遂げる。新たに形成されたキリスト教的葬制において、死者はあくまで個別的に埋葬され、またコンクリート製墓標の普及により、埋葬地の個別性と固定性はいっそう強められた。本稿では、このような葬制が現在のアシにある困難をもたらしていることを指摘する。
著者
久保寺 逸彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3-4, pp.230-236, 1952 (Released:2018-03-27)

According to the standard literature, the Ainu are indifferent to ancestor worship, as evidenced by the fact that they do not visit the graves of the dead. This judgement is mistaken. It will be shown here that they practice the worship of the souls of their ancestors with no less proper ceremony and frequency than other peoples. The ceremony in question is divided into two categories : nurappa and shi-nurappa. (1) When the Ainu brew a small quantity of sake, or they are presented with it, they hold a small-scale nurappa. (2) Periodically in spring and autumn, and most ceremoniously in winter, each family of the village brews a large quantity of sake and invites many relatives and neighbors and holds a large-scale shi-nurappa. These ceremonies may be performed by themselves or as part of other religious services such as the iomante (bear-festival). Since the dead are considered deities who live in the subterranean divine land in the same way as they did on earth, the souls of the ancestors should be worshipped along with other deities, and other deities are usually worshipped along with the souls of the ancestors. The ceremony for the souls of the ancestors is performed before a special altar, which is erected between the sacred window on the east side of the house and the nusa-san altar in front of the window (Fig.3 on p.53). One male and several females participate in the ceremony. The former is the family-chief, or a representative of his who is aged, eloquent, and well versed in ritual formulae, and should belong to the patrilineal descent of the male ancestors of the family ; the female participants have, as a rule, the same upshor forms (s. p.69) as those of the female ancestors being worshipped on that occasion, that is to say, they belong to their matrilineal descent. The male worshipper erects ceremonial shaved sticks (inau), makes libations, offers prayers to the ancestral souls, and crushes sake-lees, tobacco, cakes, and other offerings in his hand and scatters them around. The female participants also take these offerings in their hand, and crush and scatter them ; in former days, however, they seem to have offered prayers, too. After this the women have a drink by themselves, eat some of the offerings, and dance solace to the ancestral souls ; in the house the men have a feast toward nightfall. Another prevalent misconception is that Ainu women are not qualified to participate in religious ceremonies. Therefore, it is all the more significant that in fact the matrilineal female descendants worship the souls of their female ancestors during these ceremonies. One of the chief findings of our 1951 joint research on the Ainu is the fact that in their social structure matrilineal descent prevailed for females and patrilineal descent for males. The author intends to take this peculiar feature of their social structure into consideration in analyzing their religious rites and ceremonies.
著者
赤澤 威
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.517-540, 2010-03-31

アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した。この結末については考古資料、化石、遺伝子の世界で明示できるが、なぜ新人に軍配が上がったのか、両者の間には一体何があったのか、何が両者の命運を分けたのか、誰もまだ答えをもたない。このネアンデルタール絶滅説の検証に取り組み、数々の成果を挙げたのが"Cambridge Stage 3 Project"(T.H.van ANDEL&W.DAVIES eds.2003 Neanderthals and modern humans in the European landscape during the last glaciation)である。Stage3とは6万年前から2万年前のこと、ヨーロッパ大陸は最後の氷期に当たり、同時にクロマニョンの入植そしてネアンデルタールの絶滅という直近の交替劇の起こった時代である。本プロジェクトは、交替期の気候変動パタンとそれに対するネアンデルタールとクロマニョン両者の適応行動の違いをみごとに復元した。この研究によって交替劇の存在を裏付けるデータは着実に蓄積され、交替劇がいつ、どこで、どのような経過をたどって進行したか、少なくともヨーロッパ大陸を舞台とする交替劇に関する記述的部分は具体化され、交替期における旧人社会と新人社会の間の相互作用の概略が見えてきた。本稿は、同プロジェクトの成果を参考にしながら、ヨーロッパ大陸を舞台にして、両者はいつ、どこで、どのような経緯をたどって交替していったか、その概略を述べ、そこから交替期の時代状況に対して両者の採った適応行動の違いを考察し、交替劇の原因に迫ってみたものである。
著者
服部 四郎 知里 真志保
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.307-342, 1960-11-30 (Released:2018-03-27)

In 1955 and 1956, the authors and others were able to investigate the Ainu dialects, which were on the point of dying out. Some of the informants were the last surviving speaker or speakers of the dialects, and all of them were very old people. Some of them even have died since our investigation. In this article, we present the lexicostatistic data of 19 dialects, of which 13 are those of Hokkaido and 6 are those of Sakhalin. All the field work was done in Hokkaido. Some informants spoke Ainu fluently, but others spoke imperfectly and were unable to remember several words. In §4 (Table I on p.37&acd;p.59), the Ainu words are arranged according to Swadesh's 200 item list. In §5 (cf. Table II inserted), cognate residues are marked with +; non-cognates with -; cognates and non-cognates with±(when one or both of the dialects have two forms, and the inperfectness of the record does not allow us to decide which is more basic); questionable etymology or choice with ○; doubtful record with?; no answer given with・; lacuna of record with ( ). On Table II, all + have been omitted, except for ±. In §6, problematic points in the computation of residues are discussed. In §7 (Table III and Fig.2), the percentages of the residual cognates are shown in figures and graphs. In §8, the significance of the figures on Table III (Fig.2) is discussed. It is pointed out among other things that there is a remarkable gap between Hokkaido dialects and those of Sakhalin, Soya, the northernmost of Hokkaido, being the closest to the Sakhalin dialects. A significant gap is also seen between Samani on the one hand, and Niikappu, Hiratori, and Nukkibetsu on the other, which coincides with the discrepancies in other culture and customs, etc. In §9, the data on Table I are examined from the view-point of linguistic geography. In §10, questions concerning the computation of time-depth are referred to. In §11, the items, with regard to which the Hokkaido and Sakhalin dialects diverge from each other, are compared with those with regard to which the Ryukyuan and the Japanese dialects diverge from each other. It is found that the only common item in the two lists is 47. knee. Thus, it is possible to state that Ainu and Japanese have had the tendency to change in different directions, in so far as the 200 item list is concerned. In §12, it is pointed out that Japanese loanwords in Ainu and Chinese loan-words in Japanese are very few in so far as the list is concerned. Hattori does not think it impossible that the root √<kur> of Ainu and the forms of Japanese, Korean, Tunguse, and Turkic (on p.66) are cognates from the possible parent language of all these languages. It is hoped to promote comparative study of this kind.
著者
渕上 恭子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D11, 2020 (Released:2020-09-12)

2009年、ソウル市冠岳区の主サラン共同体教会が、未婚の父母等、産みの親が育てられない赤子を置いてゆく「ベビーボックス」を設置し、以後10年間で1,600人の棄児を保護してきた。「ベビーボックス」は、生存が危ぶまれる棄児達を救っている一方で、嬰児遺棄を助長しているとの批判を免れないでいる。本報告で、「ベビーボックス」への嬰児遺棄が増え続ける背景と、そこにやって来る未婚の父母に対する子育て支援のあり方を考える。
著者
濱野 千尋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

2016年の秋および2017年の夏の合計4か月間、ドイツにて行った動物性愛者たちへの調査から得られた事例を通して、人間と動物の恋愛とセックス、および動物性愛というセクシュアリティの文化的広がりについて考察する。異種間恋愛に見られる人間と動物の関係をダナ・ハラウェイの伴侶種概念を基盤に説明するとともに、動物性愛者のセックスが抑圧から脱する可能性を検討したい。
著者
星野 晋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.460-481, 2002-03-30
被引用文献数
1

本研究は、エホバの証人の輸血拒否を、新しい医療技術の開発によって医療現場で生じた文化摩擦であると位置づけ、この問題をめぐる日本の医療環境の変化の過程を見ていくことにより、医療と技術と文化の関係を検討することを目的とする。エホバの証人(法人名、ものみの塔聖書冊子協会)は、19世紀末にアメリカで誕生したキリスト教系の宗教団体であり、血を食べてはならないという聖書の記述を根拠に医療現場で輸血を拒否することが、さまざまな国で社会問題になった。日本では、1985年交通事故に遭った小学生の輸血を両親が拒否し死に至ったことがマスコミで報道され、エホバの証人、信者である両親、輸血を強行しなかった医師等が非難の的となった。1990年前後から、輸血拒否問題をめぐる状況は大きく変わり始める。患者の自己決定権、インフォームド・コンセントといった概念が社会的に認知されるようになってきたが、これらの考え方はエホバの証人の輸血を拒否し「無輸血治療」を選択するという主張と合致するものであった。一方、薬害エイズ問題等で輸血や血液製剤の危険性が改めて注目されるところとなり、その回避にもつながる新しい薬剤や技術が開発されはじめる。その結果、輸血は人の生死を分ける唯一の選択肢ではなくなった。また協会はそのころ、新しい技術や無輸血治療に理解を示す医師等についての情報を信者に提供するなどして信者と医療の架け橋の役割を果たす、医療機関連絡委員会等の部門を設置する。結局、医療側とエホバの証人は、それぞれがいだく信念の直接衝突を避け、インフォームド・コンセントの枠組みを最大限に利用し、その場面でなされる利用可能な技術の選択という一般的なテーマに輸血拒否の問題を解消させる。その結果この文化摩擦は解決する方向に向かっているといえる。
著者
森 雅雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.66-85, 1997-06-30
被引用文献数
1

本稿は, 近代において日本人がどのように「他者」を認識したのか, そして日本の民族学がその歴史の中にどのように位置づけられるのかを検討しようとするものである。幕末と明治期における日本人, 特に武士や士族は東アジアにおける共通語である漢文によって「他者」と意志疎通することができた。1850年代のペリー来航の時も, 日本は鎖国政策を採っていたけれども, 通常考えられている以上に効果的に彼らと交渉することができた。これは彼らの漢文能力によるものと考えられる。日本の武士は漢文を通じて「他者」を知ることができたのである。明治時代初期においても, 日本人はなお漢文による論理の儒学の教えが身についていた。このことは日本人が国際法のような西洋の規範を採用する基盤となったと思われる。日本における人類学の創設者坪井正五郎は武士の子弟であり, 西洋の人類学を取り入れ, 日本人を外来種と見ることに躊躇しなかった。大正時代は「他者」の認識が希薄になる時代である。日本人から武士の精神が失われるとともに「自己」に対峙する「他者」の認識は失われていった。それ故, 台湾や朝鮮のような日本の植民地は, 主権国家によって支配される地域ではなく, 日本の同質の一部として見られる様になるのである。これ以降, 日本はこれに対峙する「他者」のないままに拡大してゆくことになる。人類学者も日本人を古来より存在している単一民族として見るようになる。民俗学者柳田国男も日本民俗学を外国を必要としない一国民俗学として成立させる。日本民族学はこの日本民俗学から生まれた。しかも日本民俗学が持っていた方法や観点の一貫性さえ失ってしまったのである。即ち何かを一貫したものとして見るために要請される「他者」というものを。そしてそれは第2次大戦後の民族学者の変わり身の早さや石田英一郎の色々な方法に対して示した抱擁力に見ることができるのである。
著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.247-270, 2005-09-30 (Released:2017-09-25)

今日、カナダ極北圏では、イヌイトの伝統的な生態学的知識に大きな関心が集まっている。近代科学とは異なったパラダイムに基づいてはいるが、極北の環境について近代科学に勝るとも劣らない精確な情報を蓄積しているその知識に、環境管理に貢献する可能性が期待されているからである。本稿の目的は、この伝統的な生態学的知識の基本原理を探るために、狩猟・漁労・採集というイヌイトの生業活動で展開される実践知に焦点を絞り、その実践知において記憶と身体が果たしている役割について分析することである。本稿ではまず、第II章でイヌイトの生業活動においては実践知が中核的な役割を担っていることを確認するとともに、それを解明するためには、時間の流れの中で機能する記憶のメカニズムに注目する必要があることを示す。さらに第III章では、「差異の反復」という考え方をイヌイト社会の社会・文化的コンテキストに位置づけ、この考え方がイヌイト社会に広く浸透していることを論証する。これらの準備作業をふまえて、第IV章と第V章では、イヌイトの伝統的な生態学的知識において記憶が機能するメカニズムを探るために、生業活動の実践と狩猟の物語という伝統的な生態学的知識の2つの側面を分析し、生業活動の中核をなしている実践知において記憶が機能するメカニズムの仮説的なモデルを提示する。そして最後に、本稿で提示したモデルに基づいて、イヌイトの生業活動においては、身体と一体化した記憶が過去を資源化する場となっているのではないかという仮説を提示する。
著者
河西 瑛里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.166-166, 2008

キリスト教到来以前のヨーロッパにおける信仰の復興運動、ネオペイガニズムを通して、伝統の創出について考える。本運動は、外部からは創られた伝統とされるが、当事者は過去との連続性を主張し、「本物」の信仰の復興をめざしている。その一方で、北米やオーストラリアの先住民族の文化を積極的に取り入れている。ここでは、とりわけドルイドの実践を取り上げ、彼らがなぜ「伝統」を復興させようとしているのか、考えてみたい。
著者
小川 さやか
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.172-190, 2019 (Released:2019-11-11)
参考文献数
27

インターネットとスマートフォンが普及し、人類学者が調査している社会の成員みずからが様々な情報を発信するようになった。本稿では、香港在住のタンザニア人と彼らの友人や顧客などが複数のSNSに投稿した記事や「つぶやき」、写真、動画、音楽、絵文字などの多様な発信を「オートエスノグラフィ」の「断片」とみなし、断片と断片が交錯して紡ぎだされる自己/自社会の物語を「彼らのオートエスノグラフィ」と捉え、その特徴を明らかにする。香港のタンザニア人たちは、SNSを利用して商品情報や買い手情報を共有し、アフリカ諸国の人々と直接的につながり、オークションを展開する仕組みを形成している。彼らはそこで一時的な信用を立ち上げ、多数の顧客と取引するために、好ましい自己イメージにつながりうる断片的情報を投稿する。彼らが投稿した多種多様な断片的な情報は、他のユーザーとの間で共有されることによって価値を持つ。また異なる媒体に投稿された断片的な情報は、インターネット上で他者の欲望や願望と交錯し、偶発的に継ぎはぎされ、いまだ実現していない個人の可能性を示す物語となっていく。本稿ではこのような形で生成する被調査者の多声的なオートエスノグラフィの特徴について認知資本主義論を手がかりにして明らかにする。それを通じて人類学者によるエスノグラフィの特徴を逆照射し、ICTを活用したエスノグラフィの新たな方法を模索することを目的とする。
著者
片岡 樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.23, 2018 (Released:2018-05-22)

近代以降の神仏分離、神社合祀、政教分離といった一連の政策が、我が国の宗教的景観を一変させてきたという認識は大筋では正しいとしても、一部に過大評価を含んでいるのではないか。本報告では、愛媛県今治市菊間町の神社・仏堂の現状に関する悉皆調査の結果から、そうした国家主導の宗教再編をかいくぐるうえで未公認の小社や小堂が果たしてきた役割について再検討する。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

ヤンバルクイナは、やんばる地方のみに生息する無飛翔性鳥類である。琉球人の共存の歴史は長いが、民間伝承の中にクイナは明示的に登場しない。クイナは赤い嘴と足で忙しく地上を走り回り、道具を用いて大型のカタツムリを食べる。沖縄のキジムナーのもつ特徴は、クイナのもつ形態・行動的特徴と類似している。鳥と人間との境界的特徴が、現実世界と異世界の境界的存在としての妖怪のモチーフとなったとする仮説について検討する。
著者
田中 雅一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第48回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.111, 2014 (Released:2014-05-11)

本発表の目的は、緊縛(rope art)の海外への普及を取り上げることで、グローバリゼーションの文化人類学や性の文化人類学、文化の真正性についての議論に寄与することにある。現在、緊縛はkinbakuやshibariとして世界各地で受容されている。日本の伝統的な性の実践とみなされてきた緊縛のグローバル化の経過や「kinbakuは本当に日本文化なのか」といった論争を取り上げる。
著者
西江 仁徳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

野生チンパンジー研究の現場での実践について、「ある特殊な生業に従事しているエスニックグループ」として野生動物研究者をとらえ、その一員としての発表者自身の経験を内省的に記述することで、現場での異種混淆的な知の創出過程を捉え直す。