著者
太田 光明 江口 祐輔 大木 茂
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.110-123, 2007

宏観異常現象というのは,「特別な機器を利用せずに観察できる異常現象」である。この言葉は地震前の前兆として起こる様々な異常現象に対して使われ,古今東西を問わず,様々な形で世の中に知れ渡っている現象である。兵庫県南部地震以降,この異常現象は注目され様々な形で取り上げられている。特に,動物の行動異常に関する情報は多く,この異常現象の情報をうまく収集することができれば,短期予測が可能なのではないか,と考えられる。そのことから,麻布大学動物人間関係学研究室(現:介在動物学研究室)では,NTTドコモの第三次携帯端末FOMAを利用して,イヌとネコの飼い主から普段見受けられない異常行動を発現したときにその行動を写した動画を同研究室に送信し,その行動は地震前兆前の異常なのかどうかを客観的に分析し,異常行動を起こすメカニズムや異常行動に関するデータを収集する,というシステムを始動している。この研究は,このFOMAを利用したモニターの説明を受けた人々が,宏観異常現象(特に動物の異常行動)や,このようなシステムに関してどのように受け止めたのかなどを,アンケート形式で答えていただいて,システムや地震,宏観異常現象の研究についてどのように考えているのかを分析していくものである。アンケートの結果から,ほとんどの人が大学の研究内容について知る機会がないとの回答であった。また,アンケートに回答していただいた方のうち,動物を飼っている人が過半数であるにもかかわらず,モニター参加をしてもよいと答えていただいた人は17%ほどしかいなかった。自由回答の欄では宏観現象について興味があると答えていた人でも実際には自ら「モニターになりたい」と答えていた人はほとんどいなかった。臨震情報を作り上げる上で,動物の異常行動の小さな情報を積み上げていくことは,とても重要なことである。臨震情報によって,多くの命を救うことができることが,被害想定でもしっかりと予測されている。地震の被害を最小におさえるために,各専門家や企業,個人が自分には何ができるのかをしっかりと考えて行動し,「差し迫る危険」に対してどう対処すべきなのかをじっくり考える機会を待つべきである。このシステムに参加することにより,日ごろから地震に対する防災意識が芽生えるとともに,ペットとのよりよい関係を築くことができれば,よりよいペットとの住空間を作り上げることができると考える。

2 0 0 0 OA 日本獸醫學史

著者
白井 恒三郎
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
1967-06-28

(1)創始期 我国獣医学の創めは明かでなく,只,神話伝説によってのみ,その一端を知るのである。そこに神話の値うちがあると云える。そして私は系統的に日本獣医学史を作りあげ,この学問の基礎ずけを行なうこととした。先ず始めて獣医治療術を手がけたのは,神話伝説の中に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)によるもので,兎が皮をはがれ鳴いているのを治療したわけである。そして,大国主命は更に少彦名命(すくなひこなのみこと)と力をあわせて日本の畜産のために獣畜の健康と病気治療に尽したのである。勿論人々の生存や家畜,農業のために色々計画し,その発展を図ったので,人畜の治療はその一部分に過ぎないわけであった。 この頃から治療薬として草根木皮37種が開発され,人の治療のみならず獣医術の実施に役立ったものである。(2)太子流の始め 第33代推古天皇の頃(西歴595年)に高麗(こま)の僧恵慈が入国し,聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのおうじ)並に橘猪弼(たちばなえのすけ)が恵慈について療馬の法を学んだ。即ち太子(たいし)と,太子の命令による橘の両人が今の朝鮮から来た僧によって馬医術を学んだもので,この術は太子流として後世に伝えられた。 当時は三韓を朝鮮と呼び高麗はその一部である。そして,ここから医,獣医の術や馬匹が輸入されたけれども,その元は今の中華人民共和国即ち中国大陸にあったので,中国の学問が韓国を経て日本に入ったものと見てよい。(3)大宝律令と獣医の制度 第38代天智天皇の時代(西暦667年)に律令12巻を発布した。 文武天皇の大宝2年(西歴701年)にこの法令を完成して大宝律令(たいほうりつりょう)と称した。その従8位の部に馬医師があり,一つの官等が与えられた。その第23篇が厩牧令で病馬のこと,馬薬療病のことが定められていた。又,元正天皇の頃(719年)に左右馬療の馬医が笏(しゃく)を持つことが記されている。 (4)中国大陸からの獣医術輸入 かくて韓国から,その後中国大陸から,色々な物資,書類などが輸入されたが,中に獣医術に関するものもあった。中国の医術は始め4種に別れ疾医,瘍医,食医,獣医がそれで,1は内科,2は外科,3は食品衛生,4が獣医術であった。そして中国獣医の始祖(はじめ)は馬師皇(ばしこう)と云い,黄帝(こうてい)時代の人であるから,今から4000年以前と考えられる。又,馬師問(ばしもん)は「馬経大全」なる書物を著したが,これは春集,夏集,秋集,冬集に区分され,その中には疝痛,破傷風,溷晴虫などの治療法が書かれてある。 これらの本を始め種々の獣医書が日本に輸入され,日本獣医術の進歩に貢献したので,それらの書物の内容も小著に記述した。 前記の黄帝(こうてい)は4,000年前に始めて中国に国家を造った人で,馬師皇に種々獣医術を質問した。「馬経大全」の出版は西歴1319~1336年以後と考えられる。 (5)平仲国の入唐(中国へ入国) 桓武天皇の頃(西歴804年)肥後の人,硯山左近将監(すずりやま・さごんしょうげん)平仲国(たいら・なかくに)は中国大陸に入り大延(だいえん)なる獣医について馬療の術を受けて帰国し,その子安国(あんこく),眼心(がんしん),弟子(でし)の道義(みちよし)らにこの術を伝え,門弟も多くなった。仲国と安国,眼心の3人で(仲国百問答)が此頃に著された。 (6)延喜式と馬医 第60代醍醐天皇の頃(西歴905年)に延喜式(えんぎしき)が発令され,その中の宮職篇中に,馬寮の官員に年酒(としさけ)を賜る所謂白馬の節会(せつえ)なるものがある。延喜式第48巻に左右馬寮の篇あり,毎祭に官人が1人,馬医を引率して供し(ともし)奉ること,又,馬の薬,馬医,騎土,馬部(うまべ)を供(とも)とすべき箇条があり,馬医が騎手や牧夫を後にお供(おとも)をした様子が出ている。 (7)馬蹄の磨滅防止 保元から平治の頃(1156~1159)には,馬蹄を保つために,馬を石だだみの厩に入れ或は河原に引き入れ,よしをたいて蹄を焼き硬化することを図った。これによって蹄の磨滅を防いだ記録が松原博土の著述に見えていることによって,蹄鉄の無かった時代がしのばれる。 (8)「馬医絵巻」 亀山天皇の文永4年(西歴1267年)に西阿(せいあ)から七郎兵衛忠泰に「馬医絵巻」なる絵巻物を与えた。馬医の宝物というべきもので,秘事口伝(くでん),秘薬草,馬医肖像など書かれ,弟子に相伝えたものである。秘伝書とでも云うものであろう。 (9)桑島流 前述平仲国(たいら・なかくに)から18代の心海入道政近(桑島政近と通称)は,自らの姓を藤原(ふじわら)と改め,当時有名な馬医であったが,姓を桑島とも云い,この名を以て馬医の流派と定め,弟子が皆伝(かいでん)を終ると,この姓が与えられることにした。即ち桑島の流祖であり,今日でも,桑島の姓名を持つものには,この後継者の子孫を見ることが出来る。 奥州の伊達門司(だてもじ)の桑島(新右衛門尉)仲綱は,正親町(おおぎまち)天皇の頃(西歴1557年)に「療馬図説」(写本1冊)を赤塚雅楽助(あかつか・うたのすけ)に与えたが,これには馬体各部の名称及び療治の療法が書かれている。 (10)大坪流 中御門(なかみかど)天皇の享保2年(西歴1717年)に大坪流の「武馬必用」が著された。本書は木版で5冊からなる立派な本であり,その第5巻医馬の中に獣医の名が始めて出ている。それまでは馬医,馬医師と云ったものである。源義家(みなもとのよしいえ)が馬を医する書を作るに際し厩戸の皇子(うまやどのおうじ)即ち前に述べた聖徳太子著述の「医綱本記」を本としたそうで,義家が馬医の術を究めたこともうかがえるし,大坪流が太子流を元としたことも知られるのである。 (11)「良薬馬療弁解」 上記の書物はポケット判の獣医書と云うべく,良く出廻っている古書である。享保17年即ち第114代中御門天皇の頃(西暦1705年)に出版され洛隠士(らくいんし),似山子(じざんし)の編集するところである。 (12)犬医師の職制 霊元,延宝の頃,即ち5代将軍徳川綱吉の時代(西歴1680~1687年)には東京(当時は江戸)四ツ谷に病馬厩を設けたり,同じく中野に犬収容所を作ったりしたが,この時犬医師なる職制が出来た。勿論馬医の如く中国の流れをくむ術に終始したとは云い,相当の研究を積み秘伝を授って医術を施したわけだが,この犬医師に至っては何等の研究もないものが明日直ちに犬医師となることも出来た。5代将軍の生物あわれみの思想から当時重要視された一時代的職業であって長くは続かなかった。しかし当時は犬を殺したものは極刑に処せられたし,今川平助のような有名な犬医者が出た。 綱吉(つなよし)将軍の死後,不用犬は殺され,犬医師も職を失ったが,数年後狂犬病が多発し多くの人が害を受けた。但し,その時は犬数も少く爆発的大被害を受けずに済んだ。 (13)オランダ馬医入国 享保10年(西歴1725年)以後にオランダから馬28頭を輸入,馬術,馬医の法も入ってきた。この時に獣医ケイラスが長崎に渡来したが,これは徳川幕府が招聘したもので,享保11年には江戸(今の東京)に出て,今村市兵衛,吉雄忠次郎が附添い,ケイスル(ケイズルリングが本名)の云うところを書きとり,又,洋書を訳して「オランダ馬養書」を著すことになった。これによって中国流の馬医術は,一変して西洋獣医学を取入れることになったのである。 (14)島津義弘馬医術を学ぶ 薩摩の藩主で馬医術を研究したものに島津義弘がある。彼はその技術を部下の彦左衛門に授け且つ三稜針を与えたと云う。 (15)諸国に発生した獣疫 明正天皇の寛永18年(西歴1629年)以来から100余年に発生した家畜伝染病は,寛永18年に諸国に牛疫(Rinder pestか否かは不明)中御門天皇の頃に同じく牛疫,天保7, 8年に広島に炭疽,弘化4年に鶏痘が相模(神奈川県)に,天保年間山口に牛の気腫疽が発生し,同じく馬の皮疽病(真のGlanders and Farcy ではないと思うが)が多発した。 (16)解馬書の出現と菊地宗太夫 孝明天皇の嘉永4年(西歴1851年)に東水(とうすい)菊地宗太夫(藤原武樹)が解馬新書を著した。これが日本における獣医解剖学の始めである。従来の相伝になる解剖図は原始的か或は想像図に過ぎなかったが,菊地によって,写生画と具体的説明が附されたことは真に画期的と云うべきである。彼れは晩年オランダ獣医学を遊んだので,馬医としては初の西欧獣医学を学んだ人と云える。 (17)翻訳官今村市兵衛 今村源右衛門英生(えいせい)は,後に市兵衛と改名したが,通訳官(通詞)となり,後に御用方通詞目附(ごようがた・つうしめつけ)となる。これは通詞の最高位であった。「オランダ馬養書」の出版では洋風獣医学の開山とまで云われたが,ケイスルによる伝授は彼の獣医知識を大にしたものと云うべく,この意味で開山の語を附したのであろう。 (18)駒場農学校創立 明治5年(西歴1872年),政府は東京の内藤(ないとう)新宿に農事試験場を設け,農業,牧畜を試験することとなる。同7年同場に農事修学場を併置し,獣医,農学を教える教師を英国サーレン・セスター農学校から招く方針を立てた。同9年(1876年)に農学,獣医学の2課を設け,翌年これを駒場野に移す。そして駒場農学校と改称し,予科,農学本科,獣医科,農芸学科,試業科の5科を置く。その12月,校舎の新築完成し移転を終り,明治天皇の臨席を得て明治11年から開講した。獣医教師はマックブライド(Mc Bride)であった。これが後の東京大学農学部獣医学科その他である。 (19)陸軍馬医官 陸軍では明治5年(西歴1872年)に深谷周三を上等馬医に任じ,軍医寮で事務をとらせた。これが軍獣医官として正式任官した始めである。翌年馬医生徒15名を募集したが,学則では一般馬学,解剖学,馬身窮理,薬剤学,治療学を教えるわけで,最も当時獣医学の勝れているフランスからアンゴーが教師として招かれたのが1874年であった。 (20)アジアの牛疫来る 明治3年(西歴1870年)にロシア(今のソビエト)では,35万頭の牛疫病牛が発生し,同じ頃に韓国にも不明の牛病が大発生した。根元はシベリアと見られ,上海在住の米国領事マクガワン(McGawan)は日本外務省出張員に牛疫の危険を警告し,時の大学少助教石黒忠悳の意見書発表もあった。長崎県は牛疫の侵入を恐れ政府に上申するところあり,明治5年に果然内地に病毒侵入し,牛297頭が発病斃死した。かくて明治10年(1877年)までに4万余頭を殺す惨事に陥ったのである。 (21)実際獣医学の発祥 岩山敬義(いわやま・けいぎ)は大久保利通(おおくぼ・としみち)内務卿(ないむきょう)の許可の元に,千葉県印旛郡下に牧場を作ることに努力し,明治8年(西暦1975年)に牧羊場を作ることに成功した。同時に牧羊生徒70名を募集し,ジョンス・レーサム(Jones Lasum),リチャード・ケエ(Richard Kee)などを教師とした。同11年(1878年)に獣医の1科を置き速成を旨として教授し,これを駒場農学校変則獣医生と云った。これが将来東京帝国大学農学部実科獣医科となり,更に今日の東京農工大学獣医学科に発展した。 (22)ヤンソンの来日 明治13年(1880年)に駒場農学校獣医学科教師としてドイツ人ヨハネス・ルードウイヒ・ヤンソン(Johanes Ludwig Janson)が来日した。同年陸軍馬医黒瀬貞次(くろせ・さだじ)がフランスに留学しツールーズ獣医学校に入学,又,同年ドイツのカール・トロエスター(Karl Troester)が来日し,ヤンソンの助手となる。 (23)小石川私立獣医学校開学 明治14年(1881年)に陸軍馬医の小沢温吉(おざわ・おんきち)は同じく柳沢銀蔵と計り,東京の小石川護国寺境内において,その別院(伝通院)を借用することとし,小石川私立獣医学校を開設した。この時以後同20年(1887年)に亘り国内各地に獣医学校,獣医講習所が開かれた。 (24)中央獣医団体の出現 明治14年(1881年)に駒場農学校内に共立獣医会が出来,獣医会報を発行した。これが我国最初の獣医団体であった。同獣医会の中絶して後,明治18年(1885年)に大日本獣医会が出来,会誌を発行した。同20年(1887年)これを中央獣医会と改称したが,その後同会は50年の歴史を持って,後に日本獣医学会と合併して今日に至る。 (25)獣医免許規則の発令 明治11年(1878年)熊本県では獣医開業取締り並に試験規則を公布したが,同18年(1885年)に政府は太政官(だじょうかん)布告をもって獣医免許規則を公布した。これは獣医となるには獣医学術の試験を受け農商務卿(のうしょうむきょう)から開業免状を得べきものであることを法定したのである。同19年(1886年)の全国獣医数は410人,仮免状所有者を合して翌20年の調査で2647名,その内の本免状所有者は905名であることが判った。 明治23年(1890年)に獣医免許規則を改めた。そして獣医免状を受ける資格を法定した。 (26)明治中期の家畜伝染病 明治16年(1883年)以後の牛,馬の伝染病は福岡,熊本,福島,山口,大分,広島,埼玉,愛知などに炭疽が発生,又,皮鼻疽も発生しているが,後者は真性のものかどうか不明である。 (27)獣類伝染病予防規則発令 当時家畜が常に療気におびやかされ,その損害が大きかったので,政府は獣医の養成と獣疫関係の規則制定に尽力し,明治19年(1886年)に獣類伝染病予防規則を設け,牛,馬,羊,豚の伝染病たる牛疫,炭疽、鼻疽及び皮疽,伝染性胸膜肺炎,伝染性鵝口瘡(口蹄疫を云う),羊痘の予防取締りの法を定めた。 この年農務省農務局に畜産課,獣医課を置く。又,明冶29年に獣疫予防法と改め気腫疽,豚コレラ,豚ロース,狂犬病を加え,対照畜に犬を容れた。 (28)皮鼻疽の多発 明治20年~24年(1887~1891年)の全国における皮鼻疽は5,000頭に達し並倉東隆,時重初熊が西洋に発生しているBacillus malleiであることを確認した。但し,黒瀬定治は剖検上,これは欧州に発する黴性皮膚病であろうとした。又,時重も後に本邦皮疽病は日本皮疽,仮性皮疽,通称「カサ」と云われ,仮性皮疽と称すべきものと論じた。 (29)獣疫調査機関の新設 明治24年(1891年夏に,東京市外,滝野川町西ケ原にあった農商務省仮農事試験場の一部2室に獣疫研究室を新設し,讃井勝毅(さぬい・しょうき)がその仕事を担当した。後に農林省獣疫調査所となり,やがて今日の農林省家畜衛生試験場となる基礎を作ったのである。 (30)陸軍獣医学校新設 明治26年(1893年)に東京府荏原郡目黒村にある陸軍乗馬学校内に獣医学校校舎を設け,従来の重症病馬学舎並に蹄鉄騨舎を廃止した。校長は騎兵中佐をあて,教官に獣医監、騎兵大尉、軍医などを置いた.元来、我国の陸軍獣医は始め軍医部内に小さく設けられ,後に騎兵を主柱としたものである.翌27年(1894)年に陸軍1等獣医の黒瀬貞次が獣医監に始めて昇進した。かくて次々と人員を増し機能を拡大し,後に同校長には獣医中将を置くまでに発展したわけである。 (31)結論 大昔からの獣医事を研究してみると,今日の獣医学は往時に比して天地の差を来たし,隔段の進歩をみていることが明らかである。その組織体制,獣医政並に獣医学において少くも明治期を中心にして考えても大変な変化があり向上発展した事実を感じとるものである。しかし獣医取締規則が実際上に、又、大学や研究機関が学問上において,その発達に大きな原動力となったことは否定し得ない。 規則のことを考えると、大正末期に、その時の獣医免許規則を改正して獣医師法を公布させるべく、案を持ち、大会を開いて政府の発動を促がし、遂に大正15年4月7日(1926年)に獣医師法を布させ,昭和2年その施行規則と獣医師会令を公布するに至らしめたことが大いに斯学の発展に効果あらしめたのであって、その法規に基いて専門教育以上の学校を出ることが獣医師になる一大要素となったこと、各都道府県には必ず地方会を設けて、その団結による日本獣医師会を作ったこと,又その団結によって意思表示をし建言提案を行ない,斯道の組織を改善して行くことに大きな効果があったわけである。 一方、獣医大学は東京大学、北海道大学など多数の官立学校,府立,私立大学を持ち各き機関によって研究調査が行なわれ、医学、薬学、農学に並行して社会の注目を浴びている事実も考えて良く、各種指導、研究機関にも之等大学の出身者が就業して行き,公衆衛生や家畜衛生は勿論吾々の指導圏内に入っていることも喜ぶべき事実となっている。 上記日本獣医師会の創立は昭和3年5月(1928年)であったが,敗戦後,獣医師会及び装蹄師会が解散し23年(1948年)に社団法人日本獣医協会が新たに設けられることとなった。新獣医師法は昭和24年(1949年)に公布され旧法を廃止,又同26年(1951年)に獣医師会と改名したのである。これによって明治中期までの馬医,大正期の獣医なる称呼は獣医師と変った。 又,組織の点では人の保健所法が昭和22年(1947年)に公布され保健所に多数の獣医師が就職すると共に,家畜保健衛生所も各県ごとに数ケ所設けられ獣医学の実際応用により都市と農村を利しているのである。
著者
加藤 真紀
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2012

近年、犬は単なるペットから伴侶動物に変化し、家族の一員として室内で飼育されることが主流となった。その結果,人と動物は必然的により密度の濃い時間をともに過ごすことになり、無駄吠え、分離不安、攻撃行動、不安症などといった問題行動が飼い主にとって深刻な問題として表面化してきた。日本における犬の年間咬傷事故数は4000件以上にも上り、攻撃行動により放棄される犬の数は多く、安楽死に至る犬の数も少なくない。 行動は神経および液性調節機構の相互作用によって制御されており、問題行動の背景には神経伝達物質の変化が報告されている。末梢および中枢において、神経伝達物質の一つであるセロトニン(以下5-HT)濃度と攻撃性には相関があることが犬を含む多くの動物種において知られている。また、視床下部のセロトニン受容体が活性化することによってHPA軸が刺激されると報告されている。攻撃的な犬は、社会刺激に対して高いHPA軸活性を有することから、高い血漿中コルチゾール濃度を有することが報告されている。以上のように、攻撃行動とストレスとの密接な関係が報告されている。ゆえに、本研究では、末梢からのアプローチによって、ストレスがおよぼす犬の攻撃行動への影響を検証し、攻撃行動緩和の方法を構築することを目的とした。第1章 攻撃行動を呈する犬と問題行動を呈さない犬の血漿中セロトニン濃度の比較 5-HTには日内変動があることがラットやヒトなどで報告されているが、犬を用いた研究はない。夜間、5-HT濃度が低くなるため攻撃的になりやすい、とされるジキル&ハイド症候群が逸話的に語られているが、科学的検証はされていない。本章では、犬の5-HT濃度の日内変動について、攻撃行動を呈する犬と呈さない犬における血漿中の変動を比較した。投薬中ではない1歳以上の犬10頭(実験群:攻撃行動を呈する犬5頭、コントロール群:問題行動を呈さない犬5頭)を用い、午前8時から午後8時まで2時間おきに撓側皮静脈から1.5mlの採血を行った。食餌および運動刺激の影響を制御するため、食餌、運動時間を設定し、排泄以外の時間はケージ内にて安静を保たせた。血漿中5-HT濃度の測定は、高速液体クロマトグラフィーによって行った。また、行動指標としてC-BARQ(Hsu and Serpell, 2003)を用いた。両群において、犬の血漿中5-HT濃度には有意な日内変動があり、さらに、攻撃行動を呈する犬は血漿中5-HT濃度が有意に高いことが明らかとなった。鬱病患者、統合失調症患者、自閉症患者において、日内変動の異常があることが多くの研究で報告されているが、攻撃行動を呈する犬の血漿中5-HT濃度には日内変動の異常は見られなかった。不安関連の問題行動を呈する犬も血漿中5-HT濃度が高いことが知られている。さらに、ストレス負荷によって、セロトニン濃度が高くなることが知られていることから、攻撃行動を呈する犬はストレス状態にある可能性が示唆される結果となった。第2章 食餌療法による攻撃行動および不安関連問題行動への効果の検証 第1章の結果より、攻撃とストレスとの関連が示唆された。先行研究より、攻撃行動や不安関連の問題行動はストレスが持続することによっても生じることが知られている。そこで、第2章では、ストレスに対する耐性を強めるための療法食を用いて、攻撃行動緩和の効果を給与試験によって検証した。飼料栄養組成は犬の行動に影響を与えることが知られており、一定の栄養素の摂取によってストレスに対する脆弱性に影響を与えることが知られている。高トリプトファン/LNAA比とαカソゼピンを配合した療法食を実験食として用いた。トリプトファンは5-HTの前駆物質であり、αカソゼピンは不安症やストレス障害に阻害効果があるガンマアミノ酪酸と親和性を有することが知られている。不安レベルの高い犬28頭に実験食およびコントロール食を8週間づつ給与し、各フード給与7週後、飼い主によるC-BARQへの回答およびストレッサー負荷前後の採尿が行われた。動物病院での爪切りをストレッサーとして用い、ストレスに対する脆弱性への実験食の効果を尿中コルチゾール/クレアチニン比(UCCR)によって検証した。ストレス後UCCRは、基礎UCCRに比べて有意に高い値を示し、動物病院での爪切りがストレスをもたらすことが分かった。ストレスによるUCCRの増加は、コントロール食給与中に比べて、実験食給与中に有意に低い値を示したことから、実験食によるストレス緩和の効果が明らかとなった。また、C-BARQを行動学的指標として用いた結果、「見知らぬ人への攻撃」、「見知らぬ人への恐怖」、「非社会的恐怖」および「接触過敏性」には有意な改善を示したが、「飼い主への攻撃」は改善を示したが、有意差は見られなかった。実験食はストレス耐性を改善することが明らかになり、攻撃行動および不安関連問題行動の改善策となることが示唆された。第3章 ハンドリングとホールディングを用いた行動修正療法の有効性の検討 第2章の結果より、「飼い主への攻撃」に対して改善効果のある新たな行動修正療法の構築が必要であると考えられた。そこで第3章では、ハンドリングとホールディングからなる新たな行動修正療法による攻撃行動緩和の効果を検証した。近年、正の強化のみを用いるトレーニングが主流となり、嫌悪刺激の使用は適切ではないとされる傾向が強くなってきた。ハンドリング中(人に触られることに馴化させるための行動修正方法)に犬が抵抗する場合、ホールディング(体を拘束することによって犬の抵抗や咬みつきを抑制する行動修正方法)を用いることは、威圧的な嫌悪刺激であると考えるトレーナーが多い一方で、正しい主従関係を築くためにホールディングは有効であると考えるトレーナーも多い。第1章で明らかになった攻撃行動を呈する犬の血漿中5-HT濃度の傾向をもとに、実験開始前後の血漿中5-HT濃度を比較した。また、ストレス状態を評価するため、行動修正前後の血漿中ノルアドレナリン(NA)およびアドレナリン(AD)を比較した。一般家庭で飼育されている攻撃行動を呈する犬10頭が参加し、9頭(雌2頭、雄7頭、平均年齢2.2±2.5)が5週間の行動修正プログラムを完了した。プログラムではGazzanoらの方法を参考にして、飼い主がハンドリングおよびホールディングを犬に行った。犬がハンドリングに抵抗する場合、飼い主がホールディングを行い、強制的に遂行させた。プログラムを飼い主が確実に遂行するため、開始日から1週毎に個人指導を行った。各家庭においても飼い主は、1日2回、1回15分間の行動修正を行った。プログラムの実施は同一の飼い主によって5週間行われた。飼い主によって評価を行う間接方法と、アグレッションテストのように動物の行動を直接観察して評価を行う直接法では、スコアに差異が生じる、との報告があることから、行動修正療法の有効性を間接法であるC-BARQおよび直説法であるAggression testを実験開始日および終了日に実施した。C-BARQおよびAggression testの両方において、「飼い主への攻撃」および「見知らぬ人への攻撃」に有意な改善が示された。行動修正療法後の血漿中5-HT濃度は行動修正療法前に比べて有意な減少を示した。5-HT濃度が減少し、ストレスが緩和され、正常レベルに戻ったことで、攻撃が緩和されたと考えられる。 行動修正療法前後の血漿中NAに有意差は見られなかった。血漿中ADに優位差は見られなかったが、減少が見られたことから、犬は心理的ストレスを受けておらず、リラックスしていたと考えられる。以上のことから、ホールディングは、嫌悪刺激ではなく、快刺激である可能性が高いことが明らかになった。また、犬への愛着度を測定する為のLAPSを実験前後に飼い主に実施した結果、途中で離脱した飼い主は、実験を完了した飼い主に比べ有意に低いLAPS値を示した。飼い犬に対する愛着が低く、その結果、行動修正を根気よく継続することが困難であった可能性が考えられる。第4章 総合考察 第4章では第1章~第3章の結果を基に、攻撃行動などの問題行動を呈する犬への食餌療法および行動修正療法の有効性と神経機構への影響を考察した。近年、投薬時刻の違いによる薬物動態や薬効の差を明らかにする「時間薬理学」の発展がある。攻撃行動の薬物治療の際に、本研究で得られた日内変動の結果を参考にすることは、有用であると考えられる。「ハンドリング」と「ホールディング」からなる行動修正療法は、効果が高く、有用であることが明らかとなった。しかしながら、飼い主が高齢である場合などのように行動療法を行うこと自体が困難である場合も多いに考えられる。そのような場合には、第二の選択肢として、食餌療法を用いることが可能といえるだろう。また、攻撃行動を呈していた犬の攻撃行動を消去させることは可能であるが、攻撃の記憶を忘却することはなく、再発する可能性があることを十分に留意するように飼い主に説明することが重要である。 家庭犬の脳内を直接調べることは、不可能である。本研究では、攻撃行動を呈する犬の神経機構の検証を末梢からのアプローチで行った。攻撃行動を緩和するには、ストレス状態の解消が重要であることが明らかとなった。犬が社会的刺激を受けてストレスを感じた場合、HPA軸のネガティブフィードバック機能によってストレス反応が制御される。脳内のセロトニン神経系の機能障害によって、HPA軸が正常に作動しなくなることが報告されている。本研究においては、末梢のセロトニンと中枢との関連は、明らかとなっていないが、攻撃行動を呈する犬は、末梢の血中濃度が高いことが明らかとなった。ハンドリングとホールディングによって、セロトニン濃度を正常に下げることによって、攻撃行動が改善することが示唆されたことから、行動修正後に心的状態が正常に近くなったことによって、5-HT取り込みに関する代謝異常が何らかの形で影響を受けた可能性が考えられる。 本実験で得られた結果は、犬の攻撃行動緩和において有用性の高いもので、飼い主と犬双方にとっての福祉につながり、ひいては、咬傷事故を減少させることによって、社会にとっての利益に繋がると考えられる。
著者
宇根 有美
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.124-129, 2007

愛玩用に輸入される齧歯類の公衆衛生上のリスクを評価するために,2006年に輸入動物届け出制度に基づき衛生証明書が添付され輸入された8種の齧歯類,計140匹を対象として病原体保有状況調査を行なった。その結果,レプトスピラ(Leptospira alexanderi)がステップレミング1匹(1/10,10%)で検出された(全頭の0.7%)。Borrelia属細菌は,シマリス5匹(5/30,16.7%)から,B. grahamiiおよびB. washoensis,それぞれ3匹,2匹から検出された。また,消化管よりSalmonella Enteritidisが11/140,7.9%分解された。140匹中20匹の皮膚よりS. aureusが分離され,特にデグー1ロット(9/10)とピグミージェルボア(8/10)からの分解率が高かった。消化管内寄生虫として,人獣共通寄生虫である小形条虫が23匹のハムスター(ジャンガリアンおよびゴールデン)で確認された。なお,腎症候性出血熱,ペストおよびライム病の病原体に対する抗体を保有する動物はいなかった。また,Yersinia pestis,野兎病菌,豚丹毒菌も分解されなかった。以上のように,過去に実施した愛玩用野生齧歯類を対象とした成績より,今回検出された病原体の種類は少なかったものの,輸入ロット毎に汚染の高度な動物群が存在し,野生動物ではみられなかった病原体も確認されたことから,衛生証明書の添付が義務付けられた現在でも,一般市民に愛玩用としての齧歯類の取り扱いに関して注意を喚起し,動物取り扱い業者へは,駆虫を含めた衛生指導が必要と思われる。
著者
江口 祐輔
出版者
麻布大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

我が国においてイノシシによる農作物被害が各地で発生している。被害を防ぐためには、対象となる動物の行動を把握し、新たな防除技術の開発や総合的対策の展開を図る必要がある。本研究は、超音波による音刺激に対するイノシシの行動を調査し、誘因性と忌避製について検討し、イノシシの行動制御技術開発のための基礎的知見を得ることを目的とした。音刺激試験:飼育イノシシにおける試験では1頭ずつ音を提示した。提示音は音圧波形をサイン波に設定し、周波数を中-高周波数領域で10k〜80kHzの8段階、中-低周波数領域で2k〜5Hzの9段階に設定し、超音波発生装置を用いて発生、イノシシの反応を記録した。周波数が40kHzの音に対して、「静止」、「スピーカー定位」、「スピーカー探査」の反応を示す個体が認められた。このことからイノシシは超音波を聞くことができると推察されるが、すべての超音波に対して忌避反応を示さず、超音波を嫌がらないと推察された。しかし、ヒトの可聴域内である500Hzの音に対して忌避反応と思われる「逃避」、「身震い」の反応を示す個体が認められた。500Hzで忌避反応と思われる反応が確認できたため、新たに200Hzの試験を行ったところ、「逃避」、「身震い」の反応を示す個体が認められた。野生個体の試験では群れに対して同時に音を提示したところ、飼育個体と同様の傾向を示し、新たな防除技術開発の可能性が示唆された。しかし、試験中に群れが移動してしまうなど、十分なデータを得るには至らず、試験を継続する必要がある。豚の尿に対する試験:雌ブタの発情期の尿と非発情の尿および、対照として蒸留水をイノシシに嗅がせた結果、発情尿に対する雄イノシシの反応が大きく、嗅ぎ行動が多く発現した(P<0.05)。また、捕獲おりに発情尿を入れた試験では、反応試験と同様、雄の反応が大きく、檻に侵入後、フレーメン様行動が認められ、誘因物質として実用化の可能性が示唆された。(特許申請を行うため、成果の公表を見合わせる必要アリ)
著者
秋山 順子
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2005

人類の歴史とともにさまざまな動物が家畜化され、人々は限りない恩恵を受けてきた。1970年代より欧米先進国を中心として始まった人と動物の関係に関する研究によって、動物が人に与える精神的、身体的な効果についてさまざまな報告がなされている。特に、動物を人の健康に役立てる動物介在療法・活動(Animal-assisted therapy,AAT/Animal-assisted activity,AAA)が盛んに行われるようになり、21世紀に至ってさらに動物と人は新たな関係を築こうとしている。 AAT/AAAで用いられる動物は、犬や猫、馬、イルカなどであるが、動物がもつさまざまな特性を生かし実施されている。たとえば、犬や猫は人に最も身近な動物として、飼育しやすいことなどから、幅広い対象者に対して実施され、特に心理面への効果が期待されている。また、馬は、人を乗せるために特化された動物であり、リズミカルな動きや大きな体から得られる、身体面、精神面への効果が大きい。一方、イルカにおいては、犬や馬などと比べると知見が少なく科学的な報告は少ない。 イルカ介在療法(イルカセラピー)の研究は、1978年、Betsy A.Smithによって始められ、障害をもつ子どもたちの感情や行動、言語面において改善がみられたことを報告した。また、Nathanson(1993)は、さまざまな障害をもつ子どもたちに対してイルカセラピーを実施したところ、通常行っていた言語療法、理学療法では目標を達成できなかった対象者に対して、短期間で効果を得られたことを報告している。こうした海外での研究成果に比べ、国内の報告はみられない。 イルカ(鯨類)は、4000万年前に陸から海へ戻り、水生生物の中で食物連鎖の最上位に位置している哺乳動物である。海洋性のイルカの多くは大きな群れ(pods)を形成し、群れを維持するためのさまざまなコミュニケーション手段が推測されている。狩猟を行うには、群全体を統制するコミュニケーションが必要であり、また、個体間の連携が重要になる。個体同士の身体的接触、ブリーチングなどの非音声的信号のほか、特徴的な音声を用いたコミュニケーションがある。イルカはこれらのコミュニケーション手段を駆使して「社会」を作り、食物の探索、繁殖や防衛の効率化を図かり、環境への適応を進めてきたと思われる。 イルカが発する鳴音は、数10Hzから160万Hzに及ぶと考えられ、2種類が存在する。クリックスと呼ばれるパルス音は、広帯域の継続時間が数十~数百マイクロ秒程度の音でエコーロケーションに用いられる超音波成分を含む。非パルス音であるホイッスルは、周波数帯域が狭く、周波数変調をする継続時間の長い音で、人の可聴域である20kHz以下に主な成分をもっている。ホイッスルは、特にバンドウイルカなど社会的な群れを形成する種においての鳴き交わしが観察されており、お互いの位置を確認しあい、群れのまとまりを保つための鳴音と考えられている。また、イルカは、シグニチャーホイッスルと呼ばれる各個体特有のホイッスル音を持っており、互いの確認、母子の確認に使われていると考えられている。会話音と言われるホイッスルを分類し、行動との関係を明らかにすることによって、イルカとの会話、コミュニケーションを目的として種々の研究がなされているが、彼らが発する音は複雑であり、いまだイルカの鳴音に関する信頼のおける報告はない。 動物にとってコミュニケーションは、自らの生存や種の保存のために、なくてはならない重要な要素であり、集団生活を送る動物は、ふだんから身近の個体と持続的な交渉を持つ。このとき、イルカは主なコミュニケーションとして「鳴音」を用いていることは容易に想像できる。本研究では、さまざまな状況における鳴音を詳細に解析し、その基本的な仕組みを明らかにするとともに、イルカ対イルカのコミュニケーションは、人とのコミュニケーションへと発展しうるものであることを明らかにする。 第1章では、イルカの鳴音をどのように解析するかを目的に実験を行った。飼育下のバンドウイルカ3頭の鳴音を、水中マイクロフォンとポータブルミニディスクレコーダーを用いて録音し、データをソナグラムに表わすことによって鳴音(ホイッスル)の解析を試みた。その結果、4199個のホイッスルが得られ、それらをホイッスルコンター(外形)の抑揚型、周波数パラメータによって分類すると、コンターの抑揚型において、凸型が33.8%、トリル型30.2%、波型16.7%、残りは10%以下で現われた。パラメータの平均値は、開始周波数(11.5±2.3kHz)と比べると、終了周波数(10.9±3.2kHz)が低く、最低周波数9.7±2.0kHzから最高周波数16.2±2.9kHzの変調幅であった。また、持続時間は1.3±0.9secであった。イルカのホイッスルは、コンターの抑揚型によって、7カテゴリー(一定、上昇、下降、凸、凹、波、トリル型)に分類され、周波数(開始、終了、最高、最低、変調幅)と持続時間の6つのパラメータに基づいて示すことができた。 第2章では、イルカの会話音とされるホイッスルのうち、最も多く報告されているシグニチャーホイッスルに着目し、飼育下の3頭のバンドウイルカ(個体A,B,C)の鳴音を個々に録音し、ホイッスルの解析を行うことによって、シグニチャーホイッスルを明らかにした。すなわち、個体Aのホイッスルコンターは、波型(50.9%)とトリル型(28.8%)、個体Bでは、トリル型(67.8%)と凸型(27.0%)、個体Cでは、トリル型(84.2%)と波型(11.6%)が高い割合で示された。個体間のホイッスルパラメータでは、開始周波数、終了周波数、周波数変調幅、持続時間において有意な差(p<0.05)がみられ、個体ごとに異なるホイッスルを持つことが分かった。しかし、それらのホイッスルは、個体内、個体間において類似していた。イルカは、もともと大きな群れで生活していることから、多くの異なったシグニチャーホイッスルを持つことが推測されるが、3頭しかいないためにシグニチャーホイッスルに大きな差がなく、形が類似する傾向にあると思われ、環境や社会構造に応じて視覚なども含めた効率的なコミュニケーションを行っていると推察した。 第3章では、飼育下の3頭のバンドウイルカから日常の鳴音を記録・解析し、さまざまな状況(給餌前、給餌中、イルカのみの時間、人がイカダの上からアプローチする、人が水中からアプローチする)における鳴音の変化を考察した。その結果、それぞれの状況においてイルカが発するホイッスルに明らかな違いが認められた。給餌前ではホイッスル数(19.6±8.3/minute)が多く、周波数変調幅(7.2±2.6kHz)が広く、限られた種類(凸型)を持続的に発していた。一方、給餌外の時間では、数が減り、周波数振幅が狭く、持続時間の長いホイッスルを発していた。ホイッスルコンターは、給餌前では凸型が高く、給餌中では上昇型が高い割合で現われた。また、給餌以外の時間に人が関わるとき、よりイルカに近い水中のアプローチによってホイッスルが変化した。以上の結果より、イルカは日常において発するホイッスルを変化させており、イルカ個体間のコミュニケーションと同時に人に対するコミュニケーションを行っている可能性が示唆された。 第4章では、イルカ介在プログラムを行った際のイルカの鳴音について考察した。プログラムは、自閉症、ダウン症などの子どもたちが参加し、個々に合わせた内容で実施した。その結果、通常行われている給餌と比べると、ホイッスル数(14.0±5.8/minute)が多くなり、コンターの頻度が異なるなど、ホイッスルが明らかに変化していることが分かった。ホイッスル数は、給餌前に匹敵するほど多くなり、イルカセッションが、飼育下におけるイルカへの生活へのバリエーションを与えるために効果的であることが推察された。また、動物の能力が人の肉体的、精神的側面に影響を与えていると考えると、イルカセラピーにおけるイルカが発する鳴音の効果については、今後の検討に値するものと思われた。新規の対象者や活動を行う日常とは異なる状況下では、ホイッスルを変化させ、イルカ間のコミュニケーションあるいは人とのコミュニケーションを行っていることが推察された。 第5章では、台風前のイルカの鳴音を録音し、特別な状況における鳴音について考察した。その結果、通常と比べると、ホイッスルコンター割合、持続時間などパラメータに変化がみられた。イルカは、陸から海に戻ったのち、4000万年もの間、さまざまな環境変化に適応し生き延びており、イルカはホイッスルの変化による独自の予知能力によって、事前に自然災害を予測し、個体間でコミュニケーションしている可能性が推察された。また、上昇型の持続時間の短い型が台風時に高い割合で現われたホイッスルであり、今後、こうした特徴的なホイッスルをみつけることによって、自然災害予知が可能となることと推察した。 本研究より、イルカのホイッスルはコンターによって7カテゴリーに分類され、周波数と持続時間に基づいて6つのパラメータに分けられることを見いだした。この解析法により、イルカは飼育環境下におけるさまざまな状況において鳴音を変化させており、ホイッスルによって社会的関係を維持するための個体間のコミュニケーションを行っていることが分かった。イルカの鳴音は、イルカのみならず、明らかに人に対しても変化させており、イルカが人とのコミュニケーションを試みている可能性は高い。また、新規の人が入った給餌時間により多くのホイッスルを発しており、こうした鳴音に関するデータが、今後のイルカ介在プログラムの作成やイルカと人のよりよい関係の構築のための大きな指標となると思われた。さらに、自然災害を事前に察知する能力は、イルカと人の新たな関係を築くものとなろう。
著者
太田 光明 江口 祐輔 大木 茂 大谷 伸代
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 = Journal of Azabu University (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.17/18, pp.167-172, 2009-03-31

1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生した。神戸市など震源地周辺で飼育されていたイヌのうち約20%が地震発生前に異常行動を示したことが地震発生後の調査によって報告された。本研究では,イヌの示した異常行動の原因は地震前に発生する電磁波を感知したためではないかとの仮説のもと,人工的に発生させた電磁波をイヌに照射し,照射後の行動および神経内分泌学的な変化を観察した。
著者
菊水 健史 茂木 一孝
出版者
麻布大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

本研究では以下の知見を得た。1)求愛歌を聞いたメスは自身の系統とは異なるオスマウスの発した求愛歌に対して高い嗜好性を示した。2)メスの求愛歌への嗜好性は、発達期の父子間の関わりが重要であることが明らかとなった。3)メスの求愛歌への嗜好性は雌性ホルモンの存在が必要であることを示した。4)求愛歌を呈するオスでは数回の出産を認めたが、求愛歌を呈さないオスマウスのペアではほとんど出産を認めることがなかった。5)メスマウスの歌嗜好性はオスフェロモンとの共提示により顕著に観察され、感覚統合された表現型であることがわかった。
著者
太田 光明 塩田 邦郎 政岡 俊夫 和久井 信 田中 智夫 植竹 勝治
出版者
麻布大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

地震前の動物の異常行動は、電磁波など地震前兆を感知した動物のストレス反応の一つであろうとの仮説のもとに研究を重ねてきた。しかし、ラット、ビーグル犬など「実験動物」に対して電磁波照射を繰り返しても、明確な異常行動は見られない。一方、ヒトと日常的に生活している「家庭犬」を用いたところ、6頭のうち、少なくとも2頭に顕著な異常行動を認めた。すなわち、1)マウスやラットのように「実験動物」として用いられる犬種は、ほとんどビーグル犬である。個体による違いを含め、犬の特性のいくつかを喪失しているとしても不思議はない。人による改良が進めば進むほど、電磁波異常など非日常的な物理現象を感じる必要性もなくなる。実際、本研究において電磁波の影響は見られなかった。この研究成果を遺伝子解析に応用した。2)遺伝子解析を進めるためには、プライマーが必要であり、犬遺伝子では、CRH、DRD2、DRD4など極めて少数しか判明していない。本研究では、はじめにCRH遺伝子の多型について検討した。しかし、33犬種37頭を解析した結果、遺伝子多型は検出されなかった。つまり、CRH遺伝子が「地震感知遺伝子」の可能性は低い。一方、兵庫県南部地震の直後、一般市民から集められた前兆情報のなかには、古来からの地震前兆情報であると考えられてきた夥しい数の報告が含まれていた。特に、動物の前兆的異常行動に顕著であった。また、阪神・淡路大震災の前兆情報として、犬で約20%、猫で約30%が異常行動を示したという。こうしたことから、3)本研究では、富士通株式会社ならびに株式会社NTTドコモ関西との産学協同体制でこの「動物の異常行動」の情報収集システムの構築に取組み、プロトタイプのシステムを完成させた。モニター登録者が暫時増加し、平成16年3月1日現在で、50人を数えた。
著者
永澤 美保
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2008-03-15

犬との関わりが人にもたらす恩恵は、医療や福祉、教育など様々な分野において注目されているが、人と犬との関わりがなぜ人の心身に影響を与えるかについてはいまだ明らかではない。 犬によってもたらされる効果の機序を明らかにするためには、他の動物種には見られない犬の特異性に注目したうえで、実際の行動上の相互交渉に基づいた両者の関係性から客観的に判断する必要がある。 本研究では、人の母子間の絆の形成を説明する「アタッチメント理論」(Bowlby, 1969)に基づいて、犬との関わり方と飼い主の心身への影響との関連を明らかにすることを目的とした。アタッチメントは、子の生存確率や養育者の適応度を高めるための行動制御システムであると説明されており、子の養育者との近接を維持するための行動(アタッチメント行動)への養育者の対応の仕方が両者間の絆の形成に関連しているともいわれている。さらにラットやサルなどでは、絆の形成された対象の存在によって生理的変化が生じることが明らかにされている。 一方、犬は家畜化に伴って、人に対する社会的な認知能力が向上したといわれている。特に視覚による認知能力は、類人猿などに比べ、より人間に近い優れたものがあり、人との関係における犬の特性として注目されている。 そこで、人の母子間において、特に重要なアタッチメント行動といわれている「注視」に焦点をあてた。第1章では、「犬の視覚的行動がアタッチメント行動として作用し、飼い主の犬に対する養育行動を促進することで、飼い主の心身へ影響がもたらされる」という仮説を検証するために、犬の飼い主に対してアンケート調査を行った。その結果をふまえ、第2章では、飼い主と犬の交流時の行動を観察し、犬の「注視」が飼い主の心身の状態と関連があるかどうかについて検討した。さらに第3章では、その関連が「アタッチメント行動」から発したものであるかどうかを、内因性物質の変化に注目し、客観的に評価した。第1章 「犬の視覚的行動」と人から犬への愛着との関連【目的・方法】 犬の視覚的行動がアタッチメント行動として飼い主に認識され、心身の健康に影響を与えているかどうかについて調べるために、犬の飼い主および犬の飼育経験者(n=771)を対象にアンケート調査を行った。質問内容は、犬の視覚的行動に対する飼い主の意識と、犬への愛着の程度、犬の飼育状況、飼い主の飼育経験等であり、心理尺度への回答も求めた。【結果・考察】 アンケートの結果を重回帰分析したところ、犬の視覚的行動に対する飼い主の意識、犬への愛着、心理尺度、健康状態との間にそれぞれ有意な標準回帰係数が得られ(R^2=.09, p<.001)、飼い主が犬の視覚的行動を意識することと、犬に対して感じる愛着の程度に関連が見られ、人生や人間関係等に対するポジティブな感情をもたらすが示唆された。年代別では、23~39歳の群には関連が見られず、40~64歳の群と65歳以上の群に有意な結果が見られ(40~64歳:R^2=.15, p<.001, 65歳以上:R^2=.12, p<.001)、特に65歳以上の高齢者群では項目間で強い因果関係が見られた。犬への愛着の程度が飼い主の心身の健康に与える影響は、年齢層が高いほどその効果が期待されることが示唆された。この結果は、年齢や過去の飼育経験が現在の飼い主の精神的健康状態に影響を及ぼすこと(Nagasawa & Ohta, 2007)と一致した。 しかし、犬の視覚的行動と犬への愛着の程度はともに「犬のしつけの程度」と関連が見られたため(ともにp<.001)、犬への愛着や飼い主のポジティブな感情が本来の意味でのアタッチメントによって喚起されたものなのかどうかについて、さらに検討が必要となった。Nagasawa & Ohta(2007). The influence of the experiences of dog-ownership in the past on the present mental health of the elderly men.The 11th International IAHAIO Conerence, p.192.第2章 「犬からの注視」が飼い主の心身の健康に与える影響【目的・方法】 飼い主と犬との交流時に、実際に犬から飼い主へ向けられる注視行動が、飼い主の心身の状態に影響を与えるかどうかについて検討した。また、第1章で示された結果が、犬からのアタッチメント行動が飼い主に対して機能したことによるのか、あるいは、犬のトレナビリティ(trainabiliy)によるものなのかという課題についても検証を行った。実験室内において、飼い主(n=70)と犬に対し、基本的な指示を与え、また遠隔指示によるスラロームの課題を出し(実験1)、それを達成する過程での相互行動を観察し、各行動や課題の達成率と、飼い主の唾液中クロモグラニンA(CgA)、血圧・心拍数、心理尺度の実験前後の変化との関連を調べた。さらに同じ条件で課題を提示しない場合(実験2)との比較も行った。【結果・考察】 飼い主と犬との間に見られる交流のタイプによって群分けするために、「犬から人への注視時間」、「犬から人への接触時間」、「人から犬への接触時間」と「成功所要時間/回」の4項目に対して主因子法による因子分析を行った。得られた因子によってクラスター分析を行い、犬からの注視時間の長い「注視」群、注視、接触時間がともに低い「低交渉」群、人と犬の双方からの接触時間の長い「接触」群の3群に分け、反復測定分散分析を行ったところ、注視群は、精神的な負荷による交感神経の活性を反映するCgAの値の上昇が見られず、それに対し、接触群は実験後のCgA値が有意に高く(p<.001)、心理尺度の結果、不安度も高かった(p<.05)。血圧・心拍数は有意な差が見られなかった。実験2では、接触群のCgA値が実験1と比較して有意に低くなっていた(p<.001)。また、実験後に実施した心理尺度の結果から、注視群は生きがい感が高く、友人から社会的支援を受けていると感じている程度も有意に高くなっていた(生きがい感:p<.01, 友人からの支援:p<.001)。 以上の結果から、人と犬の双方からの接触が多い群はCgA値の上昇が見られ、不安度も増したのに対し、犬からの注視の長い群は本実験では飼い主に精神的な負荷をかけることなく、人と犬との間でスムーズなコミュニケーションを図ることができたと思われた。しかし、課題達成時間が注視群間で有意に短いこと(p<.05)と、犬のしつけの程度が高いほど達成時間も短いこと(rs=-.47,p<.05)から、本実験のCgAの反応は犬からの注視がアタッチメント行動として機能した結果ではなく、犬のトレナビリティに起因するものである可能性を排除できなかった。第3章 「犬からの注視」とアタッチメントとの関連~飼い主の尿中オキシトシンによる検証~【目的・方法】 「犬からの注視」と飼い主が感じるアタッチメントとの関連を正しく評価するために、飼い主(n=55)の尿中オキシトシン(OT)とCgAを用いて実験を行った。実験では、飼い主と犬の30分間の交流の中での、犬からの注視時間の長さと飼い主の尿中のOTおよびCgAの交流前後の変化との関連を見た(実験1)。また、実験中に見られた飼い主と犬との相互のやりとりを1バウトとして、各バウトがどの行動から始まったかで分類したものも解析に使用した。実験前後の気分の変化はPOMS短縮版によって測定した。さらに、飼い主が「犬からの注視」を認識できる場合とできない場合で、実験前後のOT値の変化に違いが見られるかどうか調べた(実験2)。実験2では、飼い主に壁を向いて座ってもらい、犬からの注視を直接認識できないようにし、それ以外は実験1と同じ条件で行った。【結果・考察】 事前に行ったアンケートの回答と実験中に観察された犬からの注視時間を用いて、クラスター分析を行い、飼い主を「高注視」群と「低注視」群の2群に分けて、反復測定分散分析を行った。 実験1では、高注視群の交流後のOT値が低注視群よりも有意に高くなっていた(p<.05)。また、高注視群では、OT値の実験後の上昇と犬からの注視で始まるバウト数との間に有意な高い相関が見られた(rs=.74, p<.01)。犬の注視を認識できない設定の実験2では、高注視、低注視群ともに、有意なOT値の変化は見られなかった。一方、CgA値はどの条件でも有意な変化はみられなかったが、高注視群のほうが低い傾向がみられた。しかし、高注視群において、犬からの注視時間とCgA値、POMS(緊張・不安度)得点の間にそれぞれ有意な相関が見られた(CgA:rs=.65, p<.05, POMS:rs=.66, p<.05)。 以上のことから、犬からの注視時間が長い群の方が、OT値が上昇することと、犬からの注視で始まるやりとりが多いほどOT値が上昇すること、飼い主による「犬からの注視」の認識を遮ることによってOT値が減少することが示され、「犬からの注視」がアタッチメント行動として飼い主に対して機能している可能性が示された。また、OT値の動向と年齢や性別等との関連についても新たな結果が得られた。一方、注視時間が長いほどCgAや緊張度が上昇することから、OTとCgAとでは、それぞれアタッチメントの異なる側面を表していることが示唆された。まとめ 本研究は犬の何が、どのようにして人の心身に影響を及ぼすのか、その一端を明らかにすることができた。犬から飼い主に向けられる「注視」は視覚によるアタッチメント行動として飼い主に認識され、その結果、飼い主の精神状態に変化をもたらすことが示された。動物は種特異的なアタッチメント形態を持つといわれているが、本研究では人と犬とがアタッチメントにおいて共通の基盤を持つ可能性が示され、なぜ、犬がこれほどまでに人社会に溶け込むことができたのかという疑問の解明につながると考えられる。さらに、それぞれの飼い主と犬とが固有の関係を持つことや、犬が人の健康にもたらす効果に差が生じることを説明する上で、「視覚的アタッチメント行動」は明確な指標となりえると考えられる。 また、本研究で測定した尿中OTは、人の内的変化を客観的に評価できるものとして、その有用性は高い。従来、動物とのふれあいによる効果は、コルチゾールやカテコラミンによって、ストレス反応を軽減させる「緩衝作用」として評価されてきたが、愛情や親和的情動等ポジティブな効果の評価には適切とはいえない。OTは、社会的な接触によって分泌が促進される等、個体間の関係性に関するポジティブな評価が可能であり、本研究では30分間という短い犬との交流でも、その影響が尿中OTに反映された。今後、人と動物との関わりを評価する際の重要なパラメータとなりうるであろう。
著者
植竹 勝治 中谷 治奈 増田 尚子 吉田 善廣 江口 祐輔 田中 智夫
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 = Journal of Azabu University (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.17/18, pp.191-193, 2009-03-31

γ-アミノ酪酸 (GABA) の経口投与が肉用牛の長距離輸送および出荷・屠畜時のストレスを低減するかどうかを調べた。試験1では,対照区の去勢牛4頭に20mLの蒸留水を,処理区の去勢牛4頭に体重当たり10mgのGABA粉末を20mLの蒸留水に溶解した水溶液を,それぞれ130.1kmの陸路輸送直前に経口投与した。分散分析の結果,供試牛の唾液中コルチゾール濃度に対する処理と輸送経過時間との交互作用は,経過時間が60分までは有意 (P<0.05) であったが,120分以降については有意ではなくなった。試験2では,肥育牛20頭を5頭ずつ4処理区に分け,屠畜場への輸送前と翌朝の屠畜直前に,G区には13gのGABA粉末を100mLの蒸留水に溶解した水溶液を,S区には100mLの生理食塩水を,SG区には輸送前に生理食塩水と屠畜直前にGABA溶液を,それぞれ経口投与した。C区には輸送前も屠畜直前にも何も投与しなかった。多重比較検定の結果,いずれの処理区のウシの血漿コルチゾール濃度も,C区のウシよりも有意に低かった (全てP<0.01)。血漿アドレナリン濃度も,C区に比べ,S区のウシで有意に低く (P<0.05),G区のウシで低い傾向 (P<0.10) がみられた。これらの結果から,GABAの経口投与は,肉用牛の輸送および屠畜時のストレスを投与後数十分間は低減させることが確認された。
著者
桐生 崇 光崎 龍子
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.49-59, 2003

High economic growth in Japan has affected social structure and local populations. After urban concentration of the population, residential areas developed in suburbs existing towns and cities surrounding the big cities. Population movement is a phenomenon that constructs new social relationships in combination with existing relationships and it is necessary to understand this phenomenon on the basis of an aggregate of individually occurring phenomena. Sagamihara city, Kanagawa Prefecture, is located 30-40km from Tokyo, and has developed as a satellite town. This city is suitable for development, but geographically it has a long axis from north to south, and the transportation connecting Tokyo has clustered on one side. We examined the social local characteristic through human relationships as a measure of the problems related to residential life. The following conclusions were drawn: 1. Population growth in Sagamihara was related to transportation and high economic growth. Because of changes to the social structure, the population trend is increasing, and social increase is a great contribution to this trend. 2. As to the population structure, the population of Sagamihara was small in 1965, but it had doubled by 1975, when it showed the star shape of an urbanized population structure. Now, it is showing a change to the gourd shape, suggesting population decrease. 3. Future municipal policies in Sagamihara should take this aging into consideration.
著者
吉本 正 谷田 創 田中 智夫
出版者
麻布大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1989

研究者らは1985年以来,暑熱環境における雄豚のサマ-ステリリティについて検討を行ない,30〜35^。Cの環境温度において3〜6週間飼養すると明らかに造精機能が低下することを認めた.現在は,その造精機能の低下防止について検討を行なっており,平成元年からは当補助金を受け,局所冷却による造精機能の低下防止法について検討を行っている.初年度は,自然環境下において局所冷却(豚の首〜肩部に水滴を落下させる drip cooling法)を行ない,その効果をサ-モグラフィ-を用いて生理反応の面から検討した.その結果,自然環境温(29〜31^。C)の条件下においては,局所冷却を行なうことによって豚体の皮膚表面温を2〜3^。C抑制する効果が認められた.2年度は環境調節室を用い,適温期(24^。C一定)を3日間,加温期(33^。C,10h;28^。C,14h)を4週間とし,大ヨ-クシャ-種雄豚6頭を用いて,同様の調査を行なった。実験1では,水滴の落下位置を検討するために,33^。Cの室温において,頭部,頸部,精巣部に水滴を11分ごとに1分間,滴下させて,それが全身の皮膚温に及ぼす影響を調査した.その結果,頸部に水滴を落下させた場合に全身の皮膚温を低下させる効果が認められた.実験2では,実験1の結果を基に,頸部に水滴を落下させた場合における適温期および加温期(33^。時)の心拍,呼吸,直腸温,サ-モグラフィ-による皮膚温および精液性状を調査した.その結果,心拍数および呼吸数に対しては大きな影響を与えなかったが,直腸温および皮膚表面温については約1^。C上昇を抑える効果が認められた.以上のことから,drip coolingによる局所冷却は,雄豚のサマ-ステリリティ-の方止に十分,活用できる方法であることが示唆された.
著者
森 裕子 遠藤 伸 伊藤 亨子 柏崎 直巳 二宮 博義 猪股 智夫
出版者
麻布大学
雑誌
麻布大学雑誌 (ISSN:13465880)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.125-127, 2006

本研究は,ビオチン欠乏がラット海馬へ及ぼす影響について,Timm染色法を用いて海馬組織を組織計測するとともに,DNAマイクロアレイ法を用いて海馬組織における遺伝子発現を検証した。組織学的観察では,歯状回,CA1,CA3の各エリアにおいてBD群の方がBS群より神経細胞が小さい傾向を示し,ビオチン欠乏により海馬神経細胞の代謝活性が低下していることが示唆された。また,Hilus,Lucidum領域のシナプス密度は,背側海馬(頭側)では両群の間に差は認められなかったが,腹側海馬(尾側)ではBD群の方がBS群より有意に増加しており,ヒト側頭葉てんかんに見られる所見に類似することが示唆された。さらに海馬組織の遺伝子発現については,BD群では細胞間や細胞内情報伝達に関わる複数の遺伝子(アセチルコリン作動性受容体,AMPA型受容体,神経軸策伸張に関わる関連遺伝子)が抑制されており,ビオチンが遺伝子発現にも重要な働きを示すものと推察された。ビオチンは脳機能の維持,特に記憶・学習に関与している可能性がある。
著者
久松 伸
出版者
麻布大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

堆肥化が困難だと言われているイチョウ落葉を用いて堆肥化を行い、その堆肥化過程中に存在する微生物フローラを調べた。その結果、微生物フローラは堆肥化過程で大きく変化することがわかった。また、堆肥化過程で内部温度が上昇する時期に微生物を単離して、各微生物のPCB分解能を調べたところ、ほとんどの試料で培養液中のPCB量が半減することがわかった。特に、1つの細菌では、約90%の減少を確認できた。
著者
福山 民夫
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
1976-06-21

地球上に棲息する蛇の種類は,およそ2,800種とされこのうち約400種が毒蛇であるが,実際に人畜に被害を与えるのは150種あまりである。世界におけるこれらの毒蛇による咬症患者の正確な数字を把握することは,極めて困難であるが,WHOの統計によると年間の死亡者数は30,000~40,000人にのぼるものと推定されている。この大部分(25,000~30,000人)は東南アジアにおけるものであり,中でもインド,パキスタン,ビルマ地方に多い。コブラは東南アジア,中近東,アフリカに亘る広い地域に分布しており,沢井等による東南アジア諸国に事ける蛇咬症の調査研究においても,最も高い致命率を示すのはコブラ咬症患者であり,治療血清の注射を受ける以前に死亡する者の多いことが報告され,予防接種の必要性が指摘されている。コブラ咬症の臨床症状及び毒の毒性について簡単に述べると,受傷後の比較的早期にねむけ,言語障害,えん下困難,流誕,意識障害,呼吸困難等の神経麻痺性の全身症状が主徴としてあらわれることが特徴で,嘔気,嘔吐,腹痛などを伴うこともあり,激烈な症例では受傷後1時間以内に死亡することもある。このようにコブラ毒は神経毒ではあるが,多くの咬症患者の受傷局所には限局性の壊死がみられ,中には機能障害を残した症例も報告されている。コブラ毒には壊死因子も存在することが知られている。以上のごとくコブラ咬症における症状は,神経麻痺と局所壊死である。今までにも高力価の治療用抗毒素血清をつくる目的で,馬の免疫を行なうために種々なコブラ毒のトキソイド化の研究が行なわれてきたが,その無毒化や免疫原性に関しては一様に満足すべき成績は得られなかった。特に無毒化剤としてホルマリンを用いた場合には,コブラ毒の無毒化は非常に困難であり『ホルマリンでは無毒化されない』とまで言われ,且つその免疫原性も弱いことなどから,ホルマリンによるトキソイド化は不可能であると思われていた。またこれらの研究においては,トキソイドの無毒化試験や免疫原性については,コブラ毒の毒性のうち致死についてのみ検討され,壊^(え)死については全く調べられていなかった。しかし壊死活性も見逃すことができない重要な因子であるので,トキソイド化の研究で最も重視される毒の無毒化においては,致死のみならず壊死因子も充分にその毒性を失活させなければならない。またトキソイド接種による免疫の効果については,コブラ毒の強い致死作用を防御することが第一に要求される最も重要なことではあるが同時に局所の壊死も防御できることが望ましい。しかしながらこれまで,コブラ毒による局所病変に注目した研究報告は少なく,それも筋肉内注射によるもので咬症患者に見られるものとは全く異なったものであった。このような理由から壊死について検討を加えるためには,まず適当な実験方法を開発する必要がある。著者はこのような観点から,咬症患者に見られるものと同様な病変をウサギやモルモットに再現すべく研究を試みたところ,後に述べるようにその方法を見出すことができた。 そこで今回は実験動物に作られた局所壊死の性状について詳しく検討を加え,且つ人体接種が可能なタイワンコブラ毒トキソイドを試作するため,ホルマリンによる無毒化の条件及びその致死あるいは局所の壊死に対する抗原性について検討した結果,確実に無毒化され,しかも優れた免疫原性を有するなど,人体に応用することが期待できるトキソイドを作ることに成功し,かつこの研究にかかわる一連の実験から2,3の新知見を得たので以下これらの概要について述べる。1)タイワンコブラ毒による致死及び局所壊死に関する実験成績 マウスを用いて50%致死量及び最小致死量の粗毒を筋肉内,腹腔内及び静脈内にそれぞれ注射し,その生死を経時的に観察した結果,静脈内あるいは腹腔内に注射した動物のうち死亡したマウスは全て毒の注射後2時間以内であった。また筋肉内注射によるものでは大部分が2時間以内に死亡したが,4時間程度生き延びたものも若干認められた。ここで発症はしていても,この時間を耐過したマウスはその後症状は漸次消退して元気に生存する現象が観察された。このようにコブラ毒を注射された動物の生死は注射経路や毒量の相違にはあまりかかわらずに,毒の注入後短時間内に決定されることが明らかなった。 次に筋肉内注射及び皮内注射の二つの方法を用いて,注射経路による局所壊死の差異について検討を行なった。筋肉内注射を行なった場合には,外部からの観察では皮膚表面の変化は全く認められなかったが,皮内注射では皮膚表面に注射部位を中心として,円形に近い健康部との境界が明瞭な壊死が認められた。この病変は臨床報告例や沢井らによる調査研究で観察された咬毎患者にみられる壊死と酷似していた。コブラ粗毒300mcgをウサギの背部皮内に注射して24時間目の局所病変を病理組織学的に観察したところ,表皮は萎縮して皮下に好中球の限局的滲出がみられた。また皮下は一般に水腫性で皮下筋層の融解壊死が認められた。このような組織学的変化は,200mcgをモルモットの皮内に注射してから2時間後の比較的早期の病変においても同様であった。これらの組織にはいずれも出血は全く認められなかった。種々な毒量をウサギやモルモットの皮肉に注射して,その大きさを経時的に測定した成績においても,注射後1~2時間で形成ざれた壊死は,時間が経過してもその大きさはあまり変らない傾向がみられ,局所の壊死は毒の注入後の早い時期に形成されることが明らかにされた。またこのような組織の障害は,タイワンコブラ毒の主要な致死活性物質として精製されたコプロトキシンでは全く観察されなかった。以上のようにコブラ咬症患者にみられる局所壊死と酷似した壊死を毒の皮内注射法により,実験動物に容易につくることができ,その性状を明らかにすることができた。そこで今までのコブラ毒のトキソイド化の研究においては,無毒化試験やトキソイドの免疫原性に関する試験はいずれも致死毒性についてのみ追究されてきたが,本報においては壊死毒性についても検討が加えられた。2)タイワンコブラ毒の無毒化に関する実験成績 ここではタイワンコブラの粗毒を用い,毒濃度を1%としてホルマリンによる無毒化の条件について検討した。毒溶液に0.4%にホルマリンを加え,pH7.0で37℃において無毒化した場合は,7日目には完全に無毒化したが,0.2%ではやや遅れ14日目であった。また0.1%以下では無毒化されなかった。次に0.2%のホルマリンを含む毒溶液のpHを変えて行なった実験について述べると,溶液のpHが8.0のアルカリ側では5日目でその毒性は完全に失なわれたが,pHが7.0では14日目でもまだ若干の毒性が残されており,21日目で無毒化された。これに対してpHが5.0,6.0の酸性側では,ホルマリンを添加した当初にやや毒性の低下がみられたにすぎず,5週後でも無毒化されなかった。しかしながらこのような場合でも,ホルマリン濃度を高くすれば無毒化を促進させることができた。すなわちpH6.0の毒溶液にホルマリンを0.8%に添加すると,5週後には無毒化されたが,0.4%の濃度ではまだかなりの毒性が残されていた。このようにタイワンコブラ毒をホルマリンで処理する場合には,粗毒溶液のpHとホルマリンの濃度が相互に密接な役割を演じ,溶液のpHあるいはホルマリンの濃度が高いほど,無毒化の時間が短かくなることが明らかにされた。しかしいずれの場合でも無毒化の途中で,その溶液中に多量の白色の沈殿物があらわれることが特徴的であったが,コブロトキシソではこのような沈澱物が生じないことから,粗毒によって生ずる沈澱物は,致死因子とは無関係なものと思われた。一方ではコブラ毒には致死以外に壊死を起す因子も含まれていることから,毒素の一部に変性をもたらすような無毒化の方法は,これらの免疫原性をできるだけ損なわないためにも避けた方がよい。そこで蛋白保護剤として各種のアミノ酸すなわちグリシン,グルタミン酸,アラニン,アルギニン,リジン等について検討した。1%の粗毒溶液にアミノ酸を0.05Mに加え,毒溶液のpHを6.5としホルマリンを0.2%ずつ4~5日間隔で徐々に加え,37℃において無毒化したところ,リジン塩酸塩またはアルギニンを含む溶液には沈降物は全く出現しなかったが,その他のアミノ酸を加えたものには,無添加の対照と同様に多量の粗い沈澱物が形成された。 次にリジン塩酸塩を0.05Mの濃度に含む1%粗毒溶液に最初0.2%にホルマリンを加え,以後5日間隔で3回添加して,溶液のpHを6.5に保ちながら37℃で無毒化したところ,壊死活性は13日目で消失し,致死活性も20日目には完全に不活化された。従来タイワンコブラ毒のホルマリンによる無毒化は,非常に困難であるとされていたが,無毒化の条件について種々検討した結果,比較的緩和な条件のもとでも,致死因子のみならず壊死因子も確実に再現性よく無毒化することができた。3)コブラ毒ホルマリントキソイドの免疫原性に関する実験成績 タイワンコブラ粗毒をホルマリン処理すると多量の沈降物が生ずるが,コブロトキシンではあらわれないことから,致死因子の主要な免疫原は上清に存在することが示唆された。そこでこの沈澱及び上清部分を免疫原としてモルモットに接種し,両分画の免疫原性の比較を試みたところ,上清を注射したモルモットが沈澱を免疫原としたものに比較して血中抗毒素価も高く,直接毒の攻撃に対してもよりよい致死防御や延命効果を示した。しかしながら沈澱物で免疫したモルモット群も無処理対照群に比較して救命効果や延命効果が認められ,若干の免疫原は沈澱分画にも移行していることが示された。 次にアミノ酸を添加して沈澱の形成を防いだ粗毒及び精製毒トキソイドの免疫原性について検討した。精製は硫安分画法で行なった結果精製毒の比活性は4.6倍に上昇した。そこで1%の粗毒及び0.5%の精製毒溶液をつくり,それぞれの毒液に0.05Mにリジン塩酸塩を加え,さらにホルマリンを0.2%ずつ4~6日間隔で5回添加し,pHを6.5に保ちながら無毒化して沈澱のない透明なトキソイドを得た。そこで1回の接種量を2mgと定め,3週間隔で4回ウサギの皮下に注射した。両トキソイドの免疫群の血中抗致死価の平均値を血清0.4mlが中和した毒量であらわすと粗毒トキソイドは23.3mcg(3.3MLD)であったが,精製毒トキソイド免疫群では42.5mcg(6.1MLD)で前者に比して約1.8倍高い抗体価を示した。次に粗毒及び精製毒トキソイド群の中から比較的高い血中抗毒素価を示したウサギを,それぞれ2匹ずつ選び,抗壊死価の測定を行なったが,いずれのウサギからも壊死中和抗体は検出されなかった。次にこれらのウサギに1.8㎎から最高14mgの粗毒を筋肉内に注射し致死防御効果を観察したが,全てのウサギは生残った。これに対して1.3㎎の毒を注射した対照のウサギは全部死亡した。このように優れた致死防御能を示したウサギも,毒の直接皮内への攻撃に対しては壊死の発生を防ぐことはできなかった。 これまで述べた免疫原性に関する実験においてはいずれも初回接種時にフロイント・アジュバンドを用いたが,ここでは沈降トキソイドの免疫原性について述べる。1%粗毒溶液にリジン塩酸塩を加え,前に述べたと同様な条件で無毒化したトキソイド溶液に,塩化アルミニウム及びリン酸ナトリウムを加えて1ml中に2mgのコブラ毒と1mgのアルミニウムを含む沈降トキソイドを作製した。1回の接種量を2mg,1mg,0.5mgと定め,1群7羽のウサギに3週間隔で4回皮下注射して,血中の抗毒素価を調べた。その抗体価は,血清1mgが原毒を中和する致死活性であらわすと,その平均値はそれぞれ10.8,10.4,5.2LD_50の毒力を中和した。またこれらのウサギに直接2mg~16mgの粗毒を筋肉内に攻撃して,致死防御ならびに延命効果などを観察すると同時に,血中抗体価とこれらとの関連について検討したところ,血清1mlが5LD_50の毒力を中和すればそのウサギは2~4mgの攻撃に耐え,また血清が10LD_50を中和した場合には,4MLDに相当する8mgの毒の攻撃にも耐えることが明らかにされ,優れた致死防御と延命効果が観察された。 以上のようにコブラ咬症による死亡や局所の壊死を最小限に留めるための予防を目的として,タイワンコブラ毒トキソイドを開発すべく実験を行なった結果,本研究によりはじめて人体接種が可能なトキソイドを得ることができた。 またこの研究を進める過程で明らかにされた主な新知見を説明すれば次のように要約することができる。(1) タイワンコブラ毒のホルマリンによる無毒化では,毒素溶液のpHやホルマリンの濃度が,重要な役割を演じていることを明らかにすることができた。(2) 粗毒をホルマリンで無毒化する場合には,その毒性が完全に失われるまでにその溶液中に多量の沈降物を生ずるのが常であったが,タイワンコブラ毒の致子因子であるコブロトキシン溶液には現れないこと,またこのような沈降物はリジンあるいはアルギニンを添加することにより防止することができることを明らかにした。(3) 粗毒溶液中にリジン塩酸塩を加え,37℃で,pHを6.5に保ちつつ,ホルマリンを0.2%ずつ4~6日間隔で添加し,徐々に増量するなど比較的緩和な条件の下でトキソイド化を行なっても,致死,壊死の両因子とも確実に無毒化できることを実証し,その免疫原性も高いことから,タイワンコブラ毒ホルモールトキソイドを得るための,トキソイド化の一つの方法を提示することができた。(4) 直接毒の攻撃に対して,致死防御に必要な免疫動物の血中抗毒素価を知ることができた。(5) タイワンコブラ毒の致死作用の特徴を明らかにした。(6) コブラ咬症患者にみられる壊死と酷似した壊死をウサギやモルモット等の実験動物に容易に作る方法を見出し,今までほとんど知られていなかった局所壊死の特徴を明らかにすることができた。 特に局所壊死に関する実験方法を開発したことにより,この面での研究が大いに進展することが期待される。一方では優れた免疫原性を保持するトキソイドが作られたことにより,高単位の治療用抗血清を得るための馬の免疫が容易に行なわれるばかりでなく,将来トキソイドの人体接種が有望である。これらのことから,本研究はタイワンコブラのみならず,他のコブラ咬症の治療や予防の前進に大きく貢献するものと信じる。