著者
山田 厳子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.267-294, 1993-11-10

通常とは違った特徴を持つ子どもが生まれることは民俗社会の中では歓迎されざることであった。そのことは、民俗社会の中で語られるさまざまな話の中からもうかがうことができる。しかしこのような子どもが却って富をもたらすと説明する話もある。ここでは現実との関わりによって語られる、しかも事実そのものとはいえない話(世間話)を例として検討しながら通常とは違う子どもに対する「過剰な意味づけ」を問うていきたいと考えている。「歓迎される」異常児として「福子」が、「忌避される」異常児として「鬼子」が挙げられる。「福子」には自身を犠牲にして「家」の繁栄をもたらすイメージがある。一方「鬼子」には「富」とともに「他界」からもたらされるイメージと、歓待されることによって「富」をもたらすイメージがある。異常児が、富とともに他界からもたらされるというイメージは、異常児の去来によって家の盛衰が決定されるという話へとつながるであろう。また異常児の誕生という不幸によって「富」の獲得という幸福とのバランスをとろうとする家の外部の者の心意もうかがうことができる。子どもの「異常」の説明のために「富」の推移が語られ、家の盛衰の説明のために「異常児」の誕生が語られたことが推測される。その際に「異常児」は家の盛衰と密接に結びついた霊的な存在と受け取られていたといえるであろう。

1 0 0 0 OA 家の論理

著者
三戸 公 ミト タダシ Tadashi Mito
雑誌
立教經濟學研究
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.1-42, 1985-07
著者
山野 千恵子 Chieko Yamano
出版者
国際仏教学大学院大学
雑誌
仙石山仏教学論集 = Sengokuyama Journal of Buddhist Studies (ISSN:13494341)
巻号頁・発行日
no.5, pp.86-65,

The Longshu pusa zhuan (龍樹菩薩伝, the Biography of Nāgārjuna, T. no. 2047) translated by Kumārajīva (350-409 or 344-413) is known as the oldest biography of the great Mādhyamika philosopher. Although the authenticity of Kumārajīvaʼs translation is now questioned, it is held to be translated or written in the period around Kumārajīvaʼs activity. However, Stuart H. Young recently proposed the hypothesis that the biography was fabricated based on the Fufazang yinyuan zhuan (付法蔵因縁伝, the Dharma-treasury transmission, T. no. 2058) dating the late 5th century. The Longshu pusa zhuan (龍樹菩薩伝) is almost same in content as a biography of Nāgārjuna appeared in the Fufazang yinyuan zhuan (付法蔵因縁伝) and we can find many parallel phrases between them. As to the anteroposterior relationship between the two texts, Henri Maspero mentioned that the Fufazang yinyuan zhuan (付法蔵因縁伝) was fabricated around the 6th century based on the earlier buddhist texts including the Longshu pusa zhuan (龍樹菩薩伝). His opinion has been widely accepted. In this paper, I will consider the anteroposterior relationship between the two texts by the following procedures. First, I will compare their sentences and contents. And second, from the point of view of the existent manuscripts and the printing editions of Song period which were newly found after the Taisho edition, I will reconstruct the history of editing of the Longshu pusa zhuan (龍樹菩薩伝). The considerations will lead to the conclusion that there was the third text that was the original of the existent Longshu pusa zhuan (龍樹菩薩伝), and that was one of sources of the Fufazang yinyuan zhuan (付法蔵因縁伝).
著者
数野 寛 佐久間 啓 小松 雅広
出版者
山梨大学工学部
雑誌
山梨大學工學部研究報告 = 山梨大學工學部研究報告 (ISSN:05131871)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-6, 1988

In this paper, the authors have discussed their research on the compound PWM method. In this method, two modulated PWM waves are compounded via an interphase reactor. One PWM wave is modulated by an isosceles triangular carrier wave, and another PWM wave is modulated by an antiphase isosceles triangular wave. In the inverter appling this method, the order of the residual harmonic is higher than the conventional PWM method. Therefore, the LC filter, which eliminates the higher harmonics, is able to compose more simply. When this inverter is applied to the speed adjustment of the induction motor, there are scarcely magnetic noise and torque ripple. Therefore the smooth rotation is obtained.
著者
川田 耕 京都学園大学経済学部
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.53-67, 2008-09-01
著者
空閑 浩人 Hiroto Kuga
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Hyoron Shakaikagaku (Social Science Review) (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.108, pp.69-88, 2014-03-20

本稿は,日本人の文化を「場の文化」であるとし,それに根ざしたソーシャルワークのあり方としての「生活場モデル(Life Field Model)」の構想を試みたものである。それは,日本人の生活と文化へのまなざしと,日本人が行動主体や生活主体として成立する「場」への視点とアプローチを重視するものであり,日本人の生活を支える「生活場(Life Field)」の維持や構築,またその豊かさを目指す,言わば「日本流」のソーシャルワークのあり方である。その意味で,この「生活場モデル」研究は,確かに日本の「国籍」をもつソーシャルワーク研究である。しかし,それはいたずらに日本のソーシャルワークの独自性のみを強調し,そこに固執するものでは決してなく,日本の中だけに止まらない国際的な可能性をも持つものである。
出版者
BOC出版部

フェミニズム運動のない国 東ドイツ(DDR)の女たち専業主婦のいない国 E・ローマン医療も完全平等 S・シュタインベルクQ&A "家事労働の日"とは? ほか"女の輪"が敷いた道 斎藤千代自らを装う 柴村紀代ノー!ノー!核のゴミ捨て場62年度婦人関係予算TOPICS/選挙・政治の'87春あごらのあごら女の講座・女のつどい
著者
川田 耕 Koh Kawata 京都学園大学経済学部
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.47-60, 2008-02-01

現代の香港においてもっとも優れた映画監督、許鞍華(1947年~)の作品を通時的に分析することによって、そこに世界と自己をめぐる独創的な認識が展開されていることを明らかにする。許鞍華は、78年のテレビ・ドラマ『来客』から82年の『投奔怒海』にいたる「ベトナム三部曲」において、返還後の香港の運命を寓話的に警告するなどといった社会的な批判をすることにとどまらず、我々の生きる世界が根源的に理不尽で過酷なものであるという迫害的な世界観を激しい憤怒をもって提示した。けれども、次第に自分の人生への回顧と自省の傾向を強めていき、母親との和解を主題とした90年の『客途秋恨』以降は、具体的な人間関係を主題とするより安定したものに変化するとともに、男たちの身勝手な姿を辛辣に、しかし悲哀をもって描くようになる(『女人、四十』『半生縁』など)。こうした転換をへて、許鞍華は、かねて散発的に取り上げてきた「望まれない妊娠」というモチーフを中心的なテーマにすえてそれに内省的に取り組むにいたる。それが許鞍華の映画作家としての頂点をなす『千言寓語』(99年)と『男人四十』(2001年)であり、そこで彼女は、理不尽にもみえる世界と社会のなかでの、愛情と生殖と欲望をめぐる、生きることのダイナミズムを表現する。さらに『姨媽的後現代生活』(06年)では、自分の人生への失望とともに、後の世代への希望を表明する。
著者
幸田 浩文
出版者
東洋大学経営力創成研究センター
雑誌
経営力創成研究 = Journal of Creative Management (ISSN:18800521)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.5-20, 2018-03

近江商人は、江戸時代に現在の滋賀県・琵琶湖周辺の近江地方から発祥した高島・八幡・日野・湖東商人の総称である。近江商人は、地元の裕福な商人と豊富な労働力を結びつけ、本家を地元に置き、行商先に店舗を設けることで、独自の流通網を構築した。とくに日野商人は他の近江商人のように大都市ではなく、北関東と東北の小都市ならびにその周辺地域で行商し、その土地に次々と店舗を開き、その出店を通じて商品を委託販売した。1701 年に近江・日野町の正野玄三により合薬が創製され、その薬効が好評を博するにつれ、次第に古くから日野行商の主力商品であった日野椀に取って代わり、新たに日野売薬が従来の販売網を通じて委託販売されるようになった。それを支援したのが1680 年に設立された商人の仲間組織である「大当番仲間」であった。この組織の活動はその後明治時代初期までおよそ200 年余り続けられ、日野売薬の発展に大いに貢献した。