出版者
Hokkaido University(北海道大学)
巻号頁・発行日
2007-03-23

現代の町並み色彩をめぐる根本的な課題は、建築の素材色に規定されていた時代から自由な塗装色の時代へと変わった中で、個性的で魅力ある、すぐれた町並み色彩とは何か、また、そのような町並み色彩をどのようにすれば形成できるのかにある。この課題に対して、塗装色の時代になって以降現在までの100 年余の間に、地域や人々の間で色彩が生活文化としてどのように培われてきたのかを掘り起こし、解き明かすことがなによりもまず求められている。本研究の目的は、地域において人々が日常生活の中で建物の塗装色とどのようにかかわりあってきたのかをとらえ、町並みにおける人々と色彩との歴史的、文化的、生活的な関係を明らかにし、その中からこれからの町並み色彩のあり方を見出そうとすることにある。具体的には、塗装色の代表例であるペンキが、建物の維持管理上必要な数年単位の塗り替えという、住民の周期的な生活行為が直接的に町並みの形成、維持にむすびつく、生活景の一つの典型タイプであることに着目し、日本において洋風の木造下見板張り建築様式とともにペンキが導入された明治期から現在までの間に、どのように町並みの色彩として形成され、変容してきたのかを明らかにする。そして、その変容過程の中で、町並みの形成、維持にかかわる色彩選択、決定の原理を抽出し、特徴ある色彩形成のしくみをとらえようとするものである。本論文は全9章で構成しており、各章の概要は以下のとおりである。第1章では、課題の提示と研究の目的、動機と意義、方法、論文の構成について論述するとともに、主題に関する既往研究について概括し、本研究の位置づけをおこなった。第2章では、ペンキ色彩の町並みの変容を実証する主要な、かつ簡便な方法として、「時層色環」という新しい概念を提示し、その調査、分析の手法について具体的に論述した。時層色環とは、木造下見板張り建物の外壁等のペンキ塗膜を紙やすりで円環状に削ることによって得られる、同心円状の模様をした古いペンキ層のことであるが、そこにはペンキ色彩にまつわる人々の生活や地域の歴史が蓄積されており、その分析によってペンキ色彩と時代、地域の環境やコミュニティ、人々の生活との関係をさぐることができる。第3章から5章では、時層色環の調査・分析手法を用い、日本の代表的な木造下見板張り建物ペンキ色彩からなる町並みとして、一般庶民の住宅群で構成されている函館市西部地区と外国人の住宅群、いわゆる異人館で構成されている神戸市北野町山本通地区、これらの原型と考えられるアメリカ・ボストン周辺地区の3地区をとりあげ、19 世紀半ば頃から現在までの町並み色彩の変容過程を分析し、比較考察をおこなった。その結果、3地区の下見板張り建築は歴史的なつながりがあり、形式が類似しているが、町並み色彩の特徴はそれぞれ異なり、そこには地域の歴史、文化や住民の生活、意識が反映されていること、また時代によって町並み色彩が変化するのは共通していることを明らかにした。第3章では、函館市西部地区において、多くの建物が数年単位でペンキを塗り替える際に以前とは異なる色を使い、町並み全体としては20 年から30 年の周期で色彩が変化していること、大火や戦争による色の選択の不自由な時代を除き、平時には多様な色彩の町並みが形成されていたことが明らかになり、この変化と多様さの中で一定の調和を保っているところに町並み色彩の特質があることをとらえた。また、多様な中にも、とくに戦後はパステル調のピンク系や緑系の特徴的な色の使用がみとめられ、それは地区の代表的な建物や船舶の色が住民に評価され、受容されて地域に広がるという、コミュニティによる地域環境価値評価型の町並み色彩形成がとらえられた。第4章では、神戸市北野町山本通地区において、従来外壁のオフホワイト系やライトベージュ系の統一的な色彩が特徴とされてきたが、1960 年代以前にはこれらとはまったく異なる多様な色彩が使われ、そこには様々な外国人の色彩文化の反映による外来文化主導型の町並み色彩が形成されていたこと、1960 年代以降は、戦争による外国人の国外退去や異人館の取り壊しなどの急激な環境変貌に対する住民の結束の表現として、地域コミュニティ主導型の統一的な町並み色彩へと変化したことを明らかにした。第5章では、アメリカ・ボストン周辺地区において、19 世紀後半にはヴィクトリアン様式の時代の流行であった茶系、緑系の暗色の、様式建築文化主導型の町並み色彩が形成されていたが、20 世紀半ば以降は灰系、白系の色への変化がみられ、これは戸建住宅地の豊かな緑の周辺自然環境調和型、あるいは住民が憧憬する組積造の石のイメージ表現型などへの町並み色彩変容であることをとらえた。第6章では、函館市西部地区における色彩選択、決定のしかたを人々の暮らしとのかかわりから詳細に分析し、ペンキ塗装が住民の生活レベルで様々な意味や物語をもち、住民がその記憶を基盤として塗装業者、近隣と色彩選択時に対話、相談をし、建物や周辺環境の特質に対して価値評価をおこなうという構造をとらえ、それが特徴ある町並み色彩の形成、維持のしくみとして働いていることを明らかにした。町並み色彩の特徴をたもつには、この構造的なしくみを維持することが必要であるが、函館市西部地区において近年、下見板張り建物の減少などの変化にともない、このしくみが弱体化する傾向にある。第7章では、こういう状況の中で、1990 年代以降に新しく展開されてきた市民によるペンキ塗りボランティア活動と行政による町並み色彩コントロールが、従来のしくみの構造を補強、継承し、町並み色彩の特徴をたもつ役割を果たしていることを明らかにした。第8章では、町並み色彩計画のあり方について論述している。前章までの成果から、町並み色彩は地域の歴史、文化が表現され、地域コミュニティ単位の固有性をもち、地域住民の社会的な生活意識が視覚的に表現され、現象的にも実体的にも変化し、生活の物語として地域住民の生活との濃密なかかわりをもつ、複合的、重層的なものであるととらえ、これを「生活環境色彩」と定義づけた。従来の町並み色彩計画論における「自然環境色彩」と「近代科学色彩」の2 つの原理に、この「生活環境色彩」を加えて枠組みを広げることにより、地域住民が日常生活とのかかわりの中で色彩をより身近なものとしてとらえ、町並みへの関心を高める効果が期待でき、これら3 軸の関係から町並み色彩計画のあり方を考える必要性、重要性を論じた。第9章では、本研究の要約をおこない、結論として、(1) 町並み色彩変容研究の方法論として、時層色環の調査・分析手法を開発した。(2) その手法を用いて、函館、神戸、アメリカの3 地区における町並み色彩の歴史的変遷の事実を解明した。町並み色彩はそれぞれの地区によって異なる固有性をもっていると同時に、不変的なものではなく、時代によって変化するものであることがとらえられた。(3) 町並み色彩の形成、変容には地域の歴史、文化や住民の生活、意識が反映されていることを実証的、具体的にあきらかにした。とくに、住民の生活とのかかわりから、それぞれの色彩がもつ意味や物語をとらえた。(4) 特徴ある町並み色彩を形成し、維持するしくみとして、住民らの多様な主体による協議と、地域の環境の特質やコミュニティとの関係の中で価値評価がおこなわれる色彩選択、決定のシステムをあきらかにした。(5) このような町並み色彩のあり方を生活環境色彩という新たな概念で示し、それを取り込んだ町並み色彩計画論を展開した。すぐれた町並み色彩の形成には、建物群の色彩の調和という物的環境の意匠的側面の整備にとどまるものではなく、生活環境色彩を地域の中に発見し、それを育成していくことが重要であることを論じた
著者
平川 毅彦
出版者
富山大学人間発達科学部
雑誌
富山大学人間発達科学部紀要 (ISSN:1881316X)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.43-51, 2006-12

大規模化・複雑化した現代社会において、何らかの理由により生じた生活困難・生活課題を側面から支援し、個人の発達・成長を最大限まで促そうとする現代的試み。それが最も限定された意味での社会福祉である。この社会福祉という支援活動を展開するために、日常生活から引き離された「全制的施設」(“Total Institution”, Goffman,1961)ではなく、「ふつうの生活」が展開される場所としての地域社会はいかにして可能か。そして、特定少数の人々だけではなく、すべての住民にとって暮らしやすい地域社会とはどのようなものか。それが今日の「福祉のまちづくり」に求められている課題である。ところで、日本社会における「福祉のまちづくり」の源流は、高度成長期の仙台市にあるとされている。施設のみで完結する生活に不満を持つ身体障害者と学生ボランティア、そして彼らを支援するソーシャルワーカーによる最初の一滴から始まり、専門家と住民参加を旨とする当時の島野仙台市政(1958年~1984年)と結びつくことで拡がりを持ち、その活動成果はマスコミにより全国に紹介された。また、こうした活動成果が評価され1973 (昭和48)年7月には厚生省(当時)による身体障害者福祉モデル都市指定による整備が行われ、さらに同年9月には「福祉のまちづくり、車いす市民交流集会」が開催、全国から車いす利用者が仙台を訪れ、そこでの経験は日本全国へと広まり定着した。本研究では、この仙台市における「福祉のまちづくり」に関して、残された資料等をもとに、主にその源流部分を再構成する。そして、こうした作業を通じて、「福祉」と人間の成長・発達を巡って解決されなければならない課題がどのようなものであるのか明らかにしていきたい。
著者
津曲 敏郎
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
サハリンの言語世界 : 北大文学研究科公開シンポジウム報告書
巻号頁・発行日
pp.1-10, 2009-03-08

本稿ではまずサハリンの言語状況を概観し、特に近年のウイルタ語をめぐる動きを紹介する。次にサハリンの先住民言語の間に見られる単語の相互借用について、先行研究からいくつかの例を紹介するとともに、あらたな事例を提供する。最後に、単語借用以外の文法面や口頭文芸においても影響関係が見られることにふれ、「言語地域」としてのサハリンの重要性を指摘する。
著者
井上 勝生
出版者
北海道大学
雑誌
北大百二十五年史
巻号頁・発行日
vol.論文・資料編, pp.111-162, 2003-02-21
著者
結城 洋一郎
出版者
小樽商科大学
雑誌
商学討究 (ISSN:04748638)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.5-37, 2014-03-25

論説

8 0 0 0 OA 魚の性

著者
高橋 裕哉
巻号頁・発行日
1995

性 sex が科学の分野で取り上げられたのは20世紀に入ってからで、形態学的な研究に始まった。性という用語は学問上は "雌雄性sexuality" という意味で用いられる。性の科学が具現化されたのは主に遺伝学によってであるが、後に実験形態学、生理学、生化学がこれに加わって総合科学としての "性の生物学 biology of sex" を成立させ、一般に性とよばれるものが如何なるものか、という問題を追求し続けて今日に至っている。性には雄と雌の二種類があり、それぞれ♂と♀に記号化される。この両者は峻別され得るものだろうか? 1929年、この分野の先駆者の Max Hartmann は "性の相対性 relative sexuality" の理論を提唱した(Hartmann, 1956, 参照)。これは Ectocarpus siliculosus という藻類での研究に基づいたもので、この藻の遊走子では雄と雌が大体定まっているが、雄とみられる遊走子間、または雌とみられる遊走子間で受精が行われる、すなわち或る雄が雌的に、または或る雌が雄的に働く場合がある。生殖細胞にはこのような "両性的 bisexual" な性質があり、仮にその雌的な性質をF、雄的な性質をMで表すとすれば、FとMの大きさの差が外的な性質として現れてくることがあるのである。 この考え方によれば、全ての動物の雄、雌というのは厳然と区別されるべきものではなく、個体は本質的に両性的であり、また雌雄のいずれにもなり得る両能性 bipotentiality を具有している。すなわち、雌雄というのはあくまでも現象的なもので、FとMの拮抗作用の表れにすぎない。通常は遺伝的な性組成を基盤としてFとMの差が大きく保たれ、特にいわゆる高等動物では、それらの現象的な雌雄が明瞭に分離されている。しかし性決定遺伝子やその修飾に関連する遺伝子(F-遺伝子とM-遺伝子)の作用が明確な脊椎動物においてすら、生殖細胞の両性的かつ両能的な性質は保守されており、それに基づいた様々な雌雄性の表れ、たとえば雌雄同体現象や性転換現象が認められるのであり、それらが硬骨魚類では最も顕著に表現されているのである。 生殖細胞の性的両能性は、それが個体発生の、または生殖腺の形態形成のどの時点まで保持されているか、すなわち生殖細胞の精子形成と卵形成への方向付けがどの段階で確定されるかという問題と、そのような性的両能性の不可逆的な喪失を導く因子は何かという問題を生ずる(Reinboth, 1982)。特に後者の問題は性の生物学における究極の問題といえよう。性の表現様式が脊椎動物では他に類をみないほど多様であり、性的に不安定な状態にあるとされる硬骨魚類は、これらの問題の追究にとってまたとない好対象なのである。
著者
陳 莉莉
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.435-447, 2021-03-31

The Kantei faith in China developed greatly during the Song-Yuan Dynasty, and the imperial court's posthumous rank became a "King" through the "Hou" and "public". The form of Guan Yu has been fixed with the development of literary works such as storytellings, ghost novels, Yuan Zaju operas, Yuanqu,and novels. Although the Yuan dynasty's Guan Yu paintings are slightly different in shape, the Danfeng eyes, Jujube face, and long beard is already established at this time. However, the statue of the Kantei, which is said to have been handed down from the Chinese Yuan Dynasty, is different from this one. The purpose of this paper is to, through the analysis of the Severnt God and those belongings, compare the shape of Kantei in Chinese Song-Yuan Dynasty, the depiction of storytelling in the works of literature and the statue of Kantei of the DaikoJi Temple, and to examine the image of the Kantei in the DaikoJi Temple, which is said to be the oldest in Japan.
著者
林 衛
巻号頁・発行日
pp.1-23,

研究発表 : 科学性と倫理性両立の条件 : 「STSが役に立たなかった」論の分析を出発点に自由研究集会 : データで探究・対論「福島小児甲状腺がん多発問題」
著者
本間 浩昭 本間 浩昭 本間 浩昭
巻号頁・発行日
2009-11-02

Sustainability Weeks 2009 Opening Symposium "International Symposium on Sustainable Development -Recommendations for Tackling the 5 Challenges of Global Sustainability-". Session 6, Toward the Creation of a New Framework in the Global Warming Era. 2 November 2009. Sapporo, Japan.