著者
松尾 政輝 三浦 貴大 坂尻 正次 大西 淳児 小野 束
雑誌
研究報告アクセシビリティ(AAC) (ISSN:24322431)
巻号頁・発行日
vol.2016-AAC-2, no.12, pp.1-4, 2016-11-25

これまで晴眼者と視覚障害者がともに利用可能なアクション RPG (ロールプレイングゲーム) を開発してきた.このゲームは,画面情報を音や触覚を用いて提示することで,視覚障害の有無によらず利用できるものであった.また,全盲者も音情報を用いてゲーム用の地図を作図可能な地図エディタを開発した.このゲームシステムを発展させ,よりリアルタイム性が高く,複数人での同時プレイが可能な横スクロールアクションゲームを開発したので,その内容を報告する.
著者
野澤 幸男
雑誌
研究報告アクセシビリティ(AAC) (ISSN:24322431)
巻号頁・発行日
vol.2016-AAC-2, no.14, pp.1-4, 2016-11-25

コンピュータゲームの発展の裏で,視力を用いずとも楽しむことができる 「オーディオゲーム」 が発展している.本論文では,オーディオゲームの歴史的概要について述べた上で,文字情報 ・ 音情報 ・ 二者の組合せといった提示方法から開発手法を論じる.
著者
坂田 一 HAZIME SAKATA
雑誌
京都府立大学学術報告. 理学・生活科学・福祉学 = The scientific reports of the Kyoto Prefectural University. Natural science, living science and welfare science (ISSN:0075739X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.67-84, 1970-10-29

職場における作業動機の問題は古くて新しい。本研究は最近しきりに取りあげられているHerzbergの2要因理論の検証を主なねらいとして, 満足感・不満足感のカテゴリー別の整理から入ってゆき, 因子についてわが国の場合にどのような妥当性をもつかについてもとりあげてみた。そして生活態度や転職経験という, この問題と密接な関連をもつ側面からうかがうとともに, 話しあい活動を通じてその検討を行ない, 諸種の問題があることがわかった。次にこれらの結果にたって, 動機づけ・衛生両要因とのかかわりにおいて, 職務遂行のための管理体系を樹立してみたいと考え, 新しい展開を試みた。
著者
岡田 有功
雑誌
州共立大学研究紀要 = Study journal of Kyushu Kyoritsu University (ISSN:21860483)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.1-10, 2017-03-31

The purpose of this paper is to consider how the mine company took the action against the pollutionproblem in 1900`s from the point of view of corporate social responsibility.Kosaka Mine run by Fujita-gumi & Co. came to be counted as one of the four largest copper minesby succeeding in the development of smelting technology. At the same time, however, the mine wasfacing a serious air pollution problem. In 1901 the mine dealt with the problem quickly, such as damageinvestigation and compensation for damages. Fusanosuke KUHARA, Office manager at Kosaka Mine,and his subordinate Yatarō KADO played a central role in the activities. President of Fujita-gumi &Co. Denzaburō FUJITA also contributed to the community by making a donation. They tried to fulfillcorporate social responsibility activities. When KUHARA and KADO left that company, and FUJITAbecame aged, the company was aimed at restructuring from decentralized organization to centralizedorganization since 1909.Under reorganization of the company and the expansion of the stricken area, fulfilling socialresponsibility was limited because it was regarded as a cost.
著者
瀬戸 司 丸谷 怜 益海 大樹 西 孝輔 今岡 のり 竹村 司
出版者
近畿大学医学会
雑誌
近畿大学医学雑誌 = Medical Journal of Kindai University (ISSN:03858367)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3-4, pp.109-114, 2017-12-20

[抄録]症例は1歳11ヶ月の男児.川崎病が疑われ,加療目的にて近医小児科へ入院した.第5病日に川崎病と診断され,アスピリン(30mg/kg),ウリナスタチン(15000 U/kg),免疫グロブリン(2g/kg)による治療が開始され,第7病日に追加の免疫グロブリン(1g/kg)療法が行われ,第11病日に退院となった.しかし,同日の夜間より再度発熱を認めたため,再燃として,第12病日より免疫グロブリン(1g/kg)の追加治療が行われた.第13病日も発熱が継続,約40秒の全身性強直性痙攣を認めたため,同日当院へ転院となった.転院当日,再度全身性強直性痙攣が出現,ミダゾラムの持続投与にて鎮痙した.頭部MRI 検査で白質脳症の所見を認めたため,ステロイドパルス療法を開始した.しかし,第15病日より痙攣重積状態となり,人工呼吸器管理,脳保護治療を開始するも,同日の夜には瞳孔が散大し,尿崩症の状態となった.2度目のステロイドパルス療法にて炎症反応は陰性化するも汎下垂体機能低下症,自発呼吸の消失,瞳孔散大,対光反射消失など,脳幹機能の消失を認めた.その後も意識状態の改善は認めず,深昏睡の状態が継続している.川崎病経過中に痙攣重積型急性脳症から,最終的に深昏睡の状態に至った稀な症例を経験したので報告する.
著者
瀬々 潤
雑誌
研究報告バイオ情報学(BIO)
巻号頁・発行日
vol.2014-BIO-40, no.4, pp.1-5, 2014-12-11

遺伝子網羅的に発現量を観測するマイクロアレイが超並列シーケンサを利用する RNA-seq になり,遺伝子発現の解析に新たな統計手法が必要となっている.要因の一例として,マイクロアレイでは相対的な発現量として採取されいた遺伝子発現量に関し,計数による計量が行える定量性の高さが挙げられる.また,反復実験が一般的となり,発現量の変化を統計的指標に基づいて検出する傾向が高まっている.このような実験の変化に対して,新たに考慮すべき統計解析が存在し,RNA-seq の発現量解析には,Cuffdiff,edgeR, DESeq など独特のソフトウエアが利用されている.本発表では,これらで利用されている統計解析についてレビューを行う.
著者
藤瀬 武彦 橋本 麻里 長崎 浩爾
出版者
新潟国際情報大学経営情報学部
雑誌
新潟国際情報大学経営情報学部紀要 (ISSN:24342939)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-18, 2018-04-01

本研究では女子学生の理想体型を明らかにするために、形態数値の明らかな12名の女子学生モデル(BMIが15.5~25.8 kg/m2)の中から理想体型を選択させ、被験者の実測体型との関連についても検討した。被験者は女子学生322名(年齢19.8±1.9歳、身長159.5±5.6cm、体重52.9±7.9㎏、BMI20.8±2.8 kg/m2)であった。アンケートにより理想とする形態数値(数値理想体型)などを回答してもらうとともに、理想体型モデルを選択させてその形態数値を用いて分析した。現状よりも「痩せたい」と回答した女子学生は85.7%(276名)であり、主な痩せたい理由については「スタイルを良くしたい」(37.7%),「太いから」(34.8%),「着たい服があるから」(12.7%)などであった。数値理想体型は、身長161.1±4.6cm、体重48.2±4.6㎏、BMI18.6±1.4kg/m2、バスト85.4±5.5m、ウエスト60.0±4.3cm、ヒップ83.4±5.8cmであり、これらは実測体型それぞれの数値と有意な相関関係が数多く認められた。一方、理想体型モデルの数値は、脚長72.3±2.4cm(理想身長比46.1%)、指極159.1±3.7cm(101.6%)、体重43.8±5.7㎏、BMI17.8±1.9 kg/m2、バスト79.5±3.8cm(50.8%)、ウエスト60.7±2.9cm(38.8%)、ヒップ83.5±3.8cm(53.3%)などであり、これらの数値は実測体型それぞれの数値との間にほとんど有意な相関関係は認められなかった。数値理想体型とともに 理想体型モデルの数値を用いて理想とする体型の数値を求めると、身長161.1㎝、体重46.2㎏、BMI17.8kg/m2、バスト85.4㎝、ウエスト62.5㎝、ヒップ85.9㎝であり、またこれらの他には脚長74.3㎝、指極163.7㎝、上腕囲23.2㎝、前腕囲21.7㎝、大腿囲50.9㎝、下腿囲32.2㎝、足首囲21.7cmなどであった。以上の結果から、形態数値の明らかな理想体型モデルの選択によって日本人若年女性の理想体型のより客観的数値が求められ、この数値は女子学生自身の体型数値とはほぼ無関係であることなどが明らかとなった。
著者
日高 洋子 Yoko HIDAKA
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 = Bulletin of Saitama Gakuen University. Faculty of Humanities (ISSN:13470515)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.145-158, 2009-12-01

Ninsho was a Buddhist monk in the 13th century in Japan, who supported the poor and the invalid, with his comrades, without reward. There have been general observations by critics that the activity was only utilitarian strategies to expand his religious sect called Shingon-Ritsu-syu, being in the close relationship with Hojo-shi. However, in this paper, I will argue the practice by Ninsho from a different perspective that he would go further to create a field of welfare. His activities transcended both fields of politics and the economy of his time. Ninsho challenged the way of missions by Eison who was his master. His work seems to surpass even the religious concept, namely, Bosatsugyo - Kanjin based Muen. Kanjin based Muen could be described as promotion which led his activity to `the field of cultivation', where human beings would be. This is the characteristic of his practice, that is to say, it could be said that Ninsho had tried to establish the field of welfare. Therefore, it is reasonable and helpful to explore his achievement in order to gain some insight when we review contemporary social welfare subordinate to politics and the economy.
著者
谷口 智彦
出版者
拓殖大学
巻号頁・発行日
2016-03-23

2015
著者
藤本 勝義 フジモト カツヨシ Katsuyoshi FUJIMOTO
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.36, pp.31-48, 2015-03-31

源氏物語では重要な人物で死ぬ者が多い。それは、長編物語のためだけでなく、死そのものの意味があり、死で終わるのではなく、そのプロセスと、死後に残された者の思いが重視されているからと言える。本稿では、死のもたらすものと、死者の救済について考察し、仏教的な救済はもとより、源氏物語独自の救済の論理を把握しようとするものである。先ず、物の怪に憑依された人物を取り上げる。夕顔は、その死が娘などには知られないため、菩提を弔われることが少なく、成仏することがかなり遅れた。葵の上は、嘆き悲しむ光源氏の心からの哀悼により成仏したと考えてよい。しかし、光源氏がそこまで葵の上を愛していたとも思われない。別の理由も考えられる。死者の往生のためには、生前の本人の仏道への帰依と、残された者の供養が要請された。勤行の経験がほとんどなかった主に若い死者には、残された者の心からの追善供養が必要である。六条御息所を光源氏が、心をこめて菩提を弔うことはなかったと言ってよい。それは、死霊となる六条御息所の物語とも深く結びついていた。源氏物語では、死者の冥福に関して、追善供養と精神的救済が要請されているかのようである。紫の上は厚い信仰心と光源氏の心底からの供養によって極楽往生した。次に、亡霊として夢枕に立つ人物の救済だが、桐壺院は、光源氏による大々的な追善供養によって救われ、極楽往生したと考えられる。藤壺救済の道筋は、身代わりになってでも救いたいという光源氏の強い思いなどで、はっきりとつけられた。八の宮は、中の君が「幸い人」路線を進むことで、心の平安を得て成仏したと考えられる。源氏物語以外の作品では、光源氏など個人が、心の底から菩提を弔うといった、あくまで物語の精緻な展開に密着した描写は限られており、盛大な葬儀を行うことが、当事者の権勢を示すことに直接関わったり、源氏物語には決して描かれなかった挿話を記すなど、その質の違いが際立つのである。