- 著者
-
千田 嘉博
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.64, pp.223-235, 1995-11-30
従来,遺構に即した踏み込んだ検討が行われてこなかった東北北部の山域について,墳館・唐川城・柴崎城・尻八館を事例に検討を行った。この結果,墳館は10世紀末~11世紀にかけての古代末の防御集落と中世の館が重複した遺跡であったことを示し,東北地域で数多くみられるこうした重複現象が,中世段階ですでに古代末に地域の城が構えられた場が,特別な意味をもち,そこに改めて城を築くことが,中世の築城主体にとって権力の権威や正当性を示す意義をもったとした。さらに唐川城・柴崎城・尻八館は,曲輪の整形が未熟な反面,堀が卓越して発達するという,同一系譜の特徴的な城であったことを明らかにし,その築造時期が14世紀末にはじまり,15世紀前半までに限定できるとした。この14世紀末という時期は,十三湊において都市を南北に2分した大土塁が築造されはじめた時期に当たり,また15世紀半ばという最後の改修の年代も安藤氏と南部氏の戦いの時期に一致したことを示した。そして諸状況から考え,これらの3つの山城は安藤氏の拠点城郭として機能したと評価した。堀を卓越させたこれらの城郭構成は,これまでみすごされてきた北の城郭の特徴を示したもので,中世後期の城郭形成に,北からの堀が不可欠であったことを述べるとともに,南方のグスクと共通した郭非主体の防御のあり方は,その先のさらなる北や南との交流の中で生み出されたものだとした。