- 著者
-
保田 卓
- 出版者
- The Japan Sociological Society
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, no.3, pp.313-329, 1999-12-30 (Released:2009-10-19)
- 参考文献数
- 32
本稿は, これまでほとんどとりあげられなかったルーマンの高等教育論の全体像を, 散発的で数少ない著作から再構成する試みである。ルーマンによれば, 1960年代末以降のドイツの大学の民主化は, 大学の集団政治化と官僚制化を齎した。集団の挙動のみならず個人の行動をも各集団の利害によって統制する集団政治は一時, 大学を機能的脱-分化の方向に導いたが, やがて官僚制が, 一方で教育・研究の自律性, 他方で教育の相対的組織化容易性, さらに進学率の増大を梃子にして, 集団政治に反応し, これを圧倒するに至った。しかしそれで問題が解決したわけではない。大学システムが適応していかなければならない “環境問題” は, 進学率増大の他にも, 研究と教育の「威信の増幅」関係の崩壊・ライフコースの脱-制度化・相互作用における教養の利用価値の逓減, と山積している。そこでルーマンの提案する適応戦略は, 研究の「観察の観察」への機能分化, 教育における課程=システム分化である。かかる提案の背後にあるのは, ルーマン一流の機能分化史観である。こうしたルーマンの高等教育論の特質は, 大学における民主化が期せずして官僚制化を招来するという視点を示したこと, 研究と教育の機能分化にポジティヴな可能性を提示したことである。