著者
江口 聡
出版者
京都女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本年度はコンピュータの集団的な利用による「責任の曖昧化」の問題を検討した。Therac-25に代表される高度な技術や、コンピュータ・ウィルス、ネットワークによる投票、P2Pファイル交換ソフトウェア等はどれも誰がどのような行為を行なったのかという点を不明確にし、それゆえ責任の所在がわかりにくくなる原因となる。このような問題を扱うには「責任」の本来的な意味が「賠償責任」であるのか、最近一部の論者によって提出されている「応答責任」なのかを明確にする必要がある。報告者の分析によれば、通常提出されている「応答責任論」は「責任を問う」ことと「責任がある」ことの違いを見失っている可能性がある。この点は上で述べたような集団責任の問題をとりあげれば明白になる。集団的な責任においては、(1)責任を問うべき個人が誰であるか明らかでなく、(2)個人を見た場合その落ち度はささいな場合が多く、(3)他人の行為について応答するということの意味が不明確である。報告者の主張では、われわれは責任の問題をあつかうにあたって、伝統的な目的論的な解釈をおこなうべきである。「責任」という概念の中心にあるのは「非難」であり、社会的に望ましくない結果を抑止あるいは予防し、加害者の教育や被害者の救済その他の目的のための手段としてプラグマチックに解釈するべきである。つまり責任という制度は、そのような制度を採用することの帰結によって正当化されるような擬制にすぎない。より詳細な研究成果は、平成18年度に各種学会および刊行物で公開する予定である。
著者
知里真志保編訳
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
1981
著者
神田 有
出版者
春秋社
雑誌
春秋 (ISSN:13436198)
巻号頁・発行日
no.540, pp.29-31, 2012-07
著者
神田 有
出版者
春秋社
雑誌
春秋 (ISSN:13436198)
巻号頁・発行日
no.538, pp.25-27, 2012-05
著者
神田 有
出版者
春秋社
雑誌
春秋 (ISSN:13436198)
巻号頁・発行日
no.537, pp.9-12, 2012-04
著者
澤 敬子 南野 佳代 江口 聡 岡野 八代 藤本 亮 渡辺 千原 中山 竜一
出版者
京都女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究の目的は、日本のロースクールにおけるジェンダー法学教育のあり方を模索する基本資料として、アメリカロースクールの著名なジェンダー法学教育担当者に対し、ジェンダー法学がロースクールで教えられるようになるまでの軌跡、現在の教育においての課題等をインタビュー調査することにある。主たる調査結果は、「ジェンダーの視点を法学教育に生かすための諸課題-米国フェミニズム法学教育者インタビュー調査から」(『現代社会研究』8号、pp.49-66、2005)で発表し、本科研報告書においても、この研究をもとに、日本における課題を検討している。調査により、アメリカにおいてジェンダー法学教育は、現在、ロースクールにおいてほぼ制度化され、特化されたジェンダー科目として、および/または実定法学の授業での論点として教えられていることが明らかになった。調査における注目点として、ジェンダー科目を最も習得するべきである学生が、ジェンダー科目が選択科目である限り履修しないこと、特化されたジェンダー科目と実定法学での論点として教える二方法のバランス、学生の多様なニーズにどのように答えて授業を行なうか、教育担当者のエンパワメントや研究推進など横の連携の方法などであった。本研究では、これら課題に対する米教育者らの対応についても調査している。とりわけ、教え方のバランスと選択履修の問題は、日本のロースクール教育においても既に重要な論点であり、米国での取り組みは、ロースクール授業に限らない「大学におけるジェンダー法教育」全般を視野に入れた教育としての取り組みの必要性を示唆している。
著者
市橋 秀夫
出版者
埼玉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
日本アジア研究 : 埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程 (学際系) 紀要 = Journal of Japanese & Asian studies (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
no.18, pp.93-146, 2021

本稿は、福岡の「青年労働者」の青年運動組織である社会主義青年同盟福岡地区本部が1968 年に撮影し、集会や学習会などで巡回展示に活用した記録写真について、時代や地理的な文脈とともに紹介・解説するものである。そのうえで、社会運動や労働運動などの史料としての記録写真が持つ意味や、解釈上の問題、ヴィジュアル史料ならではの意義はどういった点に見出せるのかについて、若干のコメントをおこなう。 写真記録の主たる対象は、北九州市方面在住の社青同福岡の同盟員が中心となって結成された北九州反戦青年委員会が1968 年に展開したベトナム反戦の非暴力直接行動である。中心となった行動は、北九州市の中ほどに位置した米軍山田弾薬庫への弾薬輸送阻止闘争である。ただし、写真記録には、北九州反戦青年員会が最初に取り組んだ北九州市「合理化反対闘争」が冒頭に配されているほか、RF-4C ファントムジェット偵察機が九州大学に墜落したあとの現場風景やその直後に板付基地撤去を求めて行なわれた「板付闘争」を記録した写真も含まれている。 日本におけるベトナム反戦運動史研究では、ベ平連や学生運動が展開した活動についてはそれなりの研究蓄積がある。ところが、全国各地で多数の青年労働者が参加した反戦青年委員会によるベトナム反戦運動については、基礎的な研究も皆無といってよく、したがってベトナム反戦運動の通史的研究でも内容ある言及はほとんどなされていない。その結果、地域ごとに大きく異なる方針を持ち各々独自活動を展開していたにもかかわらず、反日共系の学生活動家とともにヘルメットをかぶり角材を振り回す「過激派」という一律な通俗イメージを問い直す作業はなされていないままである。 本稿が取り上げる事例は、北九州におけるベトナム反戦運動のハイライトとなった米軍弾薬輸送阻止闘争が、市民でも学生でもなく、青年労働者が個人で加盟した地域の反戦青年委員会がイニシアティヴを取ったユニークな非暴力直接行動だったことを明らかにしている。日本におけるベトナム反戦運動史研究には、さらなる地域の事例研究の積み上げと、運動主体の多元的な掘り下げが必要である。 This article introduces documentary photographs taken in 1968 by the Fukuoka Area Headquarters of the Socialist Youth League, a youth movement organization of the "young worker" in Fukuoka. Before examining the photos, the article describes the time and geographical context in which the photos were taken. In the final section, some comments will be made on the meaning of documentary photographs, problems in interpretation, and the significance of visual materials, for writing social/labor movement history. The main theme of the photographs introduced here was the nonviolent direct action against the Vietnam War in 1968 conducted by the Kitakyushu Anti-Vietnam War Youth Committee, which was formed mainly by the individual members of Shaseido Fukuoka (Fukuoka Area Division of the Socialist Youth League) who live in the Kitakyushu City area. The main action was to prevent the transport of ammunition to the U.S. Yamada Ammunition Depot, located in the middle of Kitakyushu City. However, the photographs also recorded the worker's "struggle against rationalization" at the Kitakyushu City Council and the struggle for the removal of Itazuke U.S. Air Base immediately after the crash of the RF-4C phantom jet reconnaissance plane to a building under construction at Kyushu University. The latter accident had a significant impact on the U.S. military base realignment policy in the Far East. In the study of the history of the anti-Vietnam war movement in Japan, there has been a considerable accumulation of research on the activities of "Beheiren" movement as well as student movements. However, there is almost no academic research on the anti-Vietnam war movement carried out by the Anti-Vietnam War Youth Committee, in which many young workers participated across the country. Besides, there has been no work to reconsider the uniform image attached to them: "extremists" who was wearing a helmet and swinging a square timber alongside of the "violent" student activists. The case study in this paper reveals that the anti-Vietnam movement in Kitakyushu, which was highlighted by the anti-Vietnam movement to stop the transportation of ammunition by the U.S. military, was a unique nonviolent direct action initiated by the local Anti-Vietnam War Youth Committee, a group of individual young workers of men and women in their teens and twenties. It indicates that the study of the history of the anti-Vietnam war movement in Japan requires the accumulation of local case studies, with an eye for multidimensional analysis of the actors involved in the movement.1.はじめに1-1.「反戦青年委員会」とは?――「北九反戦」の位置づけ1-2.「社会主義青年同盟」とは?――「社青同福岡」の独自性1-3.社青同福岡地本が撮影した記録写真2.弾薬庫輸送阻止闘争の背景2-1.九州北部の米軍基地ネットワークと1968 年2-2.米軍佐世保基地2-3.米軍板付基地2-4.米軍山田弾薬庫と門司港3.社青同福岡が作成した移動展示用写真記録の史料3-1.北九州市合理化反対闘争3-2.第一次弾薬輸送阻止闘争 5 月16 日~26 日3-2-1.北九州市門司区田野浦での米軍チャーター船エクスマウス号からの弾薬陸揚げ3-2-2.5 月19 日3-2-3.全港湾関門支部による米軍物資荷揚げ拒否闘争3-2-4.5 月26 日(日)「歩道デモ」規制を突破3-3.九州大学箱崎キャンパスのファントム機墜落現場3-4.第二次弾薬輸送阻止闘争3-4-1.6 月11 日(火)3-4-2.6 月16 日(日)板付基地撤去闘争3-5.第三次弾薬輸送阻止闘争 7 月17 日~21 日4.山田弾薬庫のその後5.運動史研究と写真史料顔写真(p136, 137)マスキング
著者
舘 かほる
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.78-97, 2021

<p>本稿の目的は、日本の人類学において最初期に写真を使用した人類学者、鳥居龍蔵によるアイヌの写真表象の特性を明らかにすることである。本稿で扱う対象は、鳥居が1899年に行った調査で撮影した千島アイヌの写真である。これまでの、鳥居の写真によるアイヌ表象に対する解釈は、帝国主義を示すものであるとする批判的解釈と、被写体に対する配慮を強調する肯定的解釈に二極化していた。</p><p>そこで筆者は、鳥居の写真の詳細な意味を明らかにするために、資料の分析を行った。鳥居による人類学の成果物を調査すると、1903年に出版された書籍『千島アイヌ』の写真図版で、特徴的な掲載方法が見つかった。人類学調査のために撮影された写真が、肖像写真に使用される様式に縁取られて掲載されていたのである。</p><p>肖像写真には抑圧と称賛というふたつの機能があることは、写真研究者のアラン・セクーラが「身体とアーカイヴ」で明らかにした通りである。セクーラの理論を参照するならば、この写真図版は、抑圧的機能を備えた写真が、称賛的機能を持つ縁に囲まれている状態なのである。この写真図版で示される、被写体への両義的な態度は、社会学者の小熊英二が「有色の帝国」と表した、日本の帝国主義における植民地支配のあり方を強く反映している。本稿の結論は、この写真資料が表す抑圧と称賛の両義性こそが、鳥居の写真におけるアイヌ表象のひとつの側面であるということである。</p>
著者
加藤 紫苑
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2017-04-26

本研究の課題は、中期シェリングの主要著作『世界時代』の分析を通して、ヘーゲルによるシェリング芸術哲学の批判とそれに基づく《芸術終焉論》がシェリング自身によっていかに再批判されるのか、という問いに答えることにある。この問題意識のもとに平成30年度は以下の活動を行った。第一に、平成29年9月以来、ドイツ連邦共和国のボン大学国際哲学センターにおいてマルクス・ガブリエル教授のもとで研究を行っており、平成30年度の前半も引き続き同所において研究を行った。平成30年6月にはガブリエル教授の日本への招聘講演にも帯同した。来日中、報告者の日本での所属研究機関の主催により、ガブリエル教授の京都大学で講演会を開催した。その発表原稿を翻訳したものが「なぜ世界は存在しないのか――<意味の場の存在論>の<無世界観>」である。第二に、ヘーゲルのシェリング批判の内実とその妥当性を判定するための論文を執筆した。「〈導入〉としての『ブルーノ』―同一哲学の見過ごされた側面」と題するもので、ヘーゲルの『精神現象学』におけるシェリング批判がある意味で一面的であることを示そうとした。本研究の中心的課題である『世界時代』の再解釈は、具体的には、(1)『世界時代』の構想の解明、(2)『世界時代』の過程の解明、(3)『世界時代』の成果の解明という三つの段階を踏んで行われる。本年度の前半は『世界時代』の執筆の挫折の主要原因を十分に明らかにした上で、後半はこの挫折の経験がシェリングの後期哲学(特にその『神話の哲学』)にとってどのような意義を有しているのかについて考察した。そのためには、この挫折の経験をふまえて行われている『エアランゲン講義』の内容の分析が不可欠であった。主に『エアランゲン講義』の読解を中心とした研究成果はいずれ、国内外の学会において研究発表を行い、各機関誌に論文を投稿する予定である。
著者
山口 勝
出版者
The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan
雑誌
有機合成化学協会誌 (ISSN:00379980)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.22-32, 1980-01-01 (Released:2009-11-13)
参考文献数
75
被引用文献数
1 2

The total synthesis of macrolides, a group of antibiotics having a variety of large lactone rings, has been one of the most important subjects in the recent synthetic elaborations on natural products. In the present review are described several new lactonization methods which have been used in the syntheses of this class of compounds and some new esterification methods developed in our laboratory, one of which, the method using the mixed carboxylic 2, 4, 6-trichlorobenzoic anhydrides, has been successfully applied to the synthesis of methynolide.
著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.57-75, 2021

<p>本稿の目的は、先住民の存在論の1つ、カナダ極北圏の先住狩猟採集民のイヌイトの存在論を近代の存在論と比較することで、多種多様な生命体がダイナミックにもつれ合う現実の宇宙という地平で多様な先住民の存在論と近代の存在論を対称的に理解することがどのような可能性を拓くのかを考えることである。そのために、本稿ではまず、イヌイトが実際の宇宙で実践している生業活動の現実にイヌイトの存在論と近代の存在論を位置づけて検討する。そして、そのどちらか一方が現実を正しく映し出し、他方が単なる空想の産物であるというわけではなく、どちらの存在論も、その真偽を直接に確認することはできないが、生業活動でイヌイトが実感している経験を妥当に説明しうるものであるという点で等価であることを確認する。そのうえで、そうであるにもかかわらず、イヌイトが近代の存在論ではなく、イヌイトの存在論を採択しているのは何故なのかを考えながら、この2つの存在論をイヌイトの生業システムに位置づけて比較し、これらの共通点と差異を析出する。最後に、この分析に基づいて、多様な先住民の存在論と近代の存在論を等しく位置づけ、多種多様な生命体がもつれ合う現実の宇宙のなかで存在論がどのようなメカニズムで機能しているかを探る局所的な関係論的生成論の視点が、人類学の未来にどのような展望を拓くのかについて考察する。</p>
著者
飛内 悠子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.115-126, 2021

<p>In the past, Christianity was viewed by some as a "Repugnant Cultural Other" in anthropology studies, while others believed it should fall within this field. Against the background of the self-reflection of anthropologists, the number of anthropological studies of Christianity increased rapidly around the 1990s; however, these studies essentially objectified Western Christianity, classifying non-Western Christianity as "Other". The "Anthropology of Christianity" began around 2000 by reflecting critically on the attitude of these studies, but is yet in a nascent stage and faces problems. Nevertheless, it has a certain significance in that it enables us to rethink modernity—even anthropology itself—because there remain certain dichotomies such as modernity and non-modernity, Western and non-Western, and secular and religious. As they also confuse these dichotomies, non-Western anthropologists could contribute to this process of rethinking by joining the "Anthropology of Christianity".</p>