著者
藤田 佳久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.41, no.5, pp.297-309, 1968-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
23

わが国における林野所有形態の地域差に関連し,大井川上流域旧田代村(現井川村の北部)の明治初期官民有区分時の土地台帳の変化を通じ村持林野成立の要因を把握しようとした.その結果,水田を欠き焼畑が生活基盤であったこの村では旧天領であったことも関連し,農民層分解がみられず自作農民からなっていたこと,それゆえ総有的な奥山林野が村側の名目的個人分割化の対応もふくみながら一括村持山として認定されたことが認められた.このような山間焼畑地域における地域的性格は官民有区分に大きな意味をもったと思われる.
著者
山本吉則 嘉戸直樹 鈴木俊明
雑誌
第49回日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
2014-04-29

【はじめに,目的】運動学習の初期には,速い運動よりも遅い運動を行う方が適しているといわれており,遅い運動では体性感覚が入力されやすい可能性がある。感覚機能の客観的な評価法として体性感覚誘発電位(SEP:Somatosensory evoked potential)が用いられている。運動中には,SEP振幅は低下することが知られておりgatingと呼ばれる。このgatingの機序としては,運動の準備や実行に関与する運動関連領野による求心性インパルスの抑制や,運動時の固有感覚入力や触圧覚入力と上肢刺激で生じた求心性インパルスとの干渉作用が推測されている。我々は先行研究において運動頻度の異なる手指反復運動がSEPに及ぼす影響について検討し,0.5Hzや1Hzの手指反復運動では体性感覚入力は変化しないが,3Hzの手指反復運動では3b野および3b野より上位レベルの体性感覚入力に抑制効果を示すと報告した。しかし,臨床ではさらに詳細な運動頻度を設定する必要があると考える。そこで本研究では,運動頻度を詳細に設定し,運動頻度の増加が体性感覚入力に及ぼす影響について検討した。【方法】対象は整形外科学的および神経学的に異常を認めない健常成人8名(平均年齢24.9±3.5歳)とした。SEPは安静条件(安静背臥位を保持する),注意課題条件(0.25,0.5,1,2,3,4Hzの頻度の聴覚音に注意を向ける),運動課題条件(0.25,0.5,1,2,3,4Hzの頻度の聴覚音を合図とした右示指MP関節屈曲・伸展の反復運動を3cmの範囲で実施する)において記録した。注意課題条件と運動課題条件の課題の順序はランダムとした。SEPの記録にはViking4(Nicolet)を使用した。SEP導出の刺激条件は,頻度を3.3Hz,持続時間を0.2ms,強度を感覚閾値の2~3倍とし,右手関節部の正中神経を刺激した。加算回数は512回とした。記録条件として探査電極を国際10-20法に基づく頭皮上の位置で刺激側と対側の上肢体性感覚野(C3´),および第5頸椎棘突起上皮膚表面(SC5),刺激側と同側の鎖骨上窩(Erb点)に配置し,基準電極を刺激側と対側の鎖骨上窩(Erb点),前額部(Fpz)に配置した。C3´-Fpz間からはN20とP25,SC5-Fpz間からはN13,同側Erb点-対側Erb点間からはN9の振幅および潜時を測定した。安静条件,注意課題条件,運動課題条件における振幅と潜時の統計学的比較にはDunnett検定を用いた。なお,有意水準は5%とした。【倫理的配慮,説明と同意】対象者には,本研究の目的と方法,個人情報に関する取り扱いなどについて書面および口頭で説明し理解を得た後,研究同意書に署名を得た。なお,本研究は本学の倫理委員会の承認を得て行った。【結果】安静条件,注意課題条件では,各振幅に有意差は認めなかった。運動課題条件では,N9,N13振幅には有意差を認めなかったが,N20,P23振幅は安静時と比較して2Hz以上の運動頻度において有意に低下した(p<0.01)。安静条件,注意課題条件,運動課題条件の潜時には有意差を認めなかった。【考察】上肢刺激によるSEPの各成分の発生源として,N9は腕神経叢,N13は楔状束核,N20は3b野,P25は3b野より上位レベルの由来と考えられている。本結果より,運動課題条件による2Hz以上の運動頻度では,3b野および3b野より上位レベルで体性感覚入力が抑制されることが示唆された。この要因として,運動頻度の増加に伴う求心性インパルスと運動関連領野の影響を考えた。Blinkenbergらは,0.5Hzから4Hzの頻度での右示指のタッピング運動において,対側の第一次運動野,第一次体性感覚野,補足運動野や小脳が賦活し,さらに第一次運動野および第一次体性感覚野の血流と運動頻度には有意な正の相関を認めると報告している。本研究においても,2Hz以上の運動頻度では,右示指MP関節の屈曲・伸展に伴う触圧覚入力や固有感覚入力の増加,運動関連領野の活動の増加により3b野および3b野より上位レベルで体性感覚入力が抑制されると考えた。この体性感覚入力を抑制する役割として,西平らは感覚フィードバックを利用して適宜修正すれば期待した運動を実現できるが,その働き自体はゆっくりであると述べている。2Hz以上の運動頻度では,運動を円滑に遂行するために3b野および3b野より上位レベルで不必要な体性感覚入力を抑制する可能性がある。【理学療法学研究としての意義】体性感覚入力を促して感覚フィードバックを利用する際には,低頻度の運動を実施し,運動が習熟するに伴い低頻度の運動から高頻度の運動へ移行する必要がある。
著者
世永 玲生
出版者
情報処理学会 ; 1960-
雑誌
情報処理 (ISSN:04478053)
巻号頁・発行日
vol.57, no.11, pp.1106-1110, 2016-10-15

いわゆる「ソシャゲ」の歴史は浅く,まだ10年もたっていない.一大産業となっているこのビジネスモデルは,「3つの行動」を元に設計された,実に合理的な仕組みを持っている.本稿では,筆者の家庭用ゲーム・スマートフォンアプリ・ソシャゲでの経験を踏まえ,その歴史と構造について述べる.黎明期からどのようにソシャゲが進化し,各ジャンルが成立し,そして現在の形になっているか,またこれから先ソシャゲはどうなっていくのかにも触れさせていただいた.
出版者
アルス
巻号頁・発行日
vol.第23編, 1927
著者
石川 洋行
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
no.59, pp.541-551, 2020-03-30

This paper pursues socio-philosophical approach for violence around education such as school bullying, child abuse and campus harassment. In the mainstream of French sociology, social violence tends to be connected directly with "the sacred" and its effect like Durkheim and former Mauss. But after the death of Durkheim, Mauss suggested the ambivalence of gift between goodwill and poison on the "totality" of primitive society, which lead to theoretical roads both total symbolic interactionism and general structuralism. Lévi-Strauss resolved it into monolithic general exchange, on the other hand Baudrillard and Clastre described primitive society in the aspect of genetics of elemental power and violence with some examples of counter-violence. Their perspectives regard the gift and its violence as the result of fundamental human interaction, which are brought about our feeling of indebtedness based on social desire for admission. Then, how can we justify any violence against the power? Derrida answered this question reading Benjamin's criticism deconstructively, expressing Benjamin's mythic violence as "violence against violence." From the empirical point of view, we find mythic violence means the self-sacrifice of "accusation" against compulsory violence. That counter-violence has ontological foundation in materiality of the language, therefore we can avoid structural ignorance on the worst violence of silence.