1 0 0 0 OA 菊模様延命袋

著者
橘家円喬 口演
出版者
金松堂
巻号頁・発行日
1892
出版者
巻号頁・発行日
vol.[197],

1 0 0 0 OA シンポジウム

出版者
日本養豚学会
雑誌
日本養豚研究会誌 (ISSN:03888460)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.54a-64, 1976-05-31 (Released:2011-06-08)
著者
豊田 将之 村本 あき子 津下 一代
出版者
公益社団法人 日本人間ドック学会
雑誌
人間ドック (Ningen Dock) (ISSN:18801021)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.39-47, 2016 (Released:2016-09-29)
参考文献数
12

目的:多量飲酒者に対する特定保健指導の効果を検証するため,特定保健指導の初回支援から6ヵ月後の飲酒習慣と検査データについて検討を行った.方法:同一健康保険組合の積極的支援終了者のうち,今回初めて特定保健指導に参加した男性555名を対象とした.特定保健指導の初回支援時(以下,初回支援時)に飲酒量を確認した.毎日飲酒・エタノール量40g/日以上群,毎日飲酒・エタノール量40g/日未満群,飲酒時々・なし群の3群に分け,特定健康診査時の検査データを群間比較,保健指導前後の検査データの群内比較を行った.さらに,毎日飲酒・エタノール量40g/日以上群内で,6ヵ月後のエタノール量20g/日以上減酒の有無,初回支援時の減酒計画立案の有無によりそれぞれ2群に分け,6ヵ月後までの検査データ変化量の群間比較を行った.保健指導の方法は3群で共通であり,初回はグループ支援で実施した.結果:特定健康診査時には3群間で体重,脂質,肝機能,血糖に有意差があった.保健指導前後比較において3群ともに有意な減量,検査データ改善がみられた.毎日飲酒・エタノール量40g/日以上群のうち減酒の有無2群間比較では,体重減少が減酒あり群で1.81±2.49kgであったのに対し,減酒なし群では0.33±2.46kg減少と有意差を認めた.BMI,腹囲,AST,γ-GTPの各変化量は減酒あり群で有意に大きかった.減酒計画の有無では有意差はみられなかった.結論:特定保健指導による減量および検査データ改善効果は,飲酒量が多い対象者にも一定の効果がみられた.特にエタノール量が20g/日以上減少した群で改善効果が大きかった.
著者
金山 崇
出版者
大阪外国語大学
雑誌
大阪外大英米研究 (ISSN:02870258)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.147-156, 1979-03-30
著者
手塚 甫
出版者
日本哺乳類学会
雑誌
哺乳動物学雑誌: The Journal of the Mammalogical Society of Japan (ISSN:05460670)
巻号頁・発行日
vol.1, no.6, pp.132-134, 1959-10-05 (Released:2010-08-25)

General behavior and food habits of a Japanese flying squirrel, Pteromys volans amygdali (Thomas, 1906), were observed in captivity. Among them, the most interesting is the eating method of leaves and it is as follows: the flying squirrel cuts off about the middle of a petiole of Quercus acuta and holding the lamina with the front paws brings it to its mouth. It begins to eat the lamina from the bottom on the right side of the leaf, upwards to the top, then eats on the left side from top to bottom. Among 25.9 leaves cut off at the petiole in a day, 6.1 leaves are partly eaten and 3.6 leaves are left in perfect shape, in an average. When I give a branch of Tsuga diversifolia, it eats only the new leaves at the top.
著者
大原 利眞 森野 悠 田中 敦
出版者
国立保健医療科学院
雑誌
保健医療科学 (ISSN:13476459)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.292-299, 2011-08
被引用文献数
3

平成23年3月11日の東日本大震災によって発生した,東京電力福島第一原子力発電所の事故によって,大量の放射性物質が大気中に放出された.放出された放射性物質は,福島県だけでなく,東北南部や関東地方を含む広い範囲で,土壌,水道水,牧草,農産物,畜産物,上下水道汚泥など様々な環境汚染を引き起こしている.また,将来的に,半減期の長い137Csなどによる長期の環境影響が懸念される.本稿では,これまでに公表された放射性物質の放出量や測定結果に係る各種資料,及び,大気シミュレーション結果に基づき,福島原発から放出された放射性物質の大気中の挙動に関する知見を整理する.福島原発から4月初めまでに大気中に放出された131Iと137Csの総量は,それぞれ1.5×1017Bqと1.5×1016Bq程度と推計され,特に3月15日午前中の2号機からの放出が多かったと考えられている.放射性物質の大気への放出によって,茨城県北部で測定された空間線量には3つの大きなピーク(3月15日,16日,21日のいずれも午前中)が認められる.これらのピークは,放射性プルームが北風によって南に運ばれたことと,このプルームが降水帯に遭遇して放射性物質が地表面に湿性沈着したことによって説明できる.また,筑波での測定結果は,放射性核種の構成比が時間的に大きく変化すること,131Iのほとんどはガス状であるが一部は微小粒子として存在しているのに対し放射性セシウム(134Csと137Cs)は数ミクロンの粒子として存在していることを示す.大気シミュレーションによって計算された131Iと137Csの沈着量の空間分布によると,放射性物質の影響は福島県以外に,宮城県や山形県,関東地方,中部地方東部など広域に及んでいる.また,時間的には,空間線量のピークが認められた3月15日〜16日と3月21日以降の数日の2期間で集中している.更に,3月に放出された131Iの35%,137Csの27%がモデル領域内に沈着したこと,131I沈着量のほとんどは乾性沈着したのに対して137Csは湿性沈着が支配的であること,放出された131Iと137Csのうち南東北と関東の1都10県に沈着した割合はどちらも13%程度であり,131Iは福島県,茨城県,栃木県,137Csは福島県,宮城県,群馬県,栃木県などで沈着量が多いことなどが示された.

1 0 0 0 OA 玉の卯槌

著者
平野, 元良
出版者
名山閣
巻号頁・発行日
1837
著者
長門 利純 原渕 保明
雑誌
耳鼻咽喉科展望 (ISSN:03869687)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.48-52, 2008-08

雑誌掲載版従来、アレルギー性鼻炎に対する免疫療法の抗原投与は皮下注射で行われてきたが、長期通院や注射による痛みなどの欠点があり、新たな投与経路として鼻粘膜や口腔粘膜が注目されている。鼻粘膜を介した免疫療法は、花粉症患者を対象とした二重盲検試験が行われ、鼻症状とmedication scoreの有意な改善が得られたとの報告もある。また、投与する抗原の改良も行われており、そのひとつにペプチドが挙げられる。抗原タンパクからT細胞が認識するアミノ酸配列(エピトープペプチド)を選び、それらを使用することで副作用を軽減できる。さらにpromiscuousなエピトープを見つけることで、HLAの多様性を克服することができる。このように、アレルギー性鼻炎に対する免疫療法の将来を考える上で、新しい投与経路の検討と抗原の改良は不可欠であり、鼻粘膜を介したペプチド免疫療法は新たな治療戦略のひとつとなる可能性を秘めている。
著者
山口 清
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.16, pp.1-7, 1968-01-20

「一人であって、誰でもなく、十万人でもある」(Uno, nessuno e ceutomila)という異様な題名を持つピランデルロの長篇小説はヴィタンジェロ・モスカルダという人物の自伝的な反省録の形式で書かれた作品である。ピランデルロ研究家の一人であるアルミーニオ・ヤンネルによれば、それはかってイタリア語で書かれたことのある最も特異な長篇である。形而上的であると同時に現実的で、作者の鋭い論理が全篇を貫いている。それは決して通俗的な小説とは言えない。芸術としての価値も否定されるかも知れない。しかしその中に表現された作者の思想は不思議な魅力を持っている。それは彼の他の長篇の中では感じられないような魅力、神秘的な思想の魅力である。この長篇は、同じく人格のテーマを扱った短篇「ステファノ・ジョーリ、一人で二人」(一九〇九年)が出された翌年、即ち一九一○年頃に書き始められたものであろうと推測されている。完成されたのは一九二四年、発表されたのは一九二五年から一九二六年にかけてである。一九二五年という年は、ピランデルロがローマに彼の芸術劇場を創設した年であり、劇作家としての彼の活動がその頂点を極めた年である。彼は既に「作者を探す六人の登場人物」(一九二一年)や「エンリコ四世」(一九二二年)などの大作のほかに幾多のすぐれた劇作を発表し、劇作家としての彼の名声は既に世界的になっていた。そういう時期に「一人であって、誰でもなく、十万人でもある」という謎のような長篇が発表された。第一次大戦の前から、大戦の時期を通じ、また劇作の多忙な時期を通じて、約十五年という長い年月がこの長篇のために費されたことを思えば、如何にそれがピランデルロの執念の作であったかが容易に想像されるであろう。この長篇については、それが未だ完成される以前に、既に一部の人々の間には知られていた。一九二二年に「エポカ」誌のためにピランデルロと会見を行ったディエーゴ・マンガネルラに対して作者は次のように語った。「それは私の劇作への序文となる筈であったが、その要約として終るであろう。それは個人の人格の解体の物語である。それは最も極端な結論、最もかけ離れた結末に到達するであろう。」この作品は個人の人格、即ち我(われ)の追究である。彼の全作品はこの我の追究ということもできる。「個人の人格の解体」はその追究の結論である。「一人であって、誰でもなく、十万人でもある」という題名はその人格の解体を説明している。Il romanzo "Uno, nessuno e centomila" e direttameute connesso alla novella "Stefano Giogli, uno e due" pubblicata nel 1909, dove si tratta della dualita di personalita-tema discusso spesso nelle opere pirandelliane. Pare che l'autore abbia iniziato a scrivere il romanzo subito dopo la pubblicazione della novella. Poiche il romanzo fu compiuto nel 1924. L'autore si occupava di questa opera almeno durante quindici anni. Fu pubblicato nel 1925-momento che marca un nuovo sviluppo della sua attivita, cioe la fondazione del suo Teatro dell'Arte a Roma. In un senso il romanzo e una conclusione data alla lunga discussione del tema di personalita. Il Vitangelo, protagonista del romanzo, si trova come tante personalita diverse secondo gli occhi che lo vedono. Decide di distruggere tutte le false personalita dategli dagli altri, e tenta di diventare una personalita definita, ma in vano. Alla fine, rompendo tutti i legami con la famiglia e la societa, e liberandosi da tutta la sua possessione, si mette a vivere come un vagabondo e ottiene la felicita. Nel pensiero pirandelliano c'e qualcosa che s'avvicina al pensiero orientale.