著者
九重敏子著
出版者
学風書院
巻号頁・発行日
1955

1 0 0 0 OA 年録

出版者
巻号頁・発行日
vol.[142],
著者
高柳 俊一
出版者
上智大学
雑誌
アメリカ・カナダ研究 (ISSN:09148035)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.53-77, 1991-03-31

本論文はポール・ケネディーの『大国の興亡』, アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』(以上は日本語訳で広く知られている), E・D・ハーシュの『文化的読解力』(Cultural Literacy)を1987〜88年の自国の影響力衰退についての米国内の反応として捉え, そのいくつかの側面を指摘したものである。ケネディーは他の彼の著書においても記述のパラダイムとして, 「興亡」を使っているが, それはアウグスティヌス, ギボン, シュペングラーが用いたものであり, トインビーが使った「挑戦と対応」は「興亡」の根拠を捉えるためのパラダイムであると思われる。この背景には世界史の中心となったヨーロッパ文明がローマ帝国の後継者として次々に登場し, 米国は西ローマ帝国, ソ連は東ローマ帝国の後継者として世界を分割し, 現在その枠組が崩壊しつつあるという事実がある。以上の三つの書物が出版された時, ソ連の東欧帝国の崩壊はまだはじまっていなかった。それがロシア正教会一千年記念と同時に顕現化したことは興味ある事実である。二つの帝国はそれぞれ拡張の限界に達し, かつてのローマ帝国と同じ様に, 時代の経緯とともに起こってくる内部からの挑戦に対応することができなくなったのである。歴史学の危機は米国で脱構築(解体)の理論による建国神話の非神話化において顕著に見られる。帝国とは他民族を含むものでありながら, 一つの共通言語・文化をもち, その優位性への絶対的信頼の上に平和と秩序を維持する政治・経済・文明形態である。かつてのローマ帝国の衰退も多数民族の民族主義と支配民族の優位性についての懐疑主義によって推進された。ブルームの著書はいわゆる世俗的ヒューマニズムの立場から, 70年代の学生紛争の体験をもとにしながら, 世界における「アメリカ的現在」の回復を求めたものであり, ハーシュの著書も同様のテーマを, 「文化的理解力」の社会における目立った衰退とそれにに対する懐疑がいかに経済的な衰退の原因になっているかの観点から論じている。本論文は, 以上のような議論自体を「興亡」のテーマ以上に, 「挑戦と応答」をめぐる議論として捉え, 植民地時代, 建国時代からのアメリカ思想史と1950年代中葉以後の大学教育をめぐる議論のコンテクストのなかに位置づけ, あわせて特にブルームの著書が巻き起し, 今日まで続けられている論争を加味しながら, 取り扱ったものである。
著者
佐野 静代
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.133, pp.85-108, 2006-12

古代の御厨における漁撈活動の実態を解明するためには,「湖沼河海」の各々の御厨を取り巻く自然環境の分析が不可欠である。自然環境の分析には,地形・気候的条件とともに,その上に展開する「生態系」,特に魚類を中心とした生物相の考察が含まれる。魚類の生態と行動(生活史・食性・場所利用など)は,古代にも遡及しうるものであり,当時の地形と漁撈技術段階との照合によって,魚種ごとの捕獲原理や漁獲時期が推定可能となる。このようにして各御厨で行われた漁法が明らかになれば,「湖沼河海」の御厨ごとの漁撈活動と,贄人の生活形態の相違が浮かび上がってくるはずである。本稿では,古代の琵琶湖に設けられた筑摩御厨を対象として,当時の地形・生息魚種の生態・漁撈技術段階を照合し,その生活実態について検討した。筑摩御厨では,春の産卵期に接岸してくるフナと,春~初夏に琵琶湖から流入河川に遡上してくるアユを漁獲対象としており,贄人の漁撈活動は,地先水面での地引網漁+上り簗漁というきわめて定着的な漁法によっていたことがわかった。御厨現地での生活実態としては,水陸の移行帯において漁撈と農耕が分かちがたく結びついた「漁+農」複合型の生業形態であったと推定される。琵琶湖岸の古代の御厨においては,漁撈のみに尖鋭化した特権的専業漁民の姿は認めがたく,古代の贄人の生活実態は,網野善彦が提起した「船による移動・遍歴を生活の基本とする海民」像とは,異なるものといえる。生業を指標とする集団の考察には,現地の環境条件との照合が不可欠であり,網野の提起した「非農業民」概念もこのような視点から再検討されるべきと考える。A study of the natural environment surrounding various mikuriya (originally cooking structures used to prepare offerings to the Emperor or deities) on the shores of lakes, rivers and the sea is indispensable when shedding light on fishing activities that took place in mikuriya from the Ancient period. In addition to topographical and climatic conditions, a study of the natural environment also includes an examination of eco-systems that developed at these sites, especially biota, with a focus on fish. Since fish ecology and its behavior (eating habits, use of places, etc) can be studied retrospectively for the Ancient period, it is possible to extrapolate fishing seasons and the principles behind the catching methods adopted for each type of fish by cross-checking the topography of the time with fishing technique stages. If this clarifies the fishing methods used at each mikuriya, a picture should emerge of fishing activities at each waterside mikuriya and differences in the lifestyles of fishermen.This paper examines the way of life in the Ancient period by cross matching the topography, the ecology of populations of fish species and the stage of fishing techniques of the time for Chikuma mikuriya erected on Lake Biwa in the Ancient period. This study revealed that Chikuma mikuriya caught crucian carp, which gathered alongside the lakeshore during the spring spawning period, and ayu, which swam from Lake Biwa up rivers flowing into the lake from spring to early summer. It also found that fishermen caught fish using a combination of dragline fishing from the site water surface and fish traps, which were extremely well established fishing techniques. As for the type of lifestyle of the people living in these mikuriya, it is surmised that they used resources of the littoral zone, leading a way of life that combined fishing and agriculture in which it was difficult to separate fishing from farming. It is difficult to find any trace of fishing people who specialized in fishing and only honed methods of catching fish. This differs from Yoshihiko Amino's portrayal of fishing people from the Ancient period, according to which "they were people who moved by boat and led an itinerant lifestyle." When studying groups to find what occupations they engaged in it is essential to validate the environmental conditions of their locations. Consequently, this perspective should be adopted for a reexamination of the concept of "non farming people" as proposed by Amino.
著者
河合 洋尚 Hironao Kawai
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.199-244, 2013

中国広東省・福建省・江西省の境界部に位置する山岳地帯は,世界中に散住する客家の故郷であり,そこの漢族住民のほとんどが客家で占められていると,一般的に考えられている。ところが,この「客家の故郷」における1980 年代以前のデーターを整理しなおしてみると,この地の漢族住民は必ずしも客家として記述されておらず,また,客家としての自己意識をもたない住民も少なくはなかった。この事実を踏まえ,本稿では,特に1980 年代以降の一連の空間政策により「客家の故郷」をめぐるイメージが形成され,ここの漢族住民が客家とみなされていったプロセスを明らかにする。The border district of Guangdong, Fujian, and Jiangxi province is generallyconsidered to be the "homeland of the Hakka" and the Han inhabitantsof this district are normally considered to be the Hakka. In fact, however,the inhabitants are not always described as Hakka in the documents of 1980sand after and they have recieved their particular identity as the Hakka onlyrecently. This paper aims to make clear the process by which the space policysince the 1980s has fabricated the image of the "homeland of the Hakka" andthe Hakka ethnicity.
著者
水野 泰孝
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.103, no.11, pp.2741-2747, 2014-11-10 (Released:2015-11-10)
参考文献数
11

感染症制御に向けた成人のワクチンとして,肺炎球菌ワクチン,麻疹・風疹ワクチン,破傷風トキソイドなどのほか,輸入感染症の予防としてトラベラーズワクチンが挙げられる.成人ではワクチン接種をする機会が得られにくいため,定期接種に組み入れるなど法的な整備も必要である.
著者
荒 邦章 斉藤 淳一 永井 桂一
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会 年会・大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

ナトリウムは優れた伝熱・流動性などを有し、高速炉の冷却材として使用されている。一方、酸素や水との化学的反応が活性であるという欠点を有する。本研究ではナトリウム中にナノ粒子を分散させて、ナトリウム自身の化学的活性度を抑制させることを目的としている。本発表では、そのアイデアとこれまでの試験データからの抑制メカニズムについて述べる。
著者
深田 三徳
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.7, pp.2369-2411, 2007-03

本稿は、近年、司法制度改革などとの関連で学問的関心を集めている法の支配について、法哲学の視角から考察しようとするものである。「人の支配」「力の支配」と対比される「法の支配」は多義的であるが、まず英米独仏における近代憲法上の法の支配(ないし法治国家)の歴史的展開について概観している。その後、その影響を受けている日本国憲法上の法の支配とそれをめぐる議論について検討している。そして善き統治・政府のあり方、善き法(システム)のあり方に関係する政治理念(ないし法理念)としての法の支配に照準を合わせ、それを形式的考え方と実質的考え方に区分している。その後で、とくに法の支配の形式的考え方に関連して、L.L.フラー、J.ラズ、R.S.サマーズの見解を比較しながら検討している。