著者
松野 美貴
出版者
龍谷大学大学院文学研究科紀要編集委員会
雑誌
龍谷大学大学院文学研究科紀要
巻号頁・発行日
no.36, pp.30, 2014-12-24 (Released:2015-11-06)
著者
Lai On-Kwok
出版者
関西学院大学
雑誌
関西学院大学人権研究 (ISSN:1344039X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-11, 2008-03

現在及び将来の人権運動にとって、動物の権利擁護運動からなにか学ぶべきものはあるのだろうか。これが本論文の中心的な問いである。本論文は、非政府組織(NGOs)が、ローカルレベルとグローバルレベルで行っている動物の権利擁護(アドボカシー)に手がかりを求め、国際的(トランスナショナル)な権利擁護の広報活動戦略に注目する。そこで、非政府組織は、持続可能な発展のためのローカル(グローカル)でかつグローバルな規範と行動をつくり直そうとしている。そして、動物の権利擁護運動の論理、戦略、メッセージ、イデオロギー的な意味と人権のそれとの比較を試みる。次にグローバリゼーションの状況の概略を議論した後、第二部では、動物の権利をめぐる動向を検討する。ひとつは、動物の権利のエコロジカルな近代化(の異なった形式と倫理)をもとめる要求を定義し、形成し、表明する際に、NGOや社会活動家が果たしている役割であり、もうひとつは、情報通信技術(ICT)の先進的な提供と利用によって拡大する彼らの要求がもつ影響力である。最後に新たなる近代性への途上で、人権促進運動が、これから10年の間に動物の人権擁護運動から学ぶべきことは何か、を考えてみたい。
著者
越野 武
出版者
札幌大学
雑誌
比較文化論叢 (ISSN:13466844)
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-85, 2002-03
著者
谷口 幹也
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.245-257, 2006

本論文では,「今を生きる私」の多層性に着目した美術教育の重要性を提案している。「近代の自由な個人」に関する検討を行った後,砂澤ビッキ,川俣正ら二人の作家の営為の比較から,美術教育における主体イメージの変更の必要性を導きだしている。そこで「アイデンティフィケーション」に着目することを通して,美術における体験を「境界空間」として問いただし,他者とともに新たな現在を創る協働作業に取りかかるための基礎的な場として,美術教育を再定義する必要があると結論付けている。
著者
早尻 正宏
出版者
林業経済学会
雑誌
林業経済研究 (ISSN:02851598)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.13-24, 2014-11

原子力災害からの福島県林業の再建課題を探るため,県内の森林整備の主要な担い手である森林組合に焦点を当てて,震災以降における組合経営の推移と現段階を明らかにした。調査対象は,2011年4月に政府が設定した旧避難指示区域等(警戒区域,計画的避難区域,緊急時避難準備区域)を含む12市町村を組合地区とする「被災組合」(6組合)である。調査の結果,組合地区内に避難指示区域が広がり事務所移転や組合員・役職員・作業班員の長期避難を余儀なくされた組合,主要な収益源が森林整備事業から除染等の震災関連事業に移行した組合,東京電力の損害賠償金により最終損失を免れている組合など,震災前後で「被災組合」の経営環境が大きく変容したことが明らかとなった。「被災組合」は被災地域の森林管理の担い手として復旧・復興事業に取り組み事業継続を図ってきたが,避難指示区域を抱え森林汚染が深刻な組合の本業復帰は依然困難な状況にあり,組合経営のかじ取りは一段と難しくなっていた。
著者
内藤 航 上坂 元紀 石井 秀樹
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会誌 (ISSN:21882355)
巻号頁・発行日
vol.98, no.2, pp.144-150, 2015-02-01

福島第一原発の事故に伴い放出された放射性物質により汚染された地域において,外部被ばく線量に対する住民の不安軽減や行政による効果的な被ばく低減対策の検討には,外部被ばく線量がどのように評価されているかを正しく理解し,いつ・どこで・どれくらい被ばくしているかを知ることが重要である.1時間ごとに被ばく線量が記録できる小形個人線量計のデータと空間線量データ,更にGPSや個人の行動情報をGIS上で統合し解析した結果は,適切な放射性物質のリスク管理のあり方の検討において貴重なデータとなる.本稿では,福島県の中通り地区に在住する方々に協力を頂き実施している,効果的な管理・対策のための外部被ばく線量の評価研究の内容を紹介する.
著者
津曲 敏郎
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター = Center for Northern Humanities, Graduate School of Letters, Hokkaido University
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.45-57, 2010-03

In the historical sites of the Okhotsk culture in Hokkaido, some artifacts made of walrus tusk have been found. The fact tells us that there was the walrus tusk trade between Chukchi-Kamchatka and southern area including Sakhalin and Hokkaido. Actually, the trade extended to China, and continued from the Middle Ages until the early 20th century. The present paper is an attempt to trace the route of the journey of walrus linguistically. As a tentative result, a Chukchi word for 'walrus' was borrowed by Even with changing the meaning into 'tusk', and then it spread to most of the Tungusic languages. The Uilta word for 'walrus', which may be a doublet of the word for 'tusk', was possibly introduced into Nivkh and Sakhalin Ainu. Then the Nivkh form for 'walrus' was brought into other Amur Tungusic. Though much more evidence is needed for our discussion, it may hopefully exemplify that linguistic data, as well as archeological materials, may serve as a powerful tool to trace the spread of culture.北海道のオホーツク文化の遺跡からセイウチの牙製とみられる彫像が出土しているが、このことからセイウチの棲息地であるチュクチ・カムチャツカ地域との間に、かつてセイウチの牙の交易ルートがあったことが想定されている。人とモノの流れがあったところに、ことばの行き来もまたあったはずである。特にセイウチのような棲息域の限られた動物であれば、交易品として珍重されたその牙とともに、セイウチや牙を表わす単語もまた北から南へと伝えられたに違いない。本稿はセイウチの旅を言語学的に跡付ける試みである。出発点としてチュクチ語の「セイウチ」をあらわす語が、隣接するエウェン語に「牙」の意味で取り入れられたことを想定する。この語はエウェンキー語を経て、アムール流域のツングース諸語に広がった。これがサハリンのウイルタ語に再び「セイウチ」を表わす語として入り、そこからニブフ語とサハリン・アイヌ語にも伝わったと考えられる。ニブフ語の「セイウチ」はさらにアムール流域のツングース諸語の「セイウチ」の直接の語源となっている。このように、特にサハリン・アムール地域の言語間の関係はなかなかに複雑であり、これをもってセイウチをめぐる語の借用関係が解明されたとは言えない。本稿では、文化の伝播を考える上で言語的データが重要な意味をもつことを例証し、あわせてそうした言語が失われつつある現実にも注意を喚起する。

1 0 0 0 世界の艦船

出版者
海人社
巻号頁・発行日
no.86, 1964-10
著者
井出 靖夫
出版者
THE JAPANESE ARCHAEOLOGICAL ASSOCIATION
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.11, no.18, pp.111-130, 2004

古代本州北端に居住したエミシ集団は,これまで文献史料によって形作られたイメージが強く,考古学的にエミシ集団の特質について論じられることは少なかった。本州エミシ集団と律令国家との関わり合いや,人やモノの交流の様相についてなど考古学的に明らかにされるべき点は,数多く残されている。よって,本稿では東北地方北部のエミシ集団と日本国との交流に関して,考古学的に解明することを目的とし,またエミシ社会の特質についても明らかにしようと試みた。<BR>東北地方における遺物の分布,集落の構造,手工業生産技術の展開等の分析からは,本州エミシ社会においては9世紀後葉と10世紀中葉に画期が認められることが明らかとなった。<BR>9世紀後葉の画期は,本州エミシ社会での須恵器生産,鉄生産技術の導入を契機とする。9世紀中葉以前にも,エミシと日本国との問では,モノの移動や住居建築などで情報の共有化がなされていたが,国家によって管理された鉄生産などは城柵設置地域以南で行われ,本州エミシ社会へは導入されなかった。しかし,9世紀後葉の元慶の乱前後に本州北端のエミシ社会へ導入される。その後,10世紀中葉になるとエミシ社会では,環壕集落(防御性集落)という特徴的な集落が形成され,擦文土器の本州での出土など,津軽地方を中心として北海道との交流が活発化した様相を示す。<BR>このような9世紀後葉から10世紀中葉のエミシ社会の変化は,日本海交易システムの転換との関連性で捉えられると考えた。8・9世紀の秋田城への朝貢交易システムが,手工業生産地を本州エミシ社会に移して津軽地域のエミシを介した日本国一本州エミシ-北海道という交易ルートが確立したものと推測した。また交易への参加が明確になるにつれて,本州のエミシ文化の独自化が進んでいくことが明らかにされた。
著者
文部大臣官房文書課 編
出版者
文部大臣官房文書課
巻号頁・発行日
vol.昭和9年, 1935