著者
上條浩一
雑誌
情報処理学会研究報告コンピュータセキュリティ(CSEC)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.122(2002-CSEC-019), pp.31-36, 2002-12-20

デジタルコンテンツの著作権保護, 不正コピーの防止,改竄の検出,抑止等の手段として, 電子透かしが注目されている. 高耐性型電子透かしの大きな基本技術項目として, 耐性と画質(音質)があるが, これらはtrade offの関係にある. 埋め込み後のコンテンツの画質,音質を一定に保ったまま, 耐性を向上させる方法が多数提案されているが, 殆どのものは埋め込み直後の検出強度が最大になるような埋め込み方式を提案している. しかし,埋め込み直後の状態では大抵の場合検出強度は十分強く, 耐性が問題になるのは, 圧縮,アナログ変換等ポストプロセスがかかった後の状態である.本論文では, 電子透かしの耐性を, ポストプロセスがかかった後の検出強度を考慮に入れて埋め込みを行なうことにより向上させる方法について議論し, 実験によりその有用性を確認する.

1 0 0 0 OA 紫徴中臺考

著者
瀧川 政次郎
出版者
法制史学会
雑誌
法制史研究 (ISSN:04412508)
巻号頁・発行日
vol.1954, no.4, pp.19-50,en1, 1954-07-31 (Released:2009-11-16)
被引用文献数
1

In the first year of Tempyo-Shoho, with the ascension of the Emperor Koken to the. throne, the Empress Dowager Komyo established the office known as Shibi-chu-dai, composed of officers of the four ranks : Rei, Daisho-Hitsu, Daisho-chu, and Daisho-so. Besides these four high-ranking officers there were such officers as Shisei and Toneri whose duty it was to treat of general affairs.Officers above Hitsu took care of the ordinances of the Empress-dowager issued as Imperial Ordinances and those below Chu usually attended to the official duties in regard to the Empress-Dowager's office. The Empress-Dowager Komyo held the reins in her hand as mother of the Emperor, and Shibi-chu-dai from which her ordinances were issued had come to wield the greater authority than Da-jo-kan, being constantly backed up by the political tactics of Shibi-rei Fujiwara Nakamaro.Towards the end of the year Shoho, it had become known as the highest governmental office-like Chung-shn-sheng of Tang, after which it was named. In the second year of Tempyo-Hoji, when the Emperor Jyunnin stood at the helm of the state as the Emperor-the rule of the Empress Dowager was discontinued and Nakamaro was transferred and appointed as Taiho-(Udaijin). At the same time Shibi-chu-dai was, re-named as Konkyu-kan, the chief duty of which was to take charge of the general affairs concerning the Empress-dowager's office. In the fifth year of Ho-ji (one year after the death of the Empress Dowager) the once almighty Shibi-chu-dai ceased to exist.

1 0 0 0 OA 『三四郎』論

著者
佐々木 充
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要. 第1部 (ISSN:05776856)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.69-79, 1980-12-20
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.6, pp.p13-23, 1984-06

「門」に登場する人物の一人、<甲斐(かい)の織り屋>とは何者だろう。富士の北影の焼け石のころがる小村から、反物をしょって都会へ来る行商人だが、その村の描写が、子規の「病牀六尺」に出てくる新免一五坊からの聞き書きと類似するので、同じ材料からではなかろうか、とわたしは疑った。しかし、ちがうらしい。<甲斐の織り屋>は事実の反映ではなく、その頭髪の分け方が安井を思わせるように、宗助の過去をよびおこし、彼の内部にねむる罪の意識を引き出すためのしかけだった。だが同時に、それは、現実にある日本人の生活の貧しさ、つつましさを示して、都会に生活する日本人に反省の材料を提供するものでもあった。ここから出発して、主人公宗助が日常生活のあいまに抱く想念はどのようなものか、さらに彼がその想念に追われるようにして体験する<異なる時間>とは何か、を見て、生の不安と共に社会不安の中に人は生きるものだ、と作者漱石がいっている、とそのようにわたしは「門」を読んだ。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.33, no.10, pp.1-15, 1984-10-10

「こころ」は「よくできている作品」(吉田精一)といわれている。しかし素朴に読むと矛盾に充ちた作品でヽそのかいたるものが、妻(以前のお嬢さん)が自分をめぐる男二人の争いを知らず、残った男(夫)の心がどうして変って来たかも知らない、それについて想像をめぐらそうともしない、「純白」のまま放置されている不自然さである。作者は充分承知している筈の男と女のリアリズムを無視している。同様にして「私」も「私」の父母も現実性を失っており、こうしたリアリズムを犠牲にすることで、漱石はいったい何を描きたかったのか、何を主張したかったのか、-それを読もうとした。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.6, pp.33-45, 1986-06-10

一 坊っちゃんのアイデンティティ、いいかえると自己のかけがえのなさの感覚は、小説中の事件(マドンナの争奪)に対する坊っちゃんの態度決定にあらわれる。二 生徒を<豚>視する一方、<教育>を理想視する坊っちゃんとは、人間を社会から切り離し、個としてその行動と意識だけを書くという漱石の方法によるものだ。三 小説中、清からマドンナへ重心が移動する。作者に残された課題は、現実の女マドンナに口をきかせることだった。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.101-109, 1998-09

『坑夫』は、主人公が北へ北へとめざす坑夫になるまでの前半部と、銅山に着いてから坑夫としての生活を体験する坑内での後半部とでは、その運動の方向性だけでは語りつくせない、漱石の作家としての二極を見ることができる。前半は「〓徊」という立場で主人公の意識を追うことに全神経を集中している。しかし、後半で「シキ」という現実の生と死が向き合う世界に身をおいてからは、文学理論家としての漱石ではなく、生の暗部を追う作家漱石の鋭い目が見開かれ、「生涯片付かない不安の中を歩いて行くんだ」という「片付かない不安」の中を生きる人間を描くことになる。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.91-100, 1998-03

作品末尾の「憐れ」は「非人情」の対極にあるのではなく究極に存在するものである。「非人情」を追求してきた画工にとって、それは非現実的なものではなく、現実的な確かなものである。現実は何一つとして変わっていないが、画工の意識の中では変化が遂げられる。それは、那美の内面の変化でもある。
著者
荻原 桂子
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.85-92, 2002-10

「舞姫」は、明治二三年 (一八九〇) 一月「国民之友」第69号付録に掲載された。鴎外二九歳の作である。太田豊太郎の一人称で語られるこの作品は、完成度の高さにおいて、近代文学史において重要な位置をしめている。本稿は、ここに描かれる太田豊太郎の近代知識人としてのありかたについて考えるなかで、その感性を導きだしたエリスの存在について考察する。明治日本の精神においては、異国での結婚を前提とした恋愛、官命への反抗、家の放棄は、倫理に反する重罪であった。たとえば、愛した女性を捨てるよりも、国家や家を捨てることのほうが、罪が深いとされる。明治日本の精神構造のなかでは、個人の精神は、抹殺される。そのなかで、エリスは狂い、太田豊太郎は痛恨の痛みを持続する。近代知識人太田豊太郎が超えようとした近代とは何だったのか。森鴎外「舞姫」について論及する。
著者
矢原 徹一
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
日本生態学会誌 (ISSN:00215007)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.111-119, 2007
参考文献数
54
被引用文献数
6

進化生態学は、まず表現型モデルによる研究によって大きく発展し、その後に、量的遺伝学のアプローチや、系統樹を用いた種間比較統計学を取り入れて、発展してきた。エコゲノミクスの成果は、これら3つの方法論の前提に疑問を投げかけている。多くの表現型モデルは制約条件としてトレードオフを仮定している。この仮定に関しては、量的遺伝学のモデルを用いた研究からすでに反証が蓄積されてきた。これに加えて、QTLマッピングにもとづくエコゲノミクス研究はトレードオフ構造が進化の過程で短期間に変わることを示した。この結果は、量的遺伝学のモデルが仮定している、Gマトリクスの安定性に対する反証でもある。また、個々のQTLの表現型効果が一様ではないことがわかり、種間比較統計学が利用している形質復元法の前提も揺らぎつつある。いまや、進化生態学は、表現型の遺伝的背景という「ブラックボックス」の中を見ることを要求されている。