著者
根本 順吉
雑誌
天気 (ISSN:05460921)
巻号頁・発行日
vol.46, no.6, pp.433-434, 1999
著者
名倉 秀子
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
no.51, pp.71-79, 2021-03-28

鶏卵は,奈良・平安時代に食べられた記録は見られず,時を告げる鶏の卵を食べることは罰があたるとされ,畏敬の念があったといわれている。安土桃山時代には,ポルトガルからの菓子に鶏卵を使ったカステラなどの料理がみられるが,鶏卵を積極的に料理にもちいていたとは考えられない。また,江戸時代中期以降には豆腐百珍をはじめに,鯛百珍,玉子百珍,甘藷百珍など100種類の料理を材料別に紹介する料理本が刊行された。ここでは,萬寳料理秘密箱にある玉子百珍の理103品について,調理学的,食文化的な視点から分析し,食生活や卵料理の嗜好性を把握することを目的とした。 卵料理の材料は,鶏卵が97%を占め,全卵使用が全料理の84%となり,貴重な鶏卵を大切に扱う調理法の記載があった。調理法は殻付きゆで卵が21%出現し,これは「煎貫」という調理法であることが明らかになった。ゆで卵は,卵白を染色した料理や,花型に変形させ「花卵」などのように,見栄えの良い料理の調理法が多く掲載され,器のなかの料理について視覚を重視していた。また,卵白は,泡立て後に蒸し,汁の具や平皿の一品とする調理法が紹介され,フワフワなどの食感も大切にされていることが散見された。調味料は,醤油や塩,白砂糖の他,煎酒を利用する料理もあり,旨味や酸味の味のバランスを考えた料理も出現していた。卵料理には,砂糖で調味するカステラや冷たい羊羹などの菓子職人の扱う珍しい菓子類も記され,レシピ本と同時に料理の読み物として掲載されていた。また,卵に生薬を加えた料理は効能の紹介があり,料理が健康維持のために利用されていた。視覚,味覚,嗅覚,触覚を楽しむ卵料理から,食生活文化の広がりを把握できた。
著者
平田 健一 山下 智也
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.105, no.9, pp.1706-1711, 2016-09-10 (Released:2017-09-10)
参考文献数
7
著者
新井 竜治
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = The Journal of Kyoei University (ISSN:13480596)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-15, 2019-03-31

国家総動員法が施行された戦時下で開催された三越・髙島屋・白木屋の新作家具展示会の家具図は,実用家具の設計製作技術の情報共有の名目の下,洪洋社発行の『近代家具装飾資料』誌上で公開されたものであった。昭和戦前期の木材工芸界(家具産業界)を牽引した各百貨店の家具装飾部の家具図には,次のような標準化された共通点が見られた。①正投影図法の第三角法による三面図(正面図・側面図・平面図)の全部,または二面(正面図・平面図,または正面図・側面図)で描かれている。②寸法数値単位が尺寸である。③着彩はないが,木理(杢目),裂地模様などの意匠表記がある。④構造図,機能図,部品図という構造機能表記がある。
著者
市川 純
出版者
日本体育大学
雑誌
日本体育大学紀要 (ISSN:02850613)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.27-38, 2016-09-30

本稿は2016年3月17日、アメリカ、フロリダで行われたThe International Conference on the Fantastic in the Artsにおいて口頭発表した"'Alice' in Japanese pop culture : transformation through translation"を日本語にし、大幅に加筆・修正を加えたものである。また、2015年度日本体育大学学術研究補助費の研究課題「翻訳される文化としての日本における「アリス」」の研究成果の一部でもある。
著者
新田 哲夫
出版者
日本音声学会
雑誌
音声研究 (ISSN:13428675)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.6-15, 2011-04-30

A special geminate like ff in maffa "pillow", which does not exist in the Standard Japanese (SJ), is found in the Antoh dialect in Fukui Prefecture. This paper deals with the synchronic and diachronic phenomena concerning the ff geminate in addition to bb and ss. This paper has the following purposes: (1) to illustrate the correspondence of geminates between the Antoh dialect and SJ, (2) to investigate the historical development of the geminates in the Antoh dialect, (3) to point out that the manifestation of the geminates in the Antoh dialect is similar to that of the Miyakojima dialect in the Ryukyuan language, and (4) to propose that the explanation for the process of the geminate in this dialect gives a suggestive source to the discussion on the processes of sound changes in the Ryukyuan language.
著者
今井 一良
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1983, no.15, pp.15-32, 1982

On the 13th of February, 1860, the U. S. Steam Frigate Powhatan left Yokohama for the United States taking on board the members of the first Japanese Embassy to the U. S. Among them there were two men who had relation to the Kaga Clan. One is Kanae Sano and the other is Onojiro Tateishi. Sano had already been a professor of gunnery in Kaga then, but Tateishi, who was then a probationer interpreter, became an English teacher of Kanazawa School of English in Kaga ten years later.<BR>It is common knowledge that Tateishi was nicknamed &ldquo;Tommy&rdquo; and was a star among the American ladies.<BR>At sea some of the members learned English and Sano wrote this in a letter to a friend of his in Kaga. In it he mentioned that the chaplain, the Rev. Mr. Wood taught English to them through the assistance of Tommy.<BR>It goes without saying that Tommy was often reported in the American newspapers, but it is striking that Sano was also reported in the papers despite of his low position. The intellectual ability and culture which he exhibited impressed so many Americans.<BR>After he visited six countries in Europe joining the Takeuchi Mission to Europe in 1862, making good use of his experiences he devoted himself to the various fields of duties such as military affairs, diplomacy, education, etc. for the benefit of the Kaga Clan.<BR>After the Meiji Restoration he was appointed to an officer of the Ministry of Military Affairs by the new Japanese Government, and in 1871, in Tokyo he established the Kyoryu Gakko, a school in which the practical English was taught.<BR>He died of cholera on the 22nd of October, 1877 at the age of 47.<BR>Tommy was the second son of a retainer of the Tokugawas and born in 1843. His name was Keijiro Komeda, but as he could take part in the Japanese Embassy to the U. S. in the capacity of the adopted son of his uncle Tokujuro Tateishi, interpreter, his name was given as Onojiro Tateishi.<BR>After coming back to Japan he was appointed to the interpreter attached to the American legation in Yedo, and at the same time he kept an English school and taught many students.<BR>Through the period of the Meiji Restoration he engaged in battle against the new Government, and was injured in the leg. After the war he came back to Tokyo, but he changed his name into Keijiro Nagano so as not to be arrested.<BR>In 1872 he took part in the Iwakura Mission to America and Europe, visiting the U. S. and eleven European countries.<BR>After returning to Japan he successively held the posts of an officer of the Ministry of Industry and the Authorities of Hokkaido Development. From 1887 till 1889 he went to Hawaii as the superintendent of Japanese emigrants.<BR>Afterwards, for about eighteen years since 1891 he had been serving the Osaka High Court as an interpreter, and died on the 13th of January, 1917.
著者
宮垣 さやか 長谷川 聡 梅垣 雄心 中村 雅俊 小林 拓也 田中 浩基 梅原 潤 藤田 康介 市橋 則明
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.42 Suppl. No.2 (第50回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.0096, 2015 (Released:2015-04-30)

【はじめに,目的】胸郭可動域制限は,肋間筋など胸壁に付着する軟部組織の柔軟性低下,呼吸筋の筋力低下,脊柱や肋椎関節の可動性低下などにより生じる。臨床現場においては肋間筋ストレッチングや肋椎関節の運動など,肋骨の動きの改善を目的とした胸郭可動域トレーニングが実施されており,呼吸機能の改善に有用であると報告されている。一方,呼吸時には胸椎も屈伸運動するといわれており,胸椎アライメントが呼吸機能に影響を及ぼすという報告もあるものの,胸椎後弯姿勢の改善を目的とした運動(胸椎伸展運動)が呼吸機能を改善させるという報告は見あたらない。さらには,頚部痛など整形外科疾患患者や脊髄損傷患者において,胸椎可動性の低下が呼吸機能低下に影響するとの報告もあることから,肋骨の動きの改善だけではなく,胸椎の伸展運動が呼吸機能を改善することが予想される。そこで本研究では,胸椎伸展ストレッチング(以下胸椎ストレッチ)が,脊柱アライメント,胸郭拡張性,呼吸機能に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。【方法】対象は喫煙歴のない健常男性15名(平均年齢24±3.4歳)とした。胸椎ストレッチ前後に胸椎アライメント,呼吸機能,胸郭拡張差,上部および下部肋間筋・胸部脊柱起立筋の筋弾性率を測定した。胸椎アライメントの測定はSpinal mouse(Index社製)を用い,安静立位での胸椎後弯角度を測定し,胸郭拡張差は腋窩,剣状突起,臍レベルの三箇所で測定した。呼吸機能はAutoSpiro(ミナト医科学社製)を用い,安静立位で対標準肺活量(%VC),一秒量(FEV)を測定した。筋弾性率は超音波診断装置(SuperSonic Imagine社製)のせん断波エラストグラフィー機能で測定し,各筋の筋腹に設定した関心領域の弾性率(kPa)を求めた。上部肋間筋は右側の鎖骨内側1/3から下した垂線上の第2肋間,下部肋間筋は右側の前腋窩線上の第6肋間,胸部脊柱起立筋は第6胸椎棘突起右側方1横指の部位にて,全て安静吸気位で測定した。胸椎ストレッチは,対象者の両肩甲骨下角の位置で背部を横断する方向に株式会社LPN製ストレッチポールハーフカット(以下ハーフポール)を設置し,その上に背臥位となりセラピストが肩関節前方から鉛直方向に3分間抵抗を加えた。統計学的解析は,第2・第6肋間の肋間筋と脊柱起立筋の3筋の弾性率,3箇所での拡張差,%VC,FEVについて,対応のあるt検定を用いて胸椎ストレッチ前後の値を比較した。なお,有意水準は5%とした。【結果】肺機能について,胸椎ストレッチ前後に%VC(前:90.0±10.1%,後:91.3±9.6%)は有意に増加したが,FEVは介入前後で有意な差は認められなかった。筋弾性率について,上部肋間筋(前:18.9±7.5kPa,後:14.7±6.4kPa),下部肋間筋(前:17.6±9.2kPa,後:13.8±7.3kPa),脊柱起立筋(前:18.1±9.9kPa,後:13.1±5.1kPa)は,介入後に有意に低下した。胸郭拡張差について,腋窩レベル(前:5.5±1.8cm,後:6.2±1.9cm),剣状突起レベル(前:6.7±1.9cm,後:7.7±2.0cm)で介入後に有意に増加し,臍レベルでは変化は認めなかった。胸椎後弯角度は,胸椎ストレッチによる変化は認めなかった。【考察】本研究の結果より,胸椎ストレッチは,肺活量を増加させ得ることが示された。胸椎ストレッチにより改善がみられると予想された胸椎アライメントは,介入による変化を認めなかった。一方で,各筋の弾性率の有意な低下から,胸椎ストレッチによって,上部および下部肋間筋,さらに,ハーフポールにより圧迫された脊柱起立筋の柔軟性が向上したことが示された。これにより,腋窩・剣状突起レベルでの胸郭拡張差が増し,上位胸椎部分の胸郭拡張運動が改善したことで肺活量が増加したと考えられる。これまでは主として肋骨の動きに関連の強い肋間筋にアプローチする手技が胸郭可動域トレーニングとして取り上げられ,これらの手技により呼吸機能が改善するという報告がされている。しかし本研究では,胸椎の屈伸運動に着目した胸椎ストレッチによっても上位胸郭可動性が向上し,呼吸機能が改善することが示された。また同時に,肋間筋のみならず,胸郭構成筋として着目されることの少ない,脊柱起立筋の柔軟性も,呼吸機能に関連していることを示唆する結果となった。【理学療法学研究としての意義】本研究では,これまで着目されることの少なかった,呼吸時の胸椎伸展運動を促すようなストレッチによっても胸郭可動性が改善することが示唆され,胸郭の可動性低下を認める拘束性換気障害に対する有用な治療手段の一つとなり得る可能性が示唆された。
著者
升屋 勇人 山岡 裕一
出版者
日本森林学会
巻号頁・発行日
vol.91, no.6, pp.433-445, 2009 (Released:2011-03-28)

菌類が関連していないキクイムシは存在しない。キクイムシ関連菌の中には子嚢菌類や担子菌類といった非常に多様な菌類が含まれる。その中で経済的、生態的重要性からオフィオストマキン科、クワイカビ科の菌類に関する研究が進んできた。アンブロシア菌は養菌性キクイムシと絶対的共生関係にあるが、系統的に異系のグループであることが近年になって判明してきた。またオフィオストマキン科、クワイカビ科にそれぞれ近縁であることも明らかになってきた。両科は樹皮下穿孔性キクイムシの主要な随伴菌としても知られ、直接的、間接的にさまざまな共生関係を樹皮下キクイムシと結んでいる。キクイムシは進化の過程で養菌性を複数回進化させてきたが、菌類は自身の系統とは無関係にキクイムシと共生関係を結んできたと考えられる。そして結果的に、キクイムシ随伴菌はキクイムシの主要栄養源として機能する絶対的共生関係から、宿主樹木に対する病原力をもってキクイムシの繁殖戦略に貢献する共生関係まで、非常にさまざまな関係を結ぶことになったと考えられる。
著者
大場 茂 大橋 淳史
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 自然科学 (ISSN:09117237)
巻号頁・発行日
no.46, pp.13-41, 2009
被引用文献数
1

研究ノート1. はじめに2. 旋光性2-1. 右旋性と左旋性2-2. 石英の比旋光度3. 石英の結晶構造と外形3-1. シリカの結晶相3-2. α-石英とβ-石英の構造3-3. 水晶の半面像3-4. 高温形低温水晶4. 屈折率の異方性と光の干渉4-1. エアリースパイラル4-2. 結晶中での光の伝播4-3. 光軸に垂直な水晶板による旋光4-4. 水晶板のコノスコープ像4-5. 水晶球の干渉像5. 考察5-1. 石英か水晶か5-2. 右水晶と左水晶の定義5-3. 円偏光板の役割5-4. オリジナルのエアリースパイラル6. 学生実験への対応慶應義塾大学日吉キャンパスにおける文系学生を対象とした化学実験のテーマの1つとして,キラリティ(左と右の区別)に関する実験を平成17年度から開始した。これは主に糖の旋光度を測定するテーマであるが,原子や分子レベルのキラリティが外に表れる例として,水晶の半面像の観察も実験の中に組み込んだ。水晶とは石英のきれいな結晶のことであるが,その内部での原子配列のキラリティは非対称な結晶面をもとに区別できる。また水晶球については,直線偏光板と円偏光板の間にはさみ,エアリースパイラルを観察してその渦巻の方向から,右水晶か左水晶かを判別できる。本稿では石英の結晶構造をもとにこれらの原理を解説し,また右と左の定義にまつわる話題を紹介する。現時点でも右水晶の定義にまだ混乱がみられるが,「右旋性を示す水晶のこと」に統一すべきである。