著者
亘 悠哉
出版者
The Mammal Society of Japan
雑誌
哺乳類科学 (ISSN:0385437X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.27-38, 2011-06-30

外来種の侵入による生物多様性・生態系機能の低下,および経済被害はきわめて甚大で,各地域特有の自然や暮らしを脅かす切実な問題となっている.こうした問題を解決するために,各地で外来種駆除が実施されており,近年では根絶成功例や在来種の回復など,駆除による対策の有効性が成果として現れてきている.一方で,たとえ外来種を減少させることができたとしても,インパクトを受けていた生態系が必ずしも回復するとは限らず,時には状況がさらに悪化してしまう場合もある.このような知見は個々の論文で報告されてきたものの,全体像が整理され示されたことはこれまでになかった.本総説では,このような知見を整理し,外来哺乳類の影響の環境依存性や非線形性,ヒステリシス,外来種間の相互作用などを,意図しない現象の理由として挙げ,そこには,食性のスイッチングやアリー効果,外来種の侵入と生息地改変の複合効果,メソプレデターリリースなどのプロセスが関わりうることを紹介した.また,それぞれのプロセスに応じた対処法として,在来種の回復の評価プロセスの導入や生息地管理,他の生物の管理などをリストアップした.以上のような対処法が取り入れられた総合的な外来種対策の実践例は,近年報告が増えはじめてきた段階である.このような個々の実践例を積み重ね,対処法の有効性を検証していくことは,個々の地域の問題を解決するだけでなく,さらなる実践例を生み出す上でも重要な役割を果たしていくであろう.<br>
著者
烏賀陽 梨沙
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.123-135, 2014

本稿の目的は,近年のアメリカの美術館教育の現状を文化的,教育的,社会的枠組みの中で位置付け,美術館教育の発展にはどのような要因が影響しているかについて,社会的・経済的視座もいれ多角的に分析・考察することである。1990年代以降を中心に,筆者の過去の調査・研究をもとにニューヨークの美術館の実例や先行研究の例から分析する。事例に即して検討した結果,1980年代後半から1990年代の財政困難期,美術館はその脱却方策を模索したが,そこに二つの方向性がみられた。一つは外部資金(公・民)を積極的に取りにいくこと,二つ目は教育的プログラムやサービスの充実に美術館の焦点が移行することである。こうして美術館教育の発展に,資金援助側の戦略的助成方針など外的要因も関係するようになる。また,近年の認知心理学の進歩も相乗し,美術館に関連した新しい学習理論がうみだされ美術館教育の方法論の充実へとつながり発展を助長した。
著者
植田 弘師
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.127, no.3, pp.161-165, 2006 (Released:2006-05-01)
参考文献数
12

神経傷害に伴い誘導される慢性疼痛は難治性神経因性疼痛と呼ばれ,抗炎症薬や強力な鎮痛作用を有するモルヒネによって除痛されにくい.従って,急性の痛みとは仕組みが全く異なり,末梢神経傷害に伴う一次知覚神経と脊髄での可塑的機能変調がその基盤となると考えられる.著者らは近年,神経傷害後,長期に認められる痛覚過敏・アロディニア現象を誘導する初発原因分子として脂質メディエーターであるリゾホスファチジン酸(LPA)を同定した.このLPAは後根神経節や脊髄後角における疼痛伝達分子の発現増加や一次知覚神経の脱髄現象を誘導し,これらがそれぞれ痛覚過敏やアロディニア現象の分子基盤となることが明らかになった.
著者
梅屋 潔
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.274-284, 2018

<p>This paper argues the effectiveness of a strategy by President Museveni's campaign for reelection to conduct a series of government re-burials of or commemorative ceremonies for great men with West Nilotic origin who had been murdered by then-President Idi Amin. The attempt is to describe the attitude of the Western Nilotic peoples in Uganda towards a series of events, and to confirm how individuals with voting rights are inseparably connected to the identity and sentiments of their ethnic group. The re-burials clearly show that modern presidential elections in Uganda have an emotional aspect as well as a civic one. The series of events, and the strategic effectiveness displayed, force us to rethink the universality of the idea of the concept of "citizenship." That concept—as with all concepts of Western origin believed to be universal—has been interpreted and appropriated reasonably within an autochthonous cosmogony, and might be seen to be interwoven with autochthonous concepts in Africa and other areas after being imported from the West.</p><p>Because of the series of events, the people of Western Nilotic origin, or at least those who can assert to have some connection, supported President Museveni as he honored the great dead men of their ethnicity. This time, the reburial was an epoch-making strategy to address the issue, and even successfully managed to integrate people based on their ethnicity, even though the late Oboth-Ofumbi was not especially beloved by all his neighbors. Another issue was the role of religious and spiritual dimensions in peopleʼs voting behavior. The government's honoring of the dead positively affected people in neighboring communities. It can be said that the dead thus demonstrated agency to the living, having intervened in the actions of the living. In a sense, they—ontologically, the dead—shared a social space with the living in terms of personhood, which, for people of Western Nilotic origin, inevitably includes those who have already died. A consideration of the state of the dead can thus greatly influence their voting behavior.</p><p>(View PDF for the rest of the abstract.)</p>
著者
田原 範子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.233-255, 2018

<p>本稿は、アルル人の死者祈念の最終儀礼をとおして、死者と生者の交流について論考するものだ。死者祈念の最終儀礼は、死後10年くらいまでに、死者のクランが、他のクランを招待して饗宴をもつことで完了する。2つのクランは、笛と太鼓と踊りに3夜連続、興じながら、死者のティポ(精霊)を祖霊の世界へ送りだしてきた。ところが、ウガンダ共和国ネビ県においては、死者祈念の最終儀礼は1987年が最後であった。このまま儀礼が消滅することを案じた筆者は、パモラ・クランのウヌ・リネージの人びとに協力し、2009年より準備を重ね、2012年3月に簡略化した死者祈念の最終儀礼を行った。</p><p>調査対象の社会に対して、こうした働きかけをすることに迷いがなかったわけではないが、消えゆく儀礼を若い世代へ継承する一助になればという気持ちがあり、映像化を試みた。また、対話的に儀礼を生成する過程をとおして、当該社会の意思決定過程や社会関係を学べるのではないかと考えた。人びとと共に死者祈念の最終儀礼の再興を模索する過程で、パモラ・クランの人びとがコンゴ民主共和国の人びとの支援を受けたり、ウガンダ国内の異なるクランの人びとから助けられたりする状況が明らかになった。この儀礼は、日常生活では関係を密にしない生者たちが再会し、音楽と踊りを楽しみ、共に飲み、共に食べることをとおして、友好関係を再確認する場でもあった。本特集に執筆しているニャムンジョの言葉を借りれば、死者祈念の最終儀礼とは、一過的で集合的なコンヴィヴィアリティを構築する場であった。</p><p>本稿では、こうした死者祈念の儀礼空間に、緩やかな連帯関係にあった生者が参入し、儀礼を共同して構築すること、この一時的で流動的な共同性を、リチュアル・シティズンシップと名付けた。それは、死者という存在によって生者たちが構築する共同性であり、死者と生者が交流する場に現れるシティズンシップである。従来、シティズンシップにかかわる研究は、生者を中心に行われてきた。なぜならシティズンシップの根幹には、法的・政治的・経済的、すなわち現世的な権利や義務の制度があり、そこに死者の存在は勘案されることはなかったからだ。しかし死者や祖霊の存在は、私たち生者の日常生活に深く根をおろしている。本稿では、死者という存在を含めた共同性を考察するために、従来のシティズンシップ概念に死者を含めるリチュアル・シティズンシップという新たな概念を提唱した。その概念を使用することにより、死者祈念の最終儀礼の記述をとおして、アルル人のクラン間の緩やかなつながりを考察し、生者の共同性の底流にあるものを明らかにすることを試みた。</p>
著者
設樂 弘之 島村 綾 田中 亮治 有満 和人 峯木 真知子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成28年度大会(一社)日本調理科学会
巻号頁・発行日
pp.32, 2016 (Released:2016-08-28)
被引用文献数
1

【目的】食品、特に生鮮食品と呼ばれる領域の食品に関しては、その鮮度と風味には密接に関係がある。野菜や魚など鮮度が良いとおいしいといわれている一方、肉などのようにすこし貯蔵したほうがおいしくなるといわれている。その原因についても多くが研究されている。卵は長期保存がきくことが知られている一方で、生みたてがおいしいといわれているが、その科学的根拠となる研究例は少ない。そこで保存した卵と生みたてのもので風味に違いを明らかにすることを目的とした。 【方法】タカハシ養鶏場 深谷農場6号舎で養育されたハイライン種マリア(日齢292日)が産卵した卵を5℃で16日保存した。同じ鶏舎のもの(日齢305日)で3日保管した卵と比較した。基礎項目として卵重、HU、卵黄の色、卵白のpHおよびタンパク質量、卵黄のpH、水分、脂質量、およびタンパク質量を測定した。風味の違いを知るために、卵かけご飯、茹で卵、だし巻卵、カスタードプリンを作成し、風味試験に供した。パネルは、東京家政大学栄養学科管理栄養士専攻4年生と大学院生の計25名で行った。 【結果】たまごかけご飯、および、だし巻き卵に関して、新鮮卵のほうが好ましいという傾向にあったが、有意な差はなかった。プリンについては有意に新鮮卵を使ったほうが好ましいという結果になった(p<.05)。2つのプリンには硬さに違いがあり、新鮮卵のプリンのほうが軟らかく口どけが良いことから好まれたと思われる。新鮮卵と保存卵のプリンでは固さに差は、タンパク質量、pHに差があったことが、影響した可能性がある。これらの結果から、野菜や魚と比較すると、卵は保管中の変化が少なく、おいしさにもあまり差はないことがわかった。
出版者
日本民族協会
巻号頁・発行日
vol.第11, 1921
著者
武石 典史
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.265-284, 2017-07-28 (Released:2019-03-08)
参考文献数
39

本稿は,近代日本における官僚の選抜・配分構造を,東大席次・高文席次に着目しながら検討したうえで,昭和期の官僚機構について考察するものである。 高文体制というべき官僚選抜システムが成立して以降,成績上位層を引きつけた内務省は就職先序列構造において頂点に位置したが,大正期以降になると人材が各省に分散し威信が低下していく。この動きと並行的に,各省の要職に占める内務出身者の割合が減少するという配分面での変化も生じ,人事の自律化が定着した。各省は「位負けしない」生え抜き官僚を有することになったのである。 脱内務省化は非内務官僚の「専門性」意識を醸成した。これにより,各省の「専門性」と内務省の「総合行政」志向との間に葛藤関係が生じ,専門分業化の潮流のなかで専門官僚が主流となっていく。こうして内務省の優位性は選抜,配分,行政機能という三つの面で弱化し,同省を中心に安定が保たれてきた官僚機構の秩序(「内務省による平和」)は動揺した。各省割拠の時代が到来するのである。 セクショナリズムにより官僚集団の一体性は解体へと向かい,軍部に対抗しうる勢力にはなりえなくなったと考えられる。これを敗戦にまでつながる流れとみるならば,両席次と密接に結びついた「官僚の選抜・配分構造」の変容は,それを不可逆的に加速化させる要因の一つとして作動していた,といえよう。
著者
藤島晃 著
出版者
金鈴社
巻号頁・発行日
1930
著者
鄭 惠先
出版者
北海道大学国際本部留学生センター = Hokkaido University, Office of International Affairs, International Student Center
雑誌
北海道大学国際教育研究センター紀要 = Journal of Center for International Education and Research, Hokkaido University
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-13, 2017-12

本研究では、メディア言語研究という立場から日韓対照の視点を取り入れて両言語による映像メディアの談話を考察した。とりわけスポーツ情報番組の実例をもとに、ジャンルによる語用論的特徴について考察した結果、日本のテレビ番組の談話では番組独自のジャンル特性が言語表現に強く影響していることが示された。たとえば、実況中継のアナウンサーの発話では、常体と敬体の混用が目立つ日本に対して、韓国では常に敬体のみが用いられる。また、報道性より娯楽性が重視されるワイドショーというジャンルは日本に特徴的に見られる映像メディアで、その中の談話はジャンル独自の語用論的特徴を持っている。このように、同じスポーツ情報番組であっても日韓の映像メディアには言語表現の違いが顕著に表れることが明らかになった。今後は、メディア言語研究のさらなる充実を図るために、映像メディアのジャンルと日韓の言語固有性という2つの要素に加えて、日韓・韓日のメディア翻訳をも有機的に関連づけて考察を続ける必要がある。This paper compares and contrasts the Japanese and Korean languages in sports information programs on the TV and indicates that the genre of each program strongly affects pragmatic features of linguistic expression in each language. An example of the genre influence is the utterance of reporters in live report programs. Japanese reporters mixed the polite style with the ordinary style while Korean reporters used only the polite style. Furthermore, in "Wide Show" which is a genre peculiar to Japan, the function as entertainment is emphasized more than the function as a report, and it has its own practical features. Thus, even in the same sports information program, there is a difference in language expression between Japanese and Korean. Taking into account the conclusion of this paper, the author will continue to conduct research on video media language, focusing on the relation among three elements: genre of media, linguistic differences of the two languages, and translation.
著者
浅井治平 著
出版者
小川書房
巻号頁・発行日
vol.上, 1943
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンストラクション (ISSN:09153470)
巻号頁・発行日
no.409, pp.74-75, 2006-10-13

気象庁発表のデータによれば,1時間当たりの降水量が100mm以上の降水の発生回数は,1986〜95年は年平均2.2回。それが96〜2005年には同4.7回と倍増した。 下表の通り,雨が原因となった可能性のある現場の災害も発生している。法面の崩落による事故が多いが,なかには下水道にたまった雨水が原因で被災した例もある。