著者
黒田 智
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.127-151, 2004-03-01

勝軍地蔵とは、日本中世における神仏の戦争が生み出した軍神(イクサガミ)であった。その信仰は、観音霊場を舞台に諸権門間の対立・内紛といった戦争を契機として誕生した。そして征夷大将軍達の物語とともに、その軍神(イクサガミ)的性格を色濃くしていった。多武峯談山神社所蔵「日輪御影」は、いわば勝軍地蔵誕生の記念碑的絵画であった。「日輪御影」は、応長・正和年間(一三一一〜一二)に、興福寺との合戦に際して戦場となった多武峯冬野における日輪出現と、その周辺の観音勝地で起こった三神影向伝説を絵画化したものである。画面下方に描かれた束帯に甲冑を着した三眼の異人は、良助法親王と推測され、彼が喧伝した勝軍地蔵を想起させる。画面上方の円光中に描かれた藤原鎌足像は、三眼の異人と対をなして勝軍地蔵の化身として配置されている。また画面上部に描かれた三つの円光は太陽・月・星であり、山王三聖信仰を背景とする三光地蔵の表象である。「日輪御影」に表された勝軍地蔵信仰の世界観は、三光の多様な言説を背景として、鎌倉中期から南北朝期にかけて浮上する太陽・日輪の文化の急速な波及と密接に関わっている。太陽・日輪イメージは、勝軍地蔵信仰と結びつくことで、戦う神仏のイデオロギー・武威のシンボルへと収斂していたのである。こうした太陽・日輪イメージは、天空における太陽の月・星に対する優位性が日本という国家・国土の優越性に準えられた思想であった。それは、日本の神仏の優位性を主張し、日本という国土を神聖化し、日本を仏教的コスモロジーの中心に位置付けようとする運動であった。勝軍地蔵信仰は、同時代の中世的国家・国土観念と不可分な結びつきをもちながら、後代に少なからぬ影響を及ぼしていったのである。
著者
孫 文 WEN SUN
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = SOKENDAI Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.19, pp.240(21)-216(45), 2023-03-31

2008年「5・12 汶川大震災」の発生により、中国四川省の西北部の少数民族地域では甚大な被害を受けた。筆者は2010年から、四川大地震後の復興をテーマとして被災地黒水県のチベット族の調査を始めた。長期間のフィールドワークを通じて、災害の復旧だけではなく、2013年以降の貧困削減計画によって、調査対象の黒水チベット族の日常生活が激しく変化している一方で、彼ら自身の民族意識の表明が顕在化していることが明らかになった。その理由として、経済成長の手段として観光事業が推進され、少数民族文化の資源化が進んでいることが考えられる。しかし政治的には中華民族という国民統合のイデオロギーが強化されているという現実がある。本論文の目的は、このような状況下に、黒水チベット族というチベット族のサブグループが、観光開発を契機に、自身の民族身分をいかに戦略的に用いているかを明らかにすることである。 本研究は、まず中国の少数民族の開発に関する「脱政治化」論とその反論を紹介し、本論文の理論的関心を示す。次に、研究対象としての黒水チベット族の民族的帰属に関する歴史的、文化的特徴について述べ、なぜ黒水チベット族を研究対象にするのかを論じる。そして、現在の観光開発に焦点を移し、黒水チベット族の観光村である羊茸と、黒水県の紅色観光を事例に、黒水チベット族の民族身分の戦略を明らかにする。最後に、黒水チベット族は民族身分を戦略的に利用して、開発に参加する政治的正当性、民族文化の真正性、国家統合のイデオロギーへの参入を確保しようとしていると結論する。The May 12 Wenchuan Earthquake in 2008 caused enormous damage in the ethnic minority areas in the northwestern part of China’s Sichuan Province. The author started research in 2010 on the Tibetan people in the disaster-affected area of Heishui County with a focus on reconstruction after the Sichuan Earthquake. Through an extensive period of fieldwork, it became clear that in addition to recovery from the disaster, but also a poverty alleviation program implemented since 2013 have resulted in a drastic changes in the daily lives of the Heishui Tibetans, while their own expression of ethnic awareness has become more apparent. One of the reasons for this may be attributable to the promotion of tourism as a means of economic growth, transforming the ethnic minority culture into a resource. At the same time, however, the reality is that the ideology of national unity of the Chinese nation is being strengthened. The purpose of this study is to clarify how the Heishui Tibetans, a sub-group of the Tibetan ethnic group, use their own ethnic status strategically with tourism development as momentum.The author first introduces the “depoliticization” theory of the development of China’s ethnic minorities and its counterarguments to demonstrate the theoretical interest of this paper, followed by a discussion of the historical and cultural context of the complex ethnic affiliations of the Heishui Tibetan people and the basis for focusing the Heishui Tibetans. Shifting the focus to current tourism development, this study then clarifies the strategic use of the ethnic status of the Heishui Tibetan people by referring to case studies of Yangrong, a tourist village, and Red tourism in Heishui County. Finally, the author concludes that the Heishui Tibetan people strategically use their ethnic status to secure political legitimacy so that they can participate in development, demonstrate the authenticity of their ethnic culture, and take part in the ideology of national unity.
著者
友寄 元樹 Motoki Tomoyose
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The Social Science(The Social Sciences) (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.151-176, 2023-02-28

本稿の目的は,ニューカレドニアの日本人移民史を再考することである。とりわけ,19世紀フランスの流刑と日本人移民を連続した歴史的出来事として捉え,近代世界システムの形成に伴う余剰労働力の「放逐」のプロセスとして描写する。本稿では,19 世紀フランスにおける都市問題を取り上げ,流刑へと発展する過程を見ていく。同時に,フランスが太平洋に帝国領土を拡張する流れを辿り,ニューカレドニア流刑地が誕生するプロセスを明らかにする。この時,フランスの都市問題と帝国拡大の思惑が重なるのである。そして,ニューカレドニア流刑の理想と現実を確認し,日本人移民到着に至る歴史を示す。第一回移民の募集は,明治政府の後ろ盾のもと,九州の男性を対象に約一ヶ月という短期間で行われた。本研究はこれまで個別に扱われてきたニューカレドニア流刑と日本人移民の歴史を接合させ,一国史的に認識されてきたニューカレドニア史を描き直す試みである。
著者
安藤 昌也 アンドウ マサヤ Masaya ANDO
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2009-03-24

1章 序論<br /> ユーザビリティや人間中心設計は、我が国の産業界だけでなく、世界的にも次第に定着しつつある。しかし近年、ユーザの実利用の実態と乖離したユーザビリティ評価に対する批判がなされるようになった。User Experience (UX: ユーザ体験) に対する議論の広がりや、ユーザビリティ指標の批判的研究などは、その動向の一例である。<br /> 本研究は、インタラクティブな操作を伴う製品 (インタラクティブ製品と呼ぶ) を対象に、製品を購入したユーザが実利用環境において、長期に渡り製品を利用することで形成する製品評価の構造を研究対象とする。<br /> ユーザビリティ研究分野において、実利用環境や長期の利用に関する先行研究には、フィールドユーザビリティやユーザビリティ評価の経時的変化に関する研究などがある。しかし、実利用環境における製品評価構造に関する研究はこれまで行われていない。また、消費者行動論における顧客満足研究では、製品の利用過程そのものが研究の焦点となっておらず、ユーザビリティと顧客満足に関する研究は行われていない。<br /> 本研究の目的は、インタラクティブ製品の実ユーザが、実利用環境での利用経験に基づいて行う製品評価の構造を明らかにすることである。そのため本研究ではまず、実利用環境における製品評価について定性的研究アプローチにより把握し、ユーザの製品評価構造及びの心理的要因を明らかにする。次に、導出した製品評価構造に基づき、定量的に把握可能な変数を定めた上で、定量的研究アプローチによって実際の評価構造を検証する。なお、定量的研究では、ユーザの心理的要因と製品評価との相互関係に着目し分析を行う。<br /><br />2章 実利用経験に基づく製品評価構造<br /> 製品の長期利用の実態と評価の関係を把握するために、7名のインフォーマントに対して、製品利用の来歴を記入する利用年表を用いた回顧的なデプスインタビューを行った。<br /> デプスインタビュー結果の分析から、長期にわたる製品の利用と評価に対する洞察を得た上で、利用経験 (出来事) と評価の関係性に注目し、修正版グラウンデッド・セオリー・アプーチ (M-GTA) により、共通の事象を概念として抽出し、「製品評価プロセスモデル」を導出した。分析過程では、発話データのコーディングに基づいて20個の概念を抽出し、さらにそれを10個のカテゴリにまとめた。<br /> 製品評価プロセスモデルでは、利用経験と製品評価の関係については把握できたものの、インタラクティブ製品の利用に対するユーザの心理的要因の影響については十分ではなかった。そこで、改めて同一のインフォーマント6名と追加の4名の計10名に対して、インタラクティブ製品を利用する際の態度や感情などに注目して、デプスインタビューを行いM-GTAを用いて分析を行った。<br /> その結果、ユーザの心理的要因として「インタラクティブ製品の利用に対する自己効力感(自己効力感)」と「利用対象製品に対する製品関与(製品関与)」の2つの要因を抽出した。<br /> これら二つの調査と分析の結果から、「実利用環境での利用経験に基づく製品評価構造(製品評価構造)」を導出した。<br /><br />3章 製品利用に関する心理尺度の構成<br /> 3章では、2章で導出した製品評価構造に基づいて、ユーザの心理的要因である自己効力感を測定する心理尺度と製品関与を測定する心理尺度を、それぞれ構成した。<br /> 自己効力感尺度は、1,200件の訪問留置法による質問紙調査によりデータを把握し、因子分析等によって項目選択を行い、最終的に1因子20項目で構成される尺度を作成した。<br /> 製品関与尺度は、製品の普及率のバランスを考慮し、8種類のインタラクティブ製品と2種類の白物家電を取り上げ、それぞれの製品に対する関与度を把握するウェブ調査を実施した。有効回答数は600件である。分析では、因子分析等によって項目選択を行い、10項目の尺度原案を作成した。ウェブ調査はサンプルの偏りが大きいことが指摘されているため、ウェブ調査データの補正法である傾向スコアによる共変量調整法を用いて、データの補正を行った。補正後のデータを用いて、10項目の尺度原案の因子構造が安定的であることを確認した。これらの手続きにより、最終的に3因子10項目による尺度を構成した。<br /><br />4章 ユーザの心理的要因と製品評価<br /> 4章では、2章で導出した製品評価構造に基づいて、実際の製品の製品評価を把握した。対象とした製品はアップル社の「iPod nano」である。iPodはユーザビリティやUser Experienceを考慮した製品だといわれており、また、普及率も高くデータを収集しやすいことから調査対象とした。<br /> 調査方法はウェブ調査とし、サンプリングは2年未満の利用期間を5つの区分に分割して、各期間のユーザの回答を収集した。有効回答数は262件である。<br /> 製品評価は、ユーザビリティ評価に関するものとUser Experienceに関するもので、合計85項目について回答を得た。因子分析を行った結果、「使う喜び・愛着感」「主観的ユーザビリティ評価」「不満感」の3つの評価因子が抽出された。これらの評価因子の因子得点を、利用期間ごとの平均値で比較したところ、利用期間によって大きく異なる傾向があり、2章で示した製品評価プロセスモデルの特徴と類似する傾向が見られた。<br /> また調査では、3章で構成した自己効力感尺度及び製品関与尺度を把握し、尺度得点を算出した。<br /> ユーザの心理的要因と製品評価の関係を分析するために、自己効力感及び製品関与の尺度得点と、3つの評価因子の因子得点を用いて、共分散構造分析を行った。分析モデルは、2章の製品評価構造に基づいてパス図を作成した。その結果、自己効力感は「主観的ユーザビリティ評価」に正の影響があり、製品関与は「使う喜び・愛着感」と「主観的ユーザビリティ評価」の両方に正の影響があった。<br /> また「使う喜び・愛着感」が利用経験に基づく製品評価の総合的な評価であることを示した。<br /> 製品評価の特徴をわかりやすく分析するために、自己効力感尺度得点と製品関与尺度得点の分布に基づいて、ユーザを4群に分割し、製品評価、利用経験 (出来事) 及び利用実態の特徴を分析した。その結果、ほとんどの項目で各群に有意な差があり、ユーザの特性に応じた製品評価の特徴を、的確に把握・分析できることを示した。<br /><br />5章 結論<br /> 本研究で得られた、実利用環境での利用経験に基づく製品評価構造及び、ユーザの心理的要因が製品評価に及ぼす影響に関する知見を整理し、ユーザビリティ活動において実利用環境での製品評価を把握することの重要性を、従来のユーザビリティテストと対比させて考察した。<br /> また、ユーザの心理的要因尺度の尺度得点によってユーザを分類し、製品評価を分析する手法の有効性を示し、実利用環境における製品評価の分析手法として提案した。この手法は、SEPIA手法 (Self-Efficacy & Product Involvement Analysis) と名付けた。またSEPIA手法は、新しいユーザ支援のあり方の検討にも応用することができ、試みとして自己効力感を高めることにより、ユーザビリティの問題点を緩和するアイディアについて検討を行った。<br /><br /> 本研究は、得られた知見の一般化にはなお限界があり、今後の研究により知見を蓄積することが必要である。また他にも検討すべき課題があるものの、今後の研究の基礎となる研究成果は得られており、実ユーザの利用体験をより快適で満足度の高いものとするために、貢献できるものと考えている。
著者
田澤 薫
雑誌
聖学院大学論叢 = 第35巻 (ISSN:09152539)
巻号頁・発行日
vol.第1号, no.9152539, pp.1-17, 2022-10-28

興望館セツルメントは,1919年の創設以来,保育事業を実施し,第二次世界大戦が激しくなると,1944年に戦時託児所に転換した。この研究では,興望館セツルメント資料室に保存される戦時託児所時代の保育日誌を用いて,興望館セツルメント戦時託児所における保育内容を明らかにした。戦時託児所制度は,旧来の幼児教育や保育を否定する「戦時託児」をすすめるものであった。しかし,興望館セツルメント戦時託児所では,新たな活動は積極的に取り組まれておらず,警報への対処に追われるなど実質的な活動が行われにくい状況にあった。東京大空襲後に長野県に移転した後は,戦時中であっても,戦時託児所に転換する以前のような保育活動がなされていたことが確認された。
著者
柿本 翔大 松原 克弥 高瀬 英希
雑誌
研究報告組込みシステム(EMB) (ISSN:2188868X)
巻号頁・発行日
vol.2023-EMB-62, no.51, pp.1-7, 2023-03-16

ロボットソフトウェアの開発において,Robot Operating System(ROS)の利用が拡大している.ROS は,クラウドサーバと連携した分散型のロボットシステムの構築にも有用であるが,各機能モジュールであるノードの配置はシステム稼働前に決める必要がある.しかし,システム稼働前に推測困難な状況変化により,システム起動時に決めたノード配置が最適でなくなる可能性がある.さらに,クラウドとロボットでは,CPU アーキテクチャが異なる場合が多く,稼働中のノードを実行状態とともにクラウド・ロボット間で再配置することは技術的に難しいという課題がある.本研究では,ROS ノードの動的配置機構の検討を目的として,組込みデバイス向け ROS 2 ランタイム実装である mROS 2 を WebAssembly ランタイム上で動作させることで,アーキテクチャ中立な ROS ノード実行状態を実現する.本稿では,mROS 2 を WebAssembly 上で動作させるために実装すべき機能を明らかにして,WebAssembly 化による実行時性能への影響を実験結果により示す.