著者
西村 玲
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科インド哲学仏教学研究室
雑誌
インド哲学仏教学研究 (ISSN:09197907)
巻号頁・発行日
no.14, pp.87-99, 2007-03

Fujaku(普寂)is the Buddhist thinker in the middle of the Eighteenth century and one of the most famous scholar monks in the Edo period. He holds up the religious revival of the true law by Shakyamuni Buddha and practices the so-called lesser vehicle. Though he may be one of the most important Buddhist thinkers in the Edo era and can be one of the sources of the modern Japanese Buddhism thoughts, there has not been a research of his biography by now. The scholarship for now has defined Fujaku as a heretic in almost all the Japanese sects, or as a monk who argues the correspondence of all the sects from the point of superdenominations. Those opinions would show that he stands out from the existing structure of Japanese Buddhism sects. I make it clear in this thesis on the basis of my researches of Fujaku's thinking that his life and his self-identification with paying attention to the relationship between the Jōdo sect and Fujaku. Fujaku was born at a Jōdo-Shin sect temple at Ise prefecture in the Hoei(宝永)4, 1707, and studied at Kyoto and so on in his youth. He had a serious doubt on the orthodox faith of the Jōdo-Shin sect by getting an illness and left his home temple at twenty eight years old. After that, he stayed at the temple at Owari prefecture to be famous as a place of the precept reformation. Fujaku became a Jōdo reclusive monk there, because he was looked after so much by Kantsu(関通)who was a very famous Jōdo reclusive monk at that time. After becoming a reclusive monk, Fujaku had wondered from place to place for around ten years. When he was forty one years old, Fujaku received the 250 precepts and became a full-fledged bhiks.u. At the age of fifty seven, he became the chief clergy of Chōsen-in(長泉院)that was a Jōdo precept temple at Edo. He passed away as chanting Nenbutsu at seventy five years of age in the Tenmei(天明)1, 1781. Though he officially spent his life as a monk of Jōdo precept denomination, he took a cold attitude toward the Jōdo sect in his life. Moreover, he did not so specially respect Hōnen (法然)of the founder of the Jōdo sect. He thought himself as a descendant of Dōsen(道宣)and had a highly regard and a sympathy for Dosen of the founder of Nanzan Ritsu sect. Fujaku interpreted Dōsen as the revivalist of the true law by Shakyamuni Buddha and the historical mediator between Shakyamuni and Fujaku himself. Fujaku, however, did not observe closely all the precepts advocated by Dosen and not strictly have a sense of a member of the Nanzan-Ritsu sect. His signature of"Bhiks.u Fujaku at the precept temple Chōsen-in at the Eastern capital"shows his identification as a precept monk according to the true law.
著者
加藤 貞顕 富川 直泰 藤田 浩芳
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.9, no.14, pp.32-35, 2010-09-07

難しい思想や哲学を分かりやすく読み解く本が人気だ。その代表格が『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(以下『もしドラ』)、『超訳ニーチェの言葉』(以下『超訳ニーチェ』)、『これからの「正義」の話をしよう』(以下『「正義」の話』)の3冊。ベストセラーを生み出した編集者たちに「読み解く技術」を尋ねた。
著者
湯田 勝
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.2-19, 1982-09-30

先進的資本主義社会における労働者階級の社会変革の担い手としての主体形成をめぐる状況は混迷しているようにみえる。この状況を突破しようとするさまざまな理論的試みのなかで、「労働の社会化」論、「貧困化」論そして「意識としての階級」論の三つに注目したい。現代における変革主体形成に関する理論的な見通しを得るためには、この三つの論点の統一的把握が不可欠である、と考えるからである。<BR>本稿は、そのための作業の一つとして、マルクスの変革主体論をこの三つの論点との関連で改めて検討しなおすことを課題としている。具体的な内容は次の二点である。<BR>(1) マルクスの変革主体論は、『経済学・哲学草稿』以来一貫して、「労働の社会化」論、「貪困化」論、「意識しての階級」論を理論的な視点として内包していること。だが、初期マルクスの変革主体に関する理論的展開は、イギリスの労働運動の経験に大きく制約されていたこと。<BR>(2) その後、経済学研究の深化に伴って (『経済学批判要綱』と『資本論』) 、「生活主体」論と「労働主体」論が確立されたことによって、「労働の社会化」と「貪困化」に関する主体的把握が可能になり、「意識しての階級」論の重要な要点をなす「欲求主体」論あるいは「価値主体」論の基礎がすえられたこと。
著者
矢嶋 直規
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:24346861)
巻号頁・発行日
no.50, pp.53-77, 2018-12-15

本稿はヒュームに代表される近代英国哲学の道徳哲学がニュートン派の自然神学をめぐる論争から成立した過程を解明することを目的とする。自然神学論争の中心人物にはクラークとバトラーが含まれる。ニュートン派の自然神学を擁護するクラークは、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツ、トーランドを批判する論陣を張っていた。またバトラーの経験論的方法による神学と道徳哲学はヒュームやリードにも影響を与えた。本稿の主たる考察対象は初期バトラーの思想形成の舞台となったバトラー= クラーク書簡である。同書簡では神の存在証明における神の遍在と、神の必然的存在についてのクラークの主張へのバトラーの批判が展開されている。神の遍在は空間・時間論を主題とし、神の必然的存在は因果論を主題とする。バトラーは空間・時間を事物の原因とするクラークの議論を批判し、因果を人間の経験に即したものとして扱う可能性を提示している。また神の存在が必然的であるというクラークの主張を批判することで、形而上学的必然性に基づく対象理解を蓋然的信念の問題へと転換している。こうした議論は後期バトラーの経験主義的道徳論及び宗教論に結実するとともに、ヒュームやリードをはじめとするスコットランド啓蒙思想の経験主義的道徳論を準備する思想となった。こうして本稿はバトラーのクラーク批判に用いられる必然性、蓋然性、思惟可能性などの概念が経験的道徳論の基礎概念とされた次第を解明しようとするものである。
著者
井口 正俊 Masatoshi IGUCHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
国際文化論集 (ISSN:09130756)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.1-22, 2005-08

*「踊りにおいてだけ,至高なるものの比喩を語ることが出来ることを私は知っている,しかし今は,私の最も高貴なる比喩は語られずに,私の身に残り続けている!最高の希望は,語られもせず,救済されることもなく私の中に残存し続けていた!そして,私の青春の面影と慰めの言葉は私にとってすべて死んでしまった。……しかし,墓のあるところに,復活もまたあるのだ」(ニーチェ『ツァラトウストラはかく語りき』第二巻「墓の歌」)*「終末論の世俗化に代わっての終末論による世俗化」(H・ブルーメンベルク『近代の正統性』Ⅰ-4)*「誰が語っているか,あるいは誰が書いているかがもはやわからなくなるや,テクストは黙示録的になる」(J・デリダ『哲学における最近の黙示録的語調について』)

1 0 0 0 OA 宇宙哲学

著者
襄希斯克 著
出版者
西村茂樹
巻号頁・発行日
vol.第1冊, 1800
著者
森 哲彦
出版者
名古屋市立大学
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-14, 2008-12-23

カントの哲学フレーズに「人は哲学を学ぶことはできない...ただ哲学することを学びうるのみである」(B866)とある。カントのいうこの「哲学を学ぶ」とは、知の認識偏重に対する諫めのことで「哲学すること」とは、哲学を通しての思考を求めていることである。カントも前批判期で苦闘して道を開いたように「哲学すること」は、哲学と哲学史の相互関係問題でもある。つまり「哲学すること」にとっては、誰かの根源的なものを問う哲学や人間社会の現実を思考する思想を手掛かりとして、歴史的に対話することが問題となる。従って「哲学の過去に立ち戻ることは、常に同時に哲学的自己省察と自己反省という行為でなければならない」といえよう。さて十八世紀後半のカントが課題とする理性、人間、人格、平和、啓蒙、多元主義をめぐる諸問題は、今日的課題とある種の類似関係がある、と思われる。そうだとするとこのような問題意識を自覚するために、本論では、カント批判哲学の理性哲学、実践哲学、美学、宗教哲学、そして人間学を解明るものである。なおカントは、今日に至るまでドイツや日本のみならず世界的にも、多くの市民により、高く評価されてきている。では人々を引き付けて止まないカントの偉大な精神とはなにか。まず第一は、批判の精神といえよう。カントの批判精神は、恣意的、独断的見解や懐疑的見解を退け、厳密な思考により、対象を全体的な関連から明晰に解明する。つまり批判とは「書物や体系の批判のことではなく、理性が全ての経験に依存せずに切望するべく全ての認識に関してのことであり、従って形而上学一般の可能性もしくは不可能性の決定、この学の源泉、範囲、限界を規定」(AXII)することにより、普遍的なものを求める精神である。第二は、人格尊重の精神である。カントによれば、理性的存在者としての人格は、相対的価値しかもたないものから区別され、目的自体として絶対的価値をもつとする。つまりカントは、人間尊厳の根拠のために、普遍的な道徳的法則を立て、理性自ら立法する自律的、理性的人格を確立する。その理性的人格は、良心の声、絶対的な道徳の声、道徳的義務の声を要請する。そしてこの道徳的義務の使命を発するところの人間を尊ぶカントの人格主義が、カントの名を不朽のものにしているのである。
著者
宋 偉男
出版者
政治哲学研究会
雑誌
政治哲学
巻号頁・発行日
no.18, pp.64-88, 2015-02-28
著者
松本 茂 山脇 直司 青沼 智
出版者
日本コミュニケーション学会
雑誌
スピーチ・コミュニケーション教育 (ISSN:13470663)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.33-58, 2007-03-31 (Released:2017-11-30)

これまでコミュニケーション教育(教育におけるコミュニケーションを含む)の実践に関する哲学的・理念的討議があまりに少なかったという認識に基づき、「CAJコミュニケーション教育研究会」は、コミュニケーション教育が立脚すべき理念・哲学・理論の可能性を、コミュニケーション学および隣接する学問分野の専門家との対話によって模索しております。コミュニケーション教育科目を担当する講師が、それぞれの経験則に基づいて無批判に話し上手・聞き上手を育てていくということの繰り返しを省察し、理念的・哲学的・理論的な討議を通じ、地に足の着いたコミュニケーション教育の実践のための基盤作りを目指しております。今回の特別パネルでは、公共哲学の第一人者の山脇直司氏をお迎えし、公共の概念、公共哲学が目指しているものなどについて語っていただいた後に、指定討論者、そして参加者の皆さんとともに、「公共性」「パブリック」という視点から公共哲学とコミュニケーション教育との接点を探りたいと考えました。大学等でPublic Speakingを教えている方に、publicをどう捉えたらよいのかといったことを考えていただくきっかけにもなると考えました。また、コミュニケーション研究者およびコミュニケーション教育実践者であるわれわれが、公共哲学の第一人者とパブリック・コミュニケーションを実践する場としても捉え、特別パネルを開催しました。