著者
上野 修
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.65, pp.56-72_L6, 2014-04-01 (Released:2016-06-30)
参考文献数
7

The infinite was a common metaphysical concern of Spinoza and Leibniz. According to the Aristotelian definition the infinite that always has “something outside it” has only potential existence while the infinite that has “nothing outside it”could have no actual existence, since something that has nothing outside it must be complete and a limited whole. Both Spinoza and Leibniz made an attempt to conceive the former actually infinite in virtue of the latter Eleatic infinite, though in quite different manners. Leibnizian solution to the problem consists in integrating the infinite series of details of the world into a perspectival view from a “metaphysical point”, a Monad. Each Monad, a simple substance unique, is complete and whole yet infinite in that it expresses the infinite details of the whole universe in its spacial and temporal perspective. Godʼs perspective is like a overhead view that integrates the infinitely many Monadʼs views. Spinozaʼs solution on the other hand consists in making infinite causal chains of individuals into the infinite mode of a substance, God or Nature, which is infinite itself in that it has nothing outside it. The contrast is striking. Like infinite series in mathematics leibnizian series converge at the point at infinity so as to make up a consistent whole (the sufficient reason which is outside the series) while spinozan infinite series stand by themselves and have no need for outside, for the actual infinite series of individuals are produced in such a way that an individual is determined to exist and produce an effect by another, which again is determined to exist and produce an effect by another, ... et sic in infinitum. Spinoza identifies as Godʼs actually infinite intellect the actual infinite series of ideas strictly identical to the series of individuals. Spinozan God has no overhead view nor memory in producing by its necessity infinite sequences, whose actual necessary existence Spinoza calls aeternitas. This was surely a disconcerting system for Leibniz who held God as the warrant for the identity of the actual world as the best possible world He had chosen.
著者
竹田 健二
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.48別冊, pp.77-84, 2015-02-27

台湾フェローシップへの申請が採択された筆者は、2013年3月から8月までの半年間、国立台湾大学哲学系において海外研修を行った。台湾フェローシップ採択者には、国立台湾師範大学国語教学中心において3ヶ月間中国語を学習する機会が与えられることから、筆者はこの機会を利用してあらためて中国語を学習した。本稿は、その体験についての報告である。
著者
牧野 英二
出版者
法政大学文学部
雑誌
法政大学文学部紀要 (ISSN:04412486)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.1-20, 2017-03-30

Today wars and conflicts remain ongoing on a global scale, and the political situation in East Asia is as tense as it was before the outbreak of the Sino-Japanese War in 1894. The current world situation appears to require a re-emergence of the perpetual peace envisioned by Immanuel Kant in 1795. However, his philosophy and theory of perpetual peace are no longer valid in theircurrent form against the background of today's globalization and the resulting intricate intertwining of international relations. Accordingly, this paper reviews the theory of perpetual peace from the perspectives of (1) ascertaining whether the theory predicted the general trends observed in modern society, and (2) identifying contemporary issues that extend beyond the frame work of the theory. The paper first elucidates the significance and roles of the theory in philosophical studies in Japan, with focus on those of Kant. This is followed by a discussion on the history of controversies over the theory in Japan and a look at their historical significance in relation to social and ideological backgrounds. The paper then clarifies the significance of studies on the theory of perpetual peace in Japan in the present context and outlines related challenges.The following major points of discussion are addressed here: (1) whether Kant's argumentregarding a world republic in the theory of perpetual peace contradicts that regarding the philosophy of perpetual peace described in his other treatises, particularly "The Metaphysics of Morals"; (2) whether Kant was philosophically convinced of the feasibility of perpetual peace or whether such feasibility was an expression of religious hope; (3) the question of what guaranteesthe realization of perpetual peace: (a) God or providence, (b) the intention of nature(Naturabsicht) or natural mechanisms, or (c) moral practice by humans; (4) why in the theory of perpetual peace Kant proposed a league of nations as the negative surrogate of a world republic, and whether the argument is rational; (5) how the relationship between the theory of perpetual peace and issues of justice should be interpreted; and (6) whether the views expressed in the theory are still useful today. Lastly, the paper clarifies the significance of the theory of perpetual peace in the present context as follows: First, the theory is inseparable from today's theory of justice. Second, ideasabout the theory do not allow holy war — which destroys peace in the name of justice — from the perspective of global justice. Third, a theory of justice has been examined from a variety of perspectives, which has in turn made the subject a battlefield for discussions. In any case, studies and assessment of the theory of perpetual peace offer some important ideas for the peace andstability of the international community.

1 0 0 0 OA 東洋史綱要

著者
小柳司気太 述
出版者
哲学館
巻号頁・発行日
vol.下編, 1898
著者
福岡 義隆 丸本 美紀
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに<br> 日本では福井(1933),関口(1959)の区分をはじめ,鈴木(1962)や吉野(1980)らによる種々の気候区分図が考案されているが,各種の気候図にみる瀬戸内気候の範囲は微妙に異なっている。瀬戸内沿岸はGISによる環境容量図などでも特異な位置づけにある。しかし,瀬戸内気候についての定量的な評価はいまだされてない。本研究では福井英一郎(1966)による地中海気候発達度の計算法に倣って瀬戸内気候の発達度を算出することを試みた。一方,ローマやギリシャなどの高度な文明を生んだ地中海気候のように,奈良や京都の古代文明が瀬戸内気候のたまものかどうかを再認識するために,奈良と京都の瀬戸内気候度を求めることを試みた。局地気候災害的には旱魃の奈良の方が洪水の京都よりも瀬戸内気候度が高いと予想される(丸本,2014)が,そのことを確証付けてみたい。本研究の真の目的は福井気候学の哲学を再考・再興することにもある。<br>2.&nbsp; 研究方法<br> 福井英一郎編著『日本・世界の気候図』(1985)のうち,年平均散乱比図,年降水量図,年合計流出高図,郡別干害率図の4図における瀬戸内気候区の範囲(瀬戸内海沿岸線に平行に走る等値線など)を重ね合わせてみた。次に,『The Climate of Japan』(Ed.E. Fukui, 1977)に掲載されている気候区分図(関口武による図,1959,ソーンスウエイト法による気候区分図,1957)と対照させ,瀬戸内気候区の範囲を特定してみた。それらの定性的な分布をより定量的に評価するための福井(1966)の地中海発達度における三角関数を適応させてみた。瀬戸内沿岸では夏季の降水量に対して8月降水量がかなり少ないという特性から考えて,本研究では地中海気候発達度のtan&theta;を6-8月降水量R<sub>s</sub>に対する8月降水量R<sub>8</sub>の比で表わした。対象地域については,福井,岐阜,名古屋,津,和歌山,奈良,大阪,彦根,京都,神戸,岡山,広島,米子,松江,下関,高松,松山,徳島,高知,福岡,大分の21地点を選び,各地方気象台における各月降水量の1954~2014年平均値を使用した。m=瀬戸内気候度,&nbsp;<br> 3. 研究結果<br>関口の気候区分図では奈良盆地が瀬戸内気候区内,京都盆地は区外となっている。4つの気候要素の等値線は第2図のとおり瀬戸内気候区分内に収まっている。<br>&nbsp;瀬戸内海沿岸の主要都市の瀬戸内気候度mについては,値が大きい順に松山92.3,広島91.6,大阪・岡山・神戸・下関で90.0であった。奈良のmは87.3,京都は86.4であり,瀬戸内気候度は,奈良盆地が京都盆地よりも大きく,すなわち奈良の方がやや夏乾燥であることが示された。
著者
奈須 祐治 ナス ユウジ NASU YUJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学法学論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.133-186, 2016-03

本稿は,ジョン・ポール・スティーブンズ(John Paul Stevens)の法理論を検討する予備作業として,そのバイオグラフィを描出するものである。スティーブンズは1975年12月19日から2010年6月29日まで,34年を超える長期にわたって連邦最高裁の陪席判事を務めた。なぜこのアメリカの一判事を日本で紹介する必要があるのか。これにはいくつかの狙いがある。まず,日本の憲法学におけるアメリカ法研究はかなり蓄積しているものの,個々の裁判官のバイオグラフィにまで立ち入って,その司法哲学を研究する業績はいまだ少ない。アメリカ連邦最高裁判決の法廷意見は,通常1人の判事によって執筆され,その判事の司法哲学や方法論が解釈論に強く反映することが多い。そして,個々の裁判官の司法哲学や方法論を知るために,そのバイオグラフィを調べる必要がしばしば生じる。アメリカで個々の裁判官の分析が以前から盛んに行われているのはそのためである。アメリカ法研究が相当に深化したわが国においても,そのような研究を進める必要がある。それではなぜスティーブンズなのか。アメリカ連邦最高裁の判事には優れた業績を残した者が多く,どちらかと言えばスティーブンズは日本では有名ではない。しかし,その方法論,及び実体的な憲法解釈論は魅力的で,日本において詳しく紹介する価値が高い。方法論について言えば,スティーブンズは硬直的で柔軟性を欠く審査基準・テストを用いる最高裁多数派と真っ向から対立し,柔軟な方法論を用いてきた。この方法論はドイツやカナダ等で用いられる比例原則に近いもので,日本の最高裁の審査手法とも類似している。この点でスティーブンズは「異端」であるが,スティーブンズの方法論を触媒にしてアメリカの判例を再読することにより,アメリカの法理を日本に応用することがより容易になる。また,最近アメリカにおいて,スティーブンズの方法論を支持する立場から,そもそも最高裁多数派が硬直的な審査基準・テストを額面通りに用いていないのではないかという指摘もなされている(e.g.,Fleming 2006, at 2311; Araiza 2011, at 939-42)。それが事実であれば,スティーブンズは常に異端であったわけではなかったことになる。むしろスティーブンズの意見の検討により,アメリカの判例を正しく読み直すことができるのである。スティーブンズの実体的解釈論も非常に興味深い。後に触れるように,スティーブンズは,貧しい人々や人種的・民族的マイノリティ等の社会的弱者を包摂する,公正で開かれた民主政の構築に尽力してきた。また,スティーブンズは憲法第5及び第14修正に規定された「自由(liberty)」を根拠に,自己決定権を広く保障する立場に立ち,早くから同性間の性行為の自由を規制することが違憲であるとする判断を示していた。さらには「自由」の背景的価値に「尊厳(dignity)」を読み込み,受刑者等の弱者の権利を強く保障する意見を数多く執筆してきた。また,スティーブンズは徹底して手続的公正にこだわり,権力に対する拘束を重視してきたことでも知られている。激しい格差が存在し,いまだ黒人を初めとするマイノリティの地位向上が満足に進まない現在のアメリカ社会を見れば,このような弱者の権利を強く保障しようとするスティーブンズの憲法解釈は,合衆国憲法を進歩的に解釈する試みとして注目される。実際に,スティーブンズは制定者意思を重視する原意主義(originalism)を強く批判し,憲法を社会の変化に合わせて柔軟に解釈する姿勢をはっきりと示している(Amann 2012, at 751)。こうしたスティーブンズの解釈論を検証することにより,近時ますます保守化が進んでいると言われる連邦最高裁の判例法理の問題点を浮き彫りにすることができるだろう。スティーブンズの法理における,方法論と実体的解釈論の連関にも注意が必要である(Eisgruber 1992, at 33)。たとえば連邦最高裁において,日本国憲法解釈としても受容されている表現内容規制/内容中立的規制二分論が法人による選挙運動資金の支出を広く認めるために用いられたり,マイノリティの地位を向上するために打ち出されたアファーマティブ・アクションに,人種的マイノリティを差別する法令に用いられる厳格審査が適用されたりすることがあった。これに対し,硬直的な法理を用いることが進歩を妨げうることをスティーブンズは鋭敏に認識してきたように思われる。これまで日本のアメリカ憲法研究の多くは,連邦最高裁多数派のとる硬直的方法論を支持していたように見受けられる。スティーブンズの意見の検証により,こうした方法論をわが国に導入することが大きな問題を生じかねないことを明らかにできるのではないだろうか。以上のような認識の下,筆者はスティーブンズの経歴,司法哲学,方法論及び実体的な憲法解釈論について詳細に研究を進めることとした。本稿ではまずスティーブンズの経歴を検討することとし,別稿において順次,その方法論,そして実体的解釈論の検討へと移る。スティーブンズは,ロー・スクールに入学するまでは波乱に満ちた人生を送っている。そして,それ以降はまさに典型的なエリートのキャリアを辿った。スティーブンズのバイオグラフィを調べてみると,人生の各段階において法解釈の手法や憲法観に影響を与える事件や出会いがあったことが分かる。スティーブンズのバイオグラフィはアメリカにおいて詳細に分析されてきたが,本稿ではそのような先行業績に依拠しつつ,特に重要な事項に絞って叙述していきたい。
著者
実川 敏夫
出版者
東京都立大学哲学会
雑誌
哲学誌 (ISSN:02895056)
巻号頁・発行日
no.55, pp.47-78, 2013-03-25
著者
西尾 浩二 西尾 浩二
出版者
京都大学
雑誌
古代哲学研究室紀要 : hypothesis : the proceedings of the Department of Ancient Philosophy at Kyoto University (ISSN:0918161X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.40-51, 2002-02-28

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。
著者
飛田 勘文 ヒダ ノリフミ Norifumi HIDA
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.38, pp.93-112, 2017-03-31

1882年に日本人初の女子留学生の山川(大山)捨松が「英語演劇クラブ」を創設し、日本に英語劇(英語教育における教育方法としての演劇)を紹介して以来、日本には約135年の英語劇の歴史がある。ところが、日本の英語劇の歴史について調査した研究は少ない。そこで、本研究は、日本の学校や大学の英語劇、とくに教育課程の英語科における英語劇の内容と指導方法の変遷について調査し、分析を試みた。 調査にあたって、日本の英語劇の歴史を3つの期間に分類した。第1期(1930~1970)、英語教師は、「英語で考える」という目的のもと、主に児童中心主義教育の哲学とハロルド・E・パーマーのオーラル・メソッドを土台にして英語劇の実践を展開した。第2期(1970~2000)、英語教師は、「表現・コミュニケーション」という目的のもと、主にコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングを土台にして英語劇の実践を展開した。第3期(2000~現在)、英語劇を活用する英語教師の間に共通する哲学や理論といったものは見られないが、彼らは、異文化・国際理解、多文化共生、グローバル人材などを目的として英語劇の実践を展開している。 本稿は、第1期と第2期をとりあげる。第1期と第2期の英語劇を通して分析してみると、第1期から第2期にかけて①英語劇の焦点が個人から個人の外側(外の世界)に移行している、②英語劇が開発を試みる学習者(人間)の諸相の範囲の拡大している、③英語劇が扱う演劇の形式や技法の種類が増加している、④英語劇の指導における児童中心主義の傾向が強くなっていることが分かる。
著者
神山 四郎
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.104-107, 1963

批評と紹介
著者
名須川 学
出版者
筑波大学
雑誌
哲学・思想論叢 (ISSN:02873702)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.103-109, 2002-01

デカルトは、通常の哲学史においては近代合理主義哲学の祖として、理性を手放しに信頼していたかのように紹介されている。この様なデカルト像に基づくならば、例えば、彼は一六三七年に出版した『方法序説』の第3部において ...