著者
中見 立夫
出版者
JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.1980, no.66, pp.109-127,L5, 1980-11-05 (Released:2010-09-01)
参考文献数
69

The purpose of this article is to clarify China and Russia's attitudes toward the Russo-Chinese negotiation concerning Mongolia in 1913.In 1911, the Mongols declared independence, and organized the Bogdo Khan government. Bogdo's Mongolia aimed to be a comlete independent state which united all Mongolians. However, Russia, just after the Mongol declaration of independence, aimed at creating an Autonomous Outer Mongolia. Opposed to these, China categorically opposed to the independence or autonomy of Outer Mongolia, but consented only to abolish the “New Policy” and reinstate the old Ch'ing administrative system in Mongolia.At first, Russia planned to mediate between Mongolia and China, but abandoned the plan because of China's over bigoted attitude. Then, Russia changed her attitude toward establishing a tentative diplomatic relations by concluding an agreement with Mongolia. Russian aim was to force China into negotiation with Russia.The Russo-Chinese negotiation concerning Mongolia, as Russia wished, was started in Reking in November 23, 1913, just after the Russo-Mongolian Agreement of November 3, in which Russian rights and interests in Outer Mongolia were widely recognized. In this negotiation, Russia, in exchange of her support of China's suzerainty over Mongolia, demanded China to recognize Outer Mongolia's autonomy and the validity of the Russo-Mongolian Agreement. China not only refused to recognize the Russo-Mongolian Agreement, but also demanded Russia to confirm China's sovereignty over Mongolia. Moreover, China wanted only to continue the old administrative system in Mongolia. The negotiation, once, was about to be settled. However, China's inordinate persistence to the reinstatement of the old system in Mongolia brought the rupture of the negotiation.Mongolia herself, kept an eye on the Russo-Chinese negotiation about her future status, and demanded Russia for Mongolia's participation in any negotiation which concern her fate.After an interruption, the Russo-Chinese negotiation was held again on September, 1913. Russia, at this negotiation, sought to establish only the principles to resolve the problems concerning Mongolia between China and Russia. The final settlement of the questions was to be entrusted to a future conference among Mongolia, Russia and China.In November 5, 1913, the Russo-Chinese Declaration was signed. The content of this declaration was that China gave up the reinstatement of the old regional system in Mongolia and confirmed the new one or the Autonomous Outer Mongolia under China's suzerainty. At th same time, the declaration also proclaimed the begining of the so-called Tripartite conference among Mongolia, Russia and China for the final settlement of the Mongol problems.
著者
井上 英治
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement 第22回日本霊長類学会大会
巻号頁・発行日
pp.81, 2006 (Released:2007-02-14)

複雄群を形成する霊長類で、第一位オス(αオス)は、雌へ近接する優先権があり、繁殖に有利であるとされる。しかし、オスの順位は一時的な状態であり、雄の一生を通じて、高順位になったオスが高い繁殖成功が得られているかはわからない。本研究では、αから陥落した雄の一年間の動向から、αオスのリスクについて検討した。タンザニア、マハレ山塊国立公園にて、2004年10月から2005年9月までMグループを観察した。2004年10月時点で、FNはαオスから陥落しており、Mグループの遊動域内を遊動していた。調査中、調査助手や他の研究者を含め、FNを観察できた日は、たったの45日であった。個体追跡した日は23日で、そのうち19日で他の個体と出会った。雌とのみ出会った日は一日のみで、多くの場合で雄と出会った。このうち、MAという同年代のオスと最もよく出会い、2頭だけでいる日もあった。一方、現αオスのALとはあまり出会わなく、ALと出会った日は、合計して5頭以上のオスと出会った日であった。また、発情メスと出会いその発情メスが他のオスと交尾した日は2日のみで、いずれの日もFNは交尾をしなかった。このように、FNは群れの他個体と過ごす日数は少ないが、群れの遊動域内に留まっているようであった。これは、成熟したオスが移籍できないためであろう。仲のよいオスを中心に多くの個体と一緒にいることはできるが、現αオスといることは難しいようであった。このために、他個体と常に行動をともにできないのであろう。また、発情メスがいると騒動が起こる可能性があるので、発情メスがいるときには、群れのメンバーと会わないようにしているのかもしれない。このような状態が長く続くようであれば、生涯繁殖成功を考えたときに必ずしもαを経験したオスが有利とはならないのかもしれない。

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1909年01月18日, 1909-01-18

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1934年04月05日, 1934-04-05

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1923年07月17日, 1923-07-17

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1920年09月24日, 1920-09-24

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1912年09月27日, 1912-09-27

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1936年03月25日, 1936-03-25
著者
藤原 茂樹
出版者
慶應義塾大学藝文学会
雑誌
芸文研究 (ISSN:04351630)
巻号頁・発行日
no.77, pp.86-102, 1999

正月十六日宴・踏歌・新薪奈良時代踏歌の俯瞰内教坊踏歌踏歌・歌儛所・皇后宮踏歌の禁制まとめにかえて井口樹生, 高山鉄男両教授退任記念論文集
著者
武田 廉 五十嵐 達也 大熊 彩 小山 智寛 星野 雄哉 宮田 一弘
出版者
日本理学療法士学会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
pp.11785, (Released:2020-08-11)
参考文献数
32

【目的】急性期脳卒中患者におけるMini-Balance Evaluation Systems Test(以下,Mini-BESTest)の妥当性,信頼性,反応性,解釈可能性を検討した。【方法】対象は脳卒中患者 42 名とした。Mini-BESTest と他の評価尺度の相関関係,内的一貫性,既存のバランス評価尺度との変化量の相関関係,および歩行自立度の判別精度を検討した。【結果】バランスおよび他の類似概念の評価尺度と有意な相関(r=0.36 ~0.83)を示し,内的一貫性も良好(α=0.88)であった。Mini-BESTest と既存のバランス評価尺度の変化量は有意な相関(r=0.84)を認めたが,歩行自立の判別精度は低かった。【結論】Mini-BESTest は妥当性,信頼性,反応性,解釈反応性を示し,急性期脳卒中患者に対するバランス評価尺度として妥当な尺度であることが示唆された。
著者
Yang­-yang Cui Qing Cai Zhu L Yang
出版者
The Mycological Society of Japan
雑誌
Mycoscience (ISSN:13403540)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.29-35, 2021-01-20 (Released:2021-01-20)
参考文献数
46
被引用文献数
4

Amanita chuformis, a new species in the A. pseudogemmata-A. ballerina subclade of Amanita section Phalloideae, is described from China with both multi-gene phylogenetic and morphological data. This species occurs in subalpine coniferous forests in southwestern China and is characterized by its brownish pileus decorated with conical to patch-like volval remnants, a slightly striate pileal margin, a marginate basal bulb, and weakly amyloid to amyloid, subglobose to broadly ellipsoid basidiospores measuring 9.5–11 × 8–9.5 μm. Phylogenetic analyses based on internal transcribed spacer (ITS) region, the nuclear ribosomal RNA large subunit (nrLSU) and the genes for the polymerase II second largest subunit (RPB2) and for translation elongation factor 1-α (TEF1α) indicate A. chuformis is close to A. pseudogemmata and A. levistriata. The new species is described, illustrated and compared with closely related and similar species.
著者
高橋 美知子 TAKAHASHI Michiko
巻号頁・発行日
2008-03-25

本論文の目的は,Kohut 理論に基づいた自己愛の2側面に視点をおき,高校生の自己愛傾向の下位側面と親子関係との関連が,学校生活への適応状態にどのような影響を及ぼすのかを解明することである.このKohut 理論における自己愛障害の特徴とは,自己顕示的で共感性を欠き,他者から批判的・無視的に扱われた場合に憤怒が生じるという誇大的な側面と,心気的で,自己のまとまりの脆弱化・断片化,他者への過敏反応,傷つきやすさと抑うつが認められる側面である.この本質は,心理的安定性の欠如や自己評価を維持する心理的機能の脆弱さから生じるところの傷つきやすさであるとされている.ゆえに,自己愛者は,他者からの肯定的な評価を強く求め,他者を理想化するのである.この自己愛障害に至る要因として,早期幼児期における母親からの応答の不十分さがあると考えられている.まず,本論文の第1章では,自己愛の理論的概念としてFreud の自己愛を系統的に論じ,Freud からFreud 以後へ,そして,Kernberg の対象関係論における自己愛とKohut の自己心理学からの自己愛を論じている.これらの自己愛の諸理論を概観して明らかとなったことは,現行の自己愛人格障害は,過度に強調された誇大性,傲慢さ,搾取性,共感性の欠如などとして定義づけされていることである.だが,近年,問題視にされている2種類の自己愛人格障害を探るには,この定義では困難さがあると思われる.最近は,DSM-Ⅳ(APA)の診断基準マニュアルによってその診断は可能となったといわれるが,自己愛の障害が対象関係における障害ならば,その自己愛の障害も異なると考えられる.つまり,過敏な対人関係を持つならば,自己の能力や力を抑制することが,対人関係における挑戦や傷つきからの防衛方策となっているはずである.その反面,抑圧された自己顕示や承認・賞賛への欲求は,他者評価に大きく依存することになり,自己への幻想的な全能感という自己イメ-ジをもたらしている.さらに,彼らは理想自己像と現実自己像のずれも感じ取っているので,自己への不信感も強く持っている(鑪,2003).この過敏なタイプの自己愛が生じる要因として過保護で密着型の養育態度が指摘されている(町沢,1998).また,最近は希薄な対人関係も問題視されている.そして,彼らは,傷つきやすい自己愛的な万能感を維持するために,外界との現実的な接触をなるべく避けるという行動をとることになる.このようなことから本論文では,Kohut 理論を基にして,自己愛が高揚する時期であるとされる高校生を調査対象として高校生の自己愛傾向と関連要因を実証的に研究する.第2章では,本論文の全体的な目的としては,Kohut 理論に基づく自己愛障害の中核的指標は,自然な自己顕示性を表出できないことや傷つきやすさを伴うことである.そこで2種類の自己愛からなる自己愛尺度を高校生用に再構成し,高校生用自己愛尺度の信頼性と妥当性を検討する.さらに,高校生における自己愛傾向の下位側面の特徴を明らかにし,自己愛傾向と自己および他者との関係を検討する.すなわち,自己愛傾向の諸特徴が学校生活へ及ぼす影響について検討することで,学校不適応に至る一つの要因を探る.最後に,先行研究では,自己愛の障害に至る関連要因として親の養育態度が論じられており,親の養育態度が学校生活の適応に及ぼす影響について検討する.第3章の[研究1]では,Kohut 理論を基に作成された鈴木(1999)の自己愛尺度を再検討した結果,誇大的な側面と過敏な側面を意味するものであった.さらに[研究2]では,一部の項目内容を平易なものにするとともに傷つきやすさの項目を加えて再構成し,高校生336 名(男142 名,女194 名)の自己愛傾向を調査した.そして探索的因子分析の結果,「対人過敏性」「回避性傾向」「自己愛的な怒り」の3因子構造が確認された.これらの因子は,内的整合性も十分に示されていた.また,MPI の下位尺度との有意な正の相関も見られ,傷つきやすさを伴う2種類の自己愛傾向を測定するうえで一定の妥当性があることが確認された.この自己愛傾向の下位側面が意味するものとして,「対人過敏性」は他者からの批判や嫌われることを恐れる内容を表し,「回避性傾向」は感受性の鋭さから人とのかかわりを避けようとする内容で,これらはともに対人関係における過敏さを示す自己愛傾向であった.また,「自己愛的な怒り」は,自己愛が満たされないときの怒りを表し,誇大的で傲慢な自己愛傾向を示していた.第4章の[研究3]では,高校1年生593 名(男子229 名,女子364 名)の自己愛傾向と承認欲求,学校生活満足感との関連を検討している.[研究2]で作成した自己愛傾向尺度に確認的因子分析を行った結果,3因子構造になることが認められた.相関関係の結果として,男子では,「対人過敏性」得点が高いほど,学校生活での不安や緊張などの不適応感が高くなることが示された.女子では,「自己愛的な怒り」得点が高くなるほど,学校生活で不安や緊張感が高くなることが示された.また,男女とも,「回避性傾向」得点が高くなるほど,学校生活での承認感は低く,不安や緊張感が高くなることが明らかにされた.パス解析の結果からは,自己愛者の他人に認められたい,評価されたいという強い欲求は,誇大的な自己愛から過敏な自己愛を介在することによって,恥や傷つきやすさの意識を伴うのか,男女ともに,「学校生活における満足感」を抑制する要因になることが示された.さらに,過敏な自己愛傾向の男子は,小塩(1998b)の結果と同様に,賞賛・承認欲求が強く,自分への肯定感覚とその感覚を維持したい欲求を持っていることが示唆された.第5章の[研究4]では,高校生300 名(男子104 名,女子196 名)を調査対象として,学校への強い忌避感情に焦点をあて,自己愛傾向と基本的信頼感との関係について検討した.学校嫌い感情の3群別(高群,中群,低群)で多母集団の同時分析を行った結果,「学校嫌い感情」の高群や中群では,誇大性を伴う過敏で傷つきやすい自己愛傾向と基本的信頼感に強い負の関連があることが明らかとなった.したがって,学校忌避感情が強くて自己愛傾向の高い生徒が持つ自己への信頼感と他者に対する信頼感は,安定性を欠いたものであることが示唆された.このように自分自身の主体性が動揺しやすいことは,いつも不安を感じる状態であり,これが学校生活への適応に負の影響を与えることになると考えられる.第6章の[研究5]では,高校生700 名(A高校259 名:男子103 名,女子156 名;B高校441 名:男190 名,女251 名)の自己愛傾向と親の養育態度,学校生活満足感がどのように関連しているのかを検討した.相関関係の分析から,両親の受容的な養育態度は,直接的には学校生活での満足感へ正の影響を及ぼすことが明らかになった.そして,各尺度を学校群(A 高校とB 高校)と男女の4群別にして多母集団の同時分析を行ったところ,両親の受容的な養育態度が,誇大的な自己愛傾向から傷つきやすさを伴う自己愛傾向を介在する場合には,学校生活での満足感へ負の作用をすることが明らかとなった.また,両親の受容的な養育態度が直接的な影響を及ぼす場合には,学校生活満足感へ正の影響を及ぼすことが示された.さらに,回避的な自己愛傾向を抑制し,学校生活へ適応させるには,女子では父親の受容的な養育態度が重要であることも示唆された.第7章では,本論文の総括的討論を行った.[研究1]から[研究5]までで検討された高校生の自己愛は,自己愛の2側面の特徴を示すことが明らかとなった.そして,これらの自己愛は表裏一体であり,その表面化している側面の裏に,もう一方の側面が潜んでいることが推測された.したがって,妥当な「自己評価」として自己を肯定的に捉えることができないために,自己評価を保証してくれる他者を必要として,承認欲求が強いことが示されたのである.さらに,本研究における自己愛傾向者は,親から情緒的で共感的な養育をされていないことも考えられた.それは自己評価を安定させるために,他者からの肯定的な評価をいつも求めているからである.すなわち,彼らのなかに誇大性としての優越感や特権意識があるからこそ,周囲からの特別な配慮を求めるのである,これに対して他者が否定的・無視的な態度をとった場合には,過剰な怒りを生じさせることになる.ところがその一方で,自尊心の低さ,空虚感,心気的傾向などが存在するのか,他者に対する過敏反応や傷つきやすさとして表されていると考えられた.以上のようなことが学校生活への適応を抑制するように作用していることが示唆されたといえるのである.本研究の今後の研究課題としては,調査対象者が特定地域の高校であったために,これらの結果をすぐに一般化することはできない.そのため,今後は,大規模なサンプリングと発達段階的な調査を実施することが求められる.また,基本的信頼感と親子関係の結果は,一定の範囲で支持されているが,一方向からの検討であるために十分とはいえないであろう.双方向からの検討は,他の関連変数の究明も含めて今後の課題である.さらに,教育現場では,自己愛傾向が高く,学校不適応に陥っている生徒に対する具体的な援助方法を明らかにすることが必要となる.