著者
藤本 猛
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.261-293, 2015-09

It is said that the eunuchs dominated the latter half of the Huizong reign, but the actual situation is unclear. Some records claim that their ascendancy was related to government conducted through imperial edicts written by the emperor himself (御筆). I have therefore examined the eunuch posts associated with the Xuanhedian 宣和殿, or Ruisidian 睿思殿 within the imperial court (禁中) where imperial edicts were written by the emperor himself, and also the other eunuch posts, such as the Lianfangshizhe 廉訪使者 at local governments and the Chengshouguan 承受官, established at many central government offices. Firstly as the result of an examination of the Zhi-Ruisidian 直睿思殿 and Zhi-Xuanhedian 直宣和殿, to which many higher-ranking eunuchs were appointed, we see that the establishment of these posts was a part of the reorganization of military officers carried out in 1112, and thanks to these changes, higher-ranking eunuchs could enter the Imperial Court. And then the Wenzi-waiku 文字外庫 of the Ruisidian, which was the management office of Administrative Documents in the Imperial Court, received reports to the throne, and the Shichen 使臣 who were able to write official documents that were released by emperor were stationed there. Caozu 曹組, one of these Shichen, was a famous writer of ci 詞who was discovered by Emperor Huizong himself. Zouma-chengshou 走馬承受, the predecessor of the Lianfangshizhe, had been established in frontier areas and supervised warriors. Emperor Huizong expanded their right to audit accounts of local governments and changed the name of the office. The Lianfangshizhe later became one of the Jiansi 監司. The Chengshouguan 承受官 were liaison officers between government offices and the Imperial Court, and some of them dominated the offices they held. The appearance of this post made possible the concentration of information from government offices at the Imperial Court. All these eunuch posts were established during same period and improved the capacity of the Imperial Court to administer the government. They did not advance the interests of the eunuchs, but supported the system of direct administration by Emperor Huizong.
著者
藤本 猛
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.261-293, 2015-09
著者
花崎 憲子 志垣 瞳 辻 郁代 山本 山美 池内 ますみ 奥田 展子 川井 考子 瓦家 千代子 澤田 崇子 深蔵 紀子 升井 洋至 丸山 悦子 水野 千恵 山下 英代 川田 克子 横溝 佐衣子 四谷 美和子 冨岡 和子
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.71-76, 2004

関西における煮る調理に関する実態を把握することを目的として,2000年10月に,関西の大学・短大の学生を通してその家雄の調理担当者を対象にアンケート調査を行い,煮ものを食べる頻度,家庭で作る頻度,購入する頻度,作る煮ものの種類と使用される調味料などについて検討した. 得られた結果は次の通りである.(1)調理に費やす時間は,朝食は短く,夕食には時間をかけていた.(2)煮ものを食べる頻度および家庭で作る頻度は,いずれも「週3~4回以上」が多く60%を占めた.また,夕食の調理時間が長いほど煮ものを作る頻度が高くなることが認められた(ρ<0.001).(3)煮ものを「食べる頻度」「家庭で作る頻度」と年代との関係は,10,20歳代の若い年代層はともに低く,親の年代層は高かった.(4)家庭で作る煮ものでは,「肉じゃが」「かぼちゃの煮もの」「煮魚」「ひじきの煮もの」「筑前煮」「だいこんの煮もの」が多く,購入する煮ものでは「ひじきの煮もの」「おからの煮もの」「だいずの煮もの」が多かった.(5)煮ものの調味料は「基本調味料」が71%,「市販混合調味料」が1 0 % , 「使い分ける」が1 9 % であった.(6)煮もののだしは,「だしをとる」より「だしの素を使う」人が多かった.(7)煮ものに使う醤油としてこいくちは「豚の角煮」「牛肉しぐれ煮」「煮魚」「ひじきの煮もの」「ぜんまいの煮もの」「なすの煮もの」など,うすくちは「高野豆腐の煮もの」「えんどうの煮もの」「おからの煮もの」「たけのこの煮もの」「さやいんげんの煮もの」などこいくちとうすくちは「肉じゃが」「筑前煮」「だいこんの煮もの」などに併用されていた.醤油の種類は食材によって使い分けがされていた.
著者
岡本 洋子 吉田 惠子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.25, 2013

【目的】日本のだしを中心とした薄味の和食には,健康維持とおいしさが両立できる世界でも希な食事体系である。さらに,和風だしを用いた食事を実践することは,生活習慣病のリスクを低減する一要因となると考えられている。そこで,本研究では和風だしの代表的素材である,かつお節とコンブを用いただしについて好ましく受容できることが重要と考え,それらの天然素材だしならびに風味調味料だしを用いた調理食品を調製し,識別ならびに嗜好性を調べることを目的とした。【方法】天然だしおよび風味だしを用いた調理食品の識別と嗜好性については,官能評価法(3点識別試験法,2点嗜好試験法,3点嗜好試験法)によって行った。評価者は年齢18~20歳の健康な女子学生27~32名である。試料として,だしを用いた調理食品7種(主食:醤油味飯,汁かけうどん,主菜・副菜:高野豆腐煮物,だし巻卵,サトイモの煮物,ゴボウの煮物,汁物:味噌汁)を調製した。データは,有意差の検定(2項検定)により解析した。【結果】① 7種のだしを用いた調理食品では,天然だし食品と風味だし食品の「おいしさ」が異なることを有意に識別できた(p<0.01, p<0.05 )。 ② 7種のだしを用いた調理食品では,天然だし食品と風味だし食品の嗜好性に有意差はみられなかった。しかしながら,7種のうち6種において,天然だし食品と比べ,風味だし食品を好む傾向がみられた。③ おいしさを評価する際の背景要因として食体験があげられるが,今回は食経験と官能評価の関係については明らかにできなかった。本研究の評価者は,これまでに,天然素材のだしではなく,日常的に風味調味料だしを調理のときに使用していたのかもしれない。
著者
池田 忍 イケダ シノブ IKEDA Shinobu
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 (ISSN:18817165)
巻号頁・発行日
vol.279, pp.191-204, 2014-02-28

千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第279集 『歴史=表象の現在』上村 清雄 編"The Presence of History as Representation", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.279近年、アイヌの人々を主体とする文化の発信力は高まり、その需要や研究の状況は大きく変わりつつある。とりわけ、かねてより知られる木彫、刺繍、アットゥシ織といった工芸分野を中心に展覧会の機会が増えた。背景には、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(本稿では通称の「アイヌ文化振興法」を用いる)の成立(一九九七)以後、衆参両議院における「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択され(二〇〇七)、内閣官房長官の要請により設置された「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が報告書を提出(〇九)、白老ポロト湖畔に「民族共生の象徴となる空間」となる国立博物館の二〇二〇年度開設が決定する(一三・七)といった国の政策の進展がある。「アイヌ文化振興法」の成立以降は、公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(通称の「アイヌ文化財団」を用いる)が予算措置の面でも重要な役割を果たし、各地の博物館や美術館と共に主催する展覧会において、国内外のアイヌ工芸や民具のコレクションが継続的に紹介されるようになった。また博物館や美術館に限らず、現代の作品に触れる場、機会も開かれている。しかしながら、アイヌの人々が手がける造形は必ずしも「工芸」分野に限らず、またたとえ「伝統」的とみなされる木彫や刺繍などの手法を用いても、それぞれの作家がめざす表現世界は広がりをみせている。版画、イラスト、アニメーション、映像作品などを手がける表現者が現れている。そのような状況下で、「アイヌ・アート」という呼び名がさまざまな文脈で用いられ始めた。それは、…
著者
渡辺 保
出版者
白水社
雑誌
新劇 (ISSN:05830486)
巻号頁・発行日
vol.14, no.8, pp.19-21, 1967-08