著者
大塚 英志 小松 和彦 安井 眞奈美 エルナンデス アルバロ 荒木 浩 劉 建輝
出版者
国際日本文化研究センター・プロジェクト推進室
雑誌
日文研大衆文化研究叢書 全5巻序論集
巻号頁・発行日
2022-03-17

国際日本文化研究センターによる大衆文化研究プロジェクト(人間文化研究機構機関拠点型基幹研究プロジェクト「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」)の成果として刊行された「日文研大衆文化研究叢書」シリーズ全5巻 [『日本大衆文化史』(KADOKAWA, 2020年9月)、『禍いの大衆文化 : 天災・疫病・怪異』(KADOKAWA, 2021年7月)、『身体の大衆文化 : 描く・着る・歌う』(KADOKAWA, 2021年11月)、『〈キャラクター〉の大衆文化 : 伝承・芸能・世界』(KADOKAWA, 2021年11月)、『戦時下の大衆文化 : 統制・拡張・東アジア』(KADOKAWA, 2022年2月)] の序論を集めたもの
著者
劉 建 辺 嘉賓 塩津 文隆 GHOSH Subhash Chandra 豊田 正範 楠谷 彰人
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物學會紀事 (ISSN:00111848)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.326-332, 2008-07-05
参考文献数
27
被引用文献数
1 2

日本型水稲4品種の幼植物を50mMのNaClストレス下で16日間水耕栽培し, 品種の耐塩性を調査した. 生育にはグロースポーチを使用し, 画像解析を用いて根の直径別の根長と根表面積を測定し, 根系形態と耐塩性との関係を解析した. 対照に対する塩処理の全重と相対成長率の低下程度から, 農林18号の耐塩性が最も高いと判断された. 処理別, 両処理込みにかかわらず相対成長率は葉面積比ではなく純同化率に一義的に規定されていた. 純同化率は個体当たり根長および根表面積と正の, 茎葉部Na含有率および葉面積/根表面積比(LA/RA比)と負の相関関係にあった. 茎葉部のNa含有率は個体当たり根長や根表面積が増加するほど指数関数的に減少し, LA/RA比とは正の相関関係にあった. 塩ストレス下において農林18号は直径0.169mm以下の2次根や3次根, および直径0.5mm程度の冠根の減少程度が少なかったため, 個体当たり根長と根表面積は他品種よりも多かった. 塩ストレス下において農林18号の根系の減少程度が小さく, LA/RA比が低いことは他の品種より吸水能力に優れていることを示唆している. このことから, 農林18号は塩ストレス下でも蒸散速度が高く, 蒸散流中のNa排除機構が効率的に作用したために茎葉部のNa含有率が低く抑えられたと推察される. また, 体内の水分含有率の低下を抑えたことにより高いNARを維持し, その結果高いRGRを達成したと推察された.
著者
鈴木 三男 能城 修一 田中 孝尚 小林 和貴 王 勇 劉 建全 鄭 雲飛
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.187, pp.49-71, 2014-07

ウルシToxicodendron vernicifluum(ウルシ科)は東アジアに固有の落葉高木で,幹からとれる漆液は古くから接着材及び塗料として利用されてきた。日本及び中国の新石器時代遺跡から様々な漆製品が出土しており,新石器時代における植物利用文化を明らかにする上で重要な植物の一つであるとともに日本の縄文文化を特徴づけるものの一つでもある。本研究では現在におけるウルシの分布を明らかにし,ウルシ種内の遺伝的変異を解析した。そして化石証拠に基づいてウルシの最終氷期以降の時空分布について検討した。その結果,ウルシは日本,韓国,中国に分布するが,日本及び韓国のウルシは栽培されているものかあるいはそれが野生化したものであり,中国には野生のものと栽培のものの両方があることが明らかとなった。それらの葉緑体DNAには遺伝的変異があり,中国黄河~揚子江の中流域の湖北型(V),浙江省と山東省に見られる浙江型(VII),日本,韓国,中国遼寧省と山東省に見られる日本型(VI)の3つのハプロタイプ(遺伝子型)が検出された。中国大陸に日本と同じハプロタイプの野生のウルシが存在することは,日本のウルシが中国大陸から渡来したものだとすれば山東省がその由来地として可能性があることを示唆していると考えられた。一方,化石証拠からは日本列島には縄文時代早期末以降,東日本を中心にウルシが生育していたことが明らかとなった。さらに福井県鳥浜貝塚遺跡からは縄文時代草創期(約12600年前)にウルシがあったことが確かめられた。このような日本列島に縄文時代草創期に既にウルシが存在していたことは,ウルシが大陸からの渡来なのか,元々日本列島に自生していたものなのかについての再検討を促していると考えられた。The lacquer tree, Toxicodendron vernicifluum (Anacaradiaceae) is an endemic tree in East Asia and is called urushi in Japanese. The urushi lacquer is collected from the tree trunk of this species and has been utilized as an adhesive and/or a painting material from very ancient ages. Many kinds of lacquer ware have been recovered from Neolithic archeological sites in Japan and China, and the urushi lacquer ware especially characterizes the Jomon culture in Japan. To elucidate the origin of the Japanese urushi culture, we examined the distribution of urushi trees in East Asia, analyzed their chloroplast DNA, and re-examined the fossil record of the urushi plant.Although the urushi plant is now distributed in China, Korea, and Japan, all of the trees in Korea and Japan are not native, but are cultivated. Thus the urushi trees in Japan is considered as an introduction from somewhere in China. We detected three haplotypes in the chloroplast DNA (trnL intron and trnL-F intergenic spacer regions) in of the urushi plant. The first one haplotype (haplotype V) is widely distributed in central China between Hwang Ho and Yangtze Jiang of China. The second haplotype (haplotype VI) is found in Japan, Korea, and Liaoning and Shandong provinces of China. The last one haplotype (haplotype VII) is found only in Shandong and Zhejiang provinces of China. The presence of wild urushi plant with the haplotype VI in certain areas of China may suggest the possibility that the urushi trees in Japan seem to have originated and introduced from those areas, if it was introduced. Fossil records of pollen, fruits, and wood of the urushi plant have been recovered from the early Jomon period in Japan, especially in eastern and northeastern Japan. One exception is the oldest record of the incipient Jomon period of ca. 12600 cal BP of a urushi fossil wood from the Torihama shell midden of Fukui prefecture. This fact is pressing us to re-consider whether what the urushi plant was brought over from China, or it is native to Japan originally.
著者
鈴木 三男 能城 修一 田中 孝尚 小林 和貴 王 勇 劉 建全 鄭 雲飛
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.187, pp.49-71, 2014-07-31

ウルシToxicodendron vernicifluum(ウルシ科)は東アジアに固有の落葉高木で,幹からとれる漆液は古くから接着材及び塗料として利用されてきた。日本及び中国の新石器時代遺跡から様々な漆製品が出土しており,新石器時代における植物利用文化を明らかにする上で重要な植物の一つであるとともに日本の縄文文化を特徴づけるものの一つでもある。本研究では現在におけるウルシの分布を明らかにし,ウルシ種内の遺伝的変異を解析した。そして化石証拠に基づいてウルシの最終氷期以降の時空分布について検討した。その結果,ウルシは日本,韓国,中国に分布するが,日本及び韓国のウルシは栽培されているものかあるいはそれが野生化したものであり,中国には野生のものと栽培のものの両方があることが明らかとなった。それらの葉緑体DNAには遺伝的変異があり,中国黄河~揚子江の中流域の湖北型(V),浙江省と山東省に見られる浙江型(VII),日本,韓国,中国遼寧省と山東省に見られる日本型(VI)の3つのハプロタイプ(遺伝子型)が検出された。中国大陸に日本と同じハプロタイプの野生のウルシが存在することは,日本のウルシが中国大陸から渡来したものだとすれば山東省がその由来地として可能性があることを示唆していると考えられた。一方,化石証拠からは日本列島には縄文時代早期末以降,東日本を中心にウルシが生育していたことが明らかとなった。さらに福井県鳥浜貝塚遺跡からは縄文時代草創期(約12600年前)にウルシがあったことが確かめられた。このような日本列島に縄文時代草創期に既にウルシが存在していたことは,ウルシが大陸からの渡来なのか,元々日本列島に自生していたものなのかについての再検討を促していると考えられた。
著者
劉 建 福澤 和久
出版者
日本経営診断学会
雑誌
日本経営診断学会論集 (ISSN:18824544)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.7-13, 2023 (Released:2023-11-10)
参考文献数
20

ICTの進展は人々の働き方にも大きな変革をもたらしつつある。SNSなど情報技術の発展は人々の働き方を変えており,次世代を担う若い世代のなかでは「YouTuber」という新しい職業が人気を得ている。個人,個人事業主,小企業などがYou-Tuberとしてビジネスを行うことも,企業経営の一つとして捉える時代になったと言える。しかしながら,YouTuberという職業は新しい個人・組織・小企業の形態であるため,どのようなコンテンツが受け入れられるのか,学術的な研究は数少ない。本研究では,職業およびビジネス形態の多様化により現れた動画配信者,そのなかでも代表的な「YouTube」に着目する。視聴者がどのようなコンテンツに反応するか,先行研究から抽出した仮説をもとにYouTubeの視聴データの収集および分析を通じて仮説の検証を試みた。
著者
劉 建中 久保 光徳 青木 弘行 寺内 文雄
出版者
Japan Ergonomics Society
雑誌
人間工学 (ISSN:05494974)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.29-38, 1996-02-15 (Released:2010-03-12)
参考文献数
14
被引用文献数
4 3

本研究では, 5名の男子学生を被験者とし, 弛緩状態での座姿勢と仰臥姿勢において, 2-20Hzの垂直正弦振動を受ける人体の振動伝達特性を, 伝達率と位相差によって検討した. 伝達率は, 人体上の振動加速度実効値を振動台垂直加速度実効値に対する比率で表したものとし, 位相差は, 人体と振動台間の振動加速度の位相角で表した. また振動刺激に対する身体各部位の揺れの感覚について主観評価を行った. その結果, (1) 2Hzでは座姿勢, 仰臥姿勢ともに体全体が1つの剛体として, 振動台とほぼ同じ振幅と位相で振動した. (2) 5Hzと8Hzでは身体の振動が強くなって, しかも姿勢と被験者により各部位の振動状況がかなり異なった. (3) 11-20Hzの範囲では足部と頭部の振動を強く感じる一方, 腹部と胸部はほとんど減衰していることが明らかとなった. 本実験の結果から, 人体における振動の伝播は振動刺激の種類, 方向, 周波数, 強度のほかに, 被験者の体型と姿勢などから大きな影響を受けていることが明らかとなった.
著者
花里 陽子 秋山 純和 霍 明 胡 春英 霍 紅 常 冬梅 劉 建華
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.423-427, 2016 (Released:2016-07-06)
参考文献数
17

〔目的〕中国における脳血管疾患患者家族の介護不安の内容を把握し,ADLと介護不安の関連を明らかにした.〔対象〕中国におけるリハビリテーションセンターに入院中の脳血管疾患患者の家族45名とした.〔方法〕質問紙によるアンケート調査を行った.調査項目は家族の基本属性,退院後の介護の状況,患者の背景,ADL状況とした.ADLと介護不安の有無との関連性をχ2検定により解析した.〔結果〕トイレ移乗,浴室移乗の介助と家族の介護不安の有無に有意な関連が認められた.〔結語〕移乗動作の介助が家族の介護不安につながっている可能性が示唆された.
著者
唐 権 劉 建輝 王 紫沁
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.131-172, 2021-03-31

来舶清人とは、清朝の頃に大陸から日本に渡航した中国人の中で、優れた教養を持っている一部の人たちに対する総称である。江戸中期に成立し、戦前まで広く使われていたが、戦後になると廃れてしまい、今や一部の美術史家と古美術愛好者の間でしか通用しなくなっている。しかし、この概念こそ、近世以来の日中文化交流ないし東アジア文化発展の歴史を解くための重要なツールではないか、と我々は考えている。来舶清人の中で名を後世に残した人物は、果たしてどのくらい数えられるか、という素朴な疑問から出発して、基礎データの整理作業に取り組んだ。本稿は、いわばその中間報告である。 本稿は3 つの部分からなっている。すなわち解説、参考文献と一覧表である。解説の部分はカテゴリーとしての来舶清人に注目し、概念としての特質、成立の経緯、日本文芸の世界における位置付け、我々が考えた来舶清人の外延などを説いている。参考文献の部分では、我々は来舶清人に関する日中両国の現存文献と関連の研究に可能な限りアクセスし、文献調査の結果を提示したものである。最後の一覧表は、上記の文献調査に基づいて作成したもので、計355 名の来舶清人に関する基礎データを、一人ひとりにまとめたものである。
著者
劉 建利
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2012

制度:新 ; 報告番号:甲3633号 ; 学位の種類:博士(法学) ; 授与年月日:2012/2/29 ; 早大学位記番号:新5991
著者
趙 仁貴 劉 建 塩津 文隆 豊田 正範 楠谷 彰人 武田 真 一井 眞比古
出版者
日本作物學會
雑誌
日本作物學會紀事 (ISSN:00111848)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.148-152, 2006-04-05
参考文献数
22
被引用文献数
3

水稲品種オオチカラとその短根性準同質遺伝子系統IL-sr1を供試し、出穂期における地上部と根の形質、出液速度および止葉の光合成関連特性を比較した。IL-sr1の草丈はオオチカラより有意に低く、株当たり茎数と地上部乾物重も有意に少なかったが、茎当たり地上部乾物重に有意差はみられなかった。株当たりの出液速度はIL-sr1の方がオオチカラよりも有意に低く、IL-sr1/オオチカラ比は56%であった。そこで、この差を根量と根量当たり出液速度に分けて検討した。その結果、総根長と総根重のIL-sr1/オオチカラ比は30%と35%、総根長および総根重当たり出液速度の同比はそれぞれ188%と163%であり、いずれにも有意差が認められた。すなわち、根量はオオチカラの方が多く、根量当たり出液速度はIL-sr1の方が高かった。これらより、IL-ssr1は根の量が少ないために根全体の生理機能はオオチカラより低くなったが、個々の根の生理活性はオオチカラを上回っていると推測された。また、光合成関連特性に関してはIL-sr1とオオチカラとの間に有意差は認められず、短根遺伝子sr1は光合成に影響しないと考えられた。
著者
劉 建宏 大枝 良直 角 知憲
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D (ISSN:18806058)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.513-524, 2008 (Released:2008-10-20)
参考文献数
21
被引用文献数
7 17

本論文は,パーソナルスペースという概念に基づいて歩行者が他の歩行者と干渉を避け,相互の間隔を保とうとする行動を記述するとともに,路上の障害物や車いす利用者と交錯・回避しつつ行動する歩行者の流動を表現する方法を提案するものである. 本論文で提案した方法は,従来から知られた歩行者流動の特性を良く再現するとともに,より複雑な状況における歩行者流動を推定可能である.
著者
鈴木 三男 能城 修一 田中 孝尚 小林 和貴 王 勇 劉 建全 鄭 雲飛
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.187, pp.49-71, 2014-07

ウルシToxicodendron vernicifluum(ウルシ科)は東アジアに固有の落葉高木で,幹からとれる漆液は古くから接着材及び塗料として利用されてきた。日本及び中国の新石器時代遺跡から様々な漆製品が出土しており,新石器時代における植物利用文化を明らかにする上で重要な植物の一つであるとともに日本の縄文文化を特徴づけるものの一つでもある。本研究では現在におけるウルシの分布を明らかにし,ウルシ種内の遺伝的変異を解析した。そして化石証拠に基づいてウルシの最終氷期以降の時空分布について検討した。その結果,ウルシは日本,韓国,中国に分布するが,日本及び韓国のウルシは栽培されているものかあるいはそれが野生化したものであり,中国には野生のものと栽培のものの両方があることが明らかとなった。それらの葉緑体DNAには遺伝的変異があり,中国黄河~揚子江の中流域の湖北型(V),浙江省と山東省に見られる浙江型(VII),日本,韓国,中国遼寧省と山東省に見られる日本型(VI)の3つのハプロタイプ(遺伝子型)が検出された。中国大陸に日本と同じハプロタイプの野生のウルシが存在することは,日本のウルシが中国大陸から渡来したものだとすれば山東省がその由来地として可能性があることを示唆していると考えられた。一方,化石証拠からは日本列島には縄文時代早期末以降,東日本を中心にウルシが生育していたことが明らかとなった。さらに福井県鳥浜貝塚遺跡からは縄文時代草創期(約12600年前)にウルシがあったことが確かめられた。このような日本列島に縄文時代草創期に既にウルシが存在していたことは,ウルシが大陸からの渡来なのか,元々日本列島に自生していたものなのかについての再検討を促していると考えられた。The lacquer tree, Toxicodendron vernicifluum (Anacaradiaceae) is an endemic tree in East Asia and is called urushi in Japanese. The urushi lacquer is collected from the tree trunk of this species and has been utilized as an adhesive and/or a painting material from very ancient ages. Many kinds of lacquer ware have been recovered from Neolithic archeological sites in Japan and China, and the urushi lacquer ware especially characterizes the Jomon culture in Japan. To elucidate the origin of the Japanese urushi culture, we examined the distribution of urushi trees in East Asia, analyzed their chloroplast DNA, and re-examined the fossil record of the urushi plant.Although the urushi plant is now distributed in China, Korea, and Japan, all of the trees in Korea and Japan are not native, but are cultivated. Thus the urushi trees in Japan is considered as an introduction from somewhere in China. We detected three haplotypes in the chloroplast DNA (trnL intron and trnL-F intergenic spacer regions) in of the urushi plant. The first one haplotype (haplotype V) is widely distributed in central China between Hwang Ho and Yangtze Jiang of China. The second haplotype (haplotype VI) is found in Japan, Korea, and Liaoning and Shandong provinces of China. The last one haplotype (haplotype VII) is found only in Shandong and Zhejiang provinces of China. The presence of wild urushi plant with the haplotype VI in certain areas of China may suggest the possibility that the urushi trees in Japan seem to have originated and introduced from those areas, if it was introduced. Fossil records of pollen, fruits, and wood of the urushi plant have been recovered from the early Jomon period in Japan, especially in eastern and northeastern Japan. One exception is the oldest record of the incipient Jomon period of ca. 12600 cal BP of a urushi fossil wood from the Torihama shell midden of Fukui prefecture. This fact is pressing us to re-consider whether what the urushi plant was brought over from China, or it is native to Japan originally.
著者
劉 建国
出版者
札幌大学
雑誌
産研論集 (ISSN:09169121)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.9-14, 2012-03

この十年来,中国の経済は急速に成長し,都市交通の需要が急増してきたにもかかわらず,大都市のタクシーの台数はほとんど増加しなかったばかりか,一部の都市では減少している。このような厳しい台数規制の裏には,大都市の「白タク」は増え続け,そしてマイカーが急増してきている。本論文はタクシーの台数規制の理由とタクシー台数に対する過剰規制の弊害を分析し,タクシー市場の構造および市場競争の特徴に焦点をあわせて,外国の経験に鑑み,中国の大都市でタクシーの台数規制を適度にに緩和し,市場競争を導入することを提言している。
著者
劉 建輝 鈴木 貞美 稲賀 繁美 竹村 民郎 上垣外 憲一 劉 岸偉 孫 江
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

中国の東北部、つまり旧「満州」は日本の近代史においてきわめて重要な場所である。なぜならば、日清戦争はさることながら、その後の日露戦争、日中戦争、さらに日米戦争に至るまで、いわば日本の運命を決めた戦争という戦争は、究極のところ、全部この地域の権益をめぐって起こされたものであり、ある意味において、日本の近代はまさに「満州」を中心に展開されたとさえ認識できるからである。しかし、近代日本の進路を大きく左右したこの旧「満州」について、これまではけっして十分に研究したとは言い難い。むろん、旧「満州」、とりわけ「満鉄」に関する歴史学的なアプローチに長い蓄積があり、多くの課題においてかなりの成果を挙げている。だが、よく調べてみれば、そのほとんどがいずれも政治、経済、あるいは軍事史に偏っており、いわゆる当時の人々の精神活動、あるいは行動原理に深く影響を与えた社会や文化などについての考察が意外にも少数しか存在していない。本研究は、いわば従来あまり重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの諸問題を取り上げ、関連史実等の追跡を行う一方、とりわけその成立と展開に大きく関わっていた「在満日本人」の活動を中心に、できるかぎりその全体像を整理、解明しようとした。そして三年間の研究を通して、主に以下のような成果を得ることができた。1.これまで重視されなかった旧「満州」の社会や文化などの問題について比較的総合かつ多角的に追及し、多く史実(都市空間、公娼制度、秘密結社、文芸活動など)を解明した。2.海外共同研究者の協力を得て、多くの史料、とりわけいわゆる在満日本人の発行した各分野の現地雑誌を発掘し、その一部(「満州浪曼」、「芸文」)を復刻、またはその関連作業に取り組み始めた。3.従来、難しかった現地研究者との交流を実現させ、三回の国際研究集会を通じて、多くの中国や韓国研究者とさまざまな問題について意見を交換した。以上のように、この三年間は、現地調査などを通して、多くの貴重な史料を入手したばかりでなく、現地研究者との間に比較的親密な協力関係も築いたため、今後もこれらの成果を生かすことにより、一層の研究上の進展が得られるだろうと思われる。