- 著者
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宇野 隆夫
前川 要
櫛木 謙周
- 出版者
- 富山大学
- 雑誌
- 一般研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1990
日本で唯一確認されている古代塩田遺跡(石川県羽咋市滝・柴垣海岸E・F遺跡)の発掘調査を実施した。その結果,土器製塩炉6基に加えて,鉄釜製塩炉1基を発見した。鉄釜製塩炉は,日本ではじめて確認されたものであり,8世紀初めの頃に塩田築造と同時に設置されたものであった。土器製塩炉も,周縁を石と粘土で固めたものと,石敷炉とがあり,石敷炉若狭より東でははじめての発見である。塩を煮る製塩土器も層位的に調査できたため,その年代的な変化が明らかとなった。海水を濃縮する塩田部分と,塩を煮つめてとる釜場の位置関係からも興味深いことがらが判明した。民俗調査例では,塩田と釜場は相接していることが普通であるが,調査結度では,塩田面より5m以上高い,標高約9mの地点に釜場があったのである。またその土木量が1万m^3を越えるように,あらゆる点において,古代塩田式製塩は大規模なものであることが判明した。以上は考古学調査の成果であるが,文献資料の調査から,古代塩田式製塩が,国府機構を軸に成立することがあることが明らかとなり,本事例も,西暦718年に立国された能登国の国家的な手工業政策との関係で理解できるようになった。東アジアの資料では,中国において戦国時代中期に塩鉄政策が,前漢代に国家的な生産体制の編成が,唐代に大土木工事をともなう塩田の築造がなされ専売制度も整うことが判明した。以上から,古代塩田式製塩という先端技術の成立は,東アジア古代世界における,日本律令国家の成立の中で可能となった重要な出来事であり,現在の塩専売制度の源流となったと位置づけた。