著者
下分 章裕 三好 輝行 小山 鉄郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1087-1090, 1996-06-15

Emery-Little核硬度分類を細分化した新しい核硬度分類法を用いて白内障手術予定眼1,000例を分類し,その有用性を検討した。新しい分類法はEmery-Little分類のグレード1〜5の各段階をさらに4等分し,細分化したものである。Phaco ChopTM法を行うには,従来のEmery-Little分類では分類の程度が不十分と思われた。この新しい細分類法を用いれば,Phaco ChopTM法における適切なフックの深さ,核分割数を事前に予測することができた。また,分割された核片による後嚢破損の危険性を正確に評価できるため,術者の力量に合わせた適切な術式の選択も可能となった。
著者
小山 茂
出版者
島しょ医療研究会
雑誌
島しょ医療研究会誌
巻号頁・発行日
vol.6, pp.25-29, 2014

一昨年 2012 年(平成 24 年)1 月 1 日、鳥島近海を震源とするM 7.0 の地震が発生した。 かつて居住者がいたが現在は無人島になっている東京の島として、八丈小島を以前紹介した。今回取り上げる伊豆諸島南端の鳥島は明治中期より移住者が住みついたが、1902 年(明治 35 年)に噴火で在島住民全員が死亡するという痛ましい出来事があった。しかしそれ以来無人島状態が続いたわけではなく、その前後に様々な経緯ある歴史の投影された島だった。調査等で今も在島者がおり、緊急搬送も想定されうる(?)鳥島の過去から現在の姿を紹介する。
著者
小山 騰
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1995, no.27, pp.75-87, 1994 (Released:2010-01-27)
参考文献数
41

Arthur Morrison (1863-1945) is known as an English novelist who described the lives of the poor in the East End of London realistically around the turn of the century. His major works are “Tales of Mean Streets”, “A Child of the Jago”, “The Hole in the Wall”, etc. Although Morrison never went to Japan, he was also a keen collector and scholar of Japanese art (Japanese woodcut prints and paintings). Morrison wrote “The Painters of Japan” in 1911 which was regarded as indispensable contribution to Japanese art studies for around fifty years. His collections of Japanese prints and paintings which his studies of Japanese art were based upon have become parts of Japanese art collections at the British Museum. This essay examines how Arthur Morrison developed his interests and studies on Japanese prints and paintings through the contacts with Japanese people in London, such as Kumagusu Minakata, Kanzan Shimomura, Tokuboku Hirata and his friendship with W. E. Henley, Harold Parlett, Laurence Binyon. This essay also focuses on what Morrison gained personally from his studies of Japanese art, particularly Japanese prints (Ukiyoe) and his contacts and friendship with Japanese people in London. Through my study of Morrison's analogy between the Ukiyoe painters in the history of Japanese art and himself as regards their subjects, methods, etc., it can be concluded that Morrison might have received stronger influence from Japanese art than what is usually thought.
著者
山本 信弘 大道 乃里江 戸田 百合子 小山 健蔵 須藤 勝見
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 (0xF9C5)教科教育 05 教科教育 (ISSN:03893480)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.p203-215, 1991-02
被引用文献数
1

昭和20年から現在に至るまでの性教育に関する書物を調査し,教育のなかで性教育はどのようにとりあげられ,位置づけされてきたかを検討した。その結果,性教育は,1)道徳面を重視した純潔教育の時代 2)純潔教育批判から生じた性の生理的側面が強調された教育の時代 3)生理的,心理的,社会的側面を含む人間としての総合的な教育の時代の三つの歴史的段階が認められた。また,学校教育のなかでの位置づけが不明瞭であることが教育現場での性教育の定着を妨げていることが示唆された。
著者
福島 一嘉 高橋 誠 長野 裕友 小山内 州一 吉川 貞雄
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
日本化学会誌(化学と工業化学) (ISSN:03694577)
巻号頁・発行日
vol.1988, no.4, pp.585-590, 1988-04-10 (Released:2011-05-30)
参考文献数
11
被引用文献数
7

各種N-アルキル置換アルキレンジアミンを合成し,それらを配位子とするビス(ジアミン)ニッケル錯体を用いて,D-グルコース,D-マンノースのC-2エピマー間において,それぞれのC-2エピマー化反応を行なった。その結果,N,N'-ジアルキルエチレンジアミンを配位子とした場合によくC-2エピマー化反応が起こり,平衡まで達することがわかった。さらに,置換基と,して長鎖アルキル基を導入すると,アルキル鎖長が長いほど平衡点がグルコース側に偏り,エピマー間に優位差が生じることがわかった。これは遷移中間体である含糖錯体の,糖とジアミンの結合部分の立体化学によると考えられる。また,糖のエピマー化反応において,ジアミンニッケル錯体は触媒として働き,糖の1/10程度の濃度でも活性が落ちないことがわかった。さらに,カルシウムとモノアミンを用いた系でC-2エピマー化を検討した。この場合,エピマー化と同時にエンジオール転移によると考えられるフルクトースの生成も見られた。
著者
小山 純弘
出版者
極限環境生物学会
雑誌
極限環境微生物学会誌 (ISSN:13485474)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.106-115, 2010 (Released:2012-01-01)
参考文献数
17
被引用文献数
2 2
著者
上村 佳代 入江 香 小山 徹平 春日井 基文 中村 雅之 赤崎 安昭
出版者
九州精神神経学会
雑誌
九州神経精神医学 (ISSN:00236144)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.101-110, 2021

<p>バウムテスト(樹木画テスト)とは投映法に分類される人格検査の一種である。本研究では,刑事精神鑑定において行われたバウムテストの結果の特徴について分析を行なった。殺人(未遂)被疑事件16例と放火(未遂)被疑事件14例の計30例において,バウムの各種サイン(筆圧,位置,枝先,樹冠の豊かさ,樹冠輪郭線の有無)について性別,知的水準,診断名,被疑事件内容の観点から検討を行なった。その結果,男性の方が女性より有意に筆圧が強かった。知的に健常な群は知的障害群と比べて有意に左寄りの位置に描く傾向があった。これらの結果から刑事精神鑑定において,女性は男性ほど自己主張や攻撃性を表現せず,知的に保たれている事例では未来志向にならないことが示唆された。被疑事件内容別に比べると,放火群は樹冠輪郭線が殺人群よりも少なく,放火事例は殺人事例と比べると外界の刺激に敏感な可能性が示唆された。また,殺人既遂群は左寄り,殺人未遂群は右寄りの位置に描く傾向があり,殺人既遂事例は過去を志向する傾向がある一方,殺人未遂事例は未来を志向する傾向が示唆された。</p>
著者
小山 諭 森 直治 LJUNGQVIST Olle FEARON Ken SOOP Mattias DEJONG CHC
出版者
日本静脈経腸栄養学会
雑誌
静脈経腸栄養 : 日本静脈経腸栄養学会機関誌 = The journal of Japanese Society for Parenteral and Enteral Nutrition (ISSN:13444980)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.723-735, 2011-03-25
参考文献数
80

手術や外傷に伴うストレス反応は、生体にとって本来、有益な現象であるが、制御を失うと有害なものとなる。患者を手術から早期に回復させ、手術アウトカムを最良のものにするために、侵襲を最小限にし、栄養管理をはじめとする集学的な周術期管理を行うことが重要である。ERAS (Enhanced Recovery After Surgery) プログラムと呼ばれるこのモダンな周術期管理は、術前絶食期間を最短として炭水化物の負荷を行い、術前腸管のプレパレーションや術後経鼻胃管留置を回避し、胸部硬膜外ブロックや非オピオイド性の鎮痛薬投与による鎮痛、早期経口摂取・早期離床の励行、適正な周術期の輸液・血糖管理、術前低栄養の是正等を行うことにより、術後の回復に有害な種々の生体反応、インスリン抵抗性や腸管麻痺を軽減し、手術侵襲からの早期回復と良好な手術アウトカムをもたらす。
著者
東 祥代 小山内 康夫 及川 哲史
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2005, pp.D0472, 2006

【目的】<BR>急性期病院における廃用症候群患者の実態を調査し、移動能力再獲得に影響を与える因子について検討した。<BR>【方法】<BR>対象は、2004年9月から2005年8月に当院入院され、廃用症候群の診断名でリハ処方された患者102名中、死亡例23例・中止例1例を除く78名(男性43名、女性35名)。<BR>診療録より、年齢、痴呆性老人の日常生活自立度判定基準(以下、精神機能)、入院からリハ開始までの日数(以下、リハ開始までの日数)、入院から離床までの日数(以下、臥床日数)、在院日数、転帰先、移動能力(入院前・退院時)について、後方視的に調査した。移動能力については、FIMの移動項目の点数(1~7)を用いた。統計学的解析は、移動能力再獲得に影響を与える因子の分析として、1)年齢、2)精神機能低下(ランク2以下)の有無、3)リハ開始日数、4)臥床日数、5)入院前移動能力を説明変数とし、ステップワイズ重回帰分析を行った。<BR>【結果】<BR>平均年齢は79.4歳。精神機能低下例は、39.7%であった。リハ開始までの平均日数は、9.8±8.7日、平均臥床日数は、11.4±15.1日、平均在院日数は35.7±23.8日であった。転帰先は、自宅が56.4%、転院・施設が43.6%であった。移動能力が、退院時に入院前レベルに回復した例は67.1%だった。<BR>入院前移動能力獲得に寄与する因子として精神機能低下の有無(標準回帰係数=0.400)、入院前移動能力(標準回帰係数=0.365)、臥床日数(標準回帰係数=0.202)の順に採用された。決定係数R<SUP>2</SUP>=16.6%であった。<BR>【考察】<BR>矢部らは、早期離床を阻害する因子として、高齢、運動障害、痴呆、不穏の出現をあげている。本研究からも高齢者が多く、精神機能低下例も4割近くを占めていたことから、これらは廃用症候群に至りやすい因子であると推察された。また、移動能力再獲得例の割合は、門らの内科・外科病棟患者を対象にした研究の82.6%と比較すると、低い値であった。当院では、在院日数短縮の方針のため、病前レベルに到達しなくとも、環境調整により早期に在宅復帰を目指した事が、要因として考えられた。<BR>張替らの終了時移動能力を目的変数として重回帰分析を行った研究では、精神機能、病前移動能力が影響を与えていた。移動能力再獲得を目的変数とした本研究でも、同様の因子に加え、臥床日数が影響したことから、精神機能低下例や、入院前移動能力低下例について、早期離床を進め、廃用の進行を予防していく必要があると考えられた。しかし、決定係数が16.7%と低い値であったことから、今回評価出来なかった因子が関わっている可能性が考えられた。<BR>【まとめ】<BR>廃用症候群患者のリハビリテーションにおいて、「精神機能低下」、「入院前移動能力」の影響を考慮し、早期離床を促すことが重要である。<BR>
著者
小山 晴也 大月 敏雄
出版者
一般社団法人 日本建築学会
雑誌
日本建築学会技術報告集 (ISSN:13419463)
巻号頁・発行日
vol.27, no.65, pp.402-405, 2021-02-20 (Released:2021-02-20)
参考文献数
13
被引用文献数
1 2

Harayama area is an area where several newly developed villa areas in the 1970s are gathered, and currently exists as a residential area. The transformation process was as follows. 1. Designation of the area and development of the infrastructure were carried out by the public, and the position as the development site became clear. 2. Public villas and settlement (pension village) were developed and some private companies developed villas town. 3. Individuals started living in undeveloped areas, and the village and the self-governing organization began to coordinate life support services.
著者
小山 泰弘 竹垣 英信 岩崎 唱
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会大会発表データベース
巻号頁・発行日
vol.125, 2014

利用されなくなった牧場の森林化を行うため、企業の社会貢献活動の一環として企業等からの支援により、牧場に隣接するブナ林の林縁部に発生した稚樹を活用したブナの移植を行った。移植を行った牧場跡地は、未利用の牧草とその根系が5cm 程度の厚さで堆積していたため、三機工業や和信化学工業等の企業からの支援金を活用して重機を使って牧草をはぎ取った。その後、6~10月までの5回にわたり林縁部のブナ稚樹を堀取り、はぎ取った場所へ移植させた。本年度は、八十二銀行をはじめとする協賛企業および一般公募のボランティアに関係者延べ約300名が植樹に参加し、10,000本のブナ を0.7haの範囲に移植させた。なお6月に植栽したブナは10月現在で95%以上が活着し、植替え作業そのものは良好だった。本方法では、NPOが仲立ちをすることでボランティアの公募や企業の協賛に加えて、NPOに対する支援を行っている東京ガスや地球環境基金なども活用できるため、公的資金や地元負担が少なくなり、コストをかけずに地域の種苗を用いた自然再生を行うための手法の一つとして効果的だと思われる。