著者
尹 新 藤本 忠博 村岡 一信 千葉 則茂
出版者
芸術科学会
雑誌
芸術科学会論文誌 (ISSN:13472267)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.108-110, 2002 (Released:2008-07-30)
参考文献数
7
被引用文献数
8 6

素材の経年変化はよく見られる自然現象であるため,金属の腐食や石の風化などの表現法の開発が活発に行われてきている.本論文では,木材の経年変化のビジュアルシミュレーション法について提案する.本文では,まず分枝を考慮した木材モデルの表現手法について述べ,次に木材の色および形状の経年変化を表現する手法について述べる.さらに,これらに基づくいくつかのシミュレーション例により手法の有効性を示し,最後に今後の課題について言及する.
著者
藤本 延啓
出版者
西日本社会学会
雑誌
西日本社会学会年報 (ISSN:1348155X)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.23-33, 2018 (Released:2019-05-21)
参考文献数
7
被引用文献数
1

熊本県阿蘇郡西原村は、2016年の熊本地震において甚大な被害を受けた。本稿は、被災者における被災と対応について、西原村の地域社会空間が持つ特性、および災害発生からの時間の経過に着目しながら、西原村における複数の事例を分析していく。 まずは、災害の初動・応急期対応において、相対的にミクロな地域社会空間では構造的な「強み」が、マクロレベルでは構造的な「弱み」が存在すること、また、時間が経過していくほどに被災と対応の「個別性」が深化・拡大していくことが確認できる。 さらに、この個別性の深化・拡大は、時間が経つほどにミクロレベルにも「弱み」の構造があらわれていくことや、被災者の抱える課題が「みえない」状態に落とし込まれていくことへつながっていることが明らかになる。 これらをふまえ、災害対応・支援への社会学(者)によるアプローチの可能性を考えるならば、被災者の個別性を、対応・支援の枠組みとなる相対的にマクロなレベルにリンクさせること、そのために「みえない諸課題」を「みえる」ようにするための丁寧な調査と分析が、その一端となるであろうことを指摘できる。
著者
藤本 隆宏
出版者
東京大学大学院経済学研究科
雑誌
経済学論集 (ISSN:00229768)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.2-19, 2017-02-01 (Released:2022-01-25)
参考文献数
11
被引用文献数
1

本稿では,実態としての産業経済,とくに中小中堅企業を含む戦後日本の製造業において多く観察されてきた「現場指向企業」が,現代の標準的な教科書に登場する利益最大化を目指す資本指向企業とは行動パターンを異にしていることに着目し,企業の「現場指向性」(genba-orientedness)を前提とした簡単な古典派経済学的なモデルでその特性を分析してみる.ここで現場とは付加価値を生む場所であり,地域に埋め込まれ,自らの存続と雇用維持を目指す集団的意思を持ったある種の経済主体である.したがって「現場指向企業」の目的は,利益最大化を指向する教科書的企業の場合とは異なり,①企業の一部としての自らの存続(目標マークアップ率の確保)と,②地域の一部としての雇用量の維持の2つとなる.より具体的には,実際に観察される現場指向企業の行動を抽象化する形で,製品市場と労働市場における価格と数量,すなわち財の価格(P),数量(X),賃金(W),雇用数(N),を4軸とする4象限グラフを作成し.これを「PXNWモデル」と呼ぶ.このモデルは,水平の供給曲線(フルコスト原理を伴う古典派経済学的な生産価格),右下がりの需要曲線(製品差異化を前提とした独占的競争),リカード的な労働投入係数を介したリニアな必要労働力曲線,水平の労働供給曲線,および労働投入係数を介したリニアな賃金・費用曲線が仮定される.次にこのモデルを用いて,現場指向企業が,冷戦期の価格安定状況における生産性向上・賃金向上・有効需要創出を経て,利益率と雇用数という2つの目標を同時に満たすある定常状態から別の定常状態に移行できることを示す.次に,冷戦後のグローバル競争による価格低下状況における現場指向企業も,価格低落・生産性向上・有効需要創出を経て,ある定常状態から別の定常状態に移行できることを示す.要するに,現場指向企業が,一定の利益率と雇用数の確保,及び実質賃金の向上を目指すのであれば,工程イノベーション(物的生産性の向上)と製品イノベーション(有効需要の創出)の両方を行うことが必須であることを,この古典派経済学的モデルは示唆している.すなわち,実際の戦後日本の製造企業の典型的な行動パターンをよりよく描写できているのは,教科書的な利益最大化企業のモデルよりはむしろ,一定の利益率と雇用数を同時に追求する「現場指向企業」モデルである可能性を,本稿は示している.
著者
藤田 康範 藤本 隆宏
出版者
東京大学大学院経済学研究科
雑誌
経済学論集 (ISSN:00229768)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.2-20, 2017-03-01 (Released:2022-01-25)
参考文献数
19
被引用文献数
1

本稿では,藤本(2017)が戦後の日本の中小中堅製造業の実態観察に基づいて提起した「現場指向企業」の経済モデルを出発点とし,現場指向企業のうち,生産性向上にも有効需要創出にも能動的に取り組む「積極的現場指向企業」の諸特性を分析する. ここで広義のものづくりの現場(以下「現場」)とは,工場,開発拠点,サービス拠点,店舗など,付加価値が生まれ流れる場所を指し,「現場指向企業(genba-oriented firm)」とは,現場が持つ能力構築能力や存続の意志を重視するゆえに,企業としての目標マークアップ率の確保と,地域の一部である現場の雇用量維持という2つの目標を持つ企業である.そして「積極的現場指向企業(active genba-oriented firm)」とは,現場指向企業のうち,上記の2目標を同時達成するために,能力構築による生産性向上とマーケティングや製品開発による需要創造の両方を積極的に行う企業を指す.こうした現場指向企業の理念型は,戦後日本の中小中堅企業に関する筆者らの長期的観察により導出されたものである. 藤本(2017)は,こうした現場指向企業の行動パターンを描写するために,製品市場および労働市場における財の価格(P),数量(X),賃金(W),雇用数(N)を4軸とする「PXNWモデル」を提示した.このモデルは,水平の供給曲線(フルコスト原理),右下がりの需要曲線(独占的競争),リカード型労働投入係数を介した線形の必要労働力曲線と線形の賃金・費用曲線を前提とする,古典派経済学的・スラッファ的なモデルである(Sraffa 1960). 藤本(2017)はこのモデルを用いて,「現場指向企業が,一定のマークアップ率と目標雇用数を維持しつつ実質賃金の向上を実現するためには,工程イノベーション(物的生産性の向上)と製品イノベーション(有効需要の創出)の両方を行う必要がある」ということを示したが,このモデルにおいては,生産性向上努力と有効需要創出努力は企業の主体性に基づく外生変数であり,したがって,「積極的現場指向企業」と「消極的現場指向企業」の区別についても,生産性向上努力と有効需要創出努力の多寡を指摘するにとどまっていた. そこで本稿では,上記のPXNWモデルを改変し,生産性向上努力と有効需要創出努力を内生化する.具体的には,「積極的現場指向企業は消極的現場指向企業に比べ,利益を有効需要創出や生産性向上のための投資に振り向ける傾向が大きい」という定型的事実に着目し,藤本(2017)では捨象されていた「有効需要創造のための費用」を明示化するとともに,同じく藤本(2017)で外生変数とされていた「マークアップ率の水準」を内生化する方向にPXNWモデルを改変し,現場指向企業によって生産性向上と有効需要創造が同時に行われる条件,すなわち,「積極的現場指向企業」が出現する条件を導出する. この内生化モデルにより新たに得られる主な知見は以下の通りである.(1)「生産数量の増加に伴って賃金率が低下する」という賃金逓減的な状況においては,グローバル競争の激化に伴って,①「労働生産性弾力性がやや高いが一定値以下」という賃金体系の下では積極的現場指向企業が出現し,②「労働生産性弾力性が極端に高い賃金体系の下では一転して消極的現場指向企業が出現する.(2)生産増加に従って賃金率が低下するがそのような賃金逓減の程度が小さい状況,「生産増加に従って賃金率が変わらない」という賃金一定の状況,あるいは,「生産増加に従って賃金率が上昇する」という賃金逓増的な状況においては,積極的現場指向企業は出現しないが,①労働生産性弾力性の非常に低い賃金体系の下では,「生産性は向上するが有効需要創造努力は減少する」という準積極的現場指向企業が出現し,②労働生産性弾力性がやや低いが一定値以上という賃金体系の下では,「生産性は悪化するが有効需要創造努力が増加する」という準積極的現場指向企業が出現する. まず第1節で背景と目的を説明し,第2節では原型のPXNWモデルの概要を示し,マークアップ率と雇用数の目標を同時達成しつつ賃金水準を高めるための必要条件を示す.第2節ではさらに,需要創造努力とマークアップ率の水準を内生変数化した本稿のモデルを提示し,続く第3節では,グローバル競争の激化が生産性と有効需要創造に与える影響を明らかにし,その上で「積極的現場指向企業」が出現する条件を導出する.最後に第4節で,本研究の結論を要約し展望を述べる.
著者
藤本 健太朗
出版者
一般財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2020, no.201, pp.201_66-201_81, 2020-09-15 (Released:2022-03-31)
参考文献数
63

This study reconsiders the Soviet policy toward Japan before the USSR and USA established diplomatic relations in 1933, especially taking American factors into account, which have been neglected in the previous studies.After the Russian Revolution and military interference by the Allied Powers, Soviet Russia and Japan began negotiations in 1920. During the negotiations, Russia demanded the withdrawal of Japanese troops from Russian territory, while Japan sought some economic benefit in return. In order to counter this Japanese strategy, Soviet Russia signed contracts with American companies in the form of “concessions (investing with the right to develop the designated areas)” in the Far East. Since the US government refused to recognize the Soviet government however, and the negotiations with Japan had progressed, Soviet leaders prioritized the agreement with Japan. Finally, under the Japan-Soviet Basic Convention in January 1925, the USSR promised to give Japanese companies “concessions” in the Far East, and annulled the contracts with the Americans.This provided a basis for Japan to expand its influence into the Russian Far East in the late 1920s. G.V. Chicherin, Soviet Minister of Foreign Affairs, planned to attract American companies to the Far East again, in order to indirectly restrain Japan’s expansion. At the same time, it was also thought that any diplomatic tension with Japan should be avoided, so as not to obstruct Soviet policy toward China; this finally led to the abandonment of the policy to attract American companies.At the end of 1928, it was reported that UK and Japan could ally to war with America. Soviet leaders feared that the USSR would get involved with this war in some way. L.M. Karakhan, the Vice-minister of Foreign Affairs, proposed to strengthen border security and affiliate with China, in order to lock the Japanese out from the Far East, and restrict them in Manchuria. He expected the conflict between Japan and America to play a minor role in this plan. The Politburo adopted his plan, and in order to incite this conflict, incorporated in their policy the “concessions” to American companies a third time. This policy, however, did not realize due to the Sino-Soviet Conflict in 1929 and the friendly relationship between Japan and America.The Manchurian Incident was a trigger for the implementation of this policy. The Sino-Soviet Conflict discontinued, allowing the Soviets to strengthen border security in the Far East. Moreover, at the beginning of 1932, I.V. Stalin and Soviet leaders judged that the United States and China opposed Japanese aggression and were inclined to reach some agreement with the Soviet Union. Finally, the USSR established diplomatic relations with these two countries, and laid “siege” to Japan by 1933.
著者
藤本 武利
出版者
日本エアロゾル学会
雑誌
エアロゾル研究 (ISSN:09122834)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.19-26, 1999-03-20 (Released:2009-11-27)
参考文献数
29
被引用文献数
4

1 0 0 0 OA 書評

著者
藤本 隆志他
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.87-98, 1999-05-15 (Released:2009-05-29)
著者
藤本 滋生
出版者
The Japanese Society of Applied Glycoscience
雑誌
澱粉科学 (ISSN:00215406)
巻号頁・発行日
vol.19, no.4, pp.169-177, 1972-12-25 (Released:2010-03-16)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

Starch granules involve various amounts of fatty acids as “Fat by Hydrolysis” in different plant sources. These fatty acids are possibly embraced in amylose component and concerned in affecting some properties of the granules, but it is not yet clear through what process they are embraced into the granules in vivo.In this study, starch samples differing in granular size were prepared from sweet potato tubers of different maturity, and were studied on quantative and qualitative changes in the embraced fatty acids and transitions of some chemical and physical properties with the development of granular size.Each X-ray diffraction pattern of the samples of small granules was clearly characterized by the respective season when the tubers were harvested. This suggests that the small granules have developed just before the harvest. Such starch granules in earlier stage of development were shown to be higher in contents of both amylose and the embraced fatty acids, the major component of which was palmitic acid. Both contents decreased with the development of granules, while the quantity of oleic acid incorporated was found to be approximately constant throughout the developing duration.These results suggest that palmitic acid contributes to the occurrence of starch granules in vivo, because incorporation of palmitic acid into amylose may result in repressing the free movement of amylose molecules and in bringing about formation of amylose gel.
著者
江川 嘉紀 藤本 義治 塩出 省吾
出版者
一般社団法人 日本生産管理学会
雑誌
生産管理 (ISSN:1341528X)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.171-176, 2005-01-25 (Released:2011-11-14)
参考文献数
3

ボウリングボールに穴をあけるドリラーは, ボールを持つ手とボールの穴に関する各種サイズを計測しボールを作っているが, すべてのプロセスで確固とした方法をとっているわけではない。経験にもとづき, いわゆる “カン” にたよっている部分もある。また, ドリルマニュアルは日本人の顧客に十分に適用できるかどうかは問題があるといわざるを得ない。ドリラーがメジャーシートに記すメジャーリングデータは多変量であるが, 本研究では, まず日本のボウリング場でのプロショップのドリラーの実際の穴あけデータに主成分分析を適用し, 穴あけにどの種の要因が大きな役割りを果たしているか明らかにする。次いで, ドリルマニュアルに示された数値が現実の穴あけのデータとどのように異なっているか検討している。