著者
二神 弘 杉村 暢二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.196-216, 1975-03-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
16

上述したごとく多くの地方都市においては,原型として古い戦前型都心や戦災復興型都心の部分的,外装的改変では,もはや量的質的に飛躍的に増大した都市住民の都心的欲求を充足することは困難になってきている.このような今日的状況のなかで地方都市は.それぞれ独自に都心再開発計画を構想し,或は立案し,或は既に都心再開発を実施しているなど,その現状は極めて多様である.筆者は地方都市における都心再開発は,先発グループとしての中央巨大都市群の都心再開発の先行の中から多くの教訓を学びつつ,都市住民の広汎な都心的欲求に十分に対応した,いわゆる市民都心の創造を強く提案したい.
著者
渡辺 悌二 深澤 京子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.10, pp.753-764, 1998-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
21
被引用文献数
4

黒岳周辺の登山道の荒廃の軽減を図るために,黒岳七合目から山頂区間の登山道に,1989年に排水路と土止め階段が設置された.これらの排水路や土止め階段が設置された当時には,板の上端まで土壌があったと考えられるが,現在では土壌侵食によって,かなりの板が露出している.調査地域に設置された板製の排水路の67%と板階段の67%が機能を失っており,57%の階段の周辺で土壌侵食が生じていた.登山道の幅は,7年間で平均72.5cm拡大していた.さらに,5地点での土壌侵食速度は,54~557cm2/年であった.この地域の既存の排水路や土止め階段はいくつかの問題を抱えており,登山道の荒廃を軽減するためには,(1)適切な設置角度の排水路の数を増やし,(2)排水路や土止め階段の長さを長くし,(3)登山道表面の整地作業を頻繁に行う必要がある.
著者
舩杉 力修
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.8, pp.491-511, 1997-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
55
被引用文献数
1 2

本研究では,伊勢信仰の浸透の過程とその背景について,戦国期に伊勢信仰が浸透した越後国を事例として明らかにした.伊勢信仰の布教の担い手は神宮門前に居住する御師であったが,外宮御師北家の場合,道者の開拓は北家自身ではなく,道者の権利を売却した釜屋によって行われた.戦国期め道者開拓には,商人層も関わっていたことが指摘できた.次に,北家の1560 (永禄3)年の道者売券に見られる越後国88力村のうち,蒲原郡出雲田荘における道者の存在形態について検討した.その結果,伊勢信仰は,戦国期に新たに生まれた村を対象とし,村の開発者を道者として獲得して拡大したことがわかった.さらに,伊勢信仰の信仰拠点とされる神明社との関わりを見ると,神明社は近世の新田村に分布していることが判明した.また,道者が成立した村の生産基盤について見ると,村の主要な産物は麻の原料である青苧で,その交易の中心の担い手は,伊勢御師を出自とする蔵田五郎左衛門であったことから,商業的性格を持っ伊勢御師が,村と交易路との仲介の一端を担っていた可能性が指摘できた.つまり,戦国期における越後国への伊勢信仰の浸透は,社会・経済的な側面と密接に関わる現象であったといえる.
著者
三浦 鉄郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.674-685, 1970-11-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

八郎潟東岸平野の開発進展とその地域性を明かにするため,その方法として,(1)当地域に立地する集落の成立年代を検討し,開発の時期的大要を把握し,(2)開発に関する古文書・古絵図などを参考にし,(3)実地調査を行なった.その結果は,(1)古代1こおいては,三角州の低湿地と氾濫原の低湿地をさけて自然発生の街道沿いに成立した集落付近が切添的に土地開発が進められた.(2)中世は,東方の山麓・台地の前面低地と自然堤防上が豪族の経済と戦略体制の二重性のもとに開発された.(3)近世は,広大な氾濫原が封建体制下の一円支配の財的確立を目して,藩営の用水路開さくによって,全面的開発が行なわれた.(4)現代は,当平野の大部分を占める氾濫原が開発の限界点に達したことと,人口増加におされて湖岸水面下を対象地に「地先干拓」が進められ,特に昭和期に入っては,国営による「八郎潟干拓事業」によって湖岸干拓が完成した.
著者
千葉 徳爾
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.27, no.6, pp.255-262, 1954-06-25 (Released:2008-12-24)
参考文献数
31

In the documents which have been studied, it was noted, that there are more bare hills in the rural common forest than in the other lands of the Okayama district. There were two types of rural common forest, one was used by the families of only one village and the other was used by the people of two or more villages. The former is not such a big problem, but the latter is the very subject of this study. In this study the word “common forest” means this type. The common forest is usually located between settlements, on ridges of hills or on the borders of villages. Forestry experts say that the soils of the rounded ridges are clay which are eroded easily for morphological reasons. However, the soil of the ridges. are.not always naturally eroded but also have been devastated by man's activities. In the documents we see that many of the common forests have been in dispute between some of the villages. Soil erosion has been noted, because the use of the forest were so wasteful by digging of roots, or by the use of the moss surface. Some people says that the cutting of wood for fuel and timber is the reason for erosion. In fact the requirement for fuel for urban and rural settlement increased due to the growing population and the development of industry. However, the fuel sold commercially was obtained from the private forest, because the products of the common forest. could not be sold without compensation to the villages and such cases were very rarely mentioned in the documents. Thus the author concludes that as the poor class who have no private forest grew with the development of an exchange economy, the common forest were used for fuel by the poor class and much waste took place. Thus the forests are denuded and have not been replanted. The rain weathered the granite hills and the eroded soils made the stream beds higher and higher. This process began from the. 19th century near the salt farms and margins of the Setouchi lowland.
著者
大谷 猛夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.46, no.9, pp.583-599, 1973-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

本稿は,東京都足立区の本木地区における零細工業の存在基盤と階層構成について考察する. 1) 日本工業の中で独占企業への生産の集中がおこなわれていない部門は,雑貨工業をはじめとする一部の軽工業である. II) 雑貨工業は,独占資本が生産過程に直接関与することが少なく,問屋制的な家内工業の様相を強く残している. III) 東京都足立区本木地区には,大正末期以来,皮革工業を中心とする零細な自営工業が密集している. IV) 本木地区の零細工業は,業主と家族労働に主体をおく自営の家内工業がその中心である.ここの自営業者は,中小「企業」を指向する少数の上層自営業者を除けば,もっぱら,より大きな経営から原材料の支給をうけ,それを加工し,それに対する加工賃(事実上の労働賃金)を受けとる経営である. V) これらの下層自営業者は,原材料・完成品の市場から遮断されていると同時に,他の経営に外注もせず,雇用労働力も持たず,系列・外注関係の最末端に位置している.景気の調整弁として,不況時に,まっ先に切り捨てられる不安定な存在である.
著者
兼子 純
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.11, pp.783-801, 2000-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
2

本研究は,ホームセンター (HC) チェーンにおける出店・配送システムの空間構造を解明することを目的とする.新潟県に本部を置くK社を事例企業として,その施設の立地展開と,商品の配送システムを分析した.その結果,発注情報が事業本部への一極集中型を示すのに対して,配送はその商品特性により,重層的な空間構造を形成していることが明らかになった.物流センターから各店舗への配送では,夜間,午前,午後の配送時間帯による配送範囲の形成が認められた.これは, (1)商品回転率が低いこと,(2)食品を扱わないこと,(3)配送時に混載が可能であること,(4)配送時間帯が柔軟であること,といったHCの商品特性により,物流費を削減する取り組みを反映した結果である.商品の鮮度や形状を重視する園芸関連商品や重量のある建築用ブロックは, K社物流センターには集約されず相対的に配送範囲が細分化されている. HCチェーンの運営は,物流費の低減にその重点が置かれており,多店舗化・広域化という出店行動を規定している.
著者
荒木 一視
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.65, no.6, pp.460-475, 1992-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
5 6

Since World War II Japanese villages have been transformed dramatically. With the shortage of agricultural labor in Japan, villages today have been hurt by the problems of an aging labor force. The Japanese government tried to reorganize the agricultural structure after World War II. But many farmers who hold small cultivated plots have maintained their operations. Under such conditions, it is important to research agricultural change from the point of view of how cultivation is maintained. Nevertheless, at this point in time, few investigations have provided detailed case studies. In particular, it is rare to find a case reported from the view of agricultural production from the agricultural labor side. This paper aims to clarify the mechanism of agricultural continuance by means of a detailed case study in Takamiya-cho, a village in Hiroshima Prefecture. The methodology is as follows. In the previous studies on the shortage of supply of agricultural labor, in addition to many discussions of part-time farmer, two main labor supply source systems have been discussed. One of them is the “weekend farmer” who lives outside his home village and returns to the village to help with his family's farm in the busy farming seasons or on weekends. The other is the trust system of agricultural lands and works. The former is a phenomenon that occurs in individual farm households, but the latter is a system that occurs in groups of farm households. This study investigates how these two systems function in a village with an aged population. Three types of farmer can be classified according to the labor supply situation. The first type is the successor who lives with his aged parents and works in the non-agricultural sector. Where this type of farm household is prevalent, cultivation can be continued because the agricultural labor force will be reproduced even with part-time farming. In such a situation only rice will be cultivated, by a small labor force using agricultural machinery. In the second type, the agricultural labor force is supplied by “weekend farmers.” In this type cultivation is maintained by the labor supply system in each farm household itself. The labor supply of “weekend farmers” is available for mechanized agriculture, but serious problems will occurred in the near future, because there is little probability of reproducing the agricultural labor force. In the third type, the labor force is supplied by an agricultural trust. This type is a labor supply system that works in groups of farm households. This type of labor supply is available not merely in villages with an aged population but also in villages where part-time farming is predominant.
著者
金田 章裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.249-266, 1976-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
44

摂津・河内・大和・山城・伊勢・尾張などでは条里地割の内部に島畑が存在している.このような島畑景観の起源は条里地割そのものの起源とは別に検討を必要とするものであり,文献史料と現地の地割形態との対比の結果,明確に確認されるのは14世紀末であり, 12世紀以前においてはまだ形成されていなかったと考えられる.律:令制下では本来畑は制度的に田と異なり,かつその評価も低かったが,11世紀以後の制度的な差異の消滅および土地利用の進展の結果,例えば15世紀初めには田畑が同一の評価を受けていた例も確認される.この頃には従つて田畑共に有効に利用する集約的な土地利用形態と結びつく島畑景観形成の経済的・社会的条件は一応満足することとなり,前述の起源とも合致する.このような島畑景観形成のプロセスは,微地形・表層地質の調査・検討の結果とも矛盾せず,むしろ検証されるものである.
著者
三木 一彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.12, pp.921-941, 1996-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
2

江戸時代に入って広く信仰を集めるようになった山岳信仰の霊山は数多い.このうち,本研究では,武蔵国秩父郡に位置する三峰山を取り上げ,その所在地である秩父地域において三峰信仰が展開した背景と,同地域における三峰信仰の性格にっいて検討を加えた. 三峰山の山麓にあたる大滝村では, 17世紀中期以降,主に江戸へ向けた木材生産が盛んになり,村としてまとまって伐採の規制などを行う必要が生まれた.この中で,三峰山に大滝村全体の鎮守,とくに木材生産に関する山の神としての機能が求められるようになり, 18世紀中期には,大滝村をはじめとする秩父地域の人々がさまざまな形で三峰山を支えた.秩父地域の人々にとって,たしかに三峰山は多くの信仰対象の中の一つにすぎなかった.しかし,三峰山は,多種多様な信仰を取り込み,生産・流通の進展を背景に経済力をっけた人々とっながりを持っことで,秩父地域における一定の地位を築いた.
著者
池谷 和信
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.66, no.7, pp.365-382, 1993-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
53
被引用文献数
4 4

本研究は,ナイジェリアのフルベ族の牧畜経済を,その生態的側面と彼らをとりまく政治経済的側面との両面から分析したものである.なかでもフルベ族の移牧形態,家畜群の管理と販売からなる牧畜経済を記述・分析することが中心となった.調査の結果,移牧フルベは雨季から乾季にかけて約8m下がるベヌエ川の水位の変化に対応して,家族総出で居住地を氾濫原に移動する生活様式をとり,彼らの牧畜活動は,伝統的な薬を利用した牛の繁殖や牛の夜間放牧などに特徴がみられることが明らかになった.また,フルベは牛の価格の高い家畜市を選択するだけではなく,病気の牛,不妊の雌牛など,群れの中で不必要な牛を適宜売却することから,市場経済の原理に強く依拠している.彼らは,結婚式や命名式などで使われる数頭の牛を除くと,3頭分の牛を売却して得た現金によって穀物などを購入して,一年間の生計を維持することができる.ナイジェリアのオイルブームによる経済成長をへて,フルベは伝統的牧畜形態を維持したままの自営牧畜を展開させてきた.
著者
植村 善博 太井子 宏和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.11, pp.722-740, 1990-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
40
被引用文献数
11

琵琶湖はわが国最大で,世界的にも最古の湖沼の1つであるが,その湖底部の活構造についてはほとんど明らかにされていない.そこで,湖沼図・ユニブーム記録・エアーガン記録の判読,深層ボーリングの成果などに基づき,湖底活断層の分布と性質,琵琶湖の傾動運動および現湖盆の変遷過程について考察した. その結果,湖盆形態を決定する大規模な活断層として,西岸・南岸・東岸湖底断層系が認定された.西岸湖底断層系はA級活動度をもつ最も重要な逆断層であり,変動地形や西傾斜の基盤面の特徴などから,琵琶湖を含む近江盆地のブロックが比良・丹波のブロックにアンダースラストしている境界であると推定した.南岸・東岸湖底断層系はB級活動度をもつ逆断層である..以上の活断層はその走向と変位様式から,東西水平圧縮下での共役断層系をなしていることが明らかになった.またこれらに限られた中・北湖盆は逆断層性の地溝(ramp vally)である。中央撓曲と掘削点断層は50万年前頃を境に変位速度が加速化しており,近畿中部全域において生じた地殻応力の増加が原因と考えられる.琵琶湖の湖底地形や堆積作用を支配している近江傾動運動は,約100万年前に発生し,40万年前以降加速化してきている.現琵琶湖盆の発達過程は,(1)湖盆の発生期(200万年前頃),(2)浅い湖盆の発達期(200万年~40万年前),(3)深い湖盆の形成期(40万年前~現在)の3時期に分けられ,その古地理図が描かれた.
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.811-822, 1995-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11

Mobility studies in metropolitan areas have traditionally been focused on centrifugal out-migration from central cities in metropolitan areas. But in recent years, with the growth of metropolitan sub-urbs, more attention has been paid to suburban centers. Watanabe (1978) argues that intra-metropolitan migration in the Tokyo Metropolitan Area is com-posed of two main migration flow patterns, in-migration from non-metropolitan areas and out-migration from central Tokyo to its periphery. The purpose of the present study was to clarify the major flow patterns of intra-urban residential mo-bility in Ichinomiya City, which is included in the Nagoya Metropolitan suburban area and to exam-ine whether Watanabe's model can be applied to intra-urban residential mobility in a suburban core city. 922 movers were identified by using telephone directories published in 1990 and 1992. From the anal-ysis of zones divided by concentric circles centering on City Hall, it is clarified that the major flow pat-tern of migration in Ichinomiya City is from city core to peripheral zone. Then a questionnaire survey was conducted among migrants whose origin was the city core. Many of them are inter-urban migrants who moved from outside Ichinomiya City with a change of employ-ment. The major reason for intra-urban residential mobility is housing unit adjustment and 60.7% of sample households had moved into owner-occupied independent houses. There are migrants who flow out to the peripheral zone, and others who stay in the city core. Hayashi's Quantification Theory II was applied to distinguish the two types of migrants. As a result of the analysis, it was found that the important factors distinguishing them were type of present house, length of time spent at previous residence, and type of previous house. As a result, Watanabe's model can be fairly applied to the intra-urban residential mobility pat-terns in Ichinomiya City, which means that in the Nagoya Metropolitan Area there is not only a large concentric migration pattern centering around the metropolitan center but also a small concen-tric migration pattern centering around the suburban core city.
著者
吉村 信吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.19, no.7, pp.365-381_1, 1943-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13

1) 昭和17年12月及び18年1月の低水時に原町田及びその西方の相模野臺地の地下水を調査した。 2) 本地域の一般地下水ば臺地面下23~17mにあり,地形に從つて北西より南東に向つて低下する。その面は境川の河水面と平衡を保ち下の不透水層とは無關係である。原町田附近では町田川及びその支谷の底が低い位置にあるのでそれに向ひ流出し,地下水面は境川との間に分水線を作ることなしに低下してゐる。これは境川中流の冬季の水量を減少させる1つの原因である。 3) 大沼,鵜野森,原町田,金森の3宙水域が本水面上10~15mの所に發達してゐる。武藏野臺地と異なり中央は邊縁部よりも10m近く盛上つてゐる。原町田に於ては宙水域の端を精密に觀密することが出來た。 4) 聚落の發生,立地と地下水との關係を略述した。
著者
林 上
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.12, pp.875-877, 1971-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
2
被引用文献数
3 2

冒頭で述べたように,濃尾地震直後における小藤文次郎の調査により本巣町金原地区において, 7.2mに及ぶ水平変位のあったことが報告されているが,筆者はこのたび根尾村中地区における同地震にともなう断層運動の水平変位を調査した.その結果,上述した地籍図と実測図との間における各境界線および道路の食違い量を水平変位量の近似値と考え, 7.4mの値を得た.この値は小藤の値とほぼ同じであるが,このように大きな水平変位が単に金原地区だけにあったにとどまらず,それより12kmも北西に位置する当地区においても発生していたことなどからみて,根尾谷断層は濃尾地震時の断層運動においても,広範囲にわたって「横ずれ断層」(水平成分〉垂直成分)の性格をもっていることが裏付けられたといえよう.
著者
竹内 常行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.445-458, 1975-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
被引用文献数
1

九十九里平野では,いく列かの砂堤(あるいは浜堤,砂堆)と砂堤間の低湿地が,海岸線にほぼ平行しているという地形的特色に対応して,砂堤は集落・畑・山林などの場所,低湿地は水田になっているというのが,従来の通念であった.しかし,砂堤の大部分は島畑区域となっているので,水田は砂堤の区域にも広く分布しているという事実によって,従来の通念を修正し,ついで九十九里平野に島畑のできた理由について.従来発表された意見の誤りを指摘し,地形に由来する水利上の不利を克服しながら,砂堤区域に水田を拡張して行なった結果,島畑景観が生れたものであることを明らかにした. ついで本稿の大部分を椿海干拓地の島畑地域の記述にあてて,まずその島畑の分布図を作成し,特色ある島畑景観地域について,いかなる地形,いかなる水利条件の地域に,島畑景観が生れたかを明らかにする.
著者
須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.12, pp.793-813, 1990-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
3 11

赤石山地・三河高原南部の小起伏面の性格と分布を示し,従来の“山頂小起伏面=隆起準平原遺物”説の再検討を試みた. まず空中写真判読により小起伏面を認定した.次に面の形態や構成物質の特徴などをもとに小起伏面を5タイプに分類した.さらに調査地域全域の小起伏面の分布を示し,面の起源を検討した.その結果,赤石山地・三河高原南部の小起伏面は,大半が侵食面であり,(1)山頂や高い尾根上に位置する面は,化石周氷河成平滑斜面の一部に含まれること,(2)厚い風化殻に覆われた丘陵状を呈する面は,山地の縁辺部ほど良く分布し,標高1,500~2,000mで消失することが明らかにされた.(1)は高位削剥面,(2)は隆起準平原遺物,とみなしうることが指摘され,従来の“隆起準平原遺物”説を再考する必要性が示された.
著者
山下 亜紀郎
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.11, pp.621-642, 2001-11-01
参考文献数
15
被引用文献数
2

本研究では,金沢市における都市住民による用水路利用,ならびに用水路の維持に対する意識と実践にっいて,住民や地域組織などへのアンケート調査および聞取り調査に基づいて解明した.1970年頃まで,用水路は都市住民の生活にとって多様な機能を有していたが,現在では,景観要素としての「見て楽しむ」機能と火災や積雪に対する「防災」機能に特化している.用水路利用者の住民属性に関しては両校下で相違がみられ,長町校下では,用水路は幅広い住民層によって利用されているが,小立野校下では高年齢層や居住年数の長い人に限られる.居住地に関しては両校下とも,利用者が用水路からの距離に比例して減少している.用水路の維持に関しては,地域組織による活動が重要な役割を果たしている・現在の都市生活者にとって,個人単位で用水路を生活に利用し,維持するには限界があり,地域組織で用水路の新しい活用法を見出し,維持・管理していくことが重要である.