- 著者
-
三木 理史
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
- 巻号頁・発行日
- vol.85, no.6, pp.618-632, 2012-11-01 (Released:2017-11-16)
- 参考文献数
- 47
本稿の課題は,「群馬県庁文書」の活用によって,1910年利根川大水害の罹災者の対応を,移住者送出に視点を据えて明らかにし,これまでの移民研究の空隙を埋めることにある.本稿は,群馬県多野郡の朝鮮移住と全県的に推進された北海道移住に重点を置いて考察を行った.群馬県は,商品作物生産が盛んで,かつ農業外労働市場が豊富なため,元来移住者送出数が少なかった.多野郡では,出身者の日向輝武の勧誘活動により,1900年代初めから移住者送出が本格化していたところへ大水害が発生した.しかし,同郡罹災者に東拓の朝鮮移住情報は浸透せず,彼らは新聞広告から情報を得て渡航した.一方,県主導の北海道移住では,義捐金からの補助金拠出に加え,日下部宗三郎ら地元の先駆的移住者の積極的勧誘が促進要因であった.その結果,全般に死者が少なく,耕地や家屋の被害多大な地域で移住者送出依存の高かったことが明らかとなった.