著者
杉山 静征 野田 裕司 山口 真由 土井 修市 吉村 昌雄 池田 義照
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学医学雑誌 (ISSN:03858367)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.233-237, 1980-09-25

A medicolegal autopsy report is made of a 30-year-old man who suddenly died from a spontaneous heart perforation after collision with radio lose control airplane on the chest. The perforation was located on the right ventricle, but the heart sac was intact. The cause of this death was diagnosed as so-called "cardiac tamponade".
著者
浜田 吉治郎 中山 厚生
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学健康スポーツ教育センター研究紀要 (ISSN:1349175X)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.1-14, 2004-03-25
被引用文献数
1

テニスのシングルスにおけるプレースタイルについて、現在の基調と理想に関するプレーヤー自身の意識を把握しようと考えて調査を行い、主として次の結果を得た。1.理想のプレースタイルは、「オールラウンド-攻守量面型」で、「理想の41%が実行成就可能」という意識を持っていた。2.ゲームの中では、精神面、技術・体力面、頭脳面の順に意識が強く現れ、一流選手の条件として知的側面のトレーニングの必要性に示唆をえた。テニスのシングルスにおけるプレースタイルに関する学生男子プレーヤーの意識乃至は認識について、自身の考える理想のプレースタイル、現在の完成度、将来の実行成就の可能性などに対する意識を捉えようと考えた。今回、主として、男子学生のプレースタイルの現状および将来の実行成就度を中心に、プレーヤー自身の意識調査を行い、考察した結果を次に要約した。1.勝利のために身につけている要素と欠けている要素を通して、また、理想との比較を通して得られた結果から、勝敗のための要素は、共通して「技術面・体力面」を中核に、「精神面」が最も多く意識され、「頭脳面」の要素の意識が少ないことがわかった。2.現在のプレースタイルについては、本戦選手では「オールラウンド-攻撃型」、予選選手では「ベースライン-守備型」と、自覚しているプレーヤーが多かった。3.プレーヤー自身が考える「理想のプレースタイル」については、歴史的に仮説として考えられた「サービス・ネットプレー-攻撃型」の指向も存在するが、「オールラウンド-攻守両面型」を考えている傾向が最も強く表れた。4.「理想」に対する実行成就についての意識としては、現在の実行成就度が40%以下と考えているプレーヤーが約3分の1(37%)いるが、将来は全てのプレーヤーがそれ以上に出来ると考えている。すなわち、学生男子のプレーヤーは、全員が、将来、「理想のプレースタイル」に対して約50%以上の度合いで実行できると考え、高いレベルへの上昇を確信する意識があった。このように1学生男子のテニスプレーヤーにおいては、毎日トレーニングを行って技術レベルの高さを保ち、技術・体力を中心に精神面に対する意識の高さを保ちながら、一方では、頭脳面に対する意識はいくらか低く狭い傾向が垣間見える中で、他方では、全ての面の要素を含んだテニスのオールラウンド性に直面している様子がみられた。すなわち、オールラウンドな要素が必要な中で、低調を示す知的側面における理解とトレーニングを、さらに深く広く促進することが、特に一流選手の間に必要と読みとることが出来る。筆者は、長年にわたって、テニスの知的側面の重要性を主張してきたが、いみじくもこの傾向を通して適切さが現され、若い学生プレーヤーの課題として示唆を得た。
著者
田添 裕康 人見 一彦
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学医学雑誌 (ISSN:03858367)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.515-523, 1991-09-25

We report psychopathology in a chronic schizophrenic who liked to paint and draw. He firet manifested the disease at the age of 27 and committed suicide at the age of 48. From his work of art made from 30 to 48 years of age, We analyzed the relationship between his psychopathology and the artwork he had done from the age of 30 until his death. While he was not in a psychotic state, his drawings were very meticuious but not creative. While he was in a psychotic state, by contrast, though the patient was distraught, his awork was very creative. Drawing was for him an effective method of alleviating the pain of psychosis. He attempted to understand himself and observe himself objectively by drawing his own portrait and making himself into a piece of art. He ultimately failed to objectively accept that he had psychosis, and he committed suicide.
著者
田尻 尚士 松本 熊市 原 和子 黄 波泉
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学農学部紀要 (ISSN:04538889)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.33-40, 1975-03-15

[Author abstract]"Bean-Curd" mixed in canned fruit salad became generally soft and melting therefore same technical treatment were necessary. Followings might be important points for making of canned fruit salad with "Bean-Curd". 1. Agar about 10% used for coagulating "Bean-Curd". It must be selected one which has high melting point. If some gelatin were mixed in it, the texture of the jelly would be improved. But in this case more than 0.5% of gelatin were not mixed, because more gelatin the "Bean-Curd" become weaker for heating. 2. As the mixing of milk, fresh milk, skim-milk, and evaporated milk could be used favorably, but powdered skim-milk was not suitable for this purpose. Quantity of these milk 10% of fresh milk, and 5% of evaporated milk were usable. If skim-milk could be supplied enough, it might be used as it was low in cost. 3. Percentage of sugar, 22.0% were desiable to get high quality of product, but usually 15.0% might be suitable. 4. As coloring material erythrosin was the best, bust natural color Sun-Red No. 1 also gave good color. 5. If pH control desired, just soak in 0.4% citric acid solution for 30 minutes. 6. Fruit salad with other subtropical fruit such as litchi longan papaya and pineapple could be made as the present experiment.[著者抄録]季節産業である農産缶詰の端境期のつなぎ操作として杏仁フルーツサラダ缶詰の製造法について研究した。1.杏仁豆腐ベースとしては、溶解点の高い寒天1.0%、良質のゼラチン0.5%を併用するのが食感的に最良であった。2.ミルクとしては、牛乳、脱脂乳を10%,無糖練乳5.0%が良好であった。3.糖度は製品糖度22%が好ましいが、杏仁豆腐としては15%前後が最適と考えた。4.着色料サンレッドNo.1も使用可能であるが、人工着色料エリスロシンが最良であった。5.pH調節法としては、必要あれば0.4%クエン酸液で30分処理すれば充分であった。6.トロピカル風のフルーツサラダの製造が可能であることが認められた。
著者
堀口 良一
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大學法學 (ISSN:09164537)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.226-160, 2002-07

[目次] はじめに, 1.安全第一協会と機関誌『安全第一』, 2.機関誌『安全第一』所収の蒲生記事, 3.蒲生俊文の安全思想, おわりに本文データは, CiNiiから複写したものである。
著者
苅部 甚一
出版者
近畿大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

H30年度は,放射性ストロンチウム(Sr)汚染地域を流れる請戸川の上流域の小河川において,環境試料(河川水,魚類,河川周辺の土壌等)の採集を行い,土壌,河川水,魚類(骨)に含まれる放射性Sr濃度の時間変化および移行プロセスについて検討した.その結果,H30年度に採取した土壌,河川水,魚類の骨の放射性Sr(Sr-90)濃度がH27,28年度の値とそれほど変わっていないことが明らかとなった.また,この小河川の下流域と源流部の湧水,土壌のSr-90濃度を調べたところ,H28年に採取した小河川下流部の河川水におけるSr-90濃度に比べて下流域の湧水が高く,源流域の湧水は低いという傾向を示した.同時に採取した土壌のSr-90は下流域が高く,源流域で低い結果となった.このことは,この小河川における福島第一原子力発電所事故由来の放射性Srの供給源の一つとして,この小河川下流域に広く分布するSr-90を高濃度に含む土壌が考えられ,それらの土壌から湧水を通じて原発事故由来の放射性Srが小河川に供給されている可能性を示している.以上の結果から,請戸川上流域の一部地域では,未だに土壌中に多くの原発事故由来の放射性Srが残存し,そこから湧水等を通じて河川へと放射性Srが移行していること,そして,最終的にその河川に生息する生物(魚類)への移行が続いていることが考えられる.河川への原発事故由来の放射性Sr供給源の一つと考えられる土壌のSr-90濃度の低下傾向が確認できていないため,今後もこの地域における放射性Sr濃度が高い状況が続く可能性が考えられ,放射性Srの今後の挙動を把握するためにも長期的な調査の継続が必要だろう.
著者
山口 昭三
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学九州工学部研究報告. 理工学編 (ISSN:0288738X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.43-59, 1993-12-01

This paper deals with the consequences of the survey of brewnes located in the major municipalities, along the coast of the Japan Inland Sea, in Hiroshima Prefecture and also located tn Saijo-machi of Higashi Hirosima City In the twenty-seven cases out ot the thirty-one brewries studied, the brewing sites and the owners' dwelling houses still inhabited are placed on the same plot, and these brewries have their production of less than 500 kiloliters The majority of the brewries in Saijo-machi and Akitsu-machi have their L-shaped floor plan This shape of brewries had been built on and after the thirtieth year of Meiji, yet their counterparts had not been reported before then There were ten brewnes which have their truss structure, and all of them were built on and after the thirtieth year of Meiji The brewnes with this truss structure in Saijo-machi have their "nakabikigeta" built under its "rikuban," and they also have subpillars supporting them in every two "ken." Although ones with this truss structure originally do not need subpillars at the center of "hari," yet the survey shows surprisingly that many of them do have subpillars at that position This can be regarded as a special case of transition
著者
山口 昭三
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学九州工学部研究報告. 理工学編 (ISSN:0288738X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.47-57, 1992-12-01

This paper deals with the changes and developments of "sake" brewing in Hirosima Prefecture from the end of the Edo period up to the present. Chapter [1] gives you an overall discriotion of "sake" brewing in the prefecture, and Chapter [2] focuses on the limited number of areas surveyed this time The locations of the main brewing areas have been changed through the history, but the reasons of their moves depend upon a variety of conditions of each period It is very notable that we can see a big difference especially before and after the Shougunate During the Shougunate, "sake" brewing had been controlled by each "nan" or clan of the district In the Meiji Era, however, retrictions on brewing imposed by each clan had been totally reduced Once they obtained a license, they could both produce and sale quite unrestrictedly, and cousequently they ran into competitiveness in quality. While transportation of "sake" in the country was mainly done by ship, it was exclusively provided at the ports along the Inland Sea coast At most of further inland areas, the demand of "sake" had been satisfied by their local products. The spread of railroads, however, accelerated transportation of goods to cover distanant markets To be competitive, they all tried hard to improve the quality of their local products, and finally there tended to locate prominent breweries in and around the regions with the advantage of their better transportation service In Hiroshima prefecture, the brewing amount had been comparatively high at Saijo Town and it had become one of the most famous brewries by the Taisho Era.
著者
山下 雅之 桑原 丈和 前田 益尚
出版者
近畿大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

まず平成17年度には、夏期休暇を利用してフランスとベルギーでマンガ文化の中心をなすと考えられる都市、アングレームとブリュッセルを訪れた。アングレームでは国立マンガセンターで展示資料の閲覧と蔵書資料の検索、調査を行った。またアングレームは町全体のあちこちの壁面に有名なマンガキャラクターが描かれているので写真撮影を行った。ブリュッセルでは、マンガセンターを訪れ、展示されているマンガ史に関する資料を閲覧し、図書館の蔵書を調査した。また市内各所にある書店、古書店を訪れ、マンガの資料収集に当たった。このほかパリなどを中心に書店、古書店を訪れ、マンガの資料を収集した。平成18年1月にはアングレームで行われた国際マンガフェスティバルを視察し、多くのマンガ出版社や作家、雑誌社などのブースを訪れマンガ資料を収集するとともに、関係者にインタビューを行って、マンガ界の現状についての意見交換を行った。平成18年の夏季休暇を利用し、おもにパリで資料の収集に当たった。マンガ専門の書店や古書店で、どのようなものに人気があるか、最近の流れとしてとりわけ人気の高い日本マンガの翻訳の状況などを、実際に書店の店頭で数多く触れることができた。また8月末には南フランスのソリエスヴィルで毎年行われているマンガフェスティバルに参加することができた。小規模ながらも、バカンスシーズンに行われる催しで、地元の人々を中心に熱心なマンガ好きの人たちが集まるイベントを肌で体験することができた。平成19年1月末には、アングレームのマンガフェスティバルに参加した。今年の傾向としては、日本マンガを始めますます輸入が増加する海外のマンガに関心が高まっており、今年のマンガ大賞にはアルゼンチンのマンガ家、そして単行本に与えられる賞には、日本の水木しげるが選ばれた。こうしたことから、これまでの伝統あるフランスのバンデシネに対する危機感も叫ばれるようになり、そうしたテーマのシンポジウムに参加して、現場の出版社や批評家などの生の声に接することができた。さらにアングレームの国立マンガ研究所の学芸員に会って話をすることにより、これから相互に交流を深めながら研究を進める足場を作ることができ、たいへん有意義であった。日本マンガ批評の現状については、本研究組織のメンバーが研究を行い、フランスのマンガについての研究と比較をするため、研究会を数度開催した。この結果、それぞれの発展プロセスの違いから、日本のマンガとフランスのマンガには、いろいろな興味深い差異があることが明らかにできた。なお17年度研究分担者として参加した前田は、平成18年4月から2年を要する病気療養のため休職したので、研究の継続を断念し成果報告も不可能となった。
著者
谷口 靖弘
出版者
近畿大学
雑誌
商経学叢 (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.205-219, 2007-03-31

1997年3月,大阪市西区千代崎に完成した「大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)」への来訪客を,「ドーム城下町」といえる大阪市西区九条商店街地域へ誘客することを目的にスタートしたのが,町おこしイベント「大阪・九条下町ツアー」であり,交通機関等を使用しない2時間余りの「ウォーキングツアー」である。当初から商店街等からは資金援助を受けずに,観光研究のフィールドワークとして主宰する筆者や地元有志が「町おこし市民運動」として立ち上げたものだ。97年4月,「九条下町ツアー」と銘打って参加者を一般募集したところ,大阪市内では珍しい町おこしツアーとして新聞・テレビ等マスコミで報道されたこともあり,30人の定員はすぐに満員となった。現在,ツアーは春と秋を中心に実施され,全国各地から修学旅行生も訪れるようになった。我々が実施している「大阪・九条下町ツアー」の対象地域である「九条地域商店街」は一般にいう「観光地」ではない。しかし,このような地域にも「観光地域活性化の5条件」が内在し,地域活性化を引き起こす潜在要素を見出すことが可能である。10年間余り催行されている「大阪・九条下町ツアー」の内容を述べる過程でこのことを実証する。併せて,ツアー参加者に対するアンケート調査の分析と旅行業法上の問題点などを考察した。
著者
森 優子 川上 秀人
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学九州工学部研究報告. 理工学編 (ISSN:0288738X)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.85-92, 1996-12-01

Throughout its long history, typography has been expressd by the foremost media of the age. Typography is often treated only subjectively and by impression in Japan. I'm trying to consolidate the foundations of typography. I'll divide the history of typography into three periods William Morris and the beginning of Modernism, Modernism and new typography and Post-Modern and explain the thought of each one. I shall consider the typography of the Post-Modern period and place it in the context of modern typography. I shall compare each of the three periods and investigate the characteristics common to all. There is a difference in thought and assertion between the opinion of William Morris's and Post-Modern typography. However, their emphasis on modernity is a point of similarity.
著者
武田 昌一 桐生 昭吾 山本 誠一 吉田 友敬
出版者
近畿大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

人間の感性メカニズムを解明する研究の一環として、音楽や音声を聴くだけではなく音楽に合わせて手を叩く、百人一首かるた競技時に読手の発声を聞いてかるたを取るなど、能動的動作が伴うときの脳の情報処理に関するいくつかの新しい知見を脳血流や脳波計測、聴取実験などの方法により取得した。更に、感性に関する応用研究の一環として、感情の強さまで自由自在に表現できる日本語感情音声合成方式を初めて実現した。
著者
尾園 暁 桜谷 保之
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学農学部紀要 (ISSN:04538889)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.71-155, 2005-03-31
被引用文献数
1

The Odonata fauna in Nara Prefecture, western Honshu, Japan, were investigated in 1998-2003. Ninety-one species of 11 families of Odonata were recorded from Nra Prefecture by present research. Their distributions in Nara Prefecture were presented every municipality, and were shown in distribution maps. The characteristics of Odonata fauna and natural environments in Nara Prefecture were also discussed.記事区分:資料
著者
上崎 哉
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大學法學 (ISSN:09164537)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.57-99, 2006-03-30

[目次] 一.はじめに, 二.争点化過程, 三.政策内容の変容, 四.結びにかえて本文データは, CiNiiから複写したものである。
著者
諏訪野 大
出版者
近畿大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

本研究では、我が国の法体系におけるテレビ番組フォーマットの位置づけを行った。テレビ番組フォーマット自体は著作物ではないが、番組制作に用いられるバイブルと言われる仕様書は著作物であり、その翻案物として保護される余地がある。不正競争防止法上、商品等表示に該当しない一方、営業秘密となりうるが、放送後は保護されない。法律上保護される利益への該当性については、最高裁の判例が厳しい解釈をしているため、現在では、不法行為の成立は困難である。信託財産として信託を設定することは可能であるが、テレビ番組フォーマットを排他的に独占する権利がないため、バイブルの著作権の信託による方が現実的である。
著者
新田 和宏
出版者
近畿大学
雑誌
Memoirs of the School of Biology-Oriented Science and Technology of Kinki University = 近畿大学生物理工学部紀要 (ISSN:13427202)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.37-54, 2007-09

冷戦終結以降、世紀を跨ぎ、急速に進展しつつあるグローバリゼーションに適応するために選択された新自由主義という政治的アイデアに基づく一連の改革は、日本国内において、従来の政策やレジームからの転換、とりわけポスト「日本型福祉国家」およびポスト「公共事業社会」を政治課題に据えながら、「新しい政治」の展開を導き出した。また、「新しい政治」の展開により、新たな政治的クリーヴッジが引き起こされた。本稿は、小泉構造改革を通じて導き出された「新しい政治」の展開と、その展開により引き起こされた新たな政治的クリーヴィジが指し示す方向性を明らかにし、改めて、ポスト「日本型福祉国家」/ポスト「公共事業社会」の行方について省察することを目的とする。
著者
香取 郁夫 土原 和子
出版者
近畿大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

仮説A「柔らかい突起は食草探索に役立つ」の検証実験をホソオチョウ幼虫を用いて行う。以下の2実験に細分される。実験A1:突起有り・無しの幼虫による食草探索実験。実験A2:突起表面の微細構造の観察と感覚子の種類の見極め仮説B「硬い突起は捕食者からの防衛に役立つ」の検証実験をゴマダラチョウ幼虫とフタオチョウ幼虫を用いて行う。以下の2実験に細分される。実験B1:天敵による突起有り・無しの幼虫の捕食実験。実験B2:突起表面の微細構造の観察と感覚子の種類の見極め
著者
辻 陽
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大學法學 (ISSN:09164537)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.128-72, 2006-09-30

[目次] はじめに, 一.分析方法と分析対象 1.分析方法 2.分析対象, 二.分析 1.通時的分析(大阪府議会, 1971年4月~1995年4月) 2.共時的分析(滋賀県議会, 京都府議会, 大阪府議会, 兵庫県議会, 奈良県議会, 和歌山県議会, 1995年4月~1999年4月), おわりに, 付表本文データは, CiNiiから複写したものである。