著者
三上 岳彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.14-22, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
10 11

主に日記の天候記録にもとつく日本の歴史時代の気候復元研究の成果を概観すると,次の2種類に大別できる。第一は,特定地点の天候記録を長期間にわたって収集・整理し,天候の出現頻度の変動傾向や周期性を明らかにしようとするものである。これに対して,第二は,特定の期間(例えば飢饉年)におけるできるだけ多数の地点の天候記録をもとに,天候の空間的分布を把握し,それらの時間的変化から天候推移や季節異常を議論するものである。いずれの場合にも,定性的な天候データをいかにして観測データと比較しうる定量的なデータに変換するかが重要課題となる。 次に,いくつかの具体的研究事例に基づいて,日本の歴史時代の気候特性を明らかにする。気候復元の問題点についても若干の考察を行なう。最後に,諸外国の研究の現状をふまえて,日本における歴史時代の気候復元研究の将来を展望する。
著者
小林 健太郎 金田 章裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.78-98, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
143
被引用文献数
1 1

比較的実りの多かったこの10年間の日本歴史地理学の成果のうち,以下の6つのテーマについて,その動向を紹介した。 作物栽培の起源は縄文早期に,水田稲作は縄文晩期に湖るようであり,水田分布は弥生中期に本州北端にまで達し,弥生・古墳期の水田のほとんどが極めて小区画であるという従来とは大きく異なった考古学的知見が得られた。 2) 古代都市の復原研究が進み,中国と日本の都城の比較研究も行なわれて,類似点と相違点についての知見が加わった。日本における都市計画の起源にかかわる議論も行なわれた。交通路の研究も活発であり,律令期における整然とした直線状の道路計画の展開の実状が知られるに至った。これらの都市や主要施設の立地・配置とその計画における同時代の人々の空間認識についての議論も始められた。 3) 条里地割と条里呼称法とからなる条里プランが,従来の通説とは異なって, 8世紀の中頃に完成したものであることが判明し,それが古代・中世において果した役割や,広範囲に分布する条里地割をめぐる議論・分析が進んだ。古代・中世の条里地割内部やそれ以外の部分の土地利用についての研究も主要な研究テーマの一つとなった。村落の領域や形態についても研究が進展し,広範な集村化現象や散村の展開の事実も知られるに至った。 4) 中世の市場集落の分布や景観についての研究が進展したが,商品流通からみると当時は市場の有機的な階層構造が成立していなかったとの主張も行なわれた。日本歴史地理学の主要なテーマである城下町研究も進展し,特に,先駆的な戦国城下町や城下町の構造をめぐる議論が展開した。 5) 近世の藩政村と村落共同体との関係や,村落の構造に関する研究が蓄積され,労働・結婚をめぐる人口移動についての研究も発表された。従来からの新田開発研究に加え,近世農書を資料とする分析も加わった。 6) 中・近世の日本では,様々な絵図が数多く作成されたが,これらの絵図の従来からの分析に加え,これらを用いて当時の空間認識にせまろうとする研究が始められた。又,中世の説話から生活空間の深層構造にせまろうという研究も展開した。
著者
高橋 伸夫 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.111-119, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
49
被引用文献数
4 4

日本の大都市は第二次世界大戦後,大きな変化を遂げてきた。大都市への人口集中とそれに伴う郊外化,通勤圏および都市圏の拡大,そして商業・工業活動の郊外への進出によって,大都市の内部だけではなく,都市圏全域にわたって地域の再編成が行われた。また,近年の経済活動の分散により,大都市圏は多核的な構造に変化しているともいわれている。 本論文は,第二次世界大戦後の日本の大都市地域に生じた顕著な現象に注目しながら,大都市圏の地理学的研究の動向を考察し,そのなかの問題を検討した。 大都市圏研究は,大都市への人口集中による郊外化,つまり大都市周辺部の都市化の研究から始まり,大都市の成長過程や大都市圏の構造などが主な研究テーマとなった。日本には大都市圏を的確にとらえる統計単位がないため,大都市圏を実質的に設定する試みがいくつかなされてきた。アメリカ合衆国のMSAに相当するような統計単位を設定する試案もあったが,まだ広く使用されているわけではない。 近年,日本の大都市圏にみられる現象としてあげられるのは,欧米の先進諸国と同様に,人口と経済活動の分散(郊外化)である。そこで,大都市圏の現象を,人口の郊外化,都市内部から郊外への工場の移転,小売業の郊外化,雇用の分散,人と財の流れと結びつき,オフィス活動,高層建築物と地下街の増加,住宅地域の形成と発展に分け,これらについての研究動向と問題を展望した。 大都市圏における中心都市の相対的地位の低下にもかかわらず,日本の大都市の中心部はオフィス活動を中心とする第三次産業が集中し,都心の衰退という現象はみられない。また,インナーシテイ問題も大きな問題とはなっていない。 大都市圏の近年の構造変化に関する研究には,残された課題が多い。従来の研究においても,大都市圏化や大都市圏の変容を一側面から分析する研究がほとんどであった。大都市圏の変容を推し進めるメカニズムに関する研究,大都市圏を総合的に検討する研究,そしてその変容過程を示す説明的あるいは概念的モデルの検討などは,残された課題の最重要なものの一例であろう。
著者
林 上 日野 正輝
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.120-140, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
83
被引用文献数
4 5

日本における卸売業システムの空間的パターンは,これまでずっと東京と大阪を中核都市とする二極構造によって特徴づけられてきた。しかしながら1960年代以降は,産業構造の変化と大企業本社の集中に対応しながら,卸売業取引は東京に集中するようになった。その結果,卸売業の空間的システムは単一システム構造へと変化していった。同時に,札幌,仙台,広島,福岡などの広域中心地が,それらの地域における重要な卸売業中心地になった。 戦後の経済成長にともなって輸送貨物量は驚くほど増大し,輸送手段にも格段の発達がみられた。トラック輸送の発展にともない,倉庫や食料品卸売市場などの施設のなかには都市中心部から大都市の郊外に移動するものが現われた。主要な都市の郊外に建設されたトラック・ターミナルや卸売商業団地は,卸売業施設の都心部から周辺部への移転を促進する役割を果たした。 日本の小売業システムにおける最も顕著な変化は, 1960年代の初頭以降に,スーパーマーケットやスーパーストアが全国的規模や地域的規模で急速に発展したことである。こうした店舗は,都市の階層システムを通して普及していったセルフ・サービス・システムと多店舗システムによって特徴づけられる。小売業は郊外地域で発展したため,大都市の内部では商業地域に関して対照的なパターン(郊外対都心)が生ずるようになった。 モータリゼーションは,都市階層のあらゆる段階で購買地域の構造に再編成をもたらしたもう一つの要素である。新たに発展した商業地域が自動車でやって来る消費者を吸引する一方で,既存の小規模な商業地域は厳しい競争を強いられるようになった。以前は中心地システムに対応していた購買中心地の空間的パターンは,こうした影響の下でその階層的特徴を徐々に失っていった。
著者
佐藤 哲夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.117-133, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
2 1

本稿はバングラデシュ低地部における水稲の作付体系の実態を土地条件および社会経済的条件の両側面から評価し,稲作技術変化の可能性について検討したものである.調査地は同国南西部の低湿地に位置するバゲルハート県モラハート郡で詳細なデータは主としてムラでの住み込み調査によって得た。この調査地はランドサット画像によれば付近は深水田が卓越する地域に含まれる. この低湿地は,通常小さな自然堤防によっていくつかのブロックに仕切られており,雨季には湛水するが,乾季には中央部まで干上がって耕作されている.このような湿地はビル(bil)と呼ばれている.ここでの水稲作は,季節的な水位変動に対応して,収穫期の異なる稲の混播や混植,ジュートやゴマとの混作を特徴としている. 慣行的な作付体系の中では,9月および11月に収穫する稲を雨季初めに混播するものが最大面積を占める.近年導入された改良品種の乾季作は,潅漑さえ整備されていれば大部分の土地で可能なので,将来は慣行的作付体系との競合が予想される.ただし生産費からみた場合には,水利費の軽減が重要な課題である. 滞水期間の長くて乾季初めに稲の移植作業を完了できない最低位部では,危険回避のため伝統的に浮稲の単作が行われている.浮稲単作は土地集約度が低く土地生産性の点では不利であるが,犂耕の回数が少なくて済むなどの理由から,労働生産性は必ずしも低くはなく,商業的経営の性格が強い経営体で作付率が高い. 減水を利用した乾季の伝統的な移植稲作の場合,種子費の節約や耕起の省略が可能となるが,仮畦畔造りと移植作業が加わることで,生産費の合計は混播作とほぼ同じになる. 小作制度では収穫を折半する分益小作が一般的であった.その場合の地主の収益が実勢地価に対する比は,土地を抵当として信用小作を行った場合の利子率と均衡していることが確認された. 経営体の性格は,核家族制をとるムスリムの場合と,直系家族制をとるヒンドゥーの場合とでも異なる.前者が労働の機会費用に敏感で商業的性格をより強く示すのに対し,後者は土地貸借や兼業が少ないなど自給的性格がより強い.このような経営体の性格の違いは,水稲の作付体系にも反映しており,前者では単播浮稲の作付率が高くなっている.
著者
海津 正倫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.164-178, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
10
被引用文献数
50 75

ベンガル低地の沖積層について,ボーリング柱状図の検討や堆積物の粒度分析などをおこない,沖積層の層序を明らかにするとともにその区分・対比をおこなった.さらに,珪藻分折結果や14C年代測定結果などにもとづいて堆積環境の変遷や地形変化について考察した. 本地域の沖積層は粒度組成の顕著な変化によって細分され,下位から,最下部層,下部層,中部層,上部層,最上部層の5部層に分けられる.このうち,ブラマトラ=ジャムナ川氾濫原において深度約40~90m(現海面下約30~80m)に発達する最下部層は最終氷期最盛期頃に堆積した砂礫層で,日本における沖積層基底礫層に対比される.最下部層をおおう下部層は礫を若干混入する砂層で,その上部は褐色を呈している.これは,一時的に陸上において風化作用を受けたものと考えられ,この下部層の堆積以後に,海面底下にともなう不整合が形成されたと考えられる. 下部層と中部層の境はベンガル底地の各地においてかなり明瞭である.中部層以上の堆積物は細粒で,粘土,シルト,シルト混り砂等から成る.また,上部層や最上部層中には比較的顕著な泥炭の堆積も認められる.これらの各部層においては顕著な粒度組成の変化が認められ,ベンガル低地における地形変化や堆積環境の変化が反映されていると考えられる. 下部層以上の各部層の堆積時期は,下部層がおよそ12,000年前頃まで,中部層が10,000(あるいは8,000)年前頃まで,上部層が6,000(5,000)年前頃までの各時期に堆積し,最上部層がおよそ5,000年前頃以降に堆積したと考えられる.この間,12,000~10,000頃の問におこった一時的な海面底下期をはさんで海水準はいわゆる「シェパード曲線」的な海面変化曲線を描いて上昇し,現在に至っている.また,上部層下部の堆積期には比較的顕著な海域の拡大が認められ,中部層や上部層中部には比較的顕著な粗粒堆積物の堆積期が認められる.さらに,粘土やシルトなどの細粒堆積物の堆積した最上部層の堆積期には,ベンガル低地全体に水域が広がるような排水不良の状態が出現したと考えられる.
著者
山下 脩二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.1-13, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
8 8

本報告の目的は最近の日本におけるヒートアイランド現象に関する研究を,特にその気候学的側面を中心にして概観し,展望することである。先ず,都市化という観点から都市気候の形成プロセスを概念的に把握し,研究の位置づけを可能にした。つまり,都市化は人口の集中,地表面構成物の改善,生活空間の地上・地下への拡大で表現できる。そして,これらが地表面における幾何的・物理的特性や熱的条件を変化させ,その結果が放射収支・熱収支・水収支の改変となり,ヒートアイランドの誕生となる。以上のプロセスのうち,現在わが国で研究されているものや,とくに関心が寄せられているものについて触れた。気候学的関心としてはまず現象としてのヒートアイランドの把握である。分布的特徴と最大ヒートアイランド強度の出現時刻について述べ,人口との関係についてアメリカや西ヨーロッパとの違いを明らかにした。次にヒートアイランドの形成要因について,都市表面の幾何的凹凸(ラフネスパラメーター,大垣市),天空率(多摩川流域の都市),土壌水分(川越市)の面から考察した。しかし,これらはいずれも人口の場合と同様相関的関係であり,地理学的関心は高いが,ヒートアイランドの物理的構造へと結びつけていく必要もある。さらに都市の放射収支と熱収支について概観し,考察した。放射収支については夜間のヒートアイランドと長波長放射場との関連について主として小林 (1979, 1982) の研究を紹介した。熱収支の体系的研究はわが国ではなされておらず,顕熱や潜熱を個別に扱っているにすぎない。また,都市キャニオン内での熱収支の体系的観測も今後に待つほかない。最後に今後の研究課題・方向について言及した。
著者
杉谷 隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.195-202, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

模型水路実験の結果では,河岸段丘は浸食状態下における網状流路の砂礫堆から形成される.これらの段丘は,実験条件の変化がきわめて緩慢である場合には,しばしばすぐに浸食されてしまうか,または新たに形成される砂礫堆によって覆われてしまう.本稿は,このような段丘形成過程を日光・根通り川の完新世の段丘について検証した. 根通り川河谷に発達する段丘面は,古いものから順にT1, T2, T3, T4, T5面に区分される.T1およびT3面はそれぞれ最終氷期末期およびヒプシサーマル期に形成された堆積段丘面であり,それ以外はこれらを下刻して形成された面である.T2面は,最終氷期末期から完新世にいたる過渡期の急激な浸食営力によって形成されたものである.一方,T4およびT5面は,次の2つの理由によって実験結果と調和的である. (1) T4およびT5面上の旧河道・旧砂礫堆の分布は,実験流路における分布パターンと酷似している. (2) T4, T5面および現河床の縦断曲線は,実験流路において見られる顕著な波動を重畳させている. これらの段丘面の比高は,上述のような河床の波動の振幅の大きさに入ってしまうため,段丘面は実験において観察されたように,浸食されたり新たに形成された砂礫堆によって覆われてしまいやすい.これらの状況は,ヒプシサーマル期以後には急激な下刻を生じさせるほどの流況の変化がなかったことを示している.
著者
村田 昌彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.179-194, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
24
被引用文献数
4 5

古日記中の天候記録を利用して,歴史時代(東京では1710年から1895年まで,大阪では1714年から1895年まで)の梅雨入りと梅雨明けを復元した.観測時代(1896年から1980年まで)の梅雨入りと梅雨明けと復元データを結合して,その長期変動傾向を検討した結果,以下のことが明らかになった. (1)梅雨明けと梅雨の継続日数には強い正の相関,梅雨入りと梅雨明けには弱い負の相関がみられた. (2)長期変動傾向として,1770年頃,1810年頃,1860年頃,1920年頃が梅雨明けが早く継続日数が短い期間,1740年頃,1780年頃,1830年頃,1870年頃,1950年頃が,梅雨明けが遅く継続日数が長い期間として挙げられる.また,周期性を調べた結果,梅雨明けと継続日数およそ60年の長周期の存在が確認された. (3)梅雨入り,梅雨明け,梅雨の継続日数には,小氷期とその後の時代とで,大きな差がみられない. (4)梅雨明けが遅い年に,東北地方で冷夏が発生しやすいことが,歴史時代から観測時代を通じて成り立っており,天明,天保,慶応・明治の各凶作の時代に,特に梅雨明けが遅かったことが分かった.
著者
宮内 崇裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1-19, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
54
被引用文献数
4 9

本稿の目的は,東北日本弧の非火山性外弧に属する上北平野の第四紀地殻変動を地形学的方法と火山灰編年学的方法によって区分・編年のなされた段丘の変位や基盤の地質構造から明らかにすることである.そして,以下のような結果を得た. 上北平野の西縁は,第四紀前期における三浦山断層と辰ノロ撓曲の活動によって奥羽脊梁山脈や三戸丘陵から分化した.辰ノロ撓曲の運動は鮮新世より第四紀を通じて継続してきた.この構造線は平野周辺の地域を上北ブロックと奥羽-三戸ブロックの2つのブロックに分けているようにみえる.平野北部では東西の軸をもつ褶曲運動が,平野南部では北方への傾動運動がみられる.北方への傾動運動は北上山地の曲隆を示唆する.ほぼ南北にのびる活構造は,第四紀の東北日本に卓越する東西水平圧縮の広域応力場のもとでの地殻短縮を示しているが,東西方向に軸をもつ地殻変動は同じ応力場では起こりにくい. 平野全体の隆起運動は少なくとも第四紀後期には継続している.段丘の変位が褶曲運動や傾動運動に伴うものであるとすると,上北ブロックは最近12万年間には0.1~0.2mm/年の速度で広域に隆起してきたことになる. 奥羽-三戸ブロックの広域隆起速度は,辰ノロ撓曲の活動を加えることによって0.3~0.41mm/年と推定される.上北平野のこのような広域隆起は,日本海溝から平野の沖合にかけて発生した大地震に伴う地殻変形,あるいは東北日本弧の長波長の地殻変動によるものと考えられる.
著者
梅原 弘光
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.20-40, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
1 1

1970年代のフィリピンでは,それまで停滞といわれていた稲作農業が,「緑の革命」と呼ばれた技術革新の影響で,非常に大きな変化を経験した.本稿では,それがどのような性格のものであったか,その変化のパターンはどうか,その地理学的意味は何か,を考察する.そのための接近方法として,ここでは革新技術の基本構成要素と考えられる種子,投入財,それに融資の三要素に注目し,それがもたらした変化を検討する. その結果明らかとなったのは,フィリピンでは稲作における種子生産の専門化が大いに進んでいること,農業投入財ならびに機械力への依存がますます高まったこと,資金需要の増大にたいする農業融資の著しい拡大,などである. ここで注目しなければならないのは,投入財需要が急速に増大したにも拘わらず,それが,よくいわれるように,国内の農業関連産業を大きく刺激することはなかった点であろう.むしろ,投入財はもっぱら外国資本もしくは海外からの輸入に大きく依存した.その結果,国内では商業部門だけが特に盛んとなった.「商業エリート」の台頭は,まさしくこうした事態を反映するものである. もう一つ重要なのは,稲作技術革新の普及が,結局,先進工業国による開発途上国の市場的統合に向かっている点であろう.特に興味深いのは,技術普及のための小農融資額が,米不足時代に近隣諸国から輸入した米の支払い代金の額にほぼ等しい点である.従来,フィリピンは食糧をタイやビルマなど域内諸国に大きく依存していた.技術革新の導入により米の自給を達成したものの,今度は投入財を先進工業国からの輸入に大きく依存することになった.政府の積極的な小農融資拡大は,フィリピンの対外市場関係のこの転換をもたらすものであった.
著者
斎藤 功 矢ヶ崎 典隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.66-82, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
3 3

ブラジル北東部は伝統的に海岸部のサトウキビ地帯,内陸部のセルトン(半乾燥地域の粗放的牧畜地帯)および両者の漸移地帯のアグレステに区分されてきた.しかし,その区分の指標は必ずしも明確ではない. 本稿ではパライバ州の海岸部カーボブランコから内陸部のパトスまで,ほぼ東西に10km(海岸部は5km)ごとに1km2の調査地点35カ所を選定し,土地利用調査を実施した。つまり,1km2内の栽培作物,果樹,牧場の形態等を記載する集約的調査と地形,牧柵,残象作物等の景観観察を併用することによって,東西270kmにわたる土地利用の地帯的変化を明らかにすることを目的とした. その結果,海岸部はジョアンペソアの都市化地区,タブレイロスのサトウキビ栽培地区,パッチ状タブレイロスの根茎作物栽培地区の3地区に区分された.また,アグレステは地形性凹地・トウモロコシ・フェジョン・綿花栽培・パークランド型牧場地区,地形性多雨・トウモロコシ・フェジョン・サバナ型牧場地区,密生有刺潅木林牧場地区に区分された。さらに,粗放的牧畜によって特色づけられるセルトンは,疎生有刺潅木林のボルボレマ高地区とパトス盆地地区に区分された.したがって,全体的にみるとパライバ州の農業的土地利用は,景観的にも8つの農業地区から成立していることが明らかになった. 以上の結果は家畜飼養と栽培作物のムニシピオ別統計分析および道路脇の小商品農産物の直売店の観察からも裏付けられた.
著者
溝口 常俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.83-102, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
8
被引用文献数
1 1

現在のバングラディシュの商品流通において,定期市とならんで重要な役割を果たしているのが行商人である.本稿は,従来ほとんど顧みられることのなかった行商人に焦点をあて,その空間的,時間的行動を明らかにすることを目的としている.種々雑多な行商人の中でも,最もポピュラーなアルミニウム食器の行商人を選び,行商先の村,販売額,掛売額等を聴き取った. アルミニウム食器の生産・流通経路は,まず諸外国から輸入されたアルミインゴットが,チッタゴンからダッカへと運搬され,工場で各種の食器が生産される.それが卸売店を経てマーケットタウンの小売店および全国に散らばる行商人販売網を通して消費者にわたる. ミルザプール(ダッカ北西70kmの町)に拠点を構える行商人の行動様式をみると,年間のスケジュールでは,乾期に出稼ぎ地で行商をし,雨期は自村で漁業をおこなう.行商活動は9人のグループを組み共同生活をしながらおこなわれる。食料,生活必需品は共同購入するが,行商であげた利益は各自の財産となる.販売圏は根拠地からおよそ6km圏内で,それぞれ天秤棒を担いで売り歩く.各自得意先の村と顧客を持っており,一週間のスケジュールとしては金曜日(ムスリムの休日)に休みをとる傾向がみられる.仕入れはダッカおよび近隣の町カリヤクールの卸売店でおこない,グループの1人が交代で月に1~2回でかける. 各自200人前後の顧客を持っており,彼等に対して,中古品を回収するとともに,掛売をしている.この販売方法が買手にとって都合がいいばかりでなく,売手にとっても結果的には高収益をもたらすことになっている. さて,ムスリムが多数を占める社会ゆえかムスリムの女性はもちろん,ヒンドゥーの女性すらめったに外出しない.高密度に分布している定期市への買物も男性がおこなう.それゆえ,戸別訪問してくれる行商人が彼女たちに強く求められるのである.事実,筆者がある1日,行商人につきそって取材した時,女性がいききと品定いめに現われた.また,行商人の「未収金帳簿」の顧客リストに少なからず女性の名前が連ねられていた.サリー,腕輪などもその多くをほとんど行商人から入手している. 今後の課題として,アルミ食器以外の多種多様の行商人の行動様式を,本稿で試みた空間的および時間的行動調査を通して分析し,明らかにしていきたい.
著者
Arthur GETIS 石水 照雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.154-162, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
4

日本の3大都市圏のうち,名古屋は現代アメリカ都市に類似した街路パターンをもち,自動車保有率が高い。この名古屋大都市地域について, 1973年および1979年の石油ショックによるエネルギー費用の増大が,その機能的土地利用ないし居住・雇用のパターンにどのような影響を及ぼしたかを考察した. 中心都市名古屋の中央部では,日本の他の大都市でも見られるように,人口が減少し,商業活動の増加および高地価によって,同市を直接とり囲む近郊地区への人口移動が行なわれ,それら近郊地帯は急速に成長しそいるが,なお人口増加に対する大きな潜在力をもっている. 1973年の石油ショックに照らして,人口増加の緩慢化が予期されたが, 1969-75年間を通じて,名古屋の近郊地帯では,人口増加が見られた. エネルギー費用の増大は,日本人にとって顕著な支出となり,個人生計費の中でエネルギー費用が占める割合が拡大し,自動車のサイズ拡大の傾向が鈍化し,その使用頻度が減少するという形で対処が行なわれた。 1975-79年期以降,愛知県では新規工場の設立が顕著に下降し,新しい工業用地の開発が減少し,鉄鋼・輸送用機械・繊維・衣服など主要部門での成長が鈍化ないし衰退している. 名古屋市では,工業発展が鈍化しているが,繊維工業を除きその変化は顕著ではない.豊田市での工業発展はかなり減速した.名古屋から郊外への工業分散は,同大都市地域におけるかなり大きな人口の郊外化を十分説明するほど大きくはなく,近郊における工業発展は,その増加の上で顕著とはいえない.日本では,土地の供給不足および集約的利用から地価が高騰しているが,名古屋の中心地区でも,以前のちゅう密・低層の住宅地域が商業地域へと変容してきている. 日本では,公共および民間の相当多くの雇用機関による従業者への住宅手当や通勤の実費支給,および政府による国鉄・私鉄両者に対する補助金がある。このような補助金供与は,通勤者が運賃距離よりも時間距離の方を重視させる傾向をもつ. 電力供給の潜在的可能性から見て,工業発展の可能性のある地域は,愛知県では,とくに名古屋の近郊であると思われる. 名古屋大都市地域では,エネルギー費用がいっそう高騰して初めて,エネルギー費用が人口および工業の郊外分散ないし他地域分散を誘導すると思われる.
著者
スパイヤー R. 吉野 正敏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.137-153, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
3 9

スリランカにおける気候要素と米作との関係を分析し,次のことを論じた.第1に最近の110年間について米の収量の長期傾向をみると1950年までは年々の変動は小さく,その後は大きい。第2に水稲栽培に関係する気温・降水量・放射・蒸発散などの気候要素との関係を論じ,最も強い制約を与えるのは降水量であることを示した.第3に米のは種および収穫面積,収量と降水量との関係を相関係数と傾向線の分析によって示した.その結果,これらの米作の諸量:は降水量偏差との2次式で表現される。第4には特にドライゾーンにおける潅漑の重要性について議論した.最後に,最近の米作における諸問題を展望した.種々の農業気候の問題のうち,米作を進展させ,干ばつ常習地域における減収を軽減するために2~3の提案を行なった.
著者
佐藤 都喜子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.103-115, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
1 1

医学地理学にはいくつかの分野があるが,本研究は,地域医療に関する地理学的研究である. ここでは,ハワイ州オアフ島住民のさまざまな医療行動のなかで,入院患者(Hawaii Medical Service AssociationおよびMedicaidの加入者)がどのように特定病院を選択しているかということを明らかにしようとした.そのために,患者とその主治医の結びつきが明確にされているデータを用い,主として計量的手法による分析をおこなった.その結果,入院患者が病院を選択する基準は,従来言われてきた医療機関までの時間距離より,むしろ病気の特性と医師のエスニシティ(民族集団への所属)が重要な要因であることがわかった。この事実をアメリカ医療制度をふまえて検討すると,病院選択に際して,患者よりむしろ医師が決定権をにぎっている傾向がみられることになる。特定の病院への選好が強い医師の判断が住民の一連の入院施設の選択行動において重要な意味を持つのである。従って,今後の研究課題として,患者と医師の種々の関係を具体的な事例に基いて分析することにより,医師の役割の特性をより明確にすることができるであろう。
著者
篠田 雅人
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.128-136, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
5 5

本研究では, 1980年代前半のサヘル干ばつに伴う, 8月の風と水蒸気量の異常について調べた. 1980年代前半の干ばつの特徴は,グリニジ子午線において, 1982-83年の全緯度帯にわたる降水の減少と1984年の降水帯の南偏である. 1984年には,東経35度でも降水帯の南偏が認められる. ニアメ (13°N, 2°E) では, 1982-84年に中上層の東風が強化される。上層の東風の強化は, 1968-73年の干ばつ時には認められない。さ、らに, 1984年に露点差 (T-Td) が極大となるが,この原因としてギニア湾からめ水蒸気供給の減少が考えられる.一方,ハルッーム (16°N, 33°E) では,露点差が1983年に急増し,』1984年に極大となる.このとき,下層の降水をもたらす赤道西風が薄く850 mbに達しない.ハルツームにおいて,西風が1983年には300-500 mbに, 1984年には700 mbに出現するという異常も認められる.
著者
石川 義孝
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.31-42, 1986-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
25
被引用文献数
1 1

空間的相互作用の概念は,今日では一般的に,人・物・情報といった多様な地表上の流れ全般をさすと考えられている.資金の空間的流動も当然その中に含まれるが,このデータを使った空間的相互作用モデルによる分析は従来皆無であった.ところで,無制約型・発生制約型・集中制約型・発生集中制約型の4つのモデルからなる空間的相互作用モデル族は,現在のバラエティに富む空間的相互作用モデルの基礎をかたちつくっている.しかし,既往の経験的研究は,このモデル族に含まれる諸モデルの一部のみを利用してきたにすぎず,当該モデル族の包括的な行動が,現段階で十分に明らかになっているとは言い難い. 本稿は,1899(明治32)年の資料『全国要地為i換取組高地方別表』を利用して,わが国の57都市間送金額のこのモデル族による分析を通じて,上記の課題に答えることを意図している・まず,出発地・到着地の質量項や距離減衰関数の複数の種類を考慮した12のモデルを利用して, 3, 192(57×57.57) にわたる全体フローの分析を行なった.そして, (1)距離パラメータ推定値はモデルごとに一貫した変化を示さない, (2)適合度は無制約型→発生制約型→集中制約型→発生集中制約型モデルの順に高まる, (3)負の指数関数を持つモデルが負のパワー関数を持つものより適合度が良好である,といった知見を得た.既往の成果とのずれは,資金流動と人口流動の性格の違いから説明した. また,全体フローの分析は,対象とした都市群の平均的な姿を示すに過ぎず,都市間の差異を隠すことから,集中制約型モデルによる各都市への為替流入のみに着目した分析も試みた・距離パラメータ推定値は,一般的に・いわゆる六大都市や港湾都市が広い影響圏を持ち,一方,城下町起源の地方都市は狭い影響圏を持つことを物語っている.さらに,適合度の都市間変異は,東京・大阪という2大中心との結びつきの程度によって大きく規定されていることが判明した. 最後に,これまでの空間的相互作用研究は,暗黙のうちに人口流動のみを念頭に置いてきたが,今後は各種のフロー現象の特殊な性格も留意されなければならないことを指摘した。
著者
江口 卓 松本 淳 北島 晴美 岩崎 一孝 篠田 雅人 三上 岳彦 増田 耕一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.43-54, 1986-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
10
被引用文献数
3 3

降水量は,世界の気候を明らかにする上で重要な気候要素であるが,全球の降水量分布の詳細な解析は,月より短い時間スケールではこれまで行なわれていない.著者らは, FGGE特別観測中の日降水量資料をもとに作成した旬降水量資料を用い,特に無降水域に着目し,全球の大陸上の降水量分布の季節内変動および季節間の相異を明らかにすることを試みた。そして,無降水域からみた世界の:気候区分図を提示し,大陸の西岸・東岸の気候区界について論.じた。 無降水域の季節重ね合わせ図にもとついて3種類の無降水域,「極小無降水域」・「平均無降水域」・「極大無降水域」を定義した.北半球では, DJF季(12~2月)には,平均無降水域がアフリカ北部からチベット高原にかけて広く分布する.一方, JJA季 (6月中旬~8月中旬)には,それはアフリカ北部から西アジアにかけて分布する.南半球では, DJF季には,平均無降水域は各大陸の西岸に限られて分布するが, JJA季には各大陸に広く分布し,また,極小無降水域が南アメリカの北東部に出現する.無降水域の季節内での変動は, DJF季の北アメリカ北部とオーストラリアで特に大きい. 以上2季節の無降水域の分布の解析結果から, 4つの季節無降水域を設定した。それらは,冬と夏の極小無降水域 (mNPA), 冬と夏の平均無降水域 (wsNPA), 冬のみの平均無降水域 (wNPA) と夏のみの平均無降水域 (sNPA) である.大陸の西部ではmNPAとwsNPAが広く分布し,かつすべての無降水域型が帯状に並列している.各大陸の西部では,各無降水域型がアリソフやヶッペンの気候型とよく対応している.しかし,大陸の東部には, wNPAが現われるか,または無降水域はまったく出現せず,アリソフやケッペンの各気候型との関連も良くない。無降水域の分布からみると,各大陸の東部と西部との境は,各大陸上でもっとも高い山脈の西側に位置することが明らかになった.
著者
ワッソン ロバートJ
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.55-67, 1986-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
44
被引用文献数
51 58

本稿はオーストラリア乾燥・半乾燥地域における人間活動に伴なう環境変化に関する日濠共同研究の一環として,オーストラリア砂丘地帯の地学的背景や特徴ならびに,原住民およびヨーロッパ人と砂丘活動との関係について概説したものである。 大陸の約40%は砂丘で覆われるが,バルハンを除く各種の砂丘が分布する (Figure 2). これらの砂丘はシンプソン砂漠のように広域にわたって,単純な線状砂丘が広がる場合から,グレートビクトリア砂漠西部のように基盤地形の複雑さを反映して,モザイク状に分布する場合まで,その分布状態は変化に富んでいる。また,砂丘砂の給源も,基盤岩石をはじめ,河成堆積物など多種にわたる。 砂丘堆積物の性格は2つに類型化される.1つは石英砂を主としたもので,砂質河成堆積物を給源とする。他の1つは粘土と石英粒の混合したものである。後者の堆積物には粘土微粒子が含まれる.この粘土微粒子は比重が小さいため空中を長距離運搬されてきたものである.粘土微粒子の形成は地下水位の低下や日射による塩類晶出および藻類やバクテリア等の生物起源と考えられ,環境変化の指標になる。 砂丘砂層の年代測定は14Cおよびサーモルミネッセンスによって行なった.オーストラリアの砂丘形成開始期はスターレット砂漠で20万年B.P.までさかのぼる.マリー地域(大陸南部の現在の半乾燥地域)では40万年B. P. より若いと推定され,古地磁気の検討からも, 70万年B. P。よりは新らしいと考えられる。したがって,オーストラリアの砂丘形成はナミビ砂漠やサハラ砂漠に比べて,きわめて新らしい時期に始まったと言える.最終氷期の砂丘形成は3万年B.P.前後から始まり, 2.5万年~1.4万年B. P. の最終氷期の極相期に最も活発であった (Figure 3). 完新世後期に砂丘形成は再び活発になり,半乾燥地域では1,000年B.P.まで,乾燥地域では現在まで活動が続いている. 河成,風成,湖成堆積物および地形の検討からは,内陸地域の環境は5万年B. P.~3万年B. P. の湖沼が拡大していた時期と3万年B. P.以降の湖水位が変動する時期とに分けられる.後者の時期には砂丘が活発に形成された.現在の風向・風速,日射,蒸発量およびミランコヴィッチの曲線から推定される最終氷期の日射量等を考慮して,上記の地学現象を検討すると,次のような環境が復元される.すなわち,砂丘形成が活発であった最終氷期の極柑期には,夏には風速が強く,強い日射でもあったため,現在よりも蒸発が盛んで,乾燥していた・冬は低温で,植生の生育;期間は短縮される傾向にあり,雨水の流出は高まっていた. なお,氷期の砂丘の伸長方向と現在の風向との検討から,氷期には亜熱帯高圧帯は現在より50程度北上していたこと,大陸北部では,モンスーンが弱まっていたため南東貿易風が卓越していたことが推定される (Figure 1). アボリジニーズの砂丘形成に対する影響は火(野火)の使用によって引き起されると考えられる.しかし,砂丘形成の主たる原因は気候であることを示す証拠が多く,アボリジニーズの影響を示す証拠はほとんど知られていない. ヨーロッパ人入植後,土地の劣悪化が急速に進み1915~1945年の間に砂丘の活発な再活動もあった・この時期には,気候の乾燥化および風速の増加があり,ヨーロッパ人の入植に加え,気候悪化が生じたため,砂丘活動が発生したと言えよう.一方,1945年以降・オーストラリアの降水量は増加している。しかし,砂丘活動は引き続き継続している.それ故,少なくとも一部の地域では・農耕行ニ為が砂丘活動に大きな影響を与えているものと思われる.(文責・大森博雄)