著者
二瓶 正登 澤 幸祐
出版者
専修大学人間科学学会
雑誌
専修人間科学論集. 心理学篇 (ISSN:21858276)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.45-53, 2017-03-15 (Released:2017-05-29)

臨床心理学の実践場面において認知行動療法が盛んに実施されており,また多くの研究が行われている。認知行動療法は行動療法に起源を持つものの,近年では認知が感情や行動の原因であり,クライエントや患者が有する不適応的な認知を変容させることで心理学的な問題は改善されるという認知療法的な枠組みに基づいた症状の理解や介入が主流となった。認知療法の隆盛により,従来の行動療法が重視してきた学習心理学の枠組みに基づいた症状の理解や介入はあまり実施されなくなった。このような現状に至った背景として,行動療法あるいは学習心理学ではヒトが有する認知や言語といった個体の内面で生じる過程を適切に扱うことができないとする批判がある。しかし現代の学習心理学で用いられる諸理論においては学習が生じる際の認知過程が重要視されており,このような批判は適当ではない。そこで本論文では,現在の学習理論の観点から臨床心理学的問題をどのように理解することが可能か,そしてどのように実践上の問題を解消させることが可能かを展望する。さらに認知行動療法に学習理論を取り入れる利点や,近年行われるようになった認知行動療法で用いられてきた概念と学習心理学との融合に関する試みについても述べる。
著者
任 眞嬉 元 ナミ[訳] 金 甫榮[訳]
雑誌
GCAS report : 学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報 (ISSN:21868778)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.6-22, 2015-02 (Released:2017-09-01)

韓国では、1999年「公共機関の記録物管理に関する法律」の制定と相まって電子政府が進められ、多くの公共記録が電子文書で作成されるようになった。この法律は2007年に「公共記録物の管理に関する法律」と改正され、電子記録管理システムを中心に更新された。公共部門の記録管理の発展とともに、民間分野におけるアーカイブズへの関心も高まり、さまざまな民間アーカイブズが構築されつつあるが、その過程で公共記録の管理方法やツールをそのまま適用することは難しいという学問的、実践的課題が提起された。特に記録システムの構築には多くの課題が存在している。本講演では、その解決策の一つとして「AtoM」や「Archivematica」「Omeka」などのオープンソース・ソフトウェアを利用して構築された記録システム「人間と記憶のアーカイブ」、「マウル・アーカイブ」「セウォル号アーカイブ」の事例を紹介する。このような民間アーカイブズのための記録システムの普及活動は、記録保存の重要性に対する共感を広げ、記録文化を浸透させることに大きく貢献している。
著者
平 辰彦 Tatsuhiko TAIRA 尚美学園大学総合政策学部非常勤 Shobi University
出版者
尚美学園大学総合政策学部
雑誌
尚美学園大学総合政策研究紀要 = Bulletin of policy and management, Shobi University (ISSN:13463802)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.67-98, 2017-09-30 (Released:2018-01-11)

この論文は、比較文学の視点から「禅」と「ユーモア」に焦点をあてR.H. ブライスの英語による川柳の翻訳を考察したものである。戦前までの川柳の英語による翻訳の系譜を辿り、戦後のブライスの川柳の翻訳が、それ以前の日本人による翻訳とどのように違うのかを原句と比較しながら、考察した。形式の面では、ブライスの川柳の翻訳は、俳句の翻訳と同様に三行形式で訳されている点に特色がある。ブライスの俳句や川柳の翻訳には、「禅は詩」であり、「禅はユーモア」であるという視点が強くあらわれている。ブライスは、俳句の翻訳を通して「禅は詩」であるという視点を表明し、川柳の翻訳を通して「禅はユーモア」であることを明らかにしている。ブライスにとって〈禅と詩とユーモア〉は三位一体のものなのである。韻律の面では、ブライスの翻訳は川柳も俳句も17音よりも短い音数で創作されている。翻訳に用いられる言葉は、口語的な表現が使われ、詩的な技法には、擬人法やメタファー(暗喩)などが用いられている。ブライスは、日本人以上に川柳という文芸を俳句と対等に論じ、両者の相違点を理解した禅の実践者であり、比較文学の視点を身につけた、日本と西洋の融合文化を実践した国際人であったと結論づけることができる。 Mark’s House near the Tor Road in Kobe.With the arrival of the American occupation forces, Blyth was freed and was able to play a significant part in the peace process, to the benefit of Japan. After the war, he and Harold G. Henderson(1889-1974) were prominent go-betweens in the cause of peace between Japan and the Allies.Henderson, also, a haiku scholar, was on the staff of General Mac Arthur’s GHQ. Blyth went to see him, and learnt that Mac Arthur wanted to close down Gakushuin University.Blyth persuaded him to let it continue, opening it to the general public. Blyth began teaching at Gakushuin University after the war. At the same time, Blyth became private tutor to the Crown Prince Akihito, and was to say that the Prince was the pupil he taught longest.Blyth’s first book, Zen in English Literature and Oriental Classics was published in 1942 in the midst of the war. In the prison Blyth went on to write parts of the volumes on Haiku and Senryu.The first editions of Blyth’s four volumes of Haiku tranlations and commentaries, published between 1949 and 1952 by Hokuseido. He wrote assiduously: Senryu (1949), Japanese Humour (1954), Oriental Humour (1959), Japanese Life and Character in Senryu (1961) and so on.Blyth demonstrated that Zen is poetry through English translations of Haiku and Zen is humour through English translations of Senryu.A feature of Zen and Humour are admitted on the translations of Blyth’s Haiku and Senryu through in these works.The question whether Senryu is poetry or not has been debated by Japanese critics ever since the inception of Senryu.If it were accepted that Haiku is poetry, it would not be difficult to prove that Senryu is poetry.I conclude that Blyth was a cosmopolitan who practiced the Zen Buddhism and harmony & combination of cultures from a comparative point of view.
著者
矢田 博士
出版者
早稻田大學中國文學會
雑誌
中國文學研究 (ISSN:03850919)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-17, 1993-12-20 (Released:2016-11-21)
著者
高橋 伸彰 山本 紳朗
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告
巻号頁・発行日
vol.28, pp.13-22, 2007-10

土壌pH と有機物施用が土壌有効態ミネラル濃度,トマトの生育,ミネラル濃度,食味に及ぼす影響について調べた。硫酸および水酸化カルシウムにより土壌pH を4~10 に調整し,化成肥料によりトマトを栽培した。また,これらのpH の土壌に堆肥とボカシ肥を合わせて施用し,トマトを栽培した。土壌の有効態ミネラル濃度は,酸性土壌においてはカリウム,カルシウム,マグネシウムは低下し,鉄,マンガンは高まった。また,アルカリ性土壌においてはマグネシウム,鉄,亜鉛,マンガンは低下した。トマトの地上部および地下部乾物重は,酸性およびアルカリ性土壌において大きく低下した。トマト体内のミネラル濃度は,酸性土壌ではカリウム,カルシウム,マグネシウムは低下し,マンガンは高まった。アルカリ性土壌では亜鉛,マンガンは低下した。トマトのミネラル吸収量は,酸性およびアルカリ性土壌においてこれら全てのミネラルが大きく低下した。果実の酸度および食味は酸性土壌では低く,pH の増加にともない高まった。有機物施用は,アルカリ性土壌において,トマトの乾物重とカリウム,カルシウム,マグネシウム,亜鉛吸収を改善した。しかし,土壌においてこれらのミネラルの有効態化は認められなかった。これより,有機物施用によるアルカリ性土壌でのトマトの生育改善は,土壌化学性への直接的な作用によるものではないと考えられる。
著者
埴原 和郎
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.13, pp.11-33, 1996-03-31 (Released:2016-06-01)

奥州藤原家四代の遺体(ミイラ)については、一九五〇(昭和二五)年の調査に参加された長谷部言人、鈴木尚、古畑種基氏らによる詳細な報告があるものの、現在もなお疑問のまま残されている問題が多い。 筆者は鈴木尚氏の頭骨計測データを借用して新たに種々の統計学的検討を行い、また中尊寺の好意により短時間ながら遺体を直接観察する機会を得たので、その結果を報告して先人の研究の補遺としたい。この論文では次の点に触れる。 一、 遺体の固定―基衡と秀衡の遺体がいつの時代かに入れ替わったという疑問について、少なくとも生物学的観点から結論を出すことは困難である。また一部の特徴には寺伝どおりでよいのではないかと思える点もあるので、この問題は今のところ保留としておいた方がよさそうに思える。 二、 遺体のミイラ化の問題―遺体は自然にミイラ化したものと考えられるが、ごく簡単な吸湿処置がとられたという可能性が高い。 三、 奥州藤原家の出自―藤原家はもともと京都方面の出身という可能性が高い。 四、 エミシの人種的系統―古代・中世に奥州に住んでいたエミシは、現代的な意味でのアイヌでもなく和人でもなく、東北地方に残存していた縄文系集団が徐々に”和人化”しつつあった移行段階の集団であったと思われる。 藤原家四代に見られる”貴族化”現象―特に鼻部の繊細化(貴族化)が著しいが、顔の輪郭や下顎骨の形態は日本人の一般集団に近いので、近世の徳川将軍や一部の大名に比較すれば貴族化の程度は弱かったと思われる。
著者
鈴木 董
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.1-71, 1986-11 (Released:2017-06-12)

The reign of Suleyman the Magnificent was one of the most important periods of the Ottoman history.In his reign, the centralized ruling organization of the empire was firmly established.At the same time, the sutructure of the ruling elites transformed greatly.However, there exist very few detailed monographs which deal with the social composition and career patterns of the Ottoman ruling elites of this period, though discussions on the Lybyer thesis have been going on.In this article, we will try to identify all the vezirazams and vezirs of Suleyman the Magnificent and then will analyze their social origins and career patterns.
著者
浦川 道太郎
出版者
早稲田大学法学会
雑誌
早稲田法学 (ISSN:03890546)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.195-236, 2003-05-30 (Released:2016-11-22)