著者
小野 修三
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 社会科学 (ISSN:13425390)
巻号頁・発行日
no.16, pp.98-30, 2005

一、本稿はその題が厚紙の表紙にはペンにて、そして袋綴じにされた原稿用紙の第一ページ目には筆にて「犯罪豫防論綱」とそれぞれ記された手書き原稿を起こしたものである。表紙と本文は和綴じにされている。筆者名のサインはどこにもないが、使用されている原稿用紙は小河氏原稿用紙の文字が活字印刷された特製原稿用紙であり、また小河氏蔵書の印鑑が二箇所押され、綴じられた原稿用紙の中途に「犯罪豫防論講義目次」なる冊子が挿入されていて、そこには「法學博士 小河滋次郎講」と記されている。さらに表紙には1662(自4)という手書きの文字(横書き)が記されているが、これは日本生命済生会の小河文庫の一冊としての「犯罪豫防論綱」に付せられていた整理番号と考えられる。また原稿の筆跡も小河滋次郎のものと考えられる。以上の点から本稿ではこの「犯罪豫防論綱」を小河滋次郎の自筆原稿として扱う次第である。 二、以前に私は同様の小河滋次郎の自筆原稿「救貧要論」を本紀要第一一号(二〇〇〇年)にて翻刻しているが、それは小河博士の令孫小河彌榮氏が長く保管され、今日では上田市立図書館に同氏が寄贈されているものである。これに対して、今回の原稿は五山堂書店主加藤俊一氏のお世話にて古書市場より入手に至ったものであり、ここに小河滋次郎の未発表の業績として以前と同様紹介するものである。三、原本は半葉一〇行、一行二五字の赤色罫線の白色五百字詰原稿用紙に、墨書されている。同原稿用紙の綴りはまず表紙の一枚、続いて無記入の二枚、そして本文部分の漢数字で一から五十までのページ番号の振られている五〇枚と、それ以降のページ数の振られていない四三枚の計九六枚から成っている。なお、本文部分には計八枚の別紙が挿入されている。そのうちの六枚は同一規格のメモ用紙が使われ、それぞれの記載内容が本文何ページ目への注であるかは明記され、かつその指示ページの箇所に挿入されていた。他は前述の「犯罪豫防論講義目次」と活字印刷された四ページの小冊子と青色罫線の原稿用紙の断片に記入のある一枚である。この青色罫線の原稿用紙の断片には何ページ目への注記かは記されていないが、挿入箇所への注記であることはその記載内容から確認出来た。「犯罪豫防論講義目次」以外はいずれも当該別紙の挿入されたページへの注として、本稿では本稿末尾の編者注の箇所に記載した。なお、本稿では原文のページ数を、記載のない部分(五一ページ以降)も含めて上部欄外に①、②と表示した。原文の最終ページは九三ページになる。 四、この原稿の執筆時期については明記がない。ただ、本文の記載事項中に「〔(後筆) 三十二年前〕一八七五年ノ徴兵検査ニ際シ」(原文一八ページ)という箇所があり、ここから計算すると執筆当時は一九〇七年(明治四〇年)になる。(同ページ上方欄外に小河自身による計算の跡が残っている。)また小河の博士論文「未成年者ニ對スル刑事制度ノ改良ニ就テ」への言及が原文三三ページに見える。同論文によって法学博士号を授与されたのが明治三九年なので、また「犯罪豫防論講義目次」にも「法學博士 小河滋次郎講」と記されているので、右の計算の通り小河が法学博士になった翌年の明治四〇年の執筆と考えて間違いはないように思われる。当時小河は司法省監獄事務官であった。その小河が何のためにこの講義を行なったのかは未詳である。 五、「犯罪豫防論講義目次」は同冊子が挿入されていたページと特別の関係があるわけではないと判断し、ここにまず記載する。そしてその次に原本には目次が付属していないので、その代わりに本文中の各見出し部分を抽出し、比較対照を試みる。ただし、本文中の見出し部分では特に書き直しが多く見られ、かつ幾分かの混乱が見て取れるが、ほぼその書き直された最後の形と思われる文字を、第何章第何節という記載が未記入の部分も含めて、原文のまま記すことにする。
著者
宝生九郎 著
出版者
わんや謡曲書肆
巻号頁・発行日
1917
出版者
三新堂
巻号頁・発行日
vol.前編, 1899
著者
本合 陽(1958-)
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.47-76, 0000

This paper argues The Wings of the Dove is a text that conceals homoerotic desire: Milly Theale's romance includes her love for Kate Croy and Kate, who calls Milly a dove, needs Milly's love. It discusses the same expressions used by different characters, the meanings of romance, the replaceability of points of view, and Milly's illness.First, we argue Milly's romance represents her desire for Kate. The replaceability of characters is implied when the same words or phrases are applied to or used by two characters. In the novel Milly is set up as a princess of a romance. Milly always regards Kate as handsome and Merton Densher's gaze that desires Kate is shared with Milly. Milly's gaze parallels Merton's, so the prince of her romance can be Kate. Next, we discuss Kate's love for Milly. Descriptions about Milly's illness overlap with the discourse about homo-sexuality in the late nineteenth century. Accordingly, Milly's illness becomes a metonymy of Milly herself and may represent her identity. Endorsed by Eve Sedgwick's view that Milly's relation to her illness is "an echo precisely of Lionel Croy's homosexual disgrace," we argue that the relation between Kate and Milly has a homoerotic connotation. We conclude that the text involves an indication of Kate's love for Milly in their mutual gazing.The Bostonians is also a story about a triangular relationship among the two female characters, Olive and Verena, and the key male character, Basil. However, it does not depict love between the two females as reciprocal. We finally point out that The Wings of the Dove contains a plot in which love between the two female characters is, in a sense, reciprocal.『鳩の翼』はホモエロティシズムを潜伏させているテキストである。本論は、ミリー・シールを巡るロマンスがミリーのケイト・クロイへの思いを内包し、ミリーを「鳩」と呼ぶケイトはミリーの愛を必要としていることを、複数の登場人物に用いられる同じ表現や、ロマンスの持つ意味、交換可能な視点、ミリーの病などに注目して論じるものである。同じ語、同じ表現を複数の登場人物に当てはめることにより、ある登場人物と他の登場人物との置換可能性が暗示される。作品はミリーをロマンスの王女に仕上げる方向に向かうプロットを持つ。ミリーの視点はケイトを「ハンサム」とみなし、ケイトを欲望するマートン・デンシャーの視点と重なる。以上を踏まえ、ミリーのロマンスはケイトを対象とし、ケイトに対する欲望で成り立つと論じられる。ミリーの病気の描き方は同性愛を巡る19世紀末の言説と重なり、ミリーの病気はミリーという人物の換喩となり、ミリーのアイデンティティを表すことになる。病気とミリーの関わりは「ライオネル・クロイのホモセクシュアルな恥を正確に反映する」というイヴ・セジウィックの説を援用し、ケイトとミリーの関係における同性愛的なニュアンスを考察する。その上で、視線を媒介とする二人の関係が相互の関係であることを指摘し、ケイトのミリーへの愛を論じている。『ボストニアンズ』もオリーヴとヴェリーナという二人の女性登場人物と中心となる男性登場人物バジルの間の三角関係の物語であった。しかし二人の女性の間の愛情が双方向のものとしては描かれなかった。それに対し、『鳩の翼』には、二人の女性の間の愛情が、ある意味で双方向になるプロットが潜んでいることを最後に指摘する。
著者
福田 智子 児玉 駿介 加藤 みどり フクダ トモコ コダマ シュンスケ カトウ ミドリ Fukuda Tomoko Kodama Shunsuke Kato Midori
出版者
同志社大学文化情報学会
雑誌
文化情報学 (ISSN:18808603)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.14-31, 2014-03

資料紹介同志社大学文化情報学部蔵無名歌集(仮称『いろは和歌集』)は、和歌を句頭の文字によって、いろは順に分類・配列した歌集である。本稿では、歌頭が「ち」「ぬ」「を(お)」「わ」「か」「よ」「た」「そ」の歌(「り」「る」の項目はない)、計220首(「ぬ」のみ10首、それ以外は各30首)について、『新編国歌大観』を対象に他出歌集を検した。その結果、『新古今集』『古今集』が圧倒的に多く、一方、『万葉集』は採歌対象から外れていることがわかった。また、他出歌集が唯一の場合として、『古今集』『新古今集』や『長秋詠草』『秋篠月清集』『拾玉集』『壬二集』『拾遺愚草』が挙げられる他、『源氏物語』にまとまった用例数が得られた。作者名には墨消が一箇所あり、誤りも存するが、『伊勢物語』の歌では、歌論書や古注釈に通じる作者推定が窺える。なお、出典未詳歌は15首存し、3首連続する箇所があるなど出現箇所に偏りが見られる。
出版者
林業発達史調査會
巻号頁・発行日
1956
著者
坂本 清恵
出版者
日本女子大学
雑誌
国文目白 (ISSN:03898644)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.41-53, 2013-02-28
著者
高安 啓介
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.15-28, 2002-03-31

Neue Musik gewinnt ihre eigene Kraft erst durch die jeweilige Distanzierung von der traditionellen und popularen Musik. Aber neue Musik neigt dazu, sich wegen dieser Distanzierung in der Gesellschaft zu isolieren. In diesem Dilenmma braucht neue Musik notwendigerweise eine philosophische Orientierung. Die Idee einer "musique informelle", die Adorno 1961 in "Darmstadter Ferienkursen fur Neue Musik" bekannt machte, hat immer noch eine wegweisende Bedeutung. Informelle Musik heisst keineswegs Musik ohne Form, sondern Musik, die nicht durch die vorgegebenen Schemata kontroliert wird. Folgende vier Punkte sind zu betrachten. Erstens konzipiert Adorno informelle Musik als die fur die Zukunft geoffnete, obwohl er die fruhe atonale Musik von Schonberg fur ein Modell der informellen Musik halt. Zweitens weist Adorno aufgrund dieser Idee darauf hin, dass die avantgardistische Einstellung nicht immer mit der Freiheit verbunden ist. Drittens impliziert Adornos positive Beurteilung der Musik von Mahler und Berg, dass die informelle Musik nicht das Populare ausschliesst, sondern daraus die unbekannte Form entstehen lasst. Viertens zeigt Adorno mit der Idee der informellen Musik nicht nur die Richtung der Komposition, sondern auch eine Moglichkeit der modernen Vernunft und die Bedingungen der sachhaltigen Erfahrung.