著者
村上 佳恵
出版者
学習院大学大学院
巻号頁・発行日
2015-03-07

本研究は、現代日本語の感情形容詞について、感情形容詞の定義を行い、分類の指標をたてて考察の範囲を定めた上で、終止用法・連体修飾用法・副詞的用法という3つの用法について詳しく考察を行うものである。第1章では、感情形容詞の先行研究をまとめる。本研究では、「対象語」「属性と情意の総合的な表現」「人称制限」という3つのキーワードを取り出し、研究史を見ていく。感情形容詞が研究史上注目を集めてきたのは、感情形容詞が人間の感情を表すという意味的な特徴ではなく、「私が水が飲みたい」のように、二重ガ格をとることからであった。この二重ガ格をめぐる議論から始まる感情形容詞の研究史をたどる。第2章では、形容詞の分類を行う。これは、第3章以降の議論の前提として、感情形容詞の範囲を確定する必要があるからである。具体的には、様態の「~ソウダ」という形式を用いた形容詞分類を提示し、感情形容詞2群、属性形容詞2群の計4群に分類をする。本研究の指標は、従来の「私は、~い。」という第一人称の非過去の言いきりの形で話者の感情を述べることができるかという指標を裏側から見たものである。従来の指標では、「私は、寒い」のように、対比的な文脈でしか「私は」が現れないために判断が難しい語があるが、本研究の指標を用いれば、これらも分類が可能であることを示す。第3章では、国立国語研究所の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(Balanced Corpus of Contemporary Written Japanese、略称BCCWJ)を用いて、感情形容詞と属性形容詞が実際の文中でどのように使われているかを調査する。活用形による分類を活かしつつ、[形容詞述部]、[名詞句述部]、[テ形述部]、[補部]、[修飾部]、[動詞句述部]、[その他]の7つの文の成分に分類する。そして、形容詞全体では[述部]として使われることが最も多いこと、また、感情形容詞は属性形容詞と比較して[修飾部]になることが少ないということをデータで示す。第4章では、終止用法として、「動詞のテ形、感情形容詞」という文型を中心に考察を行う。そして、「娘が元気にがんばっていて、うれしい」のような前件が感情の対象であるタイプと「娘が元気にがんばっているのを見て、うれしい」のような前件の動詞が感情の対象を認識する段階の動作を表すタイプに分類できることを指摘する。そして、最後に「~カラ、感情形容詞」「~ノデ、感情形容詞」という文型との比較を行う。第5章では、連体修飾用法の感情形容詞について考察する。BCCWJから連体修飾用法の用例を収集し、感情形容詞と被修飾名詞の意味関係を7つに分類する。[対象]・[経験者]・[とき]・[内容]・[表出物]・[相対補充]・[その他]の7つである。主なものは、「悲しい知らせ」のような被修飾名詞が感情を引き起こすものである[対象]と、「(大声を出すのが)恥ずかしい人」のように、被修飾名詞が感情の持ち主である[経験者]と、「うれしい気持ち」のように被修飾名詞が「気持ち」等で、感情形容詞がその内容である[内容]の3つである。この3つは、すでに先行研究で指摘されているものであるが、本研究では、これ以外に「悲しい顔」「うれしいふり」のような[表出物]というタイプがあることを示す。そして、これらの使用実態を調査し、[対象]が多く、[経験者]は少ないということを明らかにする。第6章では、「散っていく桜を恨めしく見上げた」、「花子はジュリエットを切なく演じた」といった感情形容詞の副詞的用法について考察を行い、副詞句と述語との関係を明らかにする。副詞的用法の感情形容詞は、述語との因果関係を示すものではなく、述語動詞で表される出来事と感情形容詞で表される感情が同時性を持つだけであることを明らかにしていく。第7章では、本研究の成果をどのように日本語教育に活かしていくことができるかを「Ⅴテ、感情形容詞/感情動詞」(以下、「Ⅴテ、感情」)という文型を例に考察する。初級の日本語の教科書での「Ⅴテ、感情」の扱われ方を確認し、問題点を指摘する。そして、初級の日本語教育における「Ⅴテ、感情」の扱い方を試案として提示する。終章では、まとめを行い、今後の課題について述べる。
著者
横山 俊一郎
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.305-326, 2014-03-31

文部科学省グローバルCOEプログラム 関西大学文化交渉学教育研究拠点
著者
佐藤 直之 Sila Temsiririrkkul Luong Huu Phuc 池田 心
出版者
情報処理学会
雑誌
ゲームプログラミングワークショップ2016論文集
巻号頁・発行日
vol.2016, pp.57-64, 2016-10-28

近年,人間らしい挙動をするゲーム人工プレイヤに関する技術が注目されている.古典的ボードゲームだけでなくリアルタイム制のビデオゲームでも研究例が多い.一方で,日本で人気があるゲームジャンルの1つであるシューティングはあまりその対象として注目されてこなかった.シューティングは概して人間による1人用ゲームだが,対戦型シューティングというジャンルがあり,そこではキャラクタの自然で人間らしい動作が求められる.我々はシューティングの既存組み込み人工プレイヤの観察によって,大域的な視野の不足や精密に過ぎる動作,細かな振動の動作は,人間らしくない印象を与える要因であると考えた.そこで我々は十分に遠い先を読む探索と,弾の将来の位置予測を反映したInfluenceMap の併用でキャラクタの大域的で精密すぎない動きの実現法を提案した.またキャラクタの動作を複数フレームにまたがり固定する事で細かな振動を抑制した.この実装と被験者実験により,この手法の有効性を確かめた.Recently, techniques for human-like artificial game player get to gather attention. Not only classical board games but also recent real-time video games are used as the target. However, shoot'em up video games are rarely used as the target of developing such techniques. We observed existing shoot'em up game artificial players and concluded that they are not human like because of their narrow eye sights, too precise avoidance moves, and moves like fine vibration. Therefore we addressed these problems with route search techniques that can look ahead possible routes enough further, and influence map technique that shows areas where bullets can pass in near future. Additionally, we forced character moves to last multiple frames to reduce vibrating moves. We implemented the methods and evaluated that our method contributes to make artificial players look human-like by a subject experiment with human subjects.
著者
樋口 達郎 河合 一樹 宇賀神 秀一
出版者
求真会
雑誌
求真 = Kyushin (ISSN:18837123)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.49-62, 2017-03
著者
仲嶺 政光
出版者
富山大学地域連携推進機構生涯学習部門
雑誌
富山大学地域連携推進機構生涯学習部門年報
巻号頁・発行日
vol.19, pp.42-60, 2017-09

いま、子どもの貧困が教育研究の領域でも各種メディアでも、広く問題とされるようになっている。子どもの貧困問題は、不遇な子ども期・青年期、すなわち学校への就学期間を通しての貧困の「世襲」、世代的連鎖、再生産を導くという事実が問題だとされている。子どもの貧困問題への取り組みは、まず何より教師によってそれが「問題」として認識される必要があり、その上で子ども・若者への対策が実現可能となる。ところが、その際教師は次の2点で乗り越えるべき課題を抱えている。それは第1に、「親の職業や貧富などで子どもを差別しない」という学校の平等主義的なスタンスが貧困問題への認識や取り組みの障壁になることがある(久冨1993:162-163)。さらに第2に、格差社会が進展する中で教師自身の階層的地位が相対的に上昇し、そのことで底辺の実像が見えにくくなるという現代的問題が浮上してきている。「教員世界は圧倒的に『リッチ』です。かつては地方出身の苦学生が多かった職員室でしたが、最近は奨学金を受けてきた教員は私以外にいない学年もありました。しかも、共働きの多い職場ですから生徒や保護者の生活にどこまでかかわるか、割り切れてしまうという側面はあるように感じます」(綿貫2012:152)。教師たちはこれらの条件のなかにあって、どのように子どもの貧困を認識しているのか。本研究は、退職・現職の2つの世代間の労働環境を比較しながら、かれらの持つ子どもの貧困認識について考察しようとするものである。ここでとりわけ教師の労働環境の比較に着目するのはなぜかと言えば、日本の教師が世界各国と比べて異様に長い労働時間を担っていることに加え、ここ20年くらいの間に教師の精神性疾患の増加、および地域・保護者との関係づくりなどの困難化、などといった点において急激な変貌を遂げていることが指摘されているからである(久冨2017:51-64)。今日の教師たちには、子どもの貧困という他者の切実な生活困難・子育てに配慮した実践を企図するゆとりを十分に確保される必要があるが、その実態はどのようになっているのか。本研究では、日本全国で最も貧困率の高い沖縄を調査地に選ぶことにした。戸室健作の調べによれば、2012年のデータでは「沖縄は、この20年間、常に貧困率が最も高い地域であったが、近年はその値が急上昇して34.8%になり、3世帯に1世帯以上が貧困という状況になっている」とされ、さらに子どもの貧困率をみた場合、全国平均13.8%に対し沖縄では実に37.5%にものぼるという(戸室2016:40,45)。2015年に沖縄県がおこなった独自調査でも、沖縄の子どもの貧困率は29.9%にのぼっており(湯澤2016:67)、全国標準を大きく下回る経済格差、および貧困がもたらす子どもへの影響が浮き彫りとなっている。このような過酷な経済状況がどのように教師の貧困認識に現れ出ているのか、把握を試みていきたい。以下では、本調査の概要を示し(2)、教師の労働環境について退職世代の場合と現職世代の場合とをみた後(3と4)、それぞれの世代における貧困認識を比較し(5)考察を加えることにする(6)。
著者
栄沢 幸二
出版者
信州大学教養部
雑誌
信州大学教養部紀要. 第一部, 人文科学
巻号頁・発行日
vol.11, pp.35-55, 1977-02-28

Yukio Ozaki can be regarded as one of the typical democrats who maintained the attitudes of anti・militarism and anti-fascism. But it seems that the study on Ozaki during the period of fascism has not been publised as yet. Together with it we can say that the theoretical research on the bourgeois democratic nationalism in this period has scarcely been made. Terefore the theme of this paper is to make clear the contents and meaning of the nationalism of Yukio Ozaki during the period of fascism. At that time, for the development of Japan he not only insisted on the non imperialistic bourgeois democratic nationalism which meant that both domestic and forign policies should be based on the principle of liberal democracy, but also emphasised the importance of internationalism based on the principle of mutual suppots, and bitterly criticized the ultra-nationalism of the fascist forces.
著者
鈴木 孝則
出版者
早稲田商学同攻会
雑誌
早稲田商學 (ISSN:03873404)
巻号頁・発行日
vol.449-450, pp.89-95, 2017-06-15
著者
Treppoz Edouard
出版者
名古屋大学大学院法学研究科
雑誌
名古屋大學法政論集 (ISSN:04395905)
巻号頁・発行日
vol.263, pp.527-544, 2015-09-25 (Released:2015-10-16)

本稿は、2013年2月9日及び10日に名古屋大学大学院法学研究科において、科学研究費基盤研究(A)(平成24-27 年度) 「知的財産法と競争法分野における国際的な統合と分散化を調整するフレームワークの構築」(研究代表者鈴木將文)の主催で開催された国際会議“International Issues relating to Pro-innovation PatentSystem and Competition Policy” におけるTreppoz 教授の報告を基としている。
著者
李 美奈
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 = ANNUAL REVIEW OF RELIGIOUS STUDIES (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.197-213, 2017-03-31

During early modern period, the Jews in Italy became collectively mentioned in conducts (condotta) for settlement in Italian City-States, as well as in books written for Christians by Jews themselves, such as Historia dei riti Hebraici (L. Modena). On the other hand, the Jews in Italy varied considerably in customs, rites, and social status. How did they socially identify themselves within these multiple categories? This paper focuses on Leone Modena's identities in daily lives in the Venice ghetto, depicted in his autobiography. First, a general view on jewish settlement and regulation of them shows that condotta, which regulated the Jews under each city’s policy, invaded effects of halakhah or rabbinic judgement. A study on Modena's perspective on community in his autobiography demonstrates that he tended to recognize Jewish communities as homogeneous groups within each city, rather than as universal Jews or divided groups on customs. He formed self-identity as a part of the Venetian Jewish community, and pursued righteousness of communal rites and studies. His view was probably influenced by condotta, developed by negotiating with the Venetian city-state as a representative of the community and controlling communal people generally. The definition of condotta “Natione,” which originally occurred within international trades in Europe and was used by foreign merchant groups as a juridical personality, controlled its members and conformed a distinctive uniformity. It can be said that control under condotta developed a Jewish conceptual uniformity, and led Leone to search for righteousness, in other words “Jewishness”.
著者
湯川 進太郎
巻号頁・発行日
1999

近年我が国では、暴力的な犯罪や事件が連日のように新聞の社会面やテレビのニュースを賑わしている。記憶に新しいところでは、“中学生による児童連続殺傷事件”“中学生による警察官ナイフ襲撃事件”といった少年による ...
著者
山口 敬太 出村 嘉史 川崎 雅史 樋口 忠彦
出版者
土木学会
雑誌
土木計画学研究・論文集 = Infrastructure planning review (ISSN:09134034)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.307-314, 2007-10

This paper discusses how the landscape assets could have been durable in the reconstruction of Meisho -Scenic Beauty- such as Giouji, Rakushisha, Enrian, in Sagano, Kyoto. The landscape characteristics of such scenic beauty is made by literary works, poetry, etc.. And their images played an important role to reconstruct the Meisho and to inherit their historical landscape assets.
著者
筑波大学附属図書館

会期 平成22年10月4日(月)~10月29日(金)会場 筑波大学附属図書館(中央図書館 貴重書展示室)