著者
中島 淑恵
出版者
富山大学附属図書館

テーマ:南の島の記憶ー『チタ』を読む0.はじめに ハーンのアメリカ時代(19歳~40歳)クレオール(Créole)とは?あらすじ 「デルニエール島の伝説 (The Legend of L'Ile Derniere)」 「海の猛威を逃れて (Out of the Sea's Strength)」 「潮の影 (The Shadow of the Tide)」チタの髪の描写 1)チタ発見の手ががり 2)チタの金髪 3)チタの身元捜し 4)クレオール問答 5)チタと同じ金髪の少女の死骸 6)チタの母と思われる死骸ーアデル 7)アデルの死骸はニューオリンズに運ばれ,夫ジュリアン,娘ユーラリとともに墓碑銘に刻まれる 8)チタと養母カルメンとの会話 9)実の父ジュリアンとの再会の時のチタ 10)ジュリアンの煩悶 11)名前を聞く,名前を名乗る 12)ジュリアン,チタの首筋にほくろ発見 13)金髪をめぐるジュリアンの類推大自然の猛威ー海,水による災害,ハリケーン,津波水の傍らにあったハーンの生涯ーレフカダ,ニューオリンズ,マルチニーク,松江,焼津海水浴
著者
宮代 理弘 宮下 芳明
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.182-185, 2014-09-12

本稿では,プログラミング言語であるProcessingのコードをできる限り短くしてツイートする遊びについて述べる.そこでは,「プログラムがツイートされると,それを見た人がさらに短いコードを作成してツイートする」という一種のコミュニケーションがみられる.実例をもとにそこで観測されたコード短縮技法やコミュニケーションを紹介する.

9 0 0 0 OA 東京闇黒記

著者
村上助三郎 著
出版者
興文館
巻号頁・発行日
vol.本編, 1912
著者
足立 加勇
巻号頁・発行日
2015-03-30 (Released:2015-03-13)

日本のマンガ・アニメにおいて「戦い」は繰り返し描かれてきた重要なテーマである。それにもかかわらず、「戦い」を主題とし、その描かれ方を一定の視点から分析した論考は少ない。本論文は、マンガ・アニメの「戦い」にいくつかの類型を見出し、それぞれの「戦い」の表象の特性を分析することによって、日本のマンガ・アニメにおける「戦い」の表象とその受容を支える物語および心性のメカニズムを探るものである。ベネディクト・アンダーソンは『想像の共同体』において、人はなぜ「国民」という抽象的なもののために殺し合いをおこない、自らすすんで死におもむくのか、という問題を扱った。アンダーソンは「国民」に限らず、成員同士が常に顔をあわせる村落共同体以外の全ての共同体意識が想像の産物だとする(村落共同体もおそらくは想像の産物だとも述べている)。そして、「国民」は新たな共同体意識が想像されるようになったことにより、旧来の「想像の共同体」である「宗教共同体」「王国」が減衰したために誕生したものとした。アンダーソンは、新たな共同体意識の生成とその再編成に、出版資本主義が大きな役割を果たしたと指摘する。アンダーソンの指摘は、共同体意識とメディアによる消費者開拓の結びつきを明らかにしたものといえる。共同体意識と消費者開拓の結びつきは、日本のマンガ・アニメの受容においても確認できる現象である。特に、マンガ・アニメのファン共同体が「国民」と同じ「水平・世俗的、時間・横断的」なものであることが、アンダーソンが論じた「国民」とマンガ・アニメのファン共同体を似た性質を持つものにしている。今日のマンガ・アニメでは、ファン共同体の生成、維持、そして、その強化が大きな課題となっている。その理由は、主に、社会の閉塞感や不安のため、人々の互いを結ぶ紐帯に対する欲求がたかまっていることと、マンガ・アニメが安定した収入源を必要としていることの二つに求められる。そのため、マンガ・アニメの作品展開は、アンダーソンが論じた共同体意識の生成過程を縮小した形で反復するようになっている。このことは、マンガ・アニメの物語内容にも影響を与え、その形態を決定する要因となっている。現在のマンガ・アニメにおける「戦い」は、共同体の紐帯となる絆を語り、絆による勝利を語ることで、共同体意識の生成、維持、強化に資するものとなっている。その「戦い」の物語を成立させるメカニズムは、現実において戦闘を正当化し、誘発するメカニズムとも強い関連性を持っている。本論文は、マンガ・アニメに新たな共同体意識の発生を見るという視点を保ちつつ、日本のマンガ・アニメにおける「戦い」の諸相とその心的根拠を考察していく。その考察において重視するのは傷つく身体の表現である。想像されるものでしかない共同体意識の価値は、自分がその共同体の一員であるという意識を持つためにどれだけの犠牲を払えるか、ということによって示され、その犠牲の最もわかりやすい形が死や負傷だからである。共同体意識の生成、維持、強化に資する表現は、死の表現と深い関連性を持つ。本論文は、「戦い」を題材としたマンガ、アニメに対する考察を、「傷つく身体」と「記号的身体」を巡って展開されたキャラクター論から始める。1 章の1 節では、傷つく身体を巡るマンガ論の展開を追う。今日のマンガ論では、マンガやアニメのキャラクターは、極度にコード化された図像であり、記号的な性質が強いものとして理解されている。現実の人間は傷つき、苦しむものであるという認識は、そのような記号的な身体を持つキャラクターに対しても、傷つき、苦しむことを要請する。身体の問題は、リアリズムの問題、および、現実と虚構の接点がどのように構築されるべきか、という問題に発展する。2 節では、これらのマンガ論の前提となる、キャラクターの身体を構成する記号的な要素について考察する。これは、マンガやアニメを愛好する者たちの間では自明のものでありながら、口に出して説明されることがないものを明文化する試みである。また、この試みによって、80 年代後半頃から生じたキャラクターを構成するコードのあり方の変化が何であったかを明らかにする。その変化は、キャラクターとその受容者の関係を大きく変えていく。3 節では、「プリキュア」シリーズをとりあげ、キャラクターとその受容者の関係の変化が作品内容をどのように変えていくかを考察する。そこでは、キャラクターとその受容者の間に双方向的な関係が発生することが期待され、作品内における登場人物間の友情と、作品の愛好者が登場人物たちに対して抱く支持の感情の同一化がはかられる。作品の目的は、物語を語ることから、キャラクターとその受容者の間に互いを肯定する関係を作り出し、キャラクターを中心とした共同体意識を生成することへと移行する。それは、キャラクターを中心とした「絆」の現実における生成過程ととらえることも可能であろう。第2 章は、作品の物語内容を分析する。傷つく身体の表現は、マンガ、アニメを巡る言説の中では「リアリズム的な表現」であると考えられている。主人公が強大な悪に対して逆転勝利するという「戦い」を題材としたマンガ、アニメの物語内容は、「リアリズム的な表現」と必ずしも相性が良いものではない。マンガ、アニメに傷つく身体の表現を求めるリアリズム的要請は、その起点を第二次世界大戦における敗戦に設定することができるであろう。1 節、2 節では、リアリズム的要請に応えることと、主人公の勝利の両立が、戦後マンガ、アニメ史においてどのように実現されていったかを考察する。その両立は、傷つく身体を超克する奇跡が、「絆」を根拠に発生し、「絆」は、その正しさを奇跡の発生によって証明するという、循環論法的なメカニズムの確立によって実現されることになる。「絆」とそれが持つ循環論法的なメカニズムに耽溺を望む心情と、そのようなメカニズムに対する批判的な視線の共存が、「戦い」を描く日本のマンガ、アニメを根底で支えている。3節では、その具体例として『GUNSLINGERGIRL』をとりあげ分析する。第3章、第4章、第5章は、日本の「戦い」を題材としたマンガ、アニメから、身体の在り方を基準に三つのジャンルをとりあげ、それぞれ具体的に作品を分析していく。本論は、身体と科学技術の関係という関係から、「格闘マンガ」「サイボーグマンガ」「ロボットアニメ」の三つを、日本の戦うマンガ、アニメを代表する三つのジャンルとして抽出する。「格闘マンガ」とは、ここでは、スポーツの一種としての格闘技ではなく、格闘という形式に基づき登場人物達が戦うマンガ、アニメを指す。格闘は、科学の関与しない、人間が生まれ持った自然の肉体を持って戦うことを前提としている。それ故に、戦うことの正当性は人間の本性に基づいた自明のことであるとされ、戦うことの歓喜が耽美的に描かれてきた。それに対して、「サイボーグマンガ」におけるサイボーグとは、科学の力によって肉体を戦うための機械に改造された人々を指す。彼らは、超人的な力を持つものの、肉体を他者に奪われたという意識が劣等感を生み、その戦いは常に自己否定の契機をはらんでいる。一方、「ロボットアニメ」は、中に人間を乗せたロボットが活躍するという内容のアニメである。「格闘マンガ」の登場人物が自然の肉体に、「サイボーグマンガ」の登場人物が機械の肉体に縛られるのに対し、機械のロボットから自然の肉体を持ったパイロットが自由に乗り降りできる、つまり、機械と肉体を任意に選択することができるという特異性を持つジャンルである。第3章では「格闘マンガ」を、第4 章は「サイボーグマンガ」を、そして、第5 章は、「ロボットアニメ」について論じる。この三ジャンルは、それぞれ、「戦い」を題材にしたマンガ、アニメの世界において三つの極を作っているものといえる。三者の比較することで、三つのジャンルがそれぞれどのような物語を生成してきたのか、そして、その中で「戦い」とそれに伴う「犠牲」の関係が、時代の変化の中でどのように変わってきたのかを見ていく。そして、「戦い」を題材とした日本のマンガ・アニメにおいて、共同体の紐帯となり、個人に、この世界における位置づけを与える「絆」がどのような形で特権化されてきたのかを明らかにする。その「絆」は、単に物語内のものに留まらず、その作品を受容する人々をも含むものとなっている。現在では、コンテンツとコミュニティの親和性は製作者、消費者の双方に認識され、意識的に作品に反映される。主人公が傷つき倒れても、再び立ち上がって戦い、そして勝利する姿を描くマンガ・アニメ作品は、互いの共同性が信じる集団の結束を確認して強化するための死と再生の儀式となっているのである。
著者
秋山 理 中村 正和 田淵 貴大
出版者
日本公衆衛生学会
雑誌
日本公衆衛生雑誌 (ISSN:05461766)
巻号頁・発行日
vol.65, no.11, pp.655-665, 2018-11-15 (Released:2018-12-05)
参考文献数
16

目的 喫煙は様々な健康被害をもたらすため,健康増進のためには禁煙が重要である。喫煙者が喫煙の自身への有害性を認識していることは禁煙を試みることに寄与することが知られている。一方,これまで受動喫煙の他者危害性についての認識と禁煙との関連はよく調べられていない。そこで本研究では,日本の一般住民を対象としたインターネット調査にて,現在喫煙者における受動喫煙の他者危害性の認識と禁煙への関心との関連を検討した。方法 2017年1月27日から3月13日にかけて日本の一般住民を対象としたインターネット横断調査を実施した。回答者のうち,現在習慣的な喫煙を行っている15-71歳の男女1,586人(男性1,128人,女性458人)について,喫煙の自身への有害性の認識および受動喫煙の他者危害性の認識と禁煙への関心との関連について,多変量調整ロジスティック回帰分析を行った。結果 現在喫煙者のうち,男性では81.6%,女性では88.2%が受動喫煙の他者危害性を認識していた。現在喫煙者のうち,男性では52.7%,女性では64.6%が禁煙への関心があると回答した。多変量調整ロジスティック回帰にて検討した結果,喫煙の自身への有害性の認識もしくは受動喫煙の他者危害性の認識のいずれかを説明変数としてモデルに投入した場合のオッズ比はそれぞれ2.53, 2.92であった。喫煙の自身への有害性の認識と,受動喫煙の他者危害性の認識との両方を説明変数としてモデルに投入した場合で,両者とも有意に禁煙への関心と正の関連があることが示された。結論 現在喫煙者のうち,受動喫煙の他者危害性を認識している者は,認識していない者に比べて禁煙への関心が高かった。喫煙の自身への有害性の認識と,受動喫煙の他者危害性の認識とはそれぞれ独立に禁煙への関心と正の関連を認めた。本研究は,横断研究であり因果関係を調べたものではないが,受動喫煙の他者危害性の認識を高めることが禁煙への関心を持つことに繋がる可能性を示唆しており,今後のタバコ対策を推進するための基礎資料となる。
著者
村瀬 雅俊
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.57-64, 2004-04-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
北本 朝展 堀井 洋 堀井 美里 鈴木 親彦 山本 和明
雑誌
じんもんこん2017論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, pp.273-280, 2017-12-02

本論文は古典籍「武鑑」を対象として,大規模データを構造化するための全く新しいワークフローを提案する.まず「武鑑」を時間的に連続して変化する「時系列史料」という新しい種類の史料と捉え,そこから生み出される多数のバージョンをソフトウェア工学の観点から解釈し,これを板本書誌学の概念と対応させる.次にバージョン間の差分を検出する方法としてテキストベースと画像ベースのアプローチを比較し,「武鑑」では特に画像ベース差分検出が有効であることを示す.さらに差分検出と差分翻刻を合わせたアプローチを「差読」と呼び,そのためのワークフローを「人機分業」として構築することが「武鑑」の構造化の鍵を握ることを論じる.その最初の成果を「武鑑全集」として2017年11月に公開した.
著者
瀬戸口 裕二
出版者
名寄市立大学
雑誌
名寄市立大学社会福祉学科研究紀要 (ISSN:21869669)
巻号頁・発行日
pp.23-33, 2012-03

ハンセン病療善所奄美和光園においては、優生保護法下に生まれた子どもたちが存在していた。末感染児童は、親と隔離された保育所内で生活していた。国立療養所であり、政府の管理下にあった和光園において、患者の出産が可能となっていた背景について、資料を通して人物史的に考察した。戦後の混乱期にあった奄美大島において、カトリックの思想に基づいた職貝たちの活動が、園内出産を可能としてきたことが明らかとなった。また、出産と同時に発生した、養育と教育についても概観した。
著者
森 英樹 上條 隆志 正木 隆
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会大会発表データベース 第127回日本森林学会大会
巻号頁・発行日
pp.244, 2016-07-08 (Released:2016-07-19)

木本性ツル植物は樹木に取り付くことで、その生育を阻害し、結果的に森林の構造や動態に影響を及ぼすと考えられている。しかし、このような知見の多くは熱帯や亜熱帯地域に集中していて、温帯林ではごくわずかである。そこで本研究では、冷温帯林における木本性ツル植物の空間分布を明らかにし、ホスト樹木、地形および自然攪乱の影響の大きさを検証した。調査地は北茨城市に位置する小川試験地(6ha)である。樹木(DBH1cm以上・全18664本)に取り付くツル植物の種、DBH、位置を記録した。ツル植物は計1408本、計10種記録された。このうち個体数が最も多かった5種(フジ、ツルマサキ、イワガラミ、ツルアジサイ、ツタウルシ)を解析対象とした。本研究の結果からは、温帯林におけるツル植物はホスト樹木の選択性が強く、熱帯林とは対照的に、自然攪乱がツル植物の分布に及ぼす役割は小さいことが示唆された。また、種によって地形の選好性が異なり、種ごとの分布に反映されていると考えられた。