1 0 0 0 OA 年録

出版者
巻号頁・発行日
vol.[50],
著者
淺野 敏久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2011年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.178, 2011 (Released:2011-05-24)

1.はじめに 韓国で大きな環境問題論争を引き起こしたセマングムとシファの干潟開発に関して,報告者らは2003年より,断続的に利害関係者等への調査を行ってきた。その結果の一部を浅野ほか(2009)として報告したが,今回の報告では,そこでも述べたようにセマングム干拓反対運動が,堤防閉め切り直後から,急速に縮小したことに関連して,日本の状況とは対照的に異なる「その後」の状況を,同様に環境悪化が問題になったシファ開発の現状とあわせて紹介することにしたい。 2.シファ湖の「その後」 韓国の西海岸は干潟が発達し,1960年代から政府によって積極的に干拓事業が進められてきた。そこでは食料増産,住宅開発,産業団地開発などが行われてきた。一方で,環境への関心の高まり,民主化後の環境市民運動の隆盛などにより,大規模な自然改変をともなう開発に対して環境面から問題視する動きもみられる。 シファ干拓は,干拓事業が環境への悪影響を及ぼすことを人々に知らしめる転機になった開発事業である。農地や工業団地開発のために,約1.3万haの干潟を干拓し,約4千haの海面を閉め切って淡水湖にする計画が立案された。1994年までに防潮堤が建設され,湖は海から閉め切られた。水門が閉められると湖の水質が急速に悪化し,農業用水源として使えないばかりでなく,悪臭被害や沿岸農地に風の塩害をもたらすなどした。結局,淡水化による水資源開発をあきらめ,水門を開いて海水を流入させることになった。 しかし,シファ湖では,水資源開発を断念し水門を開いたという話では終わらず,海水流通のために堤防を開削し,そこに潮力発電施設を建設するという計画がたてられ,実際に建設された。さらに,干拓地には風力発電施設の建設も検討され,当該地域の干拓計画は,自然エネルギーを用いる「環境に配慮した持続的開発」として,工業団地開発,都市開発,リゾート開発が進められつつある。大規模開発による干潟の環境問題震源地は,エコロジカルな産業開発予定地という場所になっている。 3.セマングムの「その後」 セマングム干拓は1991年に着工された。33kmの防潮堤を築き,その内側に約3万haの新しい土地と1万haの淡水湖をつくる計画で,当初は農地開発を目的としていた。シファ湖の環境悪化問題が社会的関心をひいたことで,セマングム干拓も大きな社会問題となった。地元の漁業者や市民にとどまらず,全国レベルで環境団体その他市民団体や研究者らが計画への疑念を表明し,反対運動が拡大した。反対運動のピークは2003年の三歩一拝行進が行われた頃で,反対派と事業推進派のそれぞれの示威活動が活発に繰り返された。2006年には堤防がつながり広大な干潟は外海から遮断されてしまった。非常に活発であった全国的な反対運動は,その後,急速に縮小してしまった(関心と運動資源を他の開発事業に向けてしまった)。 反対派の運動が縮小してしまうと,推進派の一極であった全羅北道は国への開発推進圧力を強めた。2007年にはセマングム開発を推進するためのセマングム特別法が制定され,2010年には防潮堤が完成するとともに,セマングム総合開発計画が確定した。そもそもは大規模な農業用地を開発する干拓事業であったセマングム開発は,その事業の中心を工業・都市開発および観光開発を行う内容に変わった。ここでも再生可能エネルギーを利用した親環境的な「持続可能開発」を行うことが志向されている。 4.おわりに 2010年末に福岡高裁判決を受け,諫早湾干拓事業地での閉め切り堤防の開門調査が行われることになった。セマングムと諫早湾では水門の閉め切り・開放を求めて,同じ時期に裁判が行われ,いずれも原告勝訴の判決が出され,その後の展開が注目された。日韓の運動関係者等の相互訪問や連携も活発になり,両者は対比して議論されることも多かった。しかし,わずか数年しか経っていないのに,諫早では地道な運動が継続され,開門調査にまでつながりそうなのに対して,セマングムでは開発への反対運動はほぼ影を潜め,むしろ逆にセマングム開発は,21世紀に誇る地球環境に優しい「韓国の緑の希望」と喧伝されるに至っている。この差がなぜ生じるのか,この差がもつ意味は何なのか,議論を深めることが望まれる。ただし,今回の報告では韓国の状況を報告するにとどめ,論点の洗い出しや着眼点の整理を行いたい。

1 0 0 0 OA 黒板画譜

著者
石原和三郎, 一条成美 著
出版者
新声社
巻号頁・発行日
1902
著者
寺崎 衛 藤田 栄一郎 和田 正三 竹本 常松 中島 正 横部 哲朗
出版者
公益社団法人 日本栄養・食糧学会
雑誌
栄養と食糧 (ISSN:18838863)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.172-175, 1965-09-30 (Released:2010-02-22)
参考文献数
7

It was reported previously that tricholomic acid and ibotenic acid (new flycidal amino acids isolated from Tricholoma muscarium KAWAMURA and Amanita strobiliformis (Paul) Quel, respectively) have a very good taste.The characteristics of the taste were examined in details, and the followings were observed:1. Taste potency of the new amino acids are much stronger than that of sodium inosinate and sodium glutamate.2. There are synergistic actions between new amino acids and 5′-ribonucleotides.3. DL-erythro-tricholomic acid (synthesized) has an extremely strong delicious taste, but its threo isomer has not.
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],
出版者
日経BP社
雑誌
日経ものづくり (ISSN:13492772)
巻号頁・発行日
no.711, pp.71-73, 2013-12

2009年4月8日に東京都内で発生したエスカレータ事故。国土交通省は「製品や運用に問題なし」の判断を下したものの、新設された消費者庁の消費者安全調査委員会が「待った」を掛けた。同委員会は、再発防止のために3つの問題を検討すべきと指摘する。
著者
渡辺〓
雑誌
耳鼻臨床
巻号頁・発行日
vol.69, pp.301-303, 1976
被引用文献数
12

1 0 0 0 訂正申入書

出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.2, no.6, 1953

1 0 0 0 OA 気候療法

著者
大塚 吉則
出版者
日本生気象学会
雑誌
日本生気象学会雑誌 (ISSN:03891313)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.5-10, 2012 (Released:2012-03-24)
参考文献数
12

日常生活とは異なった気候環境に転地し,病気の治療や保養を行う自然療法を気候療法という.心身に作用する気候要素には,気温・湿度・風・気圧・日光そして森林内環境ではフィトンチッド(芳香性テルペン類)などがある.地形分類上は海岸,森林,平地,高山などがあり,それぞれ特色のある保養地気候を呈している.気候療法には,転地により有害な気候環境から心身を保護する作用と,新しい気候刺激に心身が反応して疾病の治癒や健康増進が促される作用とがある.気候療法の例としては,森林気候を利用した森林浴,山岳・高地気候で,標高差や勾配を利用して歩行運動を行う地形療法,海洋性気候の下で,寒さへの適応と運動を行うタラソテラピーなどが挙げられる.超高齢社会,ストレス社会の現代,気候療法を用いた健康増進,疾病治療などは幅広い適応があるためより一層の利用が望まれ,そのためには気候保養地の整備が必要である.
著者
久保田 文
出版者
文化学園大学
雑誌
文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究 (ISSN:09197796)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.7-15, 2006-01

今日,かつてのノーベル賞作家スタインベックは大半の人々にとって,The Grapes of Wrathによってその名を残す存在である。たしかに,1930年代の大不況下にあったアメリカにおいて,スタインベックは極貧と持たざる者の見果てぬ夢を描くことで社会を揺り動かした。その後の大作East of Edenを経て,1960年代をむかえた彼は,病後の体調を押してアメリカ再発見の旅に出ることを決意する。愛犬チャーリーを伴いキャンピング・カーを駆る旅に出た彼は,季節労働者の家族と一期一会の時を楽しみ彼らの明るい笑顔を喜びながら,自分のような作家たちが理不尽なまでの不平等に苦しむ季節労働者の生活を変えたことを,自負をもって回顧している。しかし,同時にスタインベックは,豊かに見える時代がやって来て,世界が新たなる罠につまずいて重大な問題に直面しつつあることを鋭く予知していた。何不自由なく暮らしながら,敵意と破壊への衝動にかられている若者。物質の氾濫する社会にあって,欲求不満の苛立ちと挫折感に苦しむ人々。他人が殺され取り除かれていくことを,ほとんど黙認する社会… これらに対しスタインベックは,「人の生命が貴重であった頃に作られたモラルは,もはや通用しない。新しい倫理観の確立が必要である」と主張し,人の生き生きとした生命力を奪うものへの嫌悪感を顕わにしている。アメリカ一周旅行の経験と感慨は,Travels with Charleyに収められ,アメリカという国が抱える問題点を更に踏み込んで捉えたエッセイは,最後の作品America and Americansの形をとった。後者の出版の二年後,スタインベックは没した。そのため,彼は我々の取るべき方向性を具体的には述べてくれていないのだが,彼の数々の作品の中から,答えを拾うことは可能である。その前にまず,この二作を中心に分析することから,スタインベックが後に続く我々に聞かせたいと願ってくれた最後の警鐘に,じっくりと耳を傾けたい。
著者
土井 健司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.1-26, 2012-06-30 (Released:2017-07-14)

本稿では最古の病院のひとつに数えられるカイサレアのバシレイオスの建てた病院施設「バシレイアス」について残存する資料を用いて再構成し、さらにバシレイオスがこれを建てた理由、背景を探り、最後に彼の病貧者観について考察する。残存する資料から次のことが分かる。バシレイオスはウァレンス帝から賜ったカイサレア近郊の土地に病院施設を建てたが、そこには看護者、医者、牛馬、さらに案内人として聖職者たちもいた。これはバシレイオス自身によって「カタゴギア」、「クセノドケイオン」、また「プトコトロフェイオン」とも呼ばれている。バシレイオスは寄付によってこの施設を運営し、おそらく患者や旅人などは無料であった。また彼は定期的にこの施設を訪れ、なかでもレプラの病貧者の治療を行っていた。それは修道士たちによっても実践され、それはバシレイオスの定める修道的生活のプログラムに含まれていた。この病院はバシレイオス自身のフィランスロピア思想と受肉論に支えられていて、蔑まれていたレプラの病貧者を同じ人間として、またキリストとしてその看護・治療を行って行く場所となっていった。