著者
浅野 光一 梅野 淳嗣 松本 主之
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌 (ISSN:04466586)
巻号頁・発行日
vol.108, no.12, pp.1967-1976, 2011 (Released:2011-12-05)
参考文献数
64

近年,ゲノムワイド関連研究をはじめとしたゲノム研究はめざましい進歩を遂げている.炎症性腸疾患(IBD)の領域においても,現在までに約100の関連遺伝子領域が同定され,その結果disease pathwayを想定することが可能となった.しかしながら,IBDの遺伝的要因に未解明の点が多いこと,人種差や環境の差異により疾患関連遺伝子の影響度も異なることなども明らかになってきた.これらを解明するため,同定されたIBD関連遺伝子領域のさらなる詳細な解析に加え,まれな遺伝子多型やコピー数多型の解析,さらに腸内細菌叢などの環境要因と遺伝子との間の相互作用など,さまざまな遺伝的要因に関する研究が続けられている.
出版者
巻号頁・発行日
vol.[118],
著者
安達 明久
出版者
常葉大学経営学部
雑誌
常葉大学経営学部紀要 = Bulletin of Faculty of Business Administration Tokoha University (ISSN:21883718)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.1-21, 2017-02

本論文は、日本を含むOECD主要国23ヶ国の国際比較を通じて、各国の「雇用環境」(平均賃金、所得格差、失業率)の特徴を把握するために必要となる諸要因、すなわち「雇用保護規制」(個別解雇、集団解雇等に関する規制、最低賃金等)のほか、これらと深く関連すると考えられる「経済的社会的要因」(1人当りGDP,国際競争力、高齢者労働力率、都市人口比率、ビジネス文化など)を統計学的手法により抽出特定するとともに、それら諸要因の相互関係に関する総合的客観的な基礎的知見を提供することを目的としている。そして、これらの知見に基づいて、日本の今後の雇用保護規制の在り方について提言を行うことを意図して実施したものである。雇用規制等が経済活動に及ぼす研究は既に多数存在するが、分析のフレームとして「雇用環境」「雇用保護規制」「経済的社会的要因」の3つの柱を初めて提示したこと、国際比較モデルを構築し定量的な多変量解析に基づく分析を行っていること、さらには、都市人口比率、ビジネス文化等の社会的要因にまで範囲を拡大し多面的な分析を行った点が本研究の特徴となっており、学術上の意義があると考える。本研究の結論は、一国の雇用制度や雇用政策の特色を検討する上で、当該国がどの様な「経済的社会的要因」を前提・背景として、「雇用環境」(平均賃金、所得格差、失業率)の3つのうちどの項目を優先し、どの様な「雇用保護規制」の組合わせを採用しているかを明らかにすることが極めて重要であるという点である。この結論に関連し、本研究により明らかとなった基礎的知見は、次の5点である。①「雇用保護規制」の強化が「雇用環境」に与える影響としては、総じて、所得格差を縮小する効果をもつ一方で、平均賃金に対してはこれを引き下げる効果を持ち、また失業率に対してもこれを拡大してしまう「トレードオフ」の関係にあることが、定量モデルによる分析から明らかになった。②「雇用保護規制」に加えて、1人当りGDP,国際競争力、人間開発度、相対貧困率、高齢者労働力率、さらには、都市人口比率、高齢者人口比率、年金給付水準、ビジネス文化、人種などの「経済的社会的要因」が、各国の「雇用環境」(平均賃金、所得格差、失業率)の差異を説明する上で重要な要素であることが判明した。③したがって、「雇用環境」「雇用保護規制」「経済的社会的要因」の3つの要素を柱とする分析フレームは、雇用制度や雇用政策の分析を行う上で重要な役割を果たすと言える。その具体的な適用事例として、欧州を中心とする高規制国は、「経済的社会的要因」面における高い国際競争力・高い年金給付水準を前提として、厳格な「雇用保護規制」を採用し、「雇用環境」の面においては「所得格差縮小」と「平均賃金の底上げ」を優先、その代償として「高い失業率」を甘受する形となっている点が特徴として指摘できる。他方、米英系を中心とする低規制国は、「経済的社会的要因」面における低い年金水準、高い高齢者労働力率などを背景に、緩やかな「雇用保護規制」を採用し、「雇用環境」においては「低い失業率」と「中レベルの平均賃金の確保」を優先、その代償として、「高い所得格差」に甘んじる形となっている点に特色があると言うことができる。さらに、日本については、「雇用保護規制」の面では低規制国に属し、特に、男女均等度の低さではOECD主要23ヶ国の中でも低位にあるが、「経済的社会的要因」面でも、世界有数の高齢人口比率と高齢者労働力率の高さで際立っている。また、「雇用環境」の面でも「低い失業率」を優先し、「低い最低賃金」、「高い所得格差」を甘受するという、低規制国の中でも失業率に特化した状況となっている点が最大の特徴となっていることとが指摘できる。④この様な日本の雇用環境の特徴、「低い平均賃金」と「高い所得格差」を改善する方策として、低規制国の典型である「米国型」へのシフトと「高規制国型」へのシフトが想定される。しかし、「今回構築した定量モデルの分析から、「米国型」では平均賃金は上昇するものの、逆に所得格差を拡大してしまうこと、「高規制国型」では所得格差は改善するものの、平均賃金をさらに低下させてしまうと試算され、双方ともに問題点を有していることが明らかとなった。⑤これらの問題点を克服緩和するための方策としては、失業給付や職業訓練に対する「公的支出」の拡大、「男女均等」の推進などの「雇用保護規制」面の対策に加えて、「高齢者労働力率」の一層の改善、「長期勤続比率」の向上などの「経済的社会的要因」の面での対応が、米国型・高規制国型のいずれにおいても共通して有効であることが、今回構築した定量モデルのシミュレーションにより判明した。本研究の結論、および上記5点の基礎的知見を踏まえ、今後の我国の雇用規制等の在り方について提言すれば、現状の日本における厳しい財政制約や解雇の金銭解消制度導入に関する激しい労使間の意見対立を前提とした場合、雇用保護規制の直接的な変更や職業訓練に対する公的支出拡大などよりも、むしろ、「男女雇用均等」の推進に加えて、「高齢者労働力率」の一層の改善、「長期勤続比率」の向上、さらには、「都市人口比率」の引き下げなど、「経済的社会的要因」の面からの対策に重点を置くべきであるということができる。これらの施策は、多額の財政支出を伴わず労使に受け入れられ易い施策であるとともに、上記⑤に示しように、米国型・高規制国型のいずれに進むとしても、その多くが共通して有効な対策であることが本提言の根拠となっている。

1 0 0 0 OA 過眼録

出版者
巻号頁・発行日
vol.巻38,

1 0 0 0 油布五線集

出版者
八幡船社
巻号頁・発行日
1972
著者
高木 嘉子
出版者
一般社団法人 日本東洋医学会
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.541-545, 1995-01-20 (Released:2010-03-12)
参考文献数
3
被引用文献数
1 7

治打撲一方は, 香川修庵により創方された処方であるといわれ, 打撲, 捻挫, 疼痛等に用いられる薬方である。打撲直後より, 数日経たものに用いる場合が多い。打撲や捻挫の既往のあるもの18例に, 臍右横1~2横指附近に放散する圧痛と抵抗を認め, 本湯の服用により症状の改善・軽減とともに, 圧痛・抵抗の軽減または消退を認めた。また1例ではあるが, 打撲の新しいものでは, 圧痛・抵抗は認められず, 日を経てから出現していた。既往の古いもの, 40年経過しているものにも, 圧痛と抵抗を認め, 本湯の服用により, 症状も圧痛, 抵抗も消退した。打撲歴と, 圧痛抵抗を目標に投薬して著効を得たことから, 治打撲一方の腹候の一つとして有効性があると思われるので報告したいと思う。

1 0 0 0 OA 本草綱目纂疏

著者
曽槃士考 輯
巻号頁・発行日
vol.巻6, 1800
著者
砂川 浩一 我那覇 伊昭 Sunakawa K. Ganaha I. 琉球農業試験場八重山支場
出版者
沖縄農業研究会
雑誌
沖縄農業 (ISSN:13441477)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.1-16, 1967-05

夏植原料茎を基として,節位による節間長,節間重,Brixについて調査したがその概要は次のとおりである. 1.節位による節間伸長は第二次分けつ茎において最も大きくついで第一次分けつ茎,母茎の順であった.なお節間伸長量の大きくなる時期は母茎において2回(9~10月と4~5月)第一次,第二次茎においては各1回(4~5月)であった. 2.倒伏茎と立茎について節間伸長を比較すると第25節までは直立茎の伸長量が大で,それ以降は倒伏茎の方がまさっていた. 3.施肥量別の節間伸長量を比較すると大きな差はなかったが,標準区より2倍区において幾分優っていた. 4.節間重においても節間長と類似した傾向がみられたが,その差は節間長程でなかった.節間重の大きくなる時期も節間長と同時期であったがこれらの結果について,第一次分けつ茎を母茎より7~8節ずらし,第二次分けつ茎を第一次分けつ茎より5~6節ずらすと同一型のグラフとなり,第二次分けつ茎の生長量が最も大きく,次で第一次,母茎の順であった. 5.節位によるBrixの変異をみると分けつ茎別では第二次分けつ茎が第一次分けつ茎および母茎よりも高く,母茎と第一次茎の間には差はなかった.また倒伏別では直立茎が倒伏茎より若干優り,肥料別では2倍区より標準区が若干優っていたが大きな差はなかった. 6.登熟に伴うBrixの変化は各区とも,節位によって類似した傾向がみられた.
著者
小松 久恵
出版者
追手門学院大学
雑誌
アジア観光学年報 (ISSN:13463527)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.41-47, 2014-03-30
著者
張 建偉 河合 由起子 熊本 忠彦 白石 優旗 田中 克己
出版者
Japan Society for Fuzzy Theory and Intelligent Informatics
雑誌
知能と情報 (ISSN:13477986)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.568-582, 2013
被引用文献数
1

ニュースサイトは日常生活における重要な情報源であり,閲覧者は発生事象の情報を受信する(受ける)のと同時に,書き方によって「楽しい」,「悲しい」,「怒り」等の多様な印象も受けている.特に,賛否両論となるニューストピックに関しては,複数のニュースサイトで報道傾向が異なるため,異なった印象を受ける.また,同じ話題であっても,時間が経つと報道傾向が変化する場合には異なる印象を受ける.そこで本研究では,記事の書き方を「印象」という評価指標で分析することで,ニュースサイトの報道傾向を視覚的に比較可能な分析手法を提案する.提案手法は,まずニュース記事の多様な印象を表現するのに適した複数の印象軸を設計し,ニュース記事に対する印象辞書を構築する.次に,この印象辞書を用いて各記事と各ニュースサイトの印象値を算出し,最後にサイトごとの報道傾向の違いおよび時間的推移を閲覧者へ比較提示する.本論文では,多様な印象に基づくニュースサイト報道傾向分析手法を提案し,国内 15 社,国外 10 社の計 25 社のニュースサイトに適用したシステムを用いて,その有効性を検証する.
著者
西澤 正己 孫 媛
出版者
Japan Society of Information and Knowledge
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.216-223, 2014
被引用文献数
6

2007年から2012年の間に、大学に関連して発行されたプレスリリースが掲載された新聞記事を、読売新聞と毎日新聞について調査した。これまでの調査で、大学に関連したプレスリリースが近年大幅に増加していることがわかり、それに対応して、新聞掲載も増加していることがわかっている。本調査では、プレスリリースが読売新聞と毎日新聞に掲載された記事について、その特徴等を考察する。
巻号頁・発行日
vol.[99] 諸家国産之部, 1000
著者
田井 康雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.16, pp.p22-38, 1987-12

現代日本の教育状況の荒廃ぶりには,目をおおうものがある.教育の中心現場としての家庭・学校が,「教育の場」という名に値しないものにすらなってきているのである.多くの親達は自分達の子どもに対する教育権や教育義務の真の意味を履き違えて,自らにはまったく子どもに対する教育責任を感じていない.その結果,家庭における子どもに対する反教育的影響の氾濫,さらに,その反教育的影響が子どもの人間形成をいかに大きく左右しているかは想像に難くないのである.一方,学校教育についても,子どもに関するあらゆる問題の責任を担える状況にないにもかかわらず,学校に対する教育期待は増大する一方である.その結果,今まで学校教育の表面にはあらわれてこなかった様々の問題が顕在化してきているのである.つまり,家庭教育の中で本来行われるべき情操教育,道徳教育,宗教教育,さらには,それらを基礎にする全人教育が,家庭で親にまったく顧みられず,しかも,その結果顕在化している教育諸問題の対症療法的対策が学校に求められているのである.
著者
瀬口 昌久
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典学研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.25-35, 1994-03-28 (Released:2017-05-23)

An Eleatic stranger presents the definition that being is nothing but power or function(dynamis)in the Sophist(247d-e). However, this definition is not accepted by the friends of the Forms because they are afraid of the paradox that Reality must be acted upon in so far as it is known(248a4-248e5). They believe that cannot happen to the changeless. I shall attempt to clarify the purpose of this paradox and whether the definition of being as power is maintained. D. Keyt analysed the paradox and found that it is based on five premises (Plato's Paradox that the Immutable is Unknowable, PQ, 19, 1969, 1-14). (1) Real being is completely changeless. (2) Being is known. (3)To know is to act on something. (4)If knowing is acting on something, then that which is known is acted upon. (5)To be acted upon is to be changed. Premises(2)-(5)entail the denial of(1) , which contradicts the belief of the friends of the Forms. Does Plato avoid the contradiction? If so, how? As Keyt points out, no one has claimed that Plato rejects either(2) or(4). I shall consider premises(1) , (3) and(5). Many commentators(e. g. J. Moravcsik, G. E. L. Owen, I. M. Crombie, R. S. Bluck, W. G. Runciman)think that Plato rejects(1). However, they are claiming that the Forms are subject to change only in the sense that dated propositions are true of them, not that the Forms undergo a change of their own nature when they are known. If the Form of Justice is known by an individual, a temporal proposition is added to the Form, and then the Form is changed in an accidental way. However, this view has no textual evidence. On the contrary, it contradicts the statement in the Timaeus that the Forms are timeless (37e1-38a8). W. D. Ross suggests that(3) is the only explicit hypothesis of the five and holds the view that in knowledge the object acts on the mind not vice versa. Ross ignores the fact that the paradox is meant to damage the claim that the power of acting or being acted upon belongs to becoming but not to being (Keyt, p. 4). Other commentators(F. M. Corn ford, H. Cherniss, G. Vlastos)suppose that Plato himself will abandon(5). They think that the spiritual motion distinguished from the physical does not alter its objects. Keyt and A. C. Ray criticize this interpretation on the ground that the distinction between physical and spiritual motion is not drawn in the Sophist. If it had been drawn, the friends of the Forms would not have adhered to(5). I support the denial of(5). The problem is why the friends of Forms stick to(5). I connect the definition of being as power with the perception theory in the Theaetetus(155e-157d). "More refined and subtle people" in the Theaetetus maintain the principle that everything arises from the motion of two kinds of power, the one being active and the other passive. I suggest the definition of being in the Sophist derives from this Heraclitean principle of being. Plato deliberately omits the crucial word "kinesis" in the Heraclitean principle from the definition of being in the Sophist. It is by virtue of this omission that the definition of being can be applied to real being as well as material things. Moreover, when the notion of the active and passive power is distinguished from that of changes or motions, the definition will ensure Plato's view of the communion of Forms. The paradox shows the absurdity which arises when we connect the active and passive power of Forms with motion or change. Plato's aim in the paradox is to establish the view that the power of Forms need not cause changes in its objects. I conclude that the definition of being as power is maintained and not given up after the paradox and is the key to understanding the meaning of real being.