- 著者
-
保田 卓
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.53, no.2, pp.2-18, 2002-09-30 (Released:2010-04-23)
- 参考文献数
- 24
- 被引用文献数
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本稿の目的は, ルーマンの教育システム理論の変容を概観し, その再構築に向けての足掛かりを得ることである.ルーマンはかつて, 教育システムのメディアは「子ども」であると考えていたが, 晩年に至ってこの考えを捨て, そのメディアを「ライフコース」に取って替えた.その意味はこうである.マスメディアがライフコースの比較可能性を飛躍的に増大させた現代にあって, 「ライフコース」メディアは, 教育システムにおいて伝達される知識の被教育者にとっての意味を示すようにはたらき, それによってコミュニケーションを文字通り媒介する, と.この地点から翻って考えると, 教育のメディアは「子ども」でありそれは二値コードをもたないというルーマンの従来の見解も再考されなければならない.ルーマンによれば, 教育システムにおける選抜には二値コードがあるが, それは教育それ自体のメディアすなわち「子ども」には適用できないのであった.しかしこの主張は, 彼のいう意味すなわち評価という意味での選抜なき教育は不可能であるという現実にそぐわないのみならず, 彼の一般社会システム理論枠組に照らしても論理的に矛盾している.それゆえ, 教育システムのメディアは「ライフコース」であり, それは他の機能システムのメディアと同様に二値のコードを, すなわち被教育者のライフコース形成にとって「促進的/阻害的」というコードをもつとするのが妥当である.